母との別れ

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2015-01-17

母が亡くなった。15日(木曜日)の朝に病院に寄ったときは、母は酸素マスクで呼吸していた。荒い息であった。声を掛けるが反応はない。そのまま職場に向かい、自宅で夕食のあとぼんやりしていた。夕方の7時頃、病院の看護師から電話がかかってきた。脈拍が遅くなって心配になったので、病院に来てくれとの話であった。慌てて病院へ行き、3階の病室に行くと、いつもの場所には母はいない。ナースステーションに行くと、こちらへ来てくれと看護師さんから案内されて別室に行く。母が横たわっていた。

そこの看護師さんが、「間に合いませんでした、つい先ほど息を引き取りました」と言う。「そして、今、先生をお呼びします」と言った。母の体にいくつかのモニターが接続されていたが、そのモニターの数字がすべてゼロを示していたのが印象的だった。先生が入室して、おっしゃるには、「呼吸が弱くなり、30分ほど前にほとんどの反応が止まった」とのことであった。そのあと、先生はペンライトみたいなものを取り出して、母の瞳孔に当てて、反応がない、そして脈拍もない、と説明して、1月15日午後8時死亡と宣告して、死亡診断書を書いてくれた。直接死因の箇所には「誤嚥性肺炎」と書かれてあった。母の足は非常にむくんでいたが、看護師さんが言うには、「最後はほとんど尿が出なくなり、体の中に水が溜まっていった」とのことであった。

しばらく呆然としていたが、さっそく次の行動に移る必要がある。妹に連絡をした。そして葬儀の準備をする必要がある。以前から、妹と相談して葬儀は家族葬と決めていた。それで、具体的な業者を決める必要がある。以前から「イオンのお葬式」にお願いしようと思っていて、そこからカタログを取り寄せたこともある。電話をするが、「本日の営業は終わったので、明日の9時以降電話をしてください」というメッセージが流れるだけだった。仕方がないので、電話帳から地元の業者を選び、そこにお願いすることにした。業者の人がさっそく病院まで来てくれたので、いろいろと細かい打ち合わせをする。葬儀の場所は山科にあるお寺で行うことになった。病院の地下に止めてある業者の車に母の身体を入れて、明日、お願した寺で会うことになった。この病院には本当にお世話になった。この病院のおかげで、これまで母はなんとか生き延びてこれたのだと思う。

16日(金曜日)は、まず、母の写真を現像することから始めた。私のiPhoneに入れてある母の写真(3年ほど前の比較的元気な頃の写真)を遺影に使うことにした。しかし、iPhoneの画像をどのように現像するのか、ローソンに寄って現像の機械を操作しながら(店員さんに教えてもらい)、なんとかA4の大きな写真へと現像できた。

職場では母の死亡を届ける。香典・花などはすべて辞退することにした。ただ、学園を代表して弔電と花を届けてくれるということで、それはありがたく受け取ることにした。授業を一通り済ませて、早めに自宅に戻る。

家族で山科のお寺に向かう。7時からお通夜が始まるので、1時間ほど前には到着したいと思った。次男は明日はセンター試験があるのでそちらの準備に専念したいところだが、緊急事態なので、そんなわけにもいかないのでお通夜に参加してもらう。式場はこじんまりとした空間で家族葬にはちょうどいい広さである。中央には棺桶があって母が横たわっていた。シワが取れて、穏やかな顔に変わっていた。(業者さんのほうで死化粧をしてくれたのだろうが、上手にしてくれるものだと感心した)妹の夫婦と姪が到着する。しばらくして、甥の夫婦が到着する。

僧侶がやってきて読経してくれた。私の実家は石川県で真宗の盛んな地域である。そこでは、僧侶を「ごぼうさま」と呼ぶが、ここは真言宗のお寺であり、「ご導師さま」と呼ぶようだ。読経の方法も木魚の叩き方も異なっている。本当は石川県の実家に戻って、そこで先祖代々お世話になったお寺さんにお願いするのが筋なのだろうが、現状では石川県で行うのは現実的な話ではない。一時間ほどでお通夜は終了する。

17日(土曜日)は告別式である。10時から始まるが、早めに家を出発して、まず次男をセンター試験の会場に送る。その後に、式場に向かう。定刻に始まる。ご導師さまが入場して、読経をする。その間に、順番に焼香をする。読経が済むと、司会の人からの弔電披露があり、出棺となった。母との最後のお別れである。菊の花を棺に入れて、母に心からのお礼を言った。瞬間的に過去のいろいろなことが走馬灯のように駆け巡る。自分たちが小学生の頃の母親、中学生の頃、そしてその後の母の姿をずっと思い出した。母はこれから父と10年ぶりの再会を果たすのだ。

霊柩車を先頭に、妹たちのタクシー、私の車、業者の車と、4台だけの車列が進む。京都中央斎場に向かう。15分ほどで到着する。深山の雰囲気に囲まれた斎場、(夜にここを歩くのは恐ろしい感じがする、霊魂がそこらに漂っている感じがする)火葬の前に、母と本当に最後のお別れをする。母の肉体が数時間後には灰になってしまう。一同合掌して母の棺をガス炉の中に送る。

待合室で一同が待っている。明日は友引の日であるがゆえに、今日火葬する人が多いそうである。徐々に人が増えてくる。妹の夫妻とも久しぶりである。妹たちも引退の時期で老後は旅行などして趣味を中心に充実した生活を送りたいと述べている。

13時頃に業者の人が待合室にきて、火葬が終了したとの報告をしてくれた。さっそくその部屋に向かう。母の骨が並んでいた。業者の人から、京都中央斎場では火力を強くしているので、他県の斎場と比較して、骨が崩れていることが多いとの説明があった。一人一人が箸で拾って骨壷へ納める。業者の人が骨を砕いて中に詰めやすくしている。業者の人が、喉の骨を示して、これは仏様のような形をしているので、喉仏というと説明をしてくれた。また、自分がどこか体が悪いところの骨を拾って骨壷にいれると、その部分の痛みを持って行ってくれるとの話をしてくれた。箸と箸とで骨を受け渡したりした。つい、二日ほど前まで母だった人の体がこのように変形してしまうのは不思議な感じがする。(火葬場では死亡後24時間経過していなければ火葬は受け付けないそうだ)

思わず ashes to ashes と口に出る。家内はさらに dust to dust と言い加える。次は自分たちの番か、人間は結局は ashes にそして dust に戻ることがしみじみと感じられる。人間はつかのまの生きている瞬間を十分に味わうべきなのだ。

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