10年後、君に仕事はあるのか?を読んでみた。

藤原和博『10年後、君に仕事はあるのか?』を読んでみた。仕事柄、自分のゼミ生たちに就職の話をすることが多いのだが、自分の若い頃と比べて学生たちの基本的な考えが変化しているように感じている。そんな時に、ふとこの本を読む機会があって色々と考えることがあった。

藤原氏によれば、今までの教育は正解を教える教育であった。例えば、試験問題は4択があってそこから正解を選ぶという性格であった。子供の時から、そのような試験に慣れてきているので、正解は与えられた選択肢の中にあるという刷り込みがされてしまう。この能力を情報処理力と名付けている。

しかし、社会にある現実の問題は正解があるとは限らない。少なくとも与えられた選択肢の中に正解があるとは限らない。そんな社会を生き抜いてゆく力を情報編集力という言葉で同氏は表している。

情報処理力とは与えられた課題を忠実に解いてゆく能力であり、情報編集力とは変化する時代に適切に対応する能力である。これから必要となるのは情報編集力である。

簡単に言えば、そんなことだ。多くの人がすでに似たようなことを言っているではないか、とも思うのだが、とにかく、藤原和博氏は語りの口調が非常に上手だ。

新しい生き方(what) に関しては多くの類書があるが、語り方(how)が巧みだ。同氏は自分の過去の体験を紹介しながら説得ある口調で語る。藤原氏は3つのことを勉強して、それぞれの力を掛け合わせて自分自身をレナな存在にしろと勧める。レアな存在になればいくらでも機会が開ける。

同氏は、リクルートで鍛えた営業力、マネージメント力、二つの学校の校長を経験した教育改革の実践力を掛けあわせた力で、確かに自分自身がレアな存在になっている。同氏の存在自体がこの本の証左となっている。

とにかく、藤原氏のこの本は分かりやすかった。高校生でも十分にわかる書き方だ。ただ、やはり話がうますぎる気もする。同氏はたまたま成功した。藤原氏のように能力のある秀才が転職を繰り返して次第にキャリアアップをしていくのは、誰でも真似できるわけではない。真似をする人ができていても必ずしも成功するという保証はない。怪我をする人も出てくるだろう。

さて、自分のゼミ生にはこの本の内容を紹介しながら就職や仕事のことを語りたいと思う。ただし、確率的に全ての人がこんな風にうまくいくとは限らないということは言うべきだろう。

ゼミ生と話をすると、クラウドファンディング、ミニマリト、コーワキングスペース、カーシェアリング、ルームシェアリングなどの新しい用語が色々出てくる。高度成長時代の考えからスローに生きる時代へと変化している。若い人たちは、そのような時代の変化をすでに鋭く感じ取っている。藤原氏の本がベストセラーになり、若い人に人気があるのはなるほどと思う。

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新伝さんが描いた「アート書道」の紹介(2)

新伝さんが描いた「アート書道」の紹介を続けます。彼女の作品は文字が多いのです。その場合は、漢字やひらがなだけではなくて、アルファベットも筆で書いています。そして黒い墨ではなくて様々な色を使用しています。

Blue Daisy アフファベットもアート書道に含まれます。
大輪の花を咲かせて
これは伝統的な書道のスタイルです。
感謝、年賀状です。
花は花は花は咲く

ご覧のように、アート書道は「書の新しい描き方」という範疇では収まりきれないほどの広がりを見せています。新伝さん自身も色々な可能性を探りながら、様々な書き方にチャレンジしているようです。これらの作品のキーワードは「明るい色彩」となるでしょう。彼女のこれからの発展を楽しみにしたいものです。

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授業のあり方についての学生の所感

オムニバスの授業がある。この授業では、できるだけ学生に行動して学んでもらおうという意図で各教員が工夫をしている。アクティブ・ラーニングという言葉が最近の教育界では流行っているが、それをある程度は意識して授業してきた。

学生の感想を一つ紹介したい。若干語句を変えてあるところもある。


私がいだいていた授業そのもののイメージが変わった。本来、授業というものは、配付されたプリントを見ながら教師の話を聞くものと考えていた。しかし、今回の一連の授業で、生徒一人一人が参加すべきものである、ということを知った。3,4名でグループを作り、その中で互いの意見を話し合うグループワークは特に重要である。

授業そのもののあり方は生徒が決めることはできないので、教員を目指す人ならば、このような授業の形式があって有効に機能していることを知っておくべきだ。

私は人と関わるのが苦手なために、今まではグループワークを敬遠していた。しかし、この授業で行った活動はどれも楽しかった。少なくとも堅苦しい内容ではなかった。この様な活動、あるいはゲームなどを取り入れたグループワークがあれば、とりわけ、私が小学生の頃に、この様な活動があれば、私は今より人と関わることに戸惑うことはなかったかもしれない。

とにかく、どのような形であれ、教師は積極的にグループワークを授業に取り入れるべきである。


このように学生はかなりアクティブ・ラーニングを取り入れた授業を高く評価している。これからの時代は、単なる座学ではいけない、教員側が何か工夫をしろ、ということだが、さて、何かいいアイデアはあるかな。

 

英語教育総合学会(6月9日)を聴く。


6月9日に英語教育総合学会が発表があった。最近は自分は小学校英語に関して関心があるので、小学校英語に関した発表を聴いてみたかったので参加した。これは自分の指導しているゼミ生が二人ほど、小学校英語に関する論文を執筆しているので、自分がその指導に当たらなければならないという理由もある。

発表の場所は、関西学院大学の大阪梅田キャンパス(ハブスクエア大阪10F)であった。自分は何回も訪問しているのだが、この日は場所が分からなくなって、かなりの時間うろうろして、貴重な時間を無駄にしてしまった。大阪周辺は本当に迷子になりやすい。

細江美佳先生(鳴門教育大学)は「これからの小・中接続した文字指導の在り方ーバランスト・アプローチによる系統性のある読み書き指導を」という内容で発表をされていた。自分が関心を持った点はアルファベットの教え方である。細江先生は大文字を教えてから小文字を教えるべきとの考えだ。「大昔700年から800年かけて大文字がいまの小文字になってきたのですよ」と小学生に語って、その具体的な変化の様子を教える。ビデオを活用して、たとえば、D が早く書くようにしてゆくと、しだいにdの形に収斂されてゆくことを実際に教えていた。(このブログでは、そのあたり視覚化して説明できないが、その点はご容赦ねがいたい)。B →b ならば、上の部分が取り除かれて b になってゆく。Aも一筆書きで早く書いていこうとすると a になる。歴史的な経緯を説明しながら、アルファベットを教えるのは面白い方法だと思った。

私のゼミ生の一人は、a/b   p/q   などの鏡文字をどうやって効果的に教えたらいいのか論文化している最中だが、細江先生のハンドアウトを渡して参考にしてもらえればと思う。

池田周先生(愛知県立大学)の「小学校外国語科における文字と音の扱いーどのようにして、そして、どこまで」も興味深い発表であった。音韻認識のレベルを、脚韻、音節、オンセットライム、音素と次第に深化していくと述べていた。この場合は音素というのは子音だけのレベルでもある。自分では理解し切れない面もあったが、要は小学生がどの程度音韻認識をするかを理解した上で、文字と音の指導を行うべきとの趣旨だ。

池田先生の話の本筋からそれるのであるが、池田先生はアルファベットは小文字から教えたらいいというようなことを話されていた。私の勘違いかもしれないが、その根拠として、国語の時間に教えるローマ字との関連性をその根拠にしていたようだ。

 

このあたり、実はゼミ生が、アルファベットは大文字からか、小文字からか、両方を同時に教えるべきか、またローマ字指導との関連性はどうなるのか、内閣式とヘボン式の関連は、等と悩んでいたので、この点は自分のゼミ生とも討議してみたいと思っている。

なお、別途資料として、成田一先生の対談記事「脳科学からみる早期英語教育」というプリントがあって拝読した。成田先生の強みは脳科学に関する知識が豊富な点である。B4裏表一枚ほどで簡単に読める内容であるが、示唆に富んでいた。この内容を詳しくしたものとして、成田先生は『日本人に相応しい英語教育』(松拍社)という本を出版している。かなり文科省の方針にはかみついているので、痛快な点もある。小学校の英語教育に携わる人は、この様な見方もあるという点で勉強になるだろう。

言葉遊び、脚韻、英語教育

音声の教育

英語を子供達に教える場合は、音から教えるべきであるとはよく言われている。英語特有の音に慣れてもらうためには、子音から入るといい。母音は舌の微妙な高さで音が異なってくる。ところが、子音は唇を閉じるか開けるか、舌を口の中のどこに付けるか等と比較的に説明がしやすい。

ただ、単に音を出すだけでは、子どもたちは飽きてしまう。やはりゲームの要素を取り入れるべきだと思う。その意味で、言葉遊びが大切だ。小学生の3,4年生の子どもを対象に考えてみたい。この年代の子どもたちはすでに、しりとり、背中に指で書かれた文字を当てる、など日本語の言葉遊びをして楽しんでいる。英語でも、工夫すれば言葉遊びが可能だ。ただ、文字ではなくて、音声を中心に言葉遊びを行うのが良い。

脚韻に注目させる

音声を中心とした言葉遊びには、(1)早口言葉、(2)英語のだじゃれ、などが考えられるが、小学生に与える音声の遊びとしては難しすぎないようにすべきだ。脚韻をあてさせる問題が面白い。たとえば、up, tick, tip, hip, zip などを聴かせて、「どれが仲間はずれだろうかあてよう」という遊び(クイズ)を出すといい。単語の意味は分からなくても、一つだけは仲間はずれだな、という感覚さえつかめればいい。

大学生ならば音声学上の知識を与えても学生は興味を示す。たとえば、/p/は破裂音なので、唇をしっかりと閉じて爆発させるのに対して、/k/は硬口蓋と舌で閉鎖をつくるので音が異なる、とか、通常の会話の時には、語末の時は閉鎖がしっかりとしてなくて、はっきりと破裂音とは聞こえない、というよう知識である。

小学生ならば、もちろん、そんな知識は不要である。語末が似ているが、一つだけ異なるなという風に感じられればいい。それから、子どもによっては、/I/の音に注意が行き、up を「仲間はずれ」と考えるかもしれないが、それはそれでいい。

母音でも、例えば、/eI/の二重母音なども、pay, say, toy, hey, way などを順番に聴かせて、。toy だけが「オイ」と異なる終わり方をしていると気づかせるのは、音声に対する敏感さを養う上で有益である。

早口言葉

早口言葉 tongue twister も子どもたちは喜ぶ。定番のものとして以下のような早口言葉がある。

She sells seashells by the seashore.

Peter Piper picked a peck of pickled peppers.

あるいは、映画 My Fair Lady でヒギンズ教授がイライザに与えた韻を踏んだ早口言葉などを与えると面白い。The rain in Spain stays mainly in the plain.である。ただ、小学生には、難しいかもしれない。先日、大学生にこの早口言葉を試してみたら、評判は良かった。小学生はどうだろうか。きょとんとされるかもしれない。

日本語の音韻にまだ慣れていない小学生の耳にこそ、このような tongue twister を練習させることは喜ばれるかもしれない。今度機会があれば、小学生に試みてみよう。 

 

幼児に音を意識させること。


子どもに英語の音を聞かせて「繰り返してごらん」と言っても、あまりのらないだろう。そのようなときは、音遊びをすることがよい。音遊びとの一つとして、韻を踏むことの面白さを教えることがいい。

音を聞いて見つけてみよう!仲間はずれはどれかな?

dog/fog/cook
bin/tin/win/can
park/turn/dark/mark
boy/soy/toy/day/joy
mop/drop/cup/crop/stop

この様な問いかけを通して子どもは英語の音の類似性に関心を持つようになると思う。当然、知らない単語がかなりあるが、この音とこの音は何か似ているな、という間隔がつかめればいいのだろう。日本語では、しりとり遊びがある。また「しゃれ」を使っての言葉遊びがある。英語でも、そのようなゲームや遊びを重ねることで、英語の音に関する鋭い感覚が養われる。そしてそれは英詩の理解や、子供用の童謡の理解にもつながる。

英語でも、音声に関する興味を脚韻から入ってゆくことも面白い。絵本なども韻文がいくつかある。それらは脚韻が踏んであるのが普通だ。アリスの不思議な冒険では、次のような言葉が出てくる。

‘How doth the little crocodile
Improve his shining tail,
And pour the waters of the Nile
On every golden scale!

‘How cheerfully he seems to grin,
How neatly spread his claws,
And welcome little fishes in
With gently smiling jaws!’

とくに内容のある文ではないが、言葉遊びの上からは楽しい。この小説が書かれた頃は(1865年)は、物語とは読むものではなくて、語るもの、そこにはナンセンスな言葉ではあるが、要は言葉は楽しく、耳で心地よい文が好まれたようだ。この文は1行目と3行目、2行目と4行目に韻が踏んである。

子どもたちがよく歌うきらきら星の歌も韻がたくさん踏んである。

Twinkle, twinkle, little star,
How I wonder what you are!
Up above the world so high,
Like a diamond in the sky!

When the blazing sun is gone,
When he nothing shines upon,
Then you show your little light,
Twinkle, twinkle, all the night.

Then the traveller in the dark,
Thanks you for your tiny spark,
He could not see which way to go,
If you did not twinkle so.

In the dark blue sky you keep,
And often through my curtains peep,
For you never shut your eye,
Till the sun is in the sky.

As your bright and tiny spark,
Lights the traveller in the dark,
Though I know not what you are,
Twinkle, twinkle,little star.

以下は、Twinkle, twinkle, little star の歌詞である。各連とも1行目と2行目、3行目と4行目は脚韻が踏んである。これらの詩を聴く経験を通して、詩の美しさには内容だけでなくて、形式も完成するという意識が生まれてくる。

ところで、私自身が聴いてみたのでは、自分には各行の脚韻を意識できるほどの英語の語感はない。これは小さいときから、nursery rhyme に数多く親しんでいる英米人の子どもならば、無意識的でも、意識的にも脚韻のもたらすリズム感を聞き取って心地よく感じるのである。日本人の子どもでも、冒頭に示したようなゲームを重なることで、ある程度は rhyme に慣れるようになり、将来、歌や詩を鑑賞するときに役立つだろうと思われる。

高校での出張授業、大学時代の恩師に挨拶


昨日はある高校で出張授業を行った。観光と英語に関する授業であった。最近は、年に数回は、高校で出張授業をする機会がある。大学生に教えるのと高校生に教えるのでは、教える内容は同じでも教え方は少々変える必要がある。初めての相手であるから、相手の理解度が分からない。生徒達はどの程度のバックグラウンドの知識があるか分からない。そんなわけで、相手に質問をしながら、どのようなレベルで教えたらいいのか判断をしていく。だいたい5~6名ぐらいに質問すると、クラス全体の雰囲気、あるいはその学校全体の雰囲気もつかめてくる。しばらくするとどのような教え方をすればいいのかだいたい勘で分かってくる。

昨日の学校は生徒達は集中して授業を聴いてくれてよかったと思う。時々、この様に高校生の皆さんに授業をすると、大学生とは異なっているので、新鮮な感じがする。教える側としても有意義な経験となる。

さて、それから午後は、大学時代の恩師である亀井俊介先生に挨拶をした。亀井先生がある喫茶店で打ち合わせ中とお聞きして、そこに参加しつつ挨拶をした。亀井先生は私が駒場の時の英語の先生である。それは今から50年ほど前であろうか。亀井先生は当時はアメリカの留学から帰られたばかりの新進気鋭の学者であられた。今では、アメリカ文学の大権威であられる。50年前と比べるとたしかに姿形は大きく変わられたが(それは私も同じであるが)、相変わらず温和で和やかな笑顔が特徴であられた。50年ぶりでお会いしたわけで、先生は現在は、80歳代の半ば頃の年齢であられるが、すこぶるお元気そうで何よりであった。先生はこれからもお元気で是非ともますます活躍してもらいたいと思う。

さて、5限の授業で間に合うように、学校に戻った。5限の授業中だが、雑談をしたときに学生から次のようなことを教えてもらった。学生は犬を飼っている。その犬はオスである。メスと比べてオスは小用をする回数が多いそうである。オスは縄張り意識が強くて、マーキングをして、その場所が自分の領域であることを主張するそうである。なるほど、犬でも性別でそのような違いがあるのか。勉強になったので、このブログに記したのである。