I先生の訃報

先日、夜中にT先生から電話をいただいた。それは研究仲間のI先生の訃報であった。私は12月3日の立命館大学で行われたJAAL in JACET でポスター発表をしていた。その時の開会式にはI先生は総合司会をされていた。私自身は、コロナなどの影響で長らく学会にも出ることもなかったが、久しぶりに見たI先生は、堂々としてこの学会の中枢として活躍されていることがうかがいしれた。健康そうに見えたのだが、身体は弱っていたのか。

まだ、55歳とのことだそうだ。これから学会を背負って立つ、将来がますます期待される年齢であったのに、驚くことであった。私が編者となった本に何回か執筆者として加わっていただいた。大変お世話になった人だった。心から、I先生のご冥福をお祈りしたい。

私の父もくも膜下出血でなくなった。冬のこの時期であった。外で仕事をしていたが戻ってこないので母が心配してゆくと、仕事場に倒れていた。救急車にきてもらったが、そのときにはすでに息を引き取っていた。冬のこの時期は血管が弱くなるのかなと思っている。私自身も気をつけなければと思う。冬の寒い日は、夜中に尿意を催してトイレに行くことも多くなるが外の気温にゆっくりと身体を慣れさせてからトイレに行くようにしている。

今日は冬至だそうだ。1年で一番夜が長い日だ。これからは昼がまた長くなって行く。しかし、気温はこれからまだまだ下がってゆく。太陽の照らす時間が長くなっても、地面が暖まるのに時間がかかるので、冬至から以降は気温が上がるということはないそうだ。とにかく、もうじき2023年となる。新しい年になるのだ。新年こそはいいことが起こってほしいと願う次第だ。

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S先生の逝去


二日ほど前にS先生の親族の方から封書が届いた。中を開けてみると、S先生が3月8日に突然に病死したとの訃報であった。これは驚いた。

S先生は私の研究仲間であり、一緒に研究書やテキストを執筆したことがあった。私の電話の履歴を調べると、実は、死の前日に電話でS先生とお話をしていた。その時の様子は、とても元気そうで、これからの研究予定を熱っぽく語ってくれていた。やさしい日本語、多言語社会の進展、外国人住民へのサービスなど、様々な分野に関心を示されて、意気盛んであった。

S先生の勤務している大学の大学院では3年ごとに授業を受け持つ資格があるかどうかの審査があるそうで、そのためにコンスタントに業績を出していかなければならない、と語っていたのが印象に残っている。

S先生は63歳であったが、これから研究しようとする分野を語る熱心さは、むしろ若々しいと感じたほどであった。そして、関連する学会の報告書を私にも送ってくれるという話であった。翌日、早速メールにて関連する情報を伝えてくれた。3月8日の12時39分発信のメールであった。そのメールには、その他のデータも順次送るという話であったが、それ以降はメールがないので、学期末・新学期の準備で多忙なのだろうと思っていた。

親戚の方から届いたお知らせには、3月8日に亡くなったとあった。するとその日の12時39分にはメールを送信するだけの元気があったのに、午後か夕方には亡くなったということのようだ。心臓か脳に何か急に異変が起こったのか。

私の亡父は、亡くなった日の午前中は元気で車を運転していた。ただ、夜に作業場で仕事をしていたら、突然のくも膜下出血で亡くなった。人間には、60歳代以上になると突然死がありうるということだ。(自分も、その点は覚悟を決めておかねばと思った)。

昨年末に、他の研究仲間たちと一緒に新たなテキストの編纂をする、という話も出ていた。この企画は残念ながら、途中で取りやめとなったが、そのことも思い出した。

63歳という年齢、現代人の平均寿命から判断すれば、早すぎる死のように感じる。死の重々しさをしっかりと受け止めていきたい。S先生のご冥福を祈りたい。 合掌

新伝さんからアートが到着しました。


私の親戚で書画アーティストの新伝さんから時々作品を送ってもらっている。昨日、新しい作品が到着したので、さっそく皆様に披露したい。花の画である。赤い色、ピンクの色と暖色系の色である。そして、「私は私のままでいい」と中央に文字が書かれている。明るい花の中で、爽やかにこの言葉が言われたようだ。これが青や暗い色の中で言われたならば、人生の辛苦を味わったすえに、この境地に達した、という印象を与えてしまう。

とにかく、この言葉は、「私は私のままでい。そう、無理な背伸びはやめて、自分に合った生き方をすればいい」という教訓である。例えば、同僚が豪華なハンドバックを買ったので、自分も負けないように、ブランドのハンドバックを買う。それも、ローンで買う。などの行動は自分で自分を苦しめることである。

「自分の身の丈に合った生き方をすればいい」は、英語だとどう言うのか。ネットで調べると、Know yourself!(自らを知れ)と訳語が出てきた。なるほど、自らを知ることで、私は私のままでいい、という境地に達するのであろう。

私は私のままでよい。

10年後、君に仕事はあるのか?を読んでみた。

藤原和博『10年後、君に仕事はあるのか?』を読んでみた。仕事柄、自分のゼミ生たちに就職の話をすることが多いのだが、自分の若い頃と比べて学生たちの基本的な考えが変化しているように感じている。そんな時に、ふとこの本を読む機会があって色々と考えることがあった。

藤原氏によれば、今までの教育は正解を教える教育であった。例えば、試験問題は4択があってそこから正解を選ぶという性格であった。子供の時から、そのような試験に慣れてきているので、正解は与えられた選択肢の中にあるという刷り込みがされてしまう。この能力を情報処理力と名付けている。

しかし、社会にある現実の問題は正解があるとは限らない。少なくとも与えられた選択肢の中に正解があるとは限らない。そんな社会を生き抜いてゆく力を情報編集力という言葉で同氏は表している。

情報処理力とは与えられた課題を忠実に解いてゆく能力であり、情報編集力とは変化する時代に適切に対応する能力である。これから必要となるのは情報編集力である。

簡単に言えば、そんなことだ。多くの人がすでに似たようなことを言っているではないか、とも思うのだが、とにかく、藤原和博氏は語りの口調が非常に上手だ。

新しい生き方(what) に関しては多くの類書があるが、語り方(how)が巧みだ。同氏は自分の過去の体験を紹介しながら説得ある口調で語る。藤原氏は3つのことを勉強して、それぞれの力を掛け合わせて自分自身をレナな存在にしろと勧める。レアな存在になればいくらでも機会が開ける。

同氏は、リクルートで鍛えた営業力、マネージメント力、二つの学校の校長を経験した教育改革の実践力を掛けあわせた力で、確かに自分自身がレアな存在になっている。同氏の存在自体がこの本の証左となっている。

とにかく、藤原氏のこの本は分かりやすかった。高校生でも十分にわかる書き方だ。ただ、やはり話がうますぎる気もする。同氏はたまたま成功した。藤原氏のように能力のある秀才が転職を繰り返して次第にキャリアアップをしていくのは、誰でも真似できるわけではない。真似をする人ができていても必ずしも成功するという保証はない。怪我をする人も出てくるだろう。

さて、自分のゼミ生にはこの本の内容を紹介しながら就職や仕事のことを語りたいと思う。ただし、確率的に全ての人がこんな風にうまくいくとは限らないということは言うべきだろう。

ゼミ生と話をすると、クラウドファンディング、ミニマリト、コーワキングスペース、カーシェアリング、ルームシェアリングなどの新しい用語が色々出てくる。高度成長時代の考えからスローに生きる時代へと変化している。若い人たちは、そのような時代の変化をすでに鋭く感じ取っている。藤原氏の本がベストセラーになり、若い人に人気があるのはなるほどと思う。

平凡な1日

2016-02-25

このところ、ゆっくりと日が流れていく。平凡な毎日である。自分の1日はこんな風な1日である。

(1)朝起きると、トイレに行った後、体重を計る。そしてそれを Everntote というアプリに記録しておく。これは自分にはとても大切なことである。食べ過ぎたり酒を飲みすぎるとすぐに体重に反映される。その数字の推移を眺めることで暴飲暴食にならないで、健康を保持しようという動機づけになる。

若い頃と比べて体重が10キロも増えてしまった。10キロというのは大変重いものである。スーパーに買い物に行った時によく米を10キロ購入する。米を運ぶのは私の役目である。10キロの米袋は大変重い。若い頃と比べて10キロ体重増ということは、こんな重たいものを体に巻きつけて日常生活を送っているのと考えると、たしかに心臓や膝の関節によくないと思う。

体重を軽くして軽快な生活を送りたいと思う。むかしみたいに、階段を息を切らずに上っていきたい。だが、美味しいものを食べたいという欲望も強い。その欲望を抑えるためにも、体重を毎日 Evernote につけることは大切なことである。

(2)通勤は歩いて、そしてスマホで Fox Radio News を聞いている。自分が通勤する時間帯はよく Alan Colmes という人が司会をしているトークショウが面白い。視聴者と丁々発止にやり取りをするので面白い。今はアメリカの大統領戦の話ばかりだ。アメリカでは大統領戦は1年ぐらいから盛り上がり人々の関心も高まる。

不法移民、中東のテロ、ISIS、銃の規制、人種差別、同性婚、中絶の合法化、などが主たる話題だ。日本のマスコミとは本当に話題が異なる。「自由とは何か」ということについて、アメリカ人たちは喧々諤々やりあっている。自分の議論を説得力があるものにしようと客観的な事実を互いに確認して議論を進めようとするアメリカ人の態度は見習うべき点があると思う。

(3)職場につくと、1日の予定を確認する。今は春休みで授業はないのだが、いろいろな会議や研修会がある。自分はその合間に二つのことをしている。一つは英語教育に関する論文や書籍を読んでノートにまとめることだ。面白そうなアイデアを見つけたらノートに書き写して、自分が授業する場合はどうするかなどと考えている。つまり、4月からの授業の準備である。

もう一つは、書類の破棄である。自分はこの研究室を3月末までに引き渡さなければならない。書類を処分しなければならない。学生の個人情報に関する書類はシュレッダーにかけている。そのほかの書類はゴミ箱に捨てている。英語教育に役立ちそうな書類は、スキャナーにかけて Evernote に取り込んでから、捨てている。結構忙しい。

(4)帰りは Fox Radio News を再び聴きながら帰る。時々コンビニに寄ってアルコールを買う。これが自分にとって大きな楽しみなのである。現在は一日置きにアルコールを飲んでいる。コンビニでアルコールは何を買おうかあれこれと思索する。ビール、ハイボール、日本酒、焼酎のどれかを一缶あるいはワンカップだけ買う。今の季節は寒いのでビールはあまり飲まない。

若い頃は2、3缶を飲んだが、今は体力的に無理である。一日置きと定めている。アルコールが飲める日は帰りの道が楽しくなり、ウキウキしてくる。コンビニで何を選ぼうか、ズーツと考えている。一個だけしか買わないので、レジでは袋はいらないと言って、そのまま受け取る。だいたい200円から230円ぐらいの出費だ。

(5)帰ったら、夕食の時は家族と他愛のない話をしながらアルコールを飲みゆっくりと食べていく。アルコールがない時は、正直言ってちょっと寂しい。食事の後は、ネットで人のブログを見ている。自分の境遇と似た人のブログを好んで読む。60代の人のブログなどは生き方の参考によく見る。

昨晩は「親をなくした人」のブログを読んでいた。母親がなくなりもう一年か、父親がなくなり15年が経ったかと思いながら読んでいた。自分は親孝行は全然できなかったな、と悔いの気持ちもある。自分が読んでいるブログの人も同じようなことを書いていたので共感した。

軽く酔って日記や随筆集を読むのも好きだ。『徒然草』『断腸亭日乗』、『病牀六尺』、『仰臥漫録』が自分のお気に入りだ。先人の日記や随筆も読んでみたい。

また、アイデアが浮かぶと自分でブログを、例えばこのブログに投稿したりする。そんなことをしているうちに眠くなり床につくのだ。


こんな感じで、あと10年ほど生きることができれば、そして、その後は、ぽっくりと逝くことが理想かな。

photo credit: Up via photopin (license)
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母の一周忌

2016-01-15

今日は母の命日である。一年前のこの日に母は身罷った。もう一年もたったのかと思うと感慨無量である。今頃、母は父と再会して、地上の我々を見ているのか。あるいは、永遠の無の中にいるのか。とにかく、この世界からあの世の世界の間には、絶対的な断絶があるので、彼岸の世界がどのようになっているか知ることは全くできない。

母の一周忌を行うことができないことを自分は非常に苦にしている。郷里にいるのならば、無理をしてなんとか一周忌を行うことができるのだが、ここ京都にいてはどうにも動きがとれない。それで、その代わりに、今日の夕食の時にでも、母の御霊に「安らかなれ」と家族一同で祈ろうと思う。

時々、自分の死について考える。此岸の世界から彼岸の世界へと、そこへの移動は絶対的な移動であり不可逆である。そのことを考えると怖い。しかし、年を取るとともに、その怖さがやや麻痺してきたように思える。

若いころに感じた死は、観念的な死であり、遠い未来の出来事であった。しかし、この年になると、具体的な形を示してくる。自分の父方の祖父母、次が母が他の祖父母、そして父、そして昨年、母を看取った。死の有様をこの目で見てきた。そして、祖父母、父母などの年長の肉親がすべてこの世から去ると、自分が今、死と直面するようになったのである。死が非常に近づいてきたのであるが、なぜか、昔ほど怖くはない。おそらく、怖さという感情も麻痺したのかもしれない。

ともかく、今自分は生きている。この瞬間に生きている。それゆえにこの瞬間を充実して、一瞬一瞬をしっかり味わって生きる。それ以外に何もできない。

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自閉症の画家が描いた表紙が話題に

2015-12-08

ヤフーニュースに「自閉症の画家が描いた表紙が話題に」という記事があった。埼玉県の日高市に住む福島尚(ひさし)さん(46)という人である。幼児から自閉症で、人とのコミュニケーションは苦手だが、大好きな鉄道の絵ならば夢中になり、それを得意にしている男性である。その人の描いた絵があるきっかけで、日本信号という会社の株主大会の報告書の表紙に使われているという。今、その絵がネットで評判になっている。

それらの絵を下に掲げるが、これは驚きである。もう写真としか言いようがない。

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この福島さんだが、幼児のころから言葉が遅れていたそうである。親御さんたちによれば、福島さんが絵を描き始めたのは母が蒸気機関車の漫画を描いたのがきっかけのようだ。

家に閉じこもってばかりいた3歳のころに、母親が漫画のように蒸気機関車の絵に目鼻をつけ、泣いたり困ったり、笑ったりする表情を描いては、尚さんに語りかけたそうです。

 尚さんはその絵を気に入り、何度も手を引っ張って絵を描いてほしいとせがみました。そのうち、自分でも機関車や信号機の絵を描き始め、小学生のころにはボール紙とセロハンテープで電車のクラフト作りに熱中したといいます。

絵画を習ったことはありませんが、蒸気機関車から新幹線まで、外観のデザインだけでなく細かな部品も記憶して、資料を見ずにフリーハンドで描き上げます。

このように記憶で記憶に頼りそれを再現する。これは驚異的なことである。これは、サヴァン症候群と呼ばれている事例に当てはまるであろう。

昔、授業で『レインマン』のビデオを学生に見せたことがあった。これは主人公のレイモンドを演じたダフティ・ホフマンの名演技もさることながら、サヴァン症候群とはどのようなものであるか示してくれる内容に学生たちは驚き・感動していた。

自閉症であり同時に天才としか言いようがない人たち。山下清も写真やスケッチは取らないで、自宅に戻ってからすべて記憶に頼って、あの作品群を仕上げたという。その細部に対する記憶力の確かさには常人は圧倒されてしまう。

この問題に関しては、私自身は自閉症の人は細部を忘れないから、むしろ忘れられないから、それが問題なのだと考えている。常人は景色を見たら、それを言葉に置き換えて記憶する。膨大な量の画像(たとえば、3ギガバイトぐらい)あるものを、言葉にしてわずかの容量の言葉(たとえば、3キロバイトぐらい)にしてしまう。記憶を軽減できる。

常人はだから正常に生きていけるのである。すべての風景を取り込んだら、パンクしてしまう。忘れること、言葉に置き換えて風景の方は忘れてしまう能力は、じつは大切な能力だろうと私は考える。