伊良子清白の漂白

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2015-01-20

自分にはついに父も母もいなくなったという喪失感がある。長い間、自分を守り育ててくれた存在がついに消え去ったという感覚、自分の体の一部が消えたような気がする。急に高校生の頃の現代国語の教科書に載っていた詩を思い出した。伊良子清白の詩「漂白」である。

蓆戸(むしろど)に
秋風吹いて
河添(かはぞひ)の旅籠屋(はたごや)さびし
哀れなる旅の男は
夕暮の空を眺めて
いと低く歌ひはじめぬ

亡母(なきはゝ)は
処女(をとめ)と成りて
白き額月(ぬかつき)に現はれ
亡父(なきちゝ)は
童子(わらは)と成りて
円(まろ)き肩銀河を渡る

柳洩る
夜の河白く
河越えて煙(けぶり)の小野に
かすかなる笛の音(ね)ありて
旅人の胸に触れたり

故郷(ふるさと)の
谷間の歌は
続きつゝ断えつゝ哀し
大空の返響(こだま)の音(おと)と
地の底のうめきの声と
交りて調は深し

旅人に
母はやどりぬ
若人(わかびと)に
父は降(くだ)れり
小野の笛煙の中に

旅人は
歌ひ続けぬ
嬰子(みどりご)の昔にかへり
微笑(ほゝゑ)みて歌ひつゝあり

明治39年に刊行された『孔雀船』の冒頭の詩である。父と母が若い姿になって夜空に現れている。不思議な詩である。伊良子清白も父母を亡くしてからの詩であると推察する。「亡き母」は乙女となり、「亡き父」が童子となり、「白き額、月に現はれ」「円き肩、銀河を渡る」との表現は胸を打つ。今頃は、我が母は天の国で童子となった父と会っているのだろうか。

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