2015-02-08
今日家族と久御山のイオンに行った。するとアンデス音楽を奏でるグループがいて人々が群がっている。写真を撮ろうとしたが聴衆がたくさんいて遠くからしか写真を撮れない。我々が到着したのは、演奏の終わり頃だったが、自分のお気に入りのコーヒールンバを聞くことができたので、満足であった。
去年の11月23日にも彼らの演奏を聴いている。その時は、2人組だったが、今日は5人組で演奏していた。写真では4人しか見えないが、中央にドラムの人が座っている。青い服を着た人で体の一部がちょっと見える。彼らの演奏は非常にリズム感があり、中高年の聴衆の何人かは一緒に踊っていた。私の前に立っていた70歳ぐらいの高齢の女性が一緒に踊っていた。中高年の人が身体を動かしているのを見るのはとても微笑ましい。
コーヒールンバは Moliendo café「コーヒーを挽きながら」という原題である。西田佐知子が歌ったのは、「昔アラブの偉いお坊さんが恋を忘れた哀れな男に。。。」というような歌詞であったが、ネットで訳詞を見てみると、「夕方、日が傾くと、また暗闇がやって来る。あるのはコーヒー農園の静けさだ。いつものように、また(その歌が)聞こえる。それは、(コーヒーの)古い挽き臼の悲しい恋の歌である。それは、夜の休息のなかで、うめき声を聞いているようだ。」というような意味である。南米の歌であり、アラブは関係ない。お坊さんも出てこない。日本人が歌詞をつけるときは、かなり意訳というか異訳をするようだ。
我々日本人は傾向として、訳すときに、かなりセンチメンタルなタイトルをつける。原題が「乗車券」「カレリア」ならば、「涙の乗車券」「霧のカレリア」と追加の言葉を入れてしまう。歌というのものはセンチメンタルであるべきとの我々日本人の考えを示しているのか。