修士論文の発表会があった。

昨日、修士論文の発表会があった。本学では、大多数の修士学生は3月に修了だが、9月に修了する学生もいる。今回の発表会の特徴と言えば、ほとんどが学生がZoomで発表していたことだ。また、聴衆もZoom経由で視聴していた。私は研究科長なので責任者として発表会の冒頭に簡単に話をした。これは、Zoomでの挨拶なので、自宅から挨拶ができたので楽であった。発表や質疑応答もZoom経由だが、対面での発表や質疑応答と比べて、そんなに効率が劣るということはなかったように感じた。

今回の発表会に参加しての感想は、コロナが終了してもZoomによる発表は生き残る、むしろZoomによる発表の方が主流になっていくのではということだ。授業もZoomが主流になれば、これからは通学の観点から近隣の大学を選ぶ必要がなくなる。東京や大阪の大学を選べる、あるいは何ならば、外国の大学での受講者になることが可能になるのだ。

会社関係も同じだ。私の息子は二人ともプログラム関係の仕事をしている。このコロナの時代では、在宅での仕事が主流になっている。息子たちはコロナ以前は、オフィスに行き、そこの机に座ってパソコンに向かって仕事をしていた。今は、週に1,2回ほど出社するが、その他は在宅での仕事になる。従業員からすると時間の節約になるし、会社側からすると、交通費を支給しなくていいし、電気代や水道代も節約できると思う。

問題は、対面のコミュニケーションが少ないので、会社に対する忠誠心が生まれづらくなるし、従業員同士の一体感も欠けがちになることだ。ですので、週に一回か隔週での出社は必要だろう。面白いことに、次男の会社では、時々は在宅での飲み会を行っているそうだ。酒は自分で用意して、Zoomでみんなが勝手なことを言いあう。飲むのは自分で用意した酒だ。このような在宅での宴会も結構楽しそうだ。これなどは、コロナ以前は考えられない宴会スタイルだった。

息子たちは健康管理は関心が高い。体重も増えることも多くなるので、意識してジョギングをしたりジムに通ったりしなければ、すぐに体重過多になる。ジムやジョギングに頑張っている。

これからの教育機関やオフィスはZoomの利用を積極的に考えるべきだ。個人の側も同じだ。私自身も生まれが反世紀ほど遅ければ、科学技術の発展の恩恵をもっと受けられただろうと思う。海外の大学の講義なども比較的に廉価に受けられたろうと思う。とにかく、情報化時代の進展をしっかりと見届けてゆきたい。

スポンサーリンク

Waterproof

昨日の授業の時に、複合語について教える必要があった。それでwaterproof という語を選んで説明しようとした。学生たちに、「時計を見てごらんなさい。その裏に waterproof とあるでしょう」と話しかけた。しかし、誰も動こうとしない。一人の学生だけが自分の腕時計を外して裏側を見ている。

教室には学生が10名いた。不思議に思って「腕時計を持っている人、手を挙げて』と聞いたら、その学生一人だけが時計を持っていた。そのほかの学生はスマホで時間を確認しているようだ。しばし、学生たちに腕時計に関することを聞くと、特に必要性は感じないそうだ。一人だけ腕時計を持っていた学生はファッション感覚で時計をはめているようだ。

きょう、言いたいことは、自分の感覚が古くなって、若い人たちの常識がわからなくなっているという事だ。授業をしている時に、自分が使う言葉、何かを説明するために持ち出す例が、若い人たちには知らないことになってきている。湾岸戦争とか真珠湾攻撃などの話をしても、キョトンとしている。

昔の腕時計は高価で、ネジを巻いて動かしていたとか、時々誤差が生じるので針を調整したとか、など全く知らない世界のことになってきている。私は小学生の頃は、インク壺やペンを用いながら手紙を書いたこともあった。鉛筆はナイフで削って使っていた。自分でも大昔のことのように感じる。

若い人との間に共有する文化が少なくなってきている。日進月歩のこの時代、日本経済は停滞と言われているが、技術革新だけは着実に進んでいる。なるほど、自分がだんだんと化石的な存在になりつつあることを感じるのだ。

2427999 / Pixabay

ゼミの学生から写真を撮ってもらう。

ゼミの時間にふと学生から写真を撮ってもらった。自分の顔だが、つくづく眺めると「老いたなあ」と思う。

ところでゼミだが、効用は学生と教員の距離が近いことだろう。ふだんの授業は、教壇の上から一方通行で話をするのだが、ゼミならば私の話の途中でも質問や反論はよく出てくる。その反論を聞けば、私自身の「気づき」に繋がることもある。

授業は、できるだけゼミ形式の対話が望ましいが、教員の数から考えるとそうもいかない。

 

金沢の蕎麦屋

金沢の蕎麦屋

私が金沢経済(星稜)大学に赴任したのは1988年4月であった。38歳の時であった。それから、18年間ほど金沢に住み、56歳の時に京都の大学に異動した。38歳から56歳までの、中年から初老へと変わっていった自分自身の姿とその当時の金沢の街の姿が重なって見えてくる。実は、30歳の後半から食の好みが変わり、脂っこいものが苦手になってきた。何かさっぱりとしたものを食べたいと探しているうちに、蕎麦のおいしい店をいくつか見つけた。次第に店の数も増えて、休日などは、どの店で食べようか迷うことが楽しみになった。金沢の食文化は素晴らしいものがあり、様々な食べ物があげられるが、私は蕎麦のおいしさを真っ先にあげたい。
私は、今70歳である。おいしいと感じるには、体力も必要であることが分かってきた。何か食べても若い頃のようにはおいしく食べられない。現在は岐阜県に住んでいるが、残念ながらおいしい蕎麦屋をまだ見つけていない。これは実は私の体力の問題かもしれない。金沢に住んだ頃、まだ、体力に余裕があって、おいしいものをおいしいと味わえたのかなとも思う。そのような金沢時代を懐かしく思い出す。

JACET中部支部定例研究会にて発表をする。


昨日、久しぶりに学会発表をした。「地方大学の『観光英語』の授業に関する実践報告」というタイトルで、20分ほど勤務校における観光英語関係の授業の報告をした。発表と言っても、Zoomを使ったので、私自身は自分の研究室からパソコンに向かって25分ほど語っただけだ。おかげでリラックスして話すことができた。その概要は以下の通りである。

新型コロナウイルスの感染者の増加が目立つようになるまでは、外国人観光客の数は毎年増加してきた。それに応じて、本学でも、昨年までは、観光英語(Tourism English)の授業を受講する学生数が増えていた。観光英語の教科書は従来は日本人が英語圏に旅行して(アウトバウンド)、そこで様々な体験をするという内容が中心であった。しかし、近年は日本を訪れる外国人(インバウンド)を日本人がおもてなしするという内容の教科書が増えてきている。そこでは、外国人は英語圏の人とは限らず、さまざまな国の人を英語で案内するという内容である。授業は、必然的にWorld Englishes を意識した内容になる。アメリカやイギリスの英語に慣れている学生には新たな説明が必要となる。この授業実践報告では、このような観光英語の授業の現状を報告する。また、新型コロナウイルスの感染者の増加が、観光英語の授業にどのように影響を与えつつあるかについても述べたいと思う。

 

この発表だが、昨年の同じ頃に「地方大学における『観光英語』の授業のあり方について」というタイトルで発表した内容を踏まえている。その内容をより具体的に説明して、さらに昨今のコロナ対策にも触れてあるのだ。

オンライン発表であり、一人ひとりの反応は見ることができなかった。パソコンの画面に向かって話すだけなので、気楽と言えばいいのだが、やはりある程度の緊張は欲しいものだ。

さて、コロナのために、学会発表というものは、少なくともあと半年はオンライン発表になるだろう。ただ、オンラインでの発表はどこにいても視聴できるという点はありがたい。コロナが収まっても、国際大会などはオンラインが主流になればと思う。

 

ポストコロナ時代とは


コロナの感染がまだまだ続いている。だが、このコロナ感染だが、無限に続くことはないだろうと思われる。いつかは終息するだろう。だが、終息したとしても以前のような世界にはもう戻れない。新しい現実が待ち受けていて、私達はそれに対応していかなければならない。

コロナが集結した時点を想定して、ニューリアリティ、ニューノーマル、ポストコロナなどの用語がマスコミで使われるようになってきている。2020年のこのコロナが広がった時代を経験した我々は、もうコロナ以前の生活には戻れない。新しい感染を警戒しつつ、他人との直接的な接触を避けて、これからも三密を避ける行動をとり続けるだろう。

英語教育はどうなるのか。多くの学校では、オンラインの授業を行っている。対面の授業を行いつつ、希望者にはオンラインでの授業を同時に開講している。英語の授業は、音声によるコミュニケーションがかなり重要である。それも対面でのコミュニケーションが通常のあり方である。ところが、マスクをして会話をすると、口の動きが分からない。声がこもって明瞭には聞こえない。たくさん不便なことがある。不便なことがある。

だが、少なくとも今年と来年はコロナへの感染予防が最大の課題になる。企業でも学校でも同じであろう。オンラインによる英語教育、少なくとも、社会的距離をおいた、少人数での授業が中心になるであろう。

ただ、電子機器の発達が対面授業ができない不便さをある程度は補ってくれる。たとえば、スカイプで外国人講師からの一対一の指導を安価で受けることができるようになった。従来ならば、電車を乗り継いで英会話学校に通っていたことが、自宅で受けることになり、時間と金銭の節約になる。これは教える教員側にも言えることだ。

これから、しばらく、このブログもニューノーマルについて考察してみたいと思う。

学生と一緒に高富大龍寺を訪問する。

リージョン・スタディーズの授業では、主に地域の文化・経済などを研究している。今回は、近くの高富大龍寺を訪問して、このお寺が地域住民にどのように関係しているのか調査することになった。朝の10時に入り口近くの石碑に集まった。一人欠席の10名参加であった。天気は、晴れて散策には絶好の日和となった。

まず、坂をのぼって地蔵堂がある。ここには、水子を供養している。学生は水子の意味がよくわかっていないようなので、「中絶した胎児、死産した赤子、すぐになくなった子ども」を意味すると教える。昔は、そのようにしてなくなる子が多かったので、水子供養の習慣が生まれたと説明する。こんなところにも、当時の人々の生き様が見えてくる。

地蔵堂の中

 

鐘撞き堂にゆく。学生が二人ほど打ってみた。私も打ってみた。何を祈願して打ってみたのだろうか。

鐘撞き堂

次は、達磨堂に行く。ここでは、祈願だるま・各種お守りを販売している。また、祈願の済んだだるまの供養をも行っている。墨で目を書き込んで奉納するようだ。ここには、たくさんの達磨が並んでいる。値段は、一番小さいので500円ほど、左側に行くほど大きくなり5000円ほどにまでなる。正月などには売れるのだろう。縁起物であるから。

達磨堂

学生が二人ほど右端においておみくじの機械からおみくじを引く。一人は小吉、一人は大吉だ。学生は凶を引くのではと心配をしていたが、最近のおみくじは凶は入れてないだろう。

堂内を見る。

次は、達磨大師座像に行く。その前で記念写真をとる。高さ5メートルの像である。左横に、般若心経が書いてある輪があり、それを回すと般若心経を唱えたのとおなじご利益があるという。私は1っ回してご利益を念じる。

記念写真