応用言語学会(立命館大学茨木キャンパス)に参加した。

応用言語学会(立命館大学茨木キャンパス)に参加した。大学英語教育学会と連携しての学会なのだろうか。英語の表記はJAAL in JACET 2022 というようになっている。

私たちのグループは、ポスターセッションに参加した。タイトルは「大学生の多文化共生意識に関する量的及び質的研究」である。3階の受付の横に各分科会のポスターセッションの掲示物が貼ってあった。一応、11時から12時までは、ポスターセッションの時間であり、何人かの訪問者がいた。実は、この会場で、昔懐かしい人にも何人かにお目に掛かることができた。言語政策研究会のH先生、海外の外国語研究会のN先生、O先生、同志社大学のI先生、これらの方々とは一緒に本を執筆したことがある。10年前に戻ったような懐かしさを感じた。

コロナのために、ながらく、学会はZoomで行うのが常態化していたが、久しぶりの対面形式での集まりとなった。これからはコロナも急速に終焉してほしいのだ。

実は私どもの「多文化共生と英語教育研究」分科会もZoomでは頻繁に会合を繰り返していたが、対面での集まりは数年ぶりであった。昼休みは一同が揃って近くのレストランに行った。学食ではなくて、一般の人も利用できるレストランであった。

あと、驚いたことは立命館大学の茨木キャンパスが立派なことであった。建物はモダーンでいくつかの点で未来のビルディングを想像させるものであった。あと、50年ほど経つと、どこの大学もこの様な雰囲気になるのかなと思った。

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『ありがとう リブロ・シエラマドレ』という本をご恵贈頂いた。

私の研究仲間だった松原好次先生(元電気通信大学教授)からお便りを頂いた。お便りによれば、奥様の御友人で、金子多美江さんという方が本を出版されたので、送りたいとのことであった。さっそく、送ってもらうことにした。

数日して、その本が到着した。タイトルは、『ありがとう リブロ・シエラマドレ』である。フィリピンのある山村の子どもたちに日本から図書を送り続けたボランティア団体の人々とフィリピンのライバン村のスタッフや子どもたちとの数十年にわたる交流の物語である。

タイトルの「リブロ・シエラマドレ」であるが、リブロとは「本」であり、シエラマドレとは近くにある山脈の名前である。それぞれ、スペイン語でSierra「山脈」、Madre「母」という意味だ。フィリピンは長い間、スペインの植民地だったので、固有名詞などもスペイン語が残っているようだ。「リブロ・シエラマドレ」とは、「シエラマドレ山脈の近くの小さな図書館」という意味のようだ。

1995年に小学校の教師を退職された金子さんがふとしたことで、フィリピンのマガタと言う山村を訪ね、そこの小さな学校を見て、日本から絵本を送ることを思いついた。ただ、日本の絵本では言葉が分からないので、日本語はタガログ語に翻訳して絵本に貼り付けて、フィリピンの子どもたちが理解できるようにした。マガタの子どもたちは大いに関心を持ち、それをきっかけとして子どもたちが本を読む楽しさを覚えていったという。金子さんは今年で88歳(米寿)であり、さすがに昔のように中心になって活動はできないが、賛同する人々があとを継いで、マガタとの交流は続いている。

小さな子どもたちに絵本を与えることは感動を与えることでもある。私自身も小学生のころ、親から買ってもらった宇宙や恐竜の図鑑は、白黒の絵であったが何回見ても飽きなかった。そして、自分が本当に宇宙船に乗って異空間を移動することを夢想したりしていた。マガタの子どもたちも自分の今住んでいる時間空間以外に違う世界があることを感じることは貴重な経験となると思う。

p.166 に台風による被害が語られている。日本でも昔から水害があり被害があったために多くのダムや堤防が作られており、昔のような大きな被害は出にくくなっている。しかし、フィリピンでは、そのための予算がない。予算がついても途中で流用があって実際に使われるのは減ってしまう。数年前の大災害の時には、各国や各地から救援物資が届いたが、現地に届くまでにはかなりの中抜きがあったと聞く。

以前、教育省の通達を調べていたときに、かなりの数の通達が「予算を流用せずに、きちんと運用するように」という警告だったので驚いたことがあった。比較的に厳格だとされる教育界でも、途中での中抜きが目立つのである。

この本の中でも、ところどころそのあたりの苦労話が語られている。でも、金子さんはそのあたりを非難するのではなくて、「仕方ないな」と苦笑しながら、めげずにこの運動を続けていらっしゃるようだ。

p.140には、フィリピンではタガログ語の本が少ないことが述べられている。私自身も有名なチェーン店であるNational Bookstoreで本を求めたことがある。ほとんどが英語の本であり、タガログ語の本は片隅の一角におかれている。中等教育以上を目指す子どもたちにとって、自らの知的興味に応えてくれる本がタガログ語では、ほとんどないという点に、この国の抱える言語的な問題が表れている。

p.148には、スタッフや子どもたちが紙芝居を作ったエピソードが披露されている。それは『マガタ物語』である。自分の村のルーツを語る話だ。やはり歴史が共有されると自分たちは共同体であるとの意識が生まれてくる。そして、作成に子どもたちも加わる。とにかく、いろいろな企画がこの本には語られている。

p.290以降は、「コロナ後の世界は?」が語られる。フィリピンではコロナの影響でしばらくはロックダウンが続いていた。他の地方への移動が禁止されていた。そのこともあり、近年は、マガタ村には行けてないようだ。

ところで、2020年代になると、電子機器の普及も加速度がついてくる。絵本のもつ色彩の豊かさを、iPadでも再現できるようになりつつある。そんな時代が来つつある。しかし、どんな時代でも草の根活動を通して、遠い異国の人々とつながる活動には意味があり、従事する人々になにがしかの気づきを与えてくれるだろう。

なお、この本はアマゾンで調べたところでは、売ってないようだ。草の根でのつながりの楽しさを教えてくれる本なので、一般書店で購入できればと思う。

新伝さんから、4枚の書画が到着する。


今年も残りすくなって来た。2020年はとにかくコロナの年であった。来年はコロナが終息して人々の顔に明るさが戻ってくることを切に願っている。

さて、親戚の新伝さんから、4枚の書画が到着したので、皆様に紹介したい。

無心に祈っている姿
何かを無心に考えている。
お母様の昔の写真より、傘をさしている。

この3つの書画のうちで、最後の3枚目のモデルは新伝さんのお母様である。これは、昔の写真を見ながら、新伝さんは若い頃のお母様を思い浮かべて書画にしたのである。手に持っているのは日傘かと思ったが、横に雪のマークがあるので、これの元になったのは冬の日の写真であろう。でも、赤色と黄色が華やかな感じを与えるので、春か夏の日を思い浮かべてしまった。

次は吉田兼好の『徒然草』の冒頭の箇所である。これなどは、額縁に入れて家の玄関などに飾っておきたいものである。

徒然草の冒頭

若い頃は『徒然草』は心に訴えてこなかったが、私のような老境にさしかかると、兼好法師の枯れた持ち味がわかるようになってくる。

『世界の言語政策1~3』の韓国語版のサイト

私は以前、『世界の言語政策1~3』の編集を担当したことがあった。このシリーズが韓国語に翻訳されたということは、知っていたが、具体的にどのような形で並んでいるか知らなかった。先日、韓国語の得意な学生にお願いして、そのサイトを見つけてもらっった。韓国のアマゾンのサイトに載っているという。それは、以下のサイトである。


http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9791156869580&orderClick=LAG&Kc=

http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9791156869597&orderClick=LAG&Kc=

http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9791156869597&orderClick=LAG&Kc=

シリーズの3つの本の販売サイトである。

『世界の言語政策』の韓国版(アマゾン)

出版社は「역락」という会社で、そこのブログは次のアドレスにある。
https://blog.naver.com/youkrack3888

韓国語はハングルを使うので、慣れないと読み方が分からない。最近の言語は文字としてはアルファベットを用いるので、固有名詞に関しては何となく発音の仕方は分かるようなきがする。ハングルは少なくとも、読み方は覚えておく必要がありそうだ。

ジム・カミンズ/マルセル・ダネシ『カナダの継承語教育』を紹介する。


高垣俊之先生(尾道市立大学、教授)から訳書『カナダの継承語教育』(明石書店)の新装版をご恵贈いただいた。ここに感謝の念を示すと同時に、この本の内容を紹介したい。

この本は、原題は Heritage Languages : The Development and Denial of Canada’s Linguistic Resources であり、執筆はJim Cummins とMarcel Dansei の両教授である。日本語に訳されたのは、中島和子先生(トロント大学、名誉教授)と高垣俊之先生である。この本は2005年に初版が出ており、今回はその新装版である。

この本はカナダの継承語教育の歴史を述べている。タイトルにあるように当初の継承語教育は Development であったが、近年はその後退の傾向が見られるので、Denial という表現を用いたようだ。カナダはマイノリティの言語教育の先進国と思われていたのだが、その国でさえもマイノリティへの言語教育への理解は順調ではない。そのような現状を認識できて私には有益な本であった。

以下、自分が気づいた点を箇条書きにしてゆく。

p.14  継承語(Heritage Language)という表現は、先住民とイヌイットの言語ならびに英仏両語は含まないという点である。私の認識は、先住民の言語も含まれていると思っていたので、この点は意外であった。

p.158 Heritage Language に対して、「継承語」という訳語を当てられたのは、中島和子先生が初めてとのことである。「遺産言語」という訳語も見かけられるが、「遺産」という表現はどうしても過去を引きずるが、子供の人間形成に深くかかわる生きた言語という意味で「継承語」という訳語を採用されたとのこと。なるほどと納得した次第である。

p.72 モノリンガリズムのコストという概念は面白い。ふつうは、バイリンガリズムは一つの言語をプラスして覚えるのであるからコストがかかるというのが一般常識であった。しかし、他国の言語文化を理解できる人がカナダにいることで、計り知れぬ外交的・経済的なメリットが生まれるとのことだ。安全保障の視点からも、コストがかからないのである。

p.77 ここでは、継承語も並行して学習した児童の方が、継承語の学習を減らしていった児童よりも、成績が良いという報告がいくつかある。

p.87  1920年から1960年にかけて、バイリンガリズムこそが子どもの言語上のハンディや認知面の混乱をきたす要因と学者たちが考えていたとのこと。これはその当時の時代背景が見えてくる。マイノリティの言語文化は無駄であり、早く主流の言語文化に染まることが教育の狙いであった。

p.88 に付加的バイリンガリズム(additive bilingualism)との訳語が提示されている。p.108の訳注では、加算的バイリンガリズム(additive bilingualism) との訳語である。この場合は、訳語は統一した方がいいのではと思う。

p.89  言語を二つ学んでおくと、第3番目の言語を学ぶときに役に立つとの指摘は、私の経験からもなるほどと思う。

p.99 第5章は、カナダにおける「ろう」児への言語教育について述べられている。私自身はこの分野は知識がなかったので、非常に興味深く感じた。


以上、私の感想である。カナダは「多文化・多言語主義」ではなくて、言語は英仏だけの2言語に絞った、「多文化・2言語主義」の国であると思っていたが、意外に多言語への動きがあった点が興味深かった。その動きが現代ではやや後退している点は残念である。

なお、この本は白色のハードカバーの本である。ハードカバーにしては、2,400円と手ごろな値段である。

 

『多言語なニッポン』


柿原武史先生(関西学院大学、教授)、岡本能里子先生(東京国際大学、教授)、臼山利信先生(筑波大学、教授)から、今月出版されたばかりの『今そこにある多言語なニッポン』(くろしお出版)をご恵贈いただいたので、ここに感想を述べながら紹介をしたい。

まず、タイトルであるが、「多言語な~」とあって、普通は『多言語な」という連体詞は使われない。「ニッポン」も通常は「日本」という漢字が使われる。この一風変わった日本語の使い方は、「今の日本の言語状況は従来とは異なるのだ、伝統的な日本語を使ったのでは表現できないのだ」というメッセージを最初から読者に与えてくれる。そのために、読者はこれから何が述べられるのか、とドキドキしてしまう。

本の語り口であるが、ですます調を使ってある。現在の日本、多言語化が進んでいる日本を、筆者たちが実際に見てきた事実をもとに、淡々と語るというスタイルをとっている。多言語化しつつある日本の現状にまだ無自覚的である多くの読者たちに警鐘を鳴らしたいのだが、大げさに騒ぎ立てるというのではなくて、筆者たちの見聞きした事実を淡々と語るというスタイルを取ってある。私には、このスタイルで語られた方が耳にすんなりと入ってくるが、多くの読者も同様であろう。

この本は、165ページであって、ゆっくり読んでも一日で読み上げることができる。9章があって、各章が平均して15ページぐらいだ。順不同で自分が読んでいく中で、メモを取った個所を断片的に述べてゆく。

触手話というコミュニケーション方法があること。
阿佐ヶ谷(現在は荻窪)に、ネパール人学校があったこと。
コプト正教会が京都にあること。
ラインのスタンプを利用して言語教育ができること。
「外国語」という表現を使わないで、「異言語」という表現をすること。
Google 翻訳サービスの精度があがり、人手による翻訳に近づいていること。
「やさしい日本語」を各自治体が興味を示していること。

上記のことなど、自分のよく知らないことなので、勉強になった。

今度の要望としては、絵文字に関する章を改訂版に入れてほしいとおもう。さらには、現在進行形ですすんでいるコロナ感染であるが、「コロナは外国人がもたらす」という認識が生まれ、グローバル化へ進もうとする我々の意識にかなりの影響(悪影響とも言えよう)を与えた。そのあたりに関する章が改訂版に加わると面白いと思う。

なお、この本は、出版社はくろしお出版であり、編者は、柿原武史、上村圭介、長谷川由起子の3先生であり、そのほかの執筆者は臼山利信、岡本能里子、榮谷温子、芹川京次竜、森住衛の先生方である。それぞれがご自身の専門性を生かして充実した内容となっている。値段は1600円とお買い得な値段になっている。

コロナ、観光立国、ツーリズムイングリッシュ


コロナウイルスだが、いつになったら終息するのかまだ見通しがつかない状況だ。それに関連して私の研究について若干述べてみたい。

私は、佐良木昌先生が研究代表者となる基盤研究「高度翻訳知識に基づく高品質言語サービスの研究」の研究分担者として、この3年間研究を行ってきた。そして、この3月でその研究は終了を迎える。その研究の報告として、12月15日の科研費合同研究集会(早稲田大学)で、「地方大学における『観光英語』の授業のあり方について」を行った。そこでは、私が行ってきたツーリズムイングリッシュ(観光英語)の授業について実践報告をした。

また、3月7日には、名古屋外国語大学でおこなわれる大学英語教育学会・中部支部研究会で、この科研で行った研究のまとめを発表する予定であった。しかし、その研究会発表は、コロナウイルス拡大防止のために中止となった。

この二つの発表(12月15日、3月7日)は、基本的には、観光客の増大=日本の利益、という視点から行われている。学生には、工業立国として発展してきた日本だが、これからは観光立国として第三次産業を充実させていかねばならない、と述べてきた。そのために、観光英語の授業は学生の役に立ち、この授業をとることで、日本の発展に貢献し、グローバル化に対応することになり、学生自身も観光業などで就職の機会が見つかりやすくなる、すべてはバラ色だ。極端に言えば、そんなことを授業で述べて学生のモチベーションを高めていたのだ。

しかし、今回のコロナウイルスの蔓延という事態を見て、私自身の考えはかなり足りない点があったのだな、と気づいたのである。具体的には、観光立国という点で一直線に進むことに潜む危険性を見落としていたことである。2か月観光客が来なくなれば、観光業界では倒産する企業も出てくるだろう。そこで働く人たちには失職する場合もある。観光業とはもろい産業でもある。そのほか、様々な問題点が浮き彫りになったのである。

自分が来年度に担当するツーリズムイングリッシュ(観光英語)の授業においては、そんな視点もあるからと学生に注意を喚起させたいと考えている。

この流動的な情勢で、最終的にはどのように収まるのか現時点では予想は付かない。ある程度おさまった時点で、ツーリズムイングリッシュ(観光英語)の授業そのものについて分析しなおしたいと考えている。

なお、下に掲げたのは、科研の報告書の私の担当部分の総括である。この研究がもう一年が後ろにずれていれば、コロナウイルスで露わになった負の側面も述べてみたいが、現時点では無理である。とにかく、今年の3月で終了となるプロジェクトの総括として参考にしてほしい。


研究の総括的概要
 基盤研究「高度翻訳知識に基づく高品質言語サービスの研究」の研究分担者として、「言語サービス」、「観光」、「地方」、「翻訳」をキーワードにして、研究を3年間続けた。
 「言語サービス」の研究の発端は多文化・多言語化する日本社会における外国人住民への支援であった。しかし、行政からの財政的な支援が十分とは言えない状況であった。それは、とくに「地方」では顕著であった。
 ただ、オリンピック開催決定より「観光」への関心が強まっている情勢を活用することができる。観光英語をはじめとした言語サービスを充実させることが、長期滞在の外国人住民と短期滞在の外国人観光客の双方に有益である。その場合は、正確な「翻訳」だけではなくて、より実用的で、すぐに利用できる「翻訳」が必要である。例えば、スマホに数々の翻訳アプリを組み込ことで、それらが可能となる。
 研究分担者が現在住む岐阜県は観光県としてはさほど有名ではない。しかし、外国人にも岐阜県の歴史(織田信長、斉藤道三など)を広く伝えることで、「地方」の観光資源の活用ができる。歴史プラス健康法、グルメなどの文化を加味することで、単に「観る」観光から「体験する」観光へと広がりを持たすことができる。それには、やはり通訳・翻訳などの言語サービスの充実が必要である。
 3年間の研究により、言語サービスについて以上のような展望が得られた。