2015-01-18
この一週間は慌ただしかった。ずっと風邪をひいて体調不良でやっと治りかけたと思ったら母の死と葬儀があって、この一週間は自分が自分でないようだった。
ネットを見てみても、肉親の介護、そしてどのように看取るかについて色々な方が報告をされている。自分の母親の場合は、だいたい日本の多くの高齢者の最期の迎え方と同じであったことが分かった。ネットを書かれた方の多くは自分と同じように親の治療方針(延命方針)についてお医者さんからアドバイスをもらったり、家族で相談したりして、決断をされているようだ。
自力で食事ができなくなった時から、次はどうするかという判断になる。(1)何もしないでそのままにする、(2)胃瘻をおこなう、(3)点滴をおこなう、などがあるようだ。母の場合は、医者からのアドバイスで胃瘻という方法をお願いした。胃瘻の場合は、平均余命は2年ほどとのことだが、母の場合は、1年半ほど生きることができたのである(平均よりも少々短かったが)。少しでも寿命を伸ばさせてもらったことで感謝している。
胃瘻はアメリカで1980年代に開発された方法のようだ。この方法のおかげで母は少なくとも1年半は寿命をプラスさせてもらった。ただ問題は、生活の質の問題である。寝たきりになってからの生活は何が楽しみなのかと思ってしまう。母に退屈しないかと聞いたら、「病室に色々な人が来るのでその話を聞いていると退屈しない」とよく答えていた。食べる楽しみがなくなってしまった母は、週に2回ほど入浴させてもらったこと、看護師さんから声掛けをしてもらったこと、見舞いに家族が来て何か話していくこと、それを楽しみに生きていったのかと思う。
寝たきりの高齢者の生活の質を高めること、そんなことは可能だろうか。寝たきりの高齢者は多少なりとも認知症が進む。頭脳が相変わらずはっきりしていたら、死について考えることが多くなり憂鬱になるだろう。しかし、認知症が進むことは、死の恐怖を感じることが薄れるのであり、その意味では好都合である。質の高い寝たきりの生活は可能かーーー不可能だろうな。