瑞泉寺を訪問する

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2015-02-21

昨日、近江八幡の町について調べていたら、近江八幡城という城があり、豊臣秀次が住んだことのある城のようだ。それから、秀次の一生についても調べた。彼は叔父である秀吉に疎まれて、切腹を命じられ、また彼の一族は三条河原で処刑されたのである。彼のお墓が木屋町通りの瑞泉寺にあることが分かったので、今日の朝さっそく訪ねることにした。

木屋町通りはけっこう京都らしくで散歩が楽しい。美味しそうなレストランもいくつもならぶ。横は高瀬川があるが、これは森鴎外の小説『高瀬舟』のモデルになった川である。小さな川でこんなところを船が通ったのかといぶかしげに思う。
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木屋町通りを北上すると右手に歌舞錬場へ行く通りがある。このあたりは昔は鴨川の川岸であり、今は埋め立てられて、先斗町となっている。歌舞錬場へ行く通りの中程のところ、その川辺で秀次の一族39名が処刑されたのである。幼い男の子3名、女の子1名、さらに側室や侍女たち、合計39名が次から次と処刑されたのである。その日は鴨川は一面血に染まったという。処刑されたと思われる場所は現在はレストランやバーが建っており、面影は残っていない。一応、写真に撮っておく。
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そして、近くの瑞泉寺に行く。秀次とその一族のお墓を訪ねる。墓誌をみると、8歳とか9歳とかの子どもたちの名前も見える。420年前の出来事(1595年)であるが、想像するだけでも陰鬱になる。秀次のお墓の周りには39柱の墓碑が建っている。それらも写真に撮っておく。
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権力者とは恐ろしいと思う。常に血の匂いがする。時には自分に血が降りかかることもある。近年の中東の出来事などが思い出される。自分のように、目立たないで、ひっそりと静かに生きていく生き方もなかなかいいなと思う。そんなことを考えながら三条大橋に来る。弥次喜多道中の二人の銅像がある。こんな風に気楽に生きたいと思った。
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瑞泉寺を訪問する」への1件のフィードバック

  1. […] 帰りは、亀岡から京都まで車で峠を越える。この坂は「老いの坂」という名前である。なんだか、自分に相応しい名前である。むかし、明智光秀の軍隊がが本能寺に織田信長を襲うために通った山道である。また、自分はふと思い出したのだが、以前のブログに記したが、豊臣秀次の正室、側室、子供、侍女たちがこの道を通って、身柄を預けられていた亀山城から京都に向かったのである。当時の峠はかなり悪路であり、越えるのは大変だっと推測される。処刑されることを予期していた秀次の一族たちは重い気持ちでこの峠を越えたことと思う。 […]

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