北山通り・大徳寺

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2015-03-15

今日は昼飯に北山通りにインド料理を食べに行った。ところが、そのお店が見つからないので、代わりに、イタリア料理店に入った。Pino というお店である。あまり大きくはないが、ガラス張りで現代風の感じのいいお店である。Wine Café と看板に書いてある通り、たくさんのワインが並んでいた。パスタを注文したが、味、値段、雰囲気と合格点であった。店員さんたちは、たがいに、大きな声でイタリア語で連絡し合っていた。たぶん、「お客さん、2名、パスタ2皿注文、コーヒーは食後」というような内容ではと推測する。雰囲気を出すためにイタリア語をあえて使っているのだと思うが、面白い試みである。ネットで調べると、この店はやはり評判がいい。

北山通りだが、京都の名所の一つになるべき地域だと思う。10年ほど前に、院生が「北山通りの活性化」という内容の修士論文を書いていた。その論文を見せてもらったが、「北山通りはすでに若い人に評判がいいので、もっと宣伝をすれば、ファッションや食の中心となり、東京からもたくさんの人が来るだろう」という内容であった。「寺社仏閣を中心とした観光地を中高年の観光客が訪れるというイメージが京都にあるが、今後は新しい可能性を探すべき」との内容であった。当時の私は、京都に引っ越しをしたばかりで、京都のことはあまり知らなかったが、なるほどと感心したことがあった。

そのあと、大徳寺に行く。卒業生が以前、大徳寺のことを言及していたので、そのこともあり見物に行く。大徳寺は京都の観光地としては、むしろ目立たない方であろう。しかし、その広さ、自然との調和、建物の渋さなど、第1級の観光地になる可能性がある。臨済宗のお寺として、座禅を組んだりと修業を目指す人を受けて入れている、つまり観光のためのお寺ではなくて、信仰のためのお寺という方針を貫いているようだ。

至る所に、立ち入り禁止の標識があり、中に入れないところが多かった。しかし、それでも庭の苔の美しさ、仏像の厳粛さ、境内の道の清潔さ、などは印象的であった。観光客が本当に少ない。日曜日のお昼頃であるにもかかわらず、広い境内でパラパラと出会う程度であった。あと、石田三成のお墓があるようだ。中には入れないのでお墓自体は見れなかったが、その案内の石碑は写真に撮った。それから、イチイの古木があった。イチイはアララギとも言うようだ。案内の掲示には樹齢が500年ぐらいとある。確かに木の肌もシワがよって、いかにも老木である。以下、何枚かの写真を掲示する。

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そのあとに、亀岡のアルプラザに向かう。本当は明智光秀の城跡、亀山城の跡地を訪問したかったが、ナビで亀山城とも亀岡城とも打ち込んでも「見あたらない」との文字がスクリーンに出てくる。大本教団がこのお城を買い取ったことを知っているので、大本教本部と打ち込むと、綾部市にあるという。大本教の本部は亀岡市から綾部市に引っ越しをしたようだ。あとで、ネットで調べると、「新御殿門(長屋門)は亀岡市立千代川小学校に移築されている」とあるので、次回は千代川小学校を訪問してみたい。

亀岡のアルプラザだが、野菜売り場へ行く。前日は久御山のイオンで自分の知らない名前の野菜が多いので驚いたのだが、ここではほとんどの野菜の名前が自分の知っている名前ばかりなので安心する。しかし、幾つか知らない名前がある。それらを Evernote に打ち込む。「きくな」 「チンゲン菜」「グリーンリーフ」「スプラウトーレッドキャベッジ」である。イオンの野菜売り場は新しい名前が多くて違和感を覚える。その点でアルプラザは古い昔ながらの名前が多いので自分は一安心である。しかし、若い人たちはどう感じるのだろうか。

帰りは、亀岡から京都まで車で峠を越える。この坂は「老いの坂」という名前である。なんだか、自分に相応しい名前である。むかし、明智光秀の軍隊がが本能寺に織田信長を襲うために通った山道である。また、自分はふと思い出したのだが、以前のブログに記したが、豊臣秀次の正室、側室、子供、侍女たちがこの道を通って、身柄を預けられていた亀山城から京都に向かったのである。当時の峠はかなり悪路であり、越えるのは大変だっと推測される。処刑されることを予期していた秀次の一族たちは重い気持ちでこの峠を越えたことと思う。

そんな歴史のある峠を自分は車で10分ほどで越えてしまった。車では見えてこない歴史を自分はもっと知らなければと思いながら。

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