2015-02-24
次男は大学の入学試験の勉強をしている。入学を希望する大学の試験はまだ全部は終わっていないが、すでに不要な参考書などを捨て始めている。玄関に高く積み重ねて、ゴミとして処分するようである。私は「後になってからも使うことがあるので、貴重なものは保管して、後になって読み返すようにしたら」と次男にアドバイスをするが、次男は「すべていらない、全部捨てて構わない」と言う。そんなに受験勉強を嫌々やっていたのかと驚く。まあ、一区切りつけたい気分は分かるが、参考書などは保管しておくべきと思う。
そんなことで、私はそれらの参考書や問題集の山をチェックしてみた。ほとんどは未使用のものか最初の2,3ページだけ問題を解いてある問題集ばかりである。多量の本を購入した割には、使わない本ばかりのようだ。かなり無駄をしているなと思った。まあ、私の受験の時も、似たような有様だったから文句を言うわけにはいかないが。
ところで、現代文や古文の教科書を見ていたら、なかなか面白い。高等学校の教科書の編者の先生方はよく考えて材料を選んだと思う。第一学習社の『高等学校現代文』をパラパラ眺めてみた。小説なども面白い。原民喜の「夏の花」は原爆の悲惨さを語った小説だが、その迫力に圧倒される。森鴎外の「舞姫」も、エリスと別れの部分などは読んでいて苦しくなった。私が高校生の頃の教科書にも同じ文章が載っていたが、その頃は文語が理解できずにいたが、この年になり、ある程度文語表現にも慣れたせいか、すらすらと読んでいくことができる。実話に基づいているそうだが、彼の苦悩などがよく伝わってくる。
古橋信孝の「知るー和語の文化誌」という評論も面白かった。「知る」イコール「支配する」という説明にはなるほどと感心した。伊勢物語の冒頭の「むかし男 初冠して平城の京 春日の里にしるよしして狩に往にけり」の説明だが、「しるよしして」とは「支配する領地があるから」と解釈されるとのこと、なるほどと思った。
30年ほど前に、この人の万葉集の講演を聴いたことがあった。明快な講演で面白かったことを覚えている。この頃から学会の大御所だった人だ。教科書には彼の年齢が記してある。私よりも7歳ほど年長のようだ。才能のある人は若い頃から頭角を現すのだと感心する。
そんなことで、次男の捨てた本で面白そうなものは捨てないで私が勉強することにする。数学の参考書などはあと数週間は次男は使う予定のようだ。いらなくなったら、それももらいたい。高校時代の数学を一度ゆっくりと勉強してみたいと思う。大学受験という制度がなかったら、自分は数学が好きになったかもしれないと思うので。