見聞を深めるのか、広めるのか。

年賀状を書き上げて昨日ポストに投函した。裏面の挨拶と近況報告は印刷だ。表面の相手の名前と住所は手書きで書き上げた。

自分が書いた近況報告を読み直すと、ある文章が気になった。「自分は岐阜県の各地を訪問して見聞を深めました」という文面だ。よく考えたら「見聞を深める」は間違いで「見聞を広める」が正しいのではという疑問だ。

ネットで調べてみたら、「見聞を広める」が正しくて、「見聞を深める」は誤用のようだ。しかし、年賀状では、もう「見聞を深める」で印刷して投函したので、すでに遅しだ。

でも、時々は、誤用を用いる人もいるので、まあ、許される誤用だと思う。「見識ならば深める」だが、「見聞は広める」という使い分けを覚えた。

さて、手書きで住所を書いていた時に気づいたことだが、文字が弱々しくなっているのだ。手の筋肉が弱くなっているのか、文字がやや震えていて、力強さがない。まっすぐの文字がまっすぐに書けなくて、震えながらの文字になっている。

もう一つは時々漢字が忘れてしまったことだ。「ご無沙汰」の文字が分からなくなってネットで調べ直した。

来年からは相手の住所もパソコンで印刷にしようかとも思うが、そうすると手書きの習慣はますますなくなってしまう。これも問題だなと考えたりする。

スポンサーリンク

Language and Linguistics in Oceania の第10号を読む。


小松公立大学の岡村徹先生から、Language and Linguistics in Oceania,  vol. 10 の寄贈を受けた。ここに感謝の意を表明して、この学術誌の簡単な紹介をしたい。

この学術誌は、学会 The Japanese Association of Linguistics in Oceania が発行している学術誌である。この学術誌のサイトは以下の通りである。

さて、2018年の7月に発刊された第10号に関して、二つの論文を紹介したい。一つは、林初梅氏による「国語と母語のはざま ー多言語社会台湾におけるアイデンティティの葛藤ー」という論文である。

この論文では、台湾が経験してきた言語文化の変化を俯瞰したものであり、自分のような部外者にも非常に分かりやすかった。

歴史的に(1)先史時代~(7)戦後と7つの時代に分けて、それぞれを説明している。1945年以降の戦後は特に詳しく述べられている。この時代は現代につながるわけだ。この時代は、二つに、国民党が政権についていた時代と台湾意識形成発展期に分けられる。

この時期(2003年)に、中国語を「国語」と表現していたのだが、「華語」と呼ぶかえる運動があったこをと始めて知った。東南アジアでは、華語と華人という言い方をよく聞くが、この動きが台湾にも普及してきたようだ。

台湾では台湾生来の言語を「郷土言語」と呼び、言語間の平等を目指す政策が誕生しつつある。このあたりも、私は、日本の多文化主義と比較しながら興味を持って読んだ。

さて、もう一つの論文「宜蘭クレオールの語彙の様相ー東丘村の場合ー」も興味深く読んだ。これは、日本語と台湾の諸語とのクレオールが存在していて、現在もまだ残っているという話である。

宜蘭(ぎらん)クレオールについては、先日このブログでも、紹介をしていた。

論文を読んで学んだことは、宜蘭クレオールの日本語起源の語は代名詞や機能語がおおいこと、さらには西日本の方言に由来する語が多いことだ。

宜蘭クレオールはゆくゆくは消滅する語かもしれないが、研究調査によって貴重な資料が作られたことは素晴らしいことだ。

この学術誌 Language and Linguistics in Oceania の第10号には、これ以外にも三編ほどが収録されている。一つは中国語で書かれていること、他の二つは、方言の言語的機能に関する論文であったことで、私にはその3つの論文をコメントするだけの力はない。

以上、寄贈をしていただいた学術誌を紹介した。岡村先生には深い謝意を表明したい。

学術誌 LANGUAGE AND LINGUISTICS IN OCEANIA の表紙

 

スポンサーリンク

『難民支援』(松原好次・内藤裕子共著)を読む。


先日、『難民支援ードイツメディアが伝えたこと』を寄贈いただいた。筆者は松原好次氏(元電気通信大学教授)と内藤裕子氏(ベルリン在住翻訳者)の二人である。

このブログの管理人(河原俊昭)は松原好次氏と何回か一緒に研究をして共著もある。そのご縁で今回、この本を寄贈してもらった。深く感謝したいと思う。

この本は春風社から今年の8月に出版されている。価格は2700円+税である。大きさは208ページ+索引が付いている。本の形式はドイツ語の新聞・雑誌の中から難民問題を扱った記事を取り出して、その記事に語らせる。つまり、著者たちの気づきを新聞・雑誌の記事を通して、それらに語らせるという方法である。

著者たちは読者を強引に一つの方向に誘導するのではなくて、新聞記事などに描かれた客観的事実を紹介することによって、読者たちに自ら考える機会を与えることで、一歩一歩自らの考えを形成することを奨励している、という印象を受けた。

この本はドイツにおける難民への支援を語っている。ドイツは難民支援の優等生であるとよく言われる。ナチスドイツの時代の民族迫害の反省から、できるだけ広く難民を受け入れようとしてきた。この方針は、好調なドイツ経済と労働者不足という現実にも支えられて今まで機能してきたのである。

この本によれば、難民の数が増えてきており、好調なドイツ経済でも支えきれない、と考えるドイツ人が増えてきているようだ。キリスト教民主同盟の党大会で提案されたスローガンに「多文化主義よりもドイツの国益を」(p.139)があったそうだ。

このことは日本の現実とも重なる。日本ではドイツと比べると難民受け入れの数ははるかに少ない。私が数年前に社会人講座で多文化共生社会について講演したときに、「急速な多文化社会は好ましくない。ゆっくりと進めていくべきではないか?」という質問を受けたことを思い出す。

日本では移民の数が2%ほどであるが、それでも、移民受け入れに反対の声を上げる日本人は多い。そのことを考えたら、決して広くはない国土に、日本よりも少ない人口のドイツ人たちが、多数の難民・移民を受けて入れ支援している姿をみると、ドイツ人たちの受け入れへの決意・覚悟は並々ならぬものがあることに気づく。

しかし、これまで移民・難民受け入れに寛容であったドイツをはじめとするEUでも、そして、トランプ大統領の当選に見られるようにアメリカでも反移民主義が台頭している。世界全体が反移民主義に振り子が揺れているようにも感じる。

各界のオピニオンリーダーたちがいろいろと意見を述べている。しかし、結論がなかなか見えない、どこに妥協点をおくべきか、相互の合意点が見えない問題である。

ただ、難しい問題だからと手をこまねいていたり、目を背けるわけにはいかないだろう。ドイツの直面する問題は、明日の日本の問題でもある。ドイツほどの深刻さはまだまだと考える人がいるかもしれない。しかし、グローバリゼーションの進展の速度から考えると、遠い未来のお話ではなくて、日本が今日明日にでも直面するかもしれないのである。

そんなことを考えると、ドイツの中で難民支援にいろいろと携わっている機関や自治体の活動状況、トラウマを抱えた難民への支援、ドイツ語講座の提供、難民カフェなどの実例が紹介されているのはありがたい。日本でもこれらの活動を見習うことはできるだろう。

とにかく、目を大きく見開いて、現実を知ることの必要性を教えてくれる本だ。そして、それに基づいて自分の頭で考えてゆくことの大切さも教えてくれる。

台湾のある村で日本語が日常的に話されている?


毎日新聞のTwitter には次のような記事が紹介された。それは非常に興味深いので、このサイトでも紹介したい。

台湾北東部の寒渓など4村では、日本語と先住民タイヤル族の言語が混ざって形成された新言語「宜蘭クレオール」が中高年を中心に話され、現地では「ニホンゴ」などと呼ばれています。村人たちの会話を撮影しました。

この動画のリンク先はいつまで存在するか分からない。リンク切れの場合はご容赦を願いたい。

言語が使われているのは台湾東部にある、宜蘭県の大同郷寒渓村と南澳郷東岳村・金洋村・澳花村の4つの村が中心である。

この寒渓語は語彙が7割が日本語で3割がタイヤル語由来のクレオール言語である。この言語は、宜蘭クレオール(ぎらんクレオール、Yilan Creole)とも、あるいは、寒渓タイヤル語、寒渓泰雅語とも呼ばれているそうだ。

台湾に行く機会があったら、是非とも、これらの村を訪問してみたいなこと思うが、おそらく観光地としては、まだ整備されていないのだろうと思う。

英語教育総合学会(6月9日)を聴く。


6月9日に英語教育総合学会が発表があった。最近は自分は小学校英語に関して関心があるので、小学校英語に関した発表を聴いてみたかったので参加した。これは自分の指導しているゼミ生が二人ほど、小学校英語に関する論文を執筆しているので、自分がその指導に当たらなければならないという理由もある。

発表の場所は、関西学院大学の大阪梅田キャンパス(ハブスクエア大阪10F)であった。自分は何回も訪問しているのだが、この日は場所が分からなくなって、かなりの時間うろうろして、貴重な時間を無駄にしてしまった。大阪周辺は本当に迷子になりやすい。

細江美佳先生(鳴門教育大学)は「これからの小・中接続した文字指導の在り方ーバランスト・アプローチによる系統性のある読み書き指導を」という内容で発表をされていた。自分が関心を持った点はアルファベットの教え方である。細江先生は大文字を教えてから小文字を教えるべきとの考えだ。「大昔700年から800年かけて大文字がいまの小文字になってきたのですよ」と小学生に語って、その具体的な変化の様子を教える。ビデオを活用して、たとえば、D が早く書くようにしてゆくと、しだいにdの形に収斂されてゆくことを実際に教えていた。(このブログでは、そのあたり視覚化して説明できないが、その点はご容赦ねがいたい)。B →b ならば、上の部分が取り除かれて b になってゆく。Aも一筆書きで早く書いていこうとすると a になる。歴史的な経緯を説明しながら、アルファベットを教えるのは面白い方法だと思った。

私のゼミ生の一人は、a/b   p/q   などの鏡文字をどうやって効果的に教えたらいいのか論文化している最中だが、細江先生のハンドアウトを渡して参考にしてもらえればと思う。

池田周先生(愛知県立大学)の「小学校外国語科における文字と音の扱いーどのようにして、そして、どこまで」も興味深い発表であった。音韻認識のレベルを、脚韻、音節、オンセットライム、音素と次第に深化していくと述べていた。この場合は音素というのは子音だけのレベルでもある。自分では理解し切れない面もあったが、要は小学生がどの程度音韻認識をするかを理解した上で、文字と音の指導を行うべきとの趣旨だ。

池田先生の話の本筋からそれるのであるが、池田先生はアルファベットは小文字から教えたらいいというようなことを話されていた。私の勘違いかもしれないが、その根拠として、国語の時間に教えるローマ字との関連性をその根拠にしていたようだ。

 

このあたり、実はゼミ生が、アルファベットは大文字からか、小文字からか、両方を同時に教えるべきか、またローマ字指導との関連性はどうなるのか、内閣式とヘボン式の関連は、等と悩んでいたので、この点は自分のゼミ生とも討議してみたいと思っている。

なお、別途資料として、成田一先生の対談記事「脳科学からみる早期英語教育」というプリントがあって拝読した。成田先生の強みは脳科学に関する知識が豊富な点である。B4裏表一枚ほどで簡単に読める内容であるが、示唆に富んでいた。この内容を詳しくしたものとして、成田先生は『日本人に相応しい英語教育』(松拍社)という本を出版している。かなり文科省の方針にはかみついているので、痛快な点もある。小学校の英語教育に携わる人は、この様な見方もあるという点で勉強になるだろう。

訪日外国人旅行者数(観光庁)

日本にいる外国人の数が増えているといわれている。たしかに、我々の身近でも外国人の数を見かけることが多くなった。具体的に、どのような数字になっているのか、どこの国の人が多いのか知りたいと思う。

訪日外国人旅行者

観光庁は、訪日外国人旅行者数に関する統計を出している。今は2018年の4月だから、2017年はどうなったのか知りたいところだが、観光庁のサイトを見ていると、2016年までの数字しかない。統計の処理にかなり時間がかかるようだ。確定値は2016年までのようだ。観光庁からのグラフをスクリーンショットしたので、下に貼り付けておく。

 

2016年は2,404人の外国人が日本を訪問している。しかし、これは延べ人数である。外国人が1年に数回訪問すると、そのたびにカウントされる。海外に行く外国人よりも、日本を訪れる外国人の数の方が上回るようになった。

2017年に関しては推計値と、それから数か月遅れて暫定値がでるが、それしか、まだ公刊されていない。その暫定値によれば、以下のようになっている。総数が287万人だ。その内訳はアジアがほとんどで、上位の4カ国は、中国(734万人)、韓国(714万人)、台湾(456万人)、香港(223万人)であり、その他の国は、アメリカ(137万人)である。やはりアジアからの旅行者が多い。

訪日外国人旅行者の定義であるが、入国カードの中から、滞在が三ヶ月以下の人をカウントしていると想像する。

在留外国人数との関係

在留外国人統計が法務省(入国管理局)から発表されている。在留外国人統計は、先日の自分の記事でも報告していたが、現在は247万人である。在留外国人とは日本に3か月以上滞在する外国人が対象である。

両者の関係は、滞在が3か月以下ならば、フローの面から見てゆく。つまり出入りをカウントする。滞在が3か月以上ならば、ストックの面から、つまり現時点で何人いるのかをカウントしているのである。

この両者の数字を見ることで、現時点での外国人の数についてある程度の予想がつく。

言語的な問題

どちらの統計も英語圏以外の人の数の方が多い。しかし、一般的には、外国人の増加=グローバル化=英語化という風に捉えられることが多い。たしかに、若い旅行者の多くはある程度の英語力を持っているので、英語でのコミュニケーションが役立つことが多い。

ただ、日本に在留する外国人の場合は、コミュニケーション言語は日本語であるので、どのような日本語をどのように教えるのか、どのように言語サービスを提供したらいいのかという問題になってくる。

「詩の技法とその翻訳ー英語教育の視点から」を発表する。


昨日は、久しぶりに学会(思考と言語研究会)で発表をした。2015年に前任校を定年退職してから、学会発表の機会にあまり恵まれていなかったが、久しぶりに発表となった。やや緊張して時間配分が分からなくなり、時間オーバーになってしまい、慌ててまとめたので、思うことの半分も語ることができなかった。

その点は残念ではあるが、発表のために資料を揃えたり、事前に頭の整理整頓をしたので、自分には勉強になってよかった。

さて、会場の雰囲気は以下の写真の通りである。発表をされているのは佐良木昌先生で「日英翻訳のための和文型の換言方式」というタイトルで発表されていた。

会場の様子(発表者は佐良木先生)

午後の一番からが私の発表だ。タイトルは、「詩の技法とその翻訳ー英語教育の視点から」である。自分の問題提起は、詩の美しさを機械翻訳で伝えることができるか、であった。

詩の美しさは形式と内容の統一にある。内容に関しては翻訳は可能だろう。しかし、形式は翻訳は不可能である。そもそも詩は元来は朗読されるものである。英語詩ならば、強弱の拍や脚韻の響きで聞き手は詩の持つリズムを感じるのだ。このような詩は日本語に直して伝えることは非常に難しい。

朗読された詩だが、文字化されると翻訳可能性が高まるようだ。現代では、詩は読む詩として鑑賞されることも増えた。上田敏の訳詞などを紹介しながら、英米の定型詩は日本語ならば、5音や7音で翻訳することで、定型詩から定型詩への翻訳が可能になる。定型詩を自由詩の形で翻訳するよりも、やはり日本語の訳詞にもある程度の形式的な縛りが必要だろうとの趣旨だ。

そして、英語教育の場においても、学生に英語詩を日本語の詩へと翻訳させる試みは有益であり、それにより学生は日英両語の音声形式や意味の違いを知り、言語の気づきへと結びつく、という趣旨であった。

しかし、自分の発表は話しているうちに、所々詳しく説明しすぎて発表が半分ぐらいのところで、司会の先生から、「あと5分」という掲示を示されて、焦ってしまった。結果としては、自分の発表はまとまりのないものとなったが、今度いつか詳しく論文の形でまとめてみたいと考えている。