Zoomによる授業の感想

このところ、Zoomによるオンライン授業を行ってきた。しかし、緊急事態宣言も解除されて、徐々に以前のような対面授業に戻りつつある。だが、それでも、以前とはかなり変わった対面授業の様子だ。まず、教員も学生もマスク着用となった。窓や扉を大きく開けるようになった。机や椅子も密集することを避けるために、大きな教室に変更となり、距離を置いて着席することとなった。教壇からも学生は離れて座る。以前よりは、学生との距離がかなり遠くなった気がする。

日本における感染者数はかなり減ってきたが、それでも解除後の気のゆるみから第二波、第三波がくるだろうと予言する人もいる。正直言ってどうなるか、私ごときの人間には全く分からない。専門家たちの間でも意見が分かれるくらいだから、一般の人間には予想は全くつきかねる。

ところで、Zoom の授業だが、この数週間の経験から、いろいろと感想を述べてみたい。

(1)一対一の授業ならば、かなり対面授業のような雰囲気が出る。特に、大きなスクリーンで音声もクリアーであれば、かなり対面授業のような雰囲気が出て授業しやすい。

(2)大人数のオンラインのクラスならば、学生たちの顔が画面上で複数現れてくる。複数だと学生からも質問は出づらい。でも、学生の顔の表情などを見ながら、自分の語ったことは伝わっているのかどうかは、ある程度判断できる。

(3)大多数のオンラインのクラスで、学生たちが顔を隠しているとき。つまり画面上は黒画面しか現れないときは、無機的な何かに単に語り掛けているようで、かなり疲れる。通常のコミュニケーションではなくて、単に自分のモノローグに過ぎないと感じてしまうことが多い。このようなときには、学生に画面を顔を出すように指示した方がいいだろう。

(4)画面が小さいiPad やパソコンでは、やはり臨場感がでない。研究室にある大きなデスクトップのパソコンの画面を見ながらゆったりと語っていくのが一番良い。


以上のようなことを感じた。

ところで、当初は、オンラインでの会議や授業など可能かな、と疑っていたが、いざ追い込まれてせざるを得なくなると意外とできるものだということを発見した。大都市に通うサラリーマンは満員の通勤電車でつらい思いをしていたと思うが、仕事もオンラインで意外とできることが分かったろう。これからは、完全にオンラインでの仕事化は無理としても、週に2,3回は自宅でオンラインによる作業も可能ではないか。コロナがもたらした意識改革としては、自宅での授業や仕事ができるのだということの発見であろう。

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K先生の送別会を行なった。


本学で長く教鞭を取られ多大な貢献をされたK先生がこの3月で退職されることになった。英語科の教員や大学院たちが集まり、ささやかであるが、送別会を行なった。菊川酒造東店という居酒屋である。

この日、K先生はご自身の本を何冊か持ってこられ、出席者たちに気に入った本を受け取るようにと言われた。私もご好意に甘えて、ヨーロッパの詩と日本語の訳詞についての御本を頂戴することにした。私は最近は翻訳、特に詩の翻訳に関心を持つようになってきた。ヨーロッパの詩の特徴は脚韻を踏むことであるが、これを日本語の詩に移し替えることは難しい。脚韻というリズムを訳詞にするには、5・7調か7・5調で訳すしかないかなと思う次第だが、そんな自分の抱えている問題意識をこの本は何かの示唆を与えてくれそうである。

さて、K先生は樽酒が好みのようで、升になみなみとついで楽しまれていた。私自身は車で参加したので、お酒を飲むことはできなかったが、K先生の酒を嗜まれる姿、K先生をお慕いする諸先生や院生たちの姿を見て感動した。この和気藹々の雰囲気は楽しい。

何枚か写真を撮ったので、下に貼り付ける。K先生、わざわざ岐阜までありがとうございました。お身体を大切に、どうぞこれからも学問の道でご指導ください。

K先生
k先生の写真もう一枚
左端は院生

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作家の安部譲二が死す。

作家の安部譲二(あべじょうじ)が亡くなった。急性肺炎で82歳であった。この人は中学生の時に、暴力団に加わり、その後は客室乗務員、ばくち打ち、用心棒、キックボクシングの解説者などを経験したそうであり、そのような体験をもとにした小説は軽妙なタッチがあり、かなりの人気作家であった。

昔、私の勤めていた学校で安部譲二を招いて講演をしてもらったことがあったが、その話を昔、このブログで紹介した。

この人の講演を聴いて、とにかく頭のいい人だなと言う印象を受けた。体も大きくて堂々としていて、闇の世界にも通じていて、ヤクザとしても一目置かれていたのだろう。彼があるときに、当時の橋本龍太郎元首相のことを、「橋本首相とは麻布中学校で同級生だった。私の方が成績ははるかに良かったのだが」と週刊誌に述べていたことを覚えている。本人も自分の頭の良さにはかなりの自負心を持っていたようだ。

さて、講演の後に、講演会を企画した関係者と安部譲二との間で昼食会を持った。そのときに、奥様が同伴していた。若くて、背のすらっとした美人であった。安部譲二の自伝を読むと、人間関係に関して、前妻とか、前前妻とか、前前前妻という言葉が次から次と出てきて、この人はいったい何人と結婚したのか分からなくなってしまった。でも、毎回、若くてきれいな人と結婚したのだろうと推測する。その日の昼飯会では、話題が豊富で次から次と面白い話をしてくれた。

さて、Wikipediaでこの人の略歴をみると仰天する。話を盛っているのかもしれないが、普通の人では考えられないような生き方であった。この人の一生を伝記にすればベストセラーになりそうだが、それにしても、複雑すぎて、ちょっと生き様を追うのは難しそうだ。

 

10年後、君に仕事はあるのか?を読んでみた。

藤原和博『10年後、君に仕事はあるのか?』を読んでみた。仕事柄、自分のゼミ生たちに就職の話をすることが多いのだが、自分の若い頃と比べて学生たちの基本的な考えが変化しているように感じている。そんな時に、ふとこの本を読む機会があって色々と考えることがあった。

藤原氏によれば、今までの教育は正解を教える教育であった。例えば、試験問題は4択があってそこから正解を選ぶという性格であった。子供の時から、そのような試験に慣れてきているので、正解は与えられた選択肢の中にあるという刷り込みがされてしまう。この能力を情報処理力と名付けている。

しかし、社会にある現実の問題は正解があるとは限らない。少なくとも与えられた選択肢の中に正解があるとは限らない。そんな社会を生き抜いてゆく力を情報編集力という言葉で同氏は表している。

情報処理力とは与えられた課題を忠実に解いてゆく能力であり、情報編集力とは変化する時代に適切に対応する能力である。これから必要となるのは情報編集力である。

簡単に言えば、そんなことだ。多くの人がすでに似たようなことを言っているではないか、とも思うのだが、とにかく、藤原和博氏は語りの口調が非常に上手だ。

新しい生き方(what) に関しては多くの類書があるが、語り方(how)が巧みだ。同氏は自分の過去の体験を紹介しながら説得ある口調で語る。藤原氏は3つのことを勉強して、それぞれの力を掛け合わせて自分自身をレナな存在にしろと勧める。レアな存在になればいくらでも機会が開ける。

同氏は、リクルートで鍛えた営業力、マネージメント力、二つの学校の校長を経験した教育改革の実践力を掛けあわせた力で、確かに自分自身がレアな存在になっている。同氏の存在自体がこの本の証左となっている。

とにかく、藤原氏のこの本は分かりやすかった。高校生でも十分にわかる書き方だ。ただ、やはり話がうますぎる気もする。同氏はたまたま成功した。藤原氏のように能力のある秀才が転職を繰り返して次第にキャリアアップをしていくのは、誰でも真似できるわけではない。真似をする人ができていても必ずしも成功するという保証はない。怪我をする人も出てくるだろう。

さて、自分のゼミ生にはこの本の内容を紹介しながら就職や仕事のことを語りたいと思う。ただし、確率的に全ての人がこんな風にうまくいくとは限らないということは言うべきだろう。

ゼミ生と話をすると、クラウドファンディング、ミニマリト、コーワキングスペース、カーシェアリング、ルームシェアリングなどの新しい用語が色々出てくる。高度成長時代の考えからスローに生きる時代へと変化している。若い人たちは、そのような時代の変化をすでに鋭く感じ取っている。藤原氏の本がベストセラーになり、若い人に人気があるのはなるほどと思う。

高校での出張授業、大学時代の恩師に挨拶


昨日はある高校で出張授業を行った。観光と英語に関する授業であった。最近は、年に数回は、高校で出張授業をする機会がある。大学生に教えるのと高校生に教えるのでは、教える内容は同じでも教え方は少々変える必要がある。初めての相手であるから、相手の理解度が分からない。生徒達はどの程度のバックグラウンドの知識があるか分からない。そんなわけで、相手に質問をしながら、どのようなレベルで教えたらいいのか判断をしていく。だいたい5~6名ぐらいに質問すると、クラス全体の雰囲気、あるいはその学校全体の雰囲気もつかめてくる。しばらくするとどのような教え方をすればいいのかだいたい勘で分かってくる。

昨日の学校は生徒達は集中して授業を聴いてくれてよかったと思う。時々、この様に高校生の皆さんに授業をすると、大学生とは異なっているので、新鮮な感じがする。教える側としても有意義な経験となる。

さて、それから午後は、大学時代の恩師である亀井俊介先生に挨拶をした。亀井先生がある喫茶店で打ち合わせ中とお聞きして、そこに参加しつつ挨拶をした。亀井先生は私が駒場の時の英語の先生である。それは今から50年ほど前であろうか。亀井先生は当時はアメリカの留学から帰られたばかりの新進気鋭の学者であられた。今では、アメリカ文学の大権威であられる。50年前と比べるとたしかに姿形は大きく変わられたが(それは私も同じであるが)、相変わらず温和で和やかな笑顔が特徴であられた。50年ぶりでお会いしたわけで、先生は現在は、80歳代の半ば頃の年齢であられるが、すこぶるお元気そうで何よりであった。先生はこれからもお元気で是非ともますます活躍してもらいたいと思う。

さて、5限の授業で間に合うように、学校に戻った。5限の授業中だが、雑談をしたときに学生から次のようなことを教えてもらった。学生は犬を飼っている。その犬はオスである。メスと比べてオスは小用をする回数が多いそうである。オスは縄張り意識が強くて、マーキングをして、その場所が自分の領域であることを主張するそうである。なるほど、犬でも性別でそのような違いがあるのか。勉強になったので、このブログに記したのである。

自分の蔵書に関する個人的な話

自分は2016年の3月に前任校を定年退職した。定年退職を迎えるにあたって、一番、頭を悩ましたことは研究室の本をどうするかであった。かなりの量がある。自分の住んでいるアパートには本を置くスペースはまったくない。でも何とかある程度の本は残しておきたい。そのような状況で次のような方針を定めた。

(1)紀要や雑誌類は重要なものはスキャナーで読み込む。それ以外は捨てる。
(2)学生や同僚の先生に関心を持ってもらえそうな本は差し上げる。
(3)半分は勤務校の図書館に寄贈する。
(4)残りの半分は石川県の実家に送る。

夏休み前あたりから、蔵書の処分は進めていった。どうしても愛着のある本、研究する上で大切な本は残しておくことにした。だいたい50箱ほどだが、箱に詰めて、石川県の実家に送った。実家は現在は誰も住んでいない。引っ越しの「サカイ」にお願いして、運んでもらった。送料は10万円であった。

勤務校の図書館にかなりの量の本を寄贈した。大学の個人研究費で購入した本は原則として図書館に返還する必要もあった。

がらんとした研究室を眺めて、「いよいよ自分の研究生活も終わりか。あとは実家の本をきちんと整理整頓して、老後の楽しみに読書三昧の生活か」と考えていた。

そんな時に、現在の勤務校でのお仕事を紹介してもらった。ありがたいお話なので、お受けすることになった。そんなことで、研究生活を今後も続けることができることになったが、本がない。雑誌類は処分してしまった。本の半分は図書館に寄贈してしまった。今さら、寄贈を取り消して「戻してくれ」と言うわけにはいかない。実家に10万円をかけて運んだ本を新しい研究室に持ってくるのは金と費用がまた掛かる。

今はまったく資料がない状態である。であるから、現在の自分はネットで資料にあたることが多い。幸いにも現代は多くの研究者が積極的にネットで研究成果を公表している。面白そうな論文はプリントアウトしてそれに目を通している。

今のところの自分の最大の関心事は、このブログ「言語21世紀塾」を何とか手入れして、人々が使いやすいものにすることだ。特に、言語政策の年表をもっと充実させたい。しかし、肝心の資料を手放してしまった。でも、ネットの資料を丹念に追っていけば、ある程度は年表の充実も可能かなとも考えている。

それから、昨年、何人の方から、論文を寄稿しないか声を掛けられたが、ほとんどのテーマが資料がないために残念ながら辞退せざるをえない。うろ覚えで書くわけにはいかない。やはり資料で実際に確認しながら書く必要がある。今のところ、本がないので、不自由な研究生活を送っている。

研究誌『国際理解』に論文が掲載される。

帝塚山学院大学の国際理解研究所から発行されている研究誌『国際理解』に私の投稿論文「東南アジアの英語ーフィリピンとマレーシアの事例から」が掲載された。論文と言っても4ページほどなので、正確にはコラムと言った方がいいかもしれない。

東南アジアの英語を紹介しながら、近年ブームになっているフィリピンやマレーシアへの英語留学に焦点をあてて、そのメリットなどを論じたものである。この小論を読んで、一人でも英語留学(英語圏以外の国への留学)に関心を持つ人が出てくることを願う。

さて、昨年1年間は帝塚山学院大学に非常勤講師として通ったのである。そのことが懐かしく思い出される。この大学の学生さんは熱心に勉強してくれて、自分には教え甲斐のある1年間であった。特に後期になってからは、学生たちと歯車が上手く回るようになって、充実した日々であった。昨年のこのブログ日記には、時々その記事を書いてある。今年度は自分が岐阜に転勤になったので、大阪に通うことはできなくなり、非常勤の仕事を続けられなくなったのだが、その点は残念であった。

自分にとっては、大阪はあまり出かけたことはなかった。それで、せっかくに機会であったから、大阪見物もしたのである。非常勤先に行くときは、数時間早めに出勤して途中で必ずどこかに下車して、大急ぎで大阪見物をしたのであった。そんな風にして、通天閣、あべのハルカス、心斎橋、御堂筋、道頓堀などを訪問してみた。大阪は自分にはかなり異文化であり、楽しい混沌とエネルギッシュな町で、大いに楽しめたのであった。そんなことも懐かしく思い出したのであった。

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