2015-03-10
母が亡くなってから私が行うべき諸手続きを1月25日のブログ「もろもろの手続き」の中でリストアップした。それがようやくすべて終了した。(4)に示されていたように、石川県にあった農協の貯金を私の銀行口座に移すことがかなり厄介であった。必要な書類は、いくつかあり、そして、書類不備とのことで何回か農協の担当者の方から電話をもらい、提出のし直しをした。
母親の戸籍関係の書類を三種類もそろえる必要があるとは思っていなかった。しかし、除籍謄本、昭和の原戸籍、平成の原戸籍の三種が必要であったのだ。当初は親子関係が確認できる平成の原戸籍だけで十分と思っていたら、そのほかにも提出の必要があった。郵便貯金の相続は比較的に簡単な書類だけでよかったのだが、農協はかなり複雑である。同じ金融機関でも考え方の違いがあり、必要とする書類が異なることが分かった。
さて、除籍謄本を取り寄せてみた。昔のことを記した書類を見てみると幾つかの発見がある。それらの発見を箇条書きにしてみる。
(1)母親の父の名は、義勝(祖父)であり、その父親は勇平(曽祖父)である。その父親は喜平(高祖父)であり、そのまた父親は與平(5代前)である。この喜平という高祖父になると、弘化4年4月10日生まれとなっている。また高祖母のシノは安政元年9月19日生まれである。(ちなみに井伊直弼が暗殺されたのは安政7年である)
(2)高祖父の喜平は私の父親の方の親の名前でもある。つまり、私の父と母は、またいとこの関係であった。母は生前あまりこのことを言わなかった。血が近しいもの同士の結婚はあまり歓迎されなかったようだ。しかし、その当時の村落共同体では、同じ村からの人同士の結婚が普通であったのだろう。必然的に、いとこ同士、またいとこ同士の結婚が多かった。ただ、これは問題とも考えられており、時々は、別の村から花嫁が来ることも多かった。
(3)高祖父の喜平の箇所に「前戸主與平隠居に伴い家督相続申出同日受付」とある。その当時は、隠居という制度があったようだ。そして、現在は世帯主という言い方だが、その当時は「戸主」という言い方をしていたようだ。隠居とは何か。高齢・認知症とかなんらかの理由で戸主であることが難しくなったので家督を渡すことだろう。つまり不動産の所有権なども譲ることか。この当時は相続税の納入などという制度はあったのか。
(4)高祖父と高祖母の結婚日は定かではない。謄本には、「婚姻届出年月日不詳受付」とある。この当時は、結婚式をあげれば結婚したことになる。つまり役所への届け出は付随的なものであり、あまり大切なことと考えられていなかったようだ。現代では、むしろ役所への届け出がより重要であり、それがないと単なる同居と見なされることもある。
それ以外にも、いろいろな発見があった。この100年ほどの間に日本の文化や社会制度が目覚ましく変化したのである。昔の謄本は縦書きでペン書きである。なかなか味わい深い。しかし、現代の謄本は横書きでコンピュータによる印字である。ちょっと味気ないが、これも時代の流れか。