老いの迎え方

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2014-02-07

母が亡くなってから3週間ほどが経つ。母を介護することでいろいろなことを学んだ。人がどのように老いて(衰えて)死を迎えていくのか間近で見たのである。今までの自分は人の老いて死んでいく姿を近くで見たことがない。

自分が中学生の頃、母親の実家には、まだ曽祖父が生きていた。ただし、立ち上がることはできなかった。寝床から這いずりながら自分の尿瓶の中身を外に捨てにいく姿を覚えている。強い臭いがして、「老い」という言葉と曽祖父のその姿が結びついている。その頃は、家で死を迎えることが多くて、子供たちは自分の祖父母や父母が亡くなっていくのを体験して、実感することができた。

今は、死は病院で迎えることが多くなってきた。そのために、子供たちは昔のように家族の年長者の死を体験する・実感する機会がなくなってきた。自分の子供たちも2,3か月に一回ぐらい母の見舞いに病院にいく程度だった。それも30分程の時間である。何かを感じたり、学んだりするには時間が足りなかった。子供たちは、母の死をあんまり感じていない。別世界のことであり、自分とは無関係と感じているように思える。観念的には人は老いて・死んでいくことを知っている。でもそのことをちゃんと実感しているのか、と子供たちに聞いてみたい。

母の若い頃の写真を見ると背筋もちゃんとまっすぐで元気いっぱいである。それが徐々に背中が曲がり、杖をついたり、手押し車で外出するようになった。しかし、外出できるのはまだよい。次第に身の回りの始末ができなくなり、施設に入ることになる。しかし、施設に入るといっても簡単ではない。いろいろと探しまわり、お願いしながら何とかケアハウスに入れてもらった。費用もかなりかかる。

体の衰えとともに、入る施設も特養や老健になっていった。そして、決定的なことは軽い症状だが、脳梗塞を起こしたことである。それで食事ができなくなった。医者の勧めで胃瘻の手術を行い、そこから栄養補給となった。それから寝たきりになったのである。胃瘻の手術のおかげで母の寿命が1年半伸びたのであるから、お医者さんに非常に感謝している。病院に行くたびに、痴呆症の進む母親と会話をして、それを時々はevernoteに録音していた。しかし、胃瘻も徐々に難しくなり、点滴で栄養補給へ、そしてほとんどの血管がボロボロになり、点滴もむずかしくなり、お腹に直接注射となっていった。最後の段階では、足などがむくんで驚くほど変形してしまった。

次の自分の番だが、どうしたらいいのか。とにかく準備が必要だということが分かった。施設に入るには、ある程度お金が必要である。母の時は、遺族年金で何とかやりくりできたし、やや値段の高い施設でも月に2万円ほどプラスするだけで何とか月々の使用料は払うことができた。それには貯金をしておく必要がある。それも自分だけでなくて、家内の分も用意しなければならない。そのあたり、子供たちにも言い含めておく必要がある。

葬式もお金がかかる。金銭面で子供たちに迷惑をかけたくないというのが本音である。しかし、どうしても協力をお願いせざるをえなくなる場合もある。そんなことの段取りは、いままで避けてきたが、やはり直面しなければならないことのようだ。

自分の定年退職の時期が近づいている。定年後はもう働きたくないと思うと同時に、やはりある程度は社会とつながりを持っておくべきとも考える。この15年ほど常に何かに追われるような気がしてきた。特に本を書くことで時間に追われてきた。いままでに20冊ほど編者として本を出版することができたが、これは正直言って大変なストレスであった。原稿の締め切り、執筆者への督促、校正などである。本の複数冊の出版が同時進行的に続き、机の上に日程表を貼って、それを見ながら、常に残り日数を数えていた。

そんな毎日で何が楽しかったのかなと思う。本を読んでいても、自分の書く本のネタ探しという性格が強くなり、楽しんで読むことができなかった。観光地に行ってカメラで写しても、この写真をいつか挿絵として使いたいというような打算的な気持ちになる。そうするともう楽しめない。

いろいろあったが、自分は人生を楽しむべき時期にきたとも思う。しかし、何を楽しめばいいのか。そんなこと何も考えてこなかった。自分はどうも定年退職後は虚脱状態になり、燃え尽きてしまうかもしれない。でも、定年までまだ1年ほどあるので、ゆっくりと身の振り方を考えよう。

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