採血をする。

2016-02-11

火曜日に病院に行って定期検診で採血をした。自分は2か月に一回病院に行って、検査を受ける。血糖値、コレストロール、中性脂肪、血圧、尿のタンパクなどを調べてもらう。採血室に行けば、中年の看護師さんが二人いて、どちらかが採血してくれる。この人たちは採血が非常に上手である。つまり、ほとんど痛さを感じないのである。その日は採血をした看護師には胸に名札があり、看護科長〇〇と記してあった。科長でベテランなのであろうが、針を刺すときは、ちょっとチクリとしてだけである。そして、数分で採血が終わった。ほとんど痛みを感じない。

職場で6月頃になると定期検診がある。そこで採血を担当する人は若い人が多い。数年前だが、1度、針がうまく入らなかったことがある。血管が細くて見えなかったようで、2回ほど刺し直しをした。とても痛くて、しかも採血後に内出血で赤くはれ上がった。担当の若い人は謝っていたが、こちらは泣きそうになった。採血も訓練なのだと思う。何年も繰り返していくうちに、次第に上手に、患者に苦痛を与えずに、採血できるようになる。

金曜日になると血液検査の結果が出るので、再び病院を訪れる予定だ。このお医者さんは糖尿病が専門だそうだ。自分の検査結果を見ながら、いろいろとアドバイスをしてくれる。甘いものは食べすぎないようにとか、酒は一週間にかならず休肝日を入れるようにとか、塩分は控えめに、などである。

しかし、加齢とともに、徐々にあらゆる数値が悪くなっていく。自分は時々一念発起して食生活に気をつけることがあるが、その時は一時的に数字は回復する。しかし、やはり、美味しいものをたくさん食べ、飲んだりする。しかし、基本的には今まで健康であった。ありがたいことだ。それはこの医者がいろいろとアドバイスをくれたおかげだと思う。100%言うことを聞いたわけではないが、少しは医者の苦言にも自分は耳を傾けたりしてたのがよかったと思う。

あと、10年はこんな状態で、なんとか健康体を維持できればと思う。それが自分の最大の願いだ。

laboratory blood tests
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川島なお美とガン

2015-09-25

川島なお美が亡くなったというニュースをネット経由で読む。まだ54歳とのこと、若すぎる、というのが私の感想だ。

自分よりも若い人が亡くなると、まるで急かされているような感じで嫌な気になる。これが90歳ぐらいの人が亡くなったニュースならば、自分に残された時間はまだ結構あるじゃないか、と余裕を持って受け止められるのだが。

彼女の公式ブログがアメブロにある。女優としてかなり活躍して、勝ち組の人生だったと思う。昨年ぐらいから余命は1年ほどと告げられていて、自分の残された日は長くはないことを知っていたようだ。

ニュースによれば、「2015年9月17日、出演中のミュージカル『パルレ〜洗濯〜』を、体調不良を理由に途中降板」とある。死の一週間前まで仕事をしていたのかと驚く。体力的にかなりきつかったろうと思う。これを支えたのは強い精神力以外の何物でもあるまい。

さて、自分があと1年の余命と宣告されたらどうなるか、腑抜けになってしまい仕事などは続けられないだろうな。そもそも、仮定でも、そんなことは考えたくない。


このサイトの名称が「言語21世紀塾」なので、言語に関することもちょっと述べたい。「川島なお美」という名前だが、何故に「なお美」とひらがなと漢字の混じった名前にしたのか、ちょっと不思議だ。ひらがなだと印象が柔らかくなる。それゆえに、ひらがなの名前にする女性が多い。男性はがっちりした印象を好むので漢字を使う人が多い。

私の推論だが、漢字とひらがなの混合した名前だと印象に残りやすいということだと思う。「川島直美」とか「川島なおみ」とするよりも、ちょっと変わった名前と印象される。私の名前は「河原俊昭」であるが、これを「河原とし昭」とすると、違和感を感じて、それゆえに注目が集まるのではと考えられる。自分が芸能界に打って出ようとしたら、そんな芸名をつけたかもしれない。

 

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子規を相変わらず読む

2015-07-24

子規の『墨汁一滴』を読んでいる。5月12日の記述で気になったところを抜き出す。

繃帯ほうたい取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかば膿うみしたたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽く拭ぬぐはるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
浣腸(かんちょう)すれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結(ひけつ)せしと見えたり。進退谷きわまりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。

読んでいると苦しくなる。そして自分の母の末期を思い出す。母も最後は自分で排便ができなくなった。それで、毎朝浣腸をしてもらっていた。寝返りも自分ではできずに、看護師さんが来ては、2時間ごとに体の向きを変えていた。床ずれを防ぐためである。

子規は当時としては最高級の治療を受けていたようだ。新聞社と子規から毎月給金をもらい、母と妹もそのお金で生活していたようだ。そのために、子規に対しては遠慮しながら看病していたようだ。包帯を毎日変えて、好きな食べ物を買ってもらい、口述筆記なのか、毎日庭を見ながら所感を述べ、と絶望的な病状の中にあって、なんとか執筆活動が続けられたのも彼の資力があったからである。

医院の順番

2015-07-10

朝、医者にいく予定を立てる。先般受けた検診の結果を聞きに行くためだ。ただ、今日は授業が10時半からあるので、それまでに学校に行かねばならない。計算すると、順番待ちで1~3番に入らなければ時間が間に合わない。8時から受付け開始なので、それまでにと早めに車で家を出る。

しかし、朝の混雑と自分は間違えた道を入ってしまい戻ったり、と何やかんやしているうちに、8時10分頃に医院に到着してしまった。受付の人に順番を聞くと、8番目とのこと、これでは授業に間に合わないと断念する。みんな早めに済ませたいと8時を少し過ぎると予約が殺到する。競争率が高い世の中である。医院を変えたらいいのか、どうしようか。

学校では授業の時間になんとか間に合って、授業が始まる。学生に自分が最近英語学習に関するブログを開設した話をして、学生にそのブログを示すことにした。ibunka.xserv.com とURLを黒板に書いて示すが、学生はスマホで調べて、そんなサイトは存在しないと言う。「あれ?」と思ってしまう。(あとで、気づいたのだが、ibunka.xsrv.jp が正しいURLだったのだ)

そこで、このブログを示して、そこの二日ほど前の記事に新しい英語学習のサイトがあるので、そこから入ってもらうことにした。学生たちはこのサイトにも興味を示してくれたようで、ありがたい。学生たちには、英語学習のサイトとこのサイト「言語21世紀塾」を時々訪問してくれることをお願いしたい。

夕方は河原町の高島屋に行く。家内の買い物に付き合う。家内が買い物をしている間に、私は近くの本屋さんに行き、何冊か本を買う。久しぶりに本を買う。近頃はkindleで読むことが多くなったので、紙の本を買うことは本当に久しぶりだ。本棚にたくさんの本が並んでいる。それぞれの著者が一生懸命執筆した本であるが、このうち売れるのは一部で、大半は版元に戻されて、廃棄処分となる。この分野も競争率の高い世界である。

photo credit: Pondering via photopin (license)
photo credit: Pondering via photopin (license)

家内が言うには、今日は夕食をつくる時間がないので、弁当を買ってそれで夕食にするそうだ。高島屋の弁当は美味しい。値段は高いのだが美味しい。

てなわけで、今は、自宅で高島屋の弁当をつまみながら、発泡酒を飲んでいる。結構、気持ちがいい(自分にはビールと発泡酒は同じ味がして区別できない)。

今日も平凡な日であった。何の冒険も、何のロマンスも、何の事件もない静かな日であった。願わくば、こんな平凡な日がずーつと続きますように。

医者と歯医者へ行く

2015-07-01

昨日は忙しい日であった。まず、定期健診で病院に行った。2か月ごとに行って、尿を取り血液を調べるのであり、数日後にその検査の結果をもとに医者が相談をしてくれる。血圧とコレストール値が高いので、毎回、医者からそのことを指摘されて、養生するようにとアドバイスを受ける。自分にとっては、健康管理の動機付けを高めることになり、大切な相談である。

この病院の看護師さんは採血の腕がいい。チクリとするだけでほとんど痛さを感じない。とりわけ、今日の看護師さんは、採血がプロ級でほとんど痛さを感じなかった。胸の名札を見ると、看護科長⚪️⚪️と書いてある。なるほど、ベテランなのだと納得する。以前、若い慣れていない人が採血をした時があり、針がなかなか血管に入らないで、私の腕が内出血をして困ったことがあった。あの時は痛かった。

そのあと、学校に行き、授業を行った。今日の授業は結構うまくいったように思う。やはり、下調べをきちんと行い授業の流れをあらかじめ想定しておくと、うまくいくようだ。毎回そうできればいいのだが、やはり怠け心に負けてしまうことがある。

夕方は歯医者に行く。フッ素を塗る日である。歯医者は3カ月ごとに通っている。フッ素を塗る効果はてきめんで、この歳でまだ私は一本を除いてすべて自分の歯である。虫歯とは無縁である。ただ、歯茎は弱まっているのであるが、しばらくはこの歯でいけそうだ。

自分の母は、50代前半で総入れ歯になってしまった。食べ物の味がよくわからなくなったとぼやいていた。寝る前に入れ歯を外したり、洗ったりと面倒くさそうだった。しかし、歯学技術の進歩のせいか、最近は、私の知人で自分と年齢の近い人でも、入れ歯の人はいないようだ。

歯の表面にフッ素を塗ると、むし歯の菌の出す酸に対して溶けにくい強い歯に変わると聞いている。歯学技術の進歩がフッ素の効用を見出したのである。あとは、老化を遅らせる薬をどなたか天才的な研究者が発見してくれればと思うが、そうなったら町は老人ばかりで見苦しくなるかな。

写真素材足成 歯磨きをする女性
写真素材足成 歯磨きをする女性

医者に行く

2015-05-22

家内が体が痛くて熱がでている(37.9度)と不調を訴えるので、車で近くの医者まで送る。この医者は町医者と言うか、個人経営の開業医である。午前中は9時から12時まで、午後は週4日(月、火、水、金)だけ夕方の5時から7時まで開業している。自分は家族が風邪をひくかインフルエンザの予防接種の時はこの病院を利用している。この医者はお金は十分に稼いだので、あとはボケ防止を兼ねて、マイペースで医業を営んでいる、という印象だ。いつも愛想がよくて、生活に余裕のある人特有の大らかさがある。

受付で薬をもらう。かなりいろいろな種類があったが、トータルで2060円である。これだけの種類・分量を薬局で自分で買うと1万円以上するだろう。薬局で購入すると医療保険が利かないので値段が高くなる。医者に処方箋を書いてもらって薬を購入したほうが安い。なお、普通は病院は自分では薬は処方しないで、処方箋を患者に渡すだけである。患者はその処方箋を持って近くの薬局に行き薬を購入するのだが、この町医者は自分で薬を出してくれる。これは、小さな病院では付属の薬局が開業してくれるだけの患者が見込めないので、すべて自分で行うということか。いずれにせよ、家内は医者にみてもらったあとは、調子が良くなった気がすると言う。心理的な効果もあるようだ。よかった。


この急速な電子化時代を考えてみる。windows の新しいヴァージョンが次から次と現れる。せっかく指の動かし方に慣れたのに、また新しく覚えなければならない。だんだんと新しいヴァージョンに付いていくのが苦しくなってくる。いつかは付いていけなくなるだろう。

Webデザイナーなどの職業は何才まで可能だろうか。最先端の新しい技術が次から次と出てくる。ネットでの人々の意見を参考にすると、40代の半ばまで何とか付いていけるようだ。それ以降はきついのではないか。せっかく、新しい設計に慣れたのに、新しいソフトが出てくると、全面的に覚え直す。若いうちは柔軟性があって、覚え直すことができても、やがて不可能になってくる。

備えとしては、できるだけ基本の部分をしっかりと覚えておくことだろう。全面的な模様替えと言っても、最先端の部分で、基本の部分はやはり同じであることが多い。自分は今夏休みでも、自分のブログの模様替えを目指して、Webの勉強をしようと考えている。ただ、少々CSSだけ勉強してもすぐに行きづまるようだ。基本からの勉強が必要だ。であるので、本当は「Webデザイン基本コース」というような外部講習を受けたいが、時間的な余裕はないので、基本書を購入してゆっくりと一歩一歩納得しながら勉強しようと考えている。このブログサイトをもう少し格好良いものにしたいと考えている。

 

仰臥慢録(ぎょうがまんろく)

2015-05-09

今日は洛南のイオンに行く。その中の本屋に行って、3冊ほど本を買う。一つはホームページの作り方の本で他の二つは岩波文庫からでている正岡子規の本である。『仰臥漫録』『病牀六尺』を購入した。家内がショッピングをしている間、わたしはソファに腰掛けて、『仰臥漫録』の方を読んでいた。これは正岡子規の結核がかなり重たくなっている頃の話で、正岡子規の心中を察しながら読んでいった。(2月8日のブログでも正岡子規について述べた。)

彼は、20歳を少し超えたあたりで、結核に冒されて、最後の7年ほどは寝たきりの生活になった。34年間という短い生涯だったが、日本の文学界には大きな影響を与えた。この『仰臥漫録』は、彼の晩年の様子を語った日記である。わたしはブログを書くようになってから、人のブログや古い時代の人の日記などを読むようになった。この本は正岡子規のブログであると考えたい。寝たきりになった正岡子規にとって、寝床から見える風景と食事、看護、訪ねてくる友人との語らいだけが自分の世界になってしまった。1901年9月11日には次のように記してある。

九月十一日 曇
便通 及 繃帯取換
朝飯 いも雑炊三碗 佃煮 梅干
牛乳一合 ココア入 菓子バン
便通
昼飯 粥三碗 鰹のさしみ 鯏汁
間食 煎餅十枚ほど 紅茶一杯
夕飯 粥三、四碗 きすの魚田二尾 ふき膾三碗 佃煮 梨一つ

だいたい、こんな感じで自分が食べたものを熱心に書きとっている。詳しく毎日記してあるのだが、病人の割には食欲は旺盛なようだ。もっとも食べ過ぎで、よく腹痛をおこしている。さらに、便通があれば、きちんと「便通」と記していることから、便通があるかどうかが本人にとっての関心ごとであったことが分かる。便通があれば確かに体はすっきりとする。

看護する人も大変だったろうと推測する。繃帯の取換が頻繁に記されている。9月14日には、「腹痛いよいよ烈しく苦痛たえがたし この間下痢水射三度ばかりあり 絶叫号泣」とある。死病にとりつかれ、自分の人生は長くないことを知っている。しかし、時々は句作をしたり、庭の植物の様子を墨で描いている。毎日どのようなことを考えていたのか。彼の心を推し量ると読み続けるのが苦しくなる。

私は現在はまだ健康である。特にどこか痛いとかいうこともない。しかし、これからは分からない。もしも自分が死病に侵されたと知ったならば、私はショックで無気力になり、何もできなくなるだろうか。あるいは、正岡子規のように何か表現をしていく。何か生きた証を残しておきたいと考えることができるか。まあ、実際にそのような事態にならないと、自分がどう反応するかは分からないのだが。