ChatGPTでは韻を踏んだ詩が創れる。

ChatGPT で詩を作ると、脚韻を自動的に踏んでくれるので驚いた。次のような課題を英語で与えた。Create a poem which admires the sky.すると即座に以下のような詩が創られた。


Oh sky, how wondrous and vast

Your endless expanse is unsurpassed

Your shades of blue and hues of gold

Are sights to behold, a treasure to behold

 

Your clouds dance freely in the breeze

Moving with ease, as if they please

A canvas of art, ever-changing and bold

A masterpiece of nature, never to grow old

 

Your stars twinkle in the night

Guiding us with their radiant light

A peaceful sight, so calm and still

Reminding us of life’s beauty and thrill

 

Oh sky, your beauty never fades

A source of wonder that never evades

In your embrace, we feel so small

Yet we stand in awe of you, standing tall

 

Your beauty inspires, it lifts our soul

Filling our hearts with wonder and goal

Oh sky, we are forever grateful

For your beauty that’s forever faithful.


各連の1行目と2行目、そじて3行目と4行目に脚韻が踏んである。驚異的なことをAIは即座に行う。こんな装置を生み出した人たちの頭脳はどうなっているのか。

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Chat GPTを使って詩を書いてみた。

巷では、chatGPTが評判のようだ。使ってみると確かにこれは便利だ。早速に無料の会員になり、使ってみた。

質問を入れると、すぐに論文形式で返してくれる。たとえば、「言語習得の臨界期とは何か?」と聞いたら、以下のような回答が即座に出た。  


言語習得の臨界期とは、言語を自然に習得するための最適な時期を指します。一般的には、0歳から5歳までの幼児期が言語習得の臨界期とされています。

幼児期には、言語習得に必要な脳の発達が最も進んでおり、言語を自然に習得するために必要な知的・認知的能力や社会的な環境も整っています。また、幼児期には言語に対する感受性が高いため、短期間で豊富な言語情報を吸収することができます。

一方、幼児期以降になると、言語習得に必要な認知的・社会的な能力が低下し、言語習得が難しくなります。例えば、第二言語の習得においては、大人になると音声や文法のルールを覚えることが難しくなり、習得に時間がかかることがあります。

言語習得の臨界期は、言語教育の重要性を強調する上でも重要な概念であり、幼児期に言語環境を豊かにすることが、将来的な言語能力の向上につながるとされています。


創造的な事もできるそうなので以下のような課題を与えた。

「空の美しさを讃える詩をつくって下さい。」すると以下のような詩を即座に生み出した。

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青い空に浮かぶ雲 そよ風に揺れている

太陽の光に照らされて まるでダイヤモンドのように輝いている

空は美しい、美しい その青さに心が洗われる

大空を見上げれば 何もかもが小さく感じられる

飛び立つ鳥たちの羽音 流れる雲のかたち

空は、その美しさで 私たちを癒してくれる

私たちは、忙しない日々を送り 疲れて、心がざわついている

しかし、空を見上げる瞬間 心が静まり、癒される

青い空よ、いつまでもそこにあって 私たちを包んでいて欲しい

あなたの美しさを見上げるたびに 私たちは、心が豊かになっていくのだから

空は美しい、美しい その美しさを讃えて、私たちは生きるのだ。

……………………………………………………………………………………….

驚くしかないとはこの事だ。近い将来、事務職の人がたくさん失業しそうだ。大学のレポートの課題は意味をなさなくなるだろう。

 

『カフカレスクを超えて』の紹介文

元電気通信大学教授の松原好次先生から『カフカレスクを超えて』をご恵贈いただいた。ここに感謝の意を示すと同時に、この本の紹介をしてみたい。なお、普通は松原先生を示すのに「松原先生」という呼び方をしているが、この紹介文では、客観性を持たせるために、「筆者」という言い方で統一したい。

この本のタイトルは『カフカエスクを超えて』である。カフカエスクとは、「カフカらしい/不条理な」という意味である。カフカの短編を読んで触発されて浮かんだ考えをエッセイ風にまとめたものである。この本は、2年ほど前に刊行された『ことばへの気づき―カフカの小篇を読む』(春風社、2021年)の続編という性格を持っている。このブログでも、以前、その本の紹介をしている。

この本の魅力は3つあると思う。一つは、カフカの短編への鋭い分析である。筆者はドイツ語の専門家であり、複数の訳者の訳文と原文を比較しながら、カフカが本当に意図していたことを見いだそうとしている。さらに当時の社会情勢をも露わにしている。これは筆者の並々ならぬ語学力と分析力、豊穣な連想力、それらを裏付ける豊富な知識が基盤にあることは言うまでもない。

もう一つの魅力は、筆者の生き方、心構えが垣間見られる点である。冒頭(p.2)で「70歳を過ぎた今」カフカの小作品集を再読していると述べている。実は、私自身も70歳を過ぎている。同世代の人間である70歳を過ぎた高齢者が何をしようとするのかについて私は興味津々である。本を書くことは大変な作業である。筆者が70代の貴重な時間を割いて知的な活動を行っていることは、私自身の生き方への示唆にもなる。同世代の高齢者達に生き方の示唆を与えているという点が魅力である。

筆者が家族のことも、時には、ユーモアを交えながら語ってくれている点も魅力の一つである。以前の著書と比べてかなり筆者のプライベートなことも語ってくれているので面白い。軽妙な語り口調により、筆者の若い頃の姿が浮かび上がってくる。あまり昔を語らなかった筆者であったが、この本では自由に語ってくれている。

さて、カフカの短編への鋭い分析であるが、筆者はカフカの原文と訳文を比較している。複数の訳を比較して、その訳文のずれの中から、何かカフカが語ろうとしたことを探り当てようとしている。たとえば、文法の視点から、主語の有無、現在完了の使い方、副詞の選択などをヒントにして、原文の分析を冷静に行っている。あたかも、筆者は大きな虫眼鏡を持ちながら、小動物の動きを観察しているようである。それらの観察から、人間の心理の微妙な動き、社会の隠された側面、権力構造の不当さを暴き立てようとするかのようである。

カフカは肺結核で1920年に40歳ほどで亡くなっている。もし長らえていたとしても、それ以降にヨーロッパを襲った戦乱と迫害を考えれば、ユダヤ系のカフカには悲惨な運命が待ち構えてたかもしれない。

カフカは、肺結核ゆえに常に死を意識せざるを得なかった人生であった。死を紛らわす、あるいは死を超えるためにも、カフカは書くという作業に没頭した。筆者は退職後も、盛んな執筆活動を行っていると述べたが、もしかしたら、筆者は自分に残された時間を意識したうえで執筆活動を加速度化させているのかもしれない。注(p.252)に、筆者の前立腺癌が判明した時のことが記してある。この部分は私も同じ70代であるがゆえに、読んでいくのが怖かった箇所であった。

カフカは吐血をして、そしてそれ以降はカフカの作品は死を意識したものになってゆく。喀血で、彼の安定した世界は崩れてしまう。スペイン風邪にかかったことも病状の悪化に拍車をかけたようだ。「カフカにとっては、日記や手紙、そして小説を書くことが「心身の観察」であり、心を平静に保つ最小の方法だったととらえてよいのだろうと思う。」(p.252)と述べているが、これは筆者自身のことを述べているのかもしれない。筆者がカフカを読んで覚え書きを記すといいう行為自体が、死を意識して執筆に没頭したカフカへの共鳴となっている。

カフカは夢と現実の境界線が曖昧な小説を書いた人である。現実と非現実は画然と分かれているのでなくて実は背中合わせだ(p.69)とある。カフカの作品の多くは、非現実を書いて、そこから現実世界の不合理性を浮かび上がらせている。

私はこのエッセイを読み進むにつれて、これは筆者自身のことか、カフカのことか、カフカの作品の登場人物のことか、混乱することがあった。逆に言えば、それだけ互いに共鳴度が高いのだ、とも言えよう。この本に触発されて、私個人にも似たような経験があったことを思いだした。何年も前の出来事だが、本当に夢だったのか、それとも現実だったのか、と分からなくなったことがあった。ある女性と語りあったことを思い出したのだが、それが現実か単に夢だったのか分からなくなった。

第二章では、「セイレーンたちの沈黙」と婚約者フェリーツェがカフカに対して沈黙していたことが書かれている(p.283)。沈黙を守るフェリーツェに対して膨大な量の書簡を送り続けている。カフカはフェリーツェやもう一人の恋人であったミレナに対して膨大な量の手紙を書いたそうだ。それらの手紙は残っていて、のちに書簡集として公刊されている。恋に落ちた若者が書く手紙であるから、心のままをさらけ出していると思う。冷静になれば、ずいぶんと恥ずかしいと思えることも書いたのだろう。受け取った恋人達はこれらの手紙を処分しなかったようだ。おかげで現代の私たちはカフカの心情を知る貴重なデータを得ることができたのであるが。

こんなにたくさんの手紙を受け取ったならば、恋人は、なかなか返事は書くことはできない。それがカフカには、沈黙と見えたのかもしれない。そして意地になって手紙を書くー返事の来ない手紙を書いているカフカの姿が現れる(p.324)。

なお、p.431 では婚約破棄の理由は、要は書きたいという筆者の願いだったと述べている。肺結核で結婚に対して自信がなくなったことと残りの人生を書くことに当てたいというカフカの決断だったようだ。

p.357では、詩人村上昭夫の 「雁の声」のからの引用がある。
 
私は治らない病気を持っているから
それで
雁の声が聞こえるのだ

不治の病を得た者は、見えてくるものがある、聞こえてくるものがある、ということか。感覚が極度に鋭くなり、健康なときには聞こえなかった音、見えなかった物が見えてくる。著者は、不治の病に冒された者、少数言語話者、迫害された者達など、マイノリティに対しての暖かい眼差しを持っている。それは同時に、権力を持ちおごり高ぶる者たちへの怒りへともつながる。暖かい眼差しと静かなる怒りから、見えてきたもの聞こえてきたものを語っている点が、この本をさらに魅力的にしていると言えよう。

カフカエスクを超えて

3月15日に卒業式が行われた。

3月15日は、本学の卒業式があった。昨年までは、卒業式では全員がマスク着用であった。だが、この卒業式は、マスクの着用は個人の判断に任せることになった。教職員と保護者はマスクの着用は必須であった。当日の卒業生はどうであったかというと、ほとんどがマスクを外していた。この3年ほどマスクをしていた学生の顔しか見ていなかったので、やはり何かと違和感があった。我々の頭脳にマスクをした目だけの学生の顔が強くインプットされていたので、ちょっと戸惑ったのは事実である。

思い返せば、この卒業生達はコロナ禍に直撃を受けて、不運と言えば不運であった。「もうこんな災害は起こらないだろう」と言えない点が残念である。今はウクライナでの戦争、そしてもしかすると地震などの災害が将来起こるかもしれない。何が起こるか分からない時代である。とにかく、平穏であることを祈るだけである。

卒業式のあと、パーティがあった。学生達は袴からパーティ用の服に着替えたようで、出費も大変だったのではと推測する。久しぶりにパーティらしいパーティを経験できた点はよかった。

I先生の訃報

先日、夜中にT先生から電話をいただいた。それは研究仲間のI先生の訃報であった。私は12月3日の立命館大学で行われたJAAL in JACET でポスター発表をしていた。その時の開会式にはI先生は総合司会をされていた。私自身は、コロナなどの影響で長らく学会にも出ることもなかったが、久しぶりに見たI先生は、堂々としてこの学会の中枢として活躍されていることがうかがいしれた。健康そうに見えたのだが、身体は弱っていたのか。

まだ、55歳とのことだそうだ。これから学会を背負って立つ、将来がますます期待される年齢であったのに、驚くことであった。私が編者となった本に何回か執筆者として加わっていただいた。大変お世話になった人だった。心から、I先生のご冥福をお祈りしたい。

私の父もくも膜下出血でなくなった。冬のこの時期であった。外で仕事をしていたが戻ってこないので母が心配してゆくと、仕事場に倒れていた。救急車にきてもらったが、そのときにはすでに息を引き取っていた。冬のこの時期は血管が弱くなるのかなと思っている。私自身も気をつけなければと思う。冬の寒い日は、夜中に尿意を催してトイレに行くことも多くなるが外の気温にゆっくりと身体を慣れさせてからトイレに行くようにしている。

今日は冬至だそうだ。1年で一番夜が長い日だ。これからは昼がまた長くなって行く。しかし、気温はこれからまだまだ下がってゆく。太陽の照らす時間が長くなっても、地面が暖まるのに時間がかかるので、冬至から以降は気温が上がるということはないそうだ。とにかく、もうじき2023年となる。新しい年になるのだ。新年こそはいいことが起こってほしいと願う次第だ。

応用言語学会(立命館大学茨木キャンパス)に参加した。

応用言語学会(立命館大学茨木キャンパス)に参加した。大学英語教育学会と連携しての学会なのだろうか。英語の表記はJAAL in JACET 2022 というようになっている。

私たちのグループは、ポスターセッションに参加した。タイトルは「大学生の多文化共生意識に関する量的及び質的研究」である。3階の受付の横に各分科会のポスターセッションの掲示物が貼ってあった。一応、11時から12時までは、ポスターセッションの時間であり、何人かの訪問者がいた。実は、この会場で、昔懐かしい人にも何人かにお目に掛かることができた。言語政策研究会のH先生、海外の外国語研究会のN先生、O先生、同志社大学のI先生、これらの方々とは一緒に本を執筆したことがある。10年前に戻ったような懐かしさを感じた。

コロナのために、ながらく、学会はZoomで行うのが常態化していたが、久しぶりの対面形式での集まりとなった。これからはコロナも急速に終焉してほしいのだ。

実は私どもの「多文化共生と英語教育研究」分科会もZoomでは頻繁に会合を繰り返していたが、対面での集まりは数年ぶりであった。昼休みは一同が揃って近くのレストランに行った。学食ではなくて、一般の人も利用できるレストランであった。

あと、驚いたことは立命館大学の茨木キャンパスが立派なことであった。建物はモダーンでいくつかの点で未来のビルディングを想像させるものであった。あと、50年ほど経つと、どこの大学もこの様な雰囲気になるのかなと思った。

修士論文の発表会があった。

昨日、修士論文の発表会があった。本学では、大多数の修士学生は3月に修了だが、9月に修了する学生もいる。今回の発表会の特徴と言えば、ほとんどが学生がZoomで発表していたことだ。また、聴衆もZoom経由で視聴していた。私は研究科長なので責任者として発表会の冒頭に簡単に話をした。これは、Zoomでの挨拶なので、自宅から挨拶ができたので楽であった。発表や質疑応答もZoom経由だが、対面での発表や質疑応答と比べて、そんなに効率が劣るということはなかったように感じた。

今回の発表会に参加しての感想は、コロナが終了してもZoomによる発表は生き残る、むしろZoomによる発表の方が主流になっていくのではということだ。授業もZoomが主流になれば、これからは通学の観点から近隣の大学を選ぶ必要がなくなる。東京や大阪の大学を選べる、あるいは何ならば、外国の大学での受講者になることが可能になるのだ。

会社関係も同じだ。私の息子は二人ともプログラム関係の仕事をしている。このコロナの時代では、在宅での仕事が主流になっている。息子たちはコロナ以前は、オフィスに行き、そこの机に座ってパソコンに向かって仕事をしていた。今は、週に1,2回ほど出社するが、その他は在宅での仕事になる。従業員からすると時間の節約になるし、会社側からすると、交通費を支給しなくていいし、電気代や水道代も節約できると思う。

問題は、対面のコミュニケーションが少ないので、会社に対する忠誠心が生まれづらくなるし、従業員同士の一体感も欠けがちになることだ。ですので、週に一回か隔週での出社は必要だろう。面白いことに、次男の会社では、時々は在宅での飲み会を行っているそうだ。酒は自分で用意して、Zoomでみんなが勝手なことを言いあう。飲むのは自分で用意した酒だ。このような在宅での宴会も結構楽しそうだ。これなどは、コロナ以前は考えられない宴会スタイルだった。

息子たちは健康管理は関心が高い。体重も増えることも多くなるので、意識してジョギングをしたりジムに通ったりしなければ、すぐに体重過多になる。ジムやジョギングに頑張っている。

これからの教育機関やオフィスはZoomの利用を積極的に考えるべきだ。個人の側も同じだ。私自身も生まれが反世紀ほど遅ければ、科学技術の発展の恩恵をもっと受けられただろうと思う。海外の大学の講義なども比較的に廉価に受けられたろうと思う。とにかく、情報化時代の進展をしっかりと見届けてゆきたい。