『ありがとう リブロ・シエラマドレ』という本をご恵贈頂いた。

私の研究仲間だった松原好次先生(元電気通信大学教授)からお便りを頂いた。お便りによれば、奥様の御友人で、金子多美江さんという方が本を出版されたので、送りたいとのことであった。さっそく、送ってもらうことにした。

数日して、その本が到着した。タイトルは、『ありがとう リブロ・シエラマドレ』である。フィリピンのある山村の子どもたちに日本から図書を送り続けたボランティア団体の人々とフィリピンのライバン村のスタッフや子どもたちとの数十年にわたる交流の物語である。

タイトルの「リブロ・シエラマドレ」であるが、リブロとは「本」であり、シエラマドレとは近くにある山脈の名前である。それぞれ、スペイン語でSierra「山脈」、Madre「母」という意味だ。フィリピンは長い間、スペインの植民地だったので、固有名詞などもスペイン語が残っているようだ。「リブロ・シエラマドレ」とは、「シエラマドレ山脈の近くの小さな図書館」という意味のようだ。

1995年に小学校の教師を退職された金子さんがふとしたことで、フィリピンのマガタと言う山村を訪ね、そこの小さな学校を見て、日本から絵本を送ることを思いついた。ただ、日本の絵本では言葉が分からないので、日本語はタガログ語に翻訳して絵本に貼り付けて、フィリピンの子どもたちが理解できるようにした。マガタの子どもたちは大いに関心を持ち、それをきっかけとして子どもたちが本を読む楽しさを覚えていったという。金子さんは今年で88歳(米寿)であり、さすがに昔のように中心になって活動はできないが、賛同する人々があとを継いで、マガタとの交流は続いている。

小さな子どもたちに絵本を与えることは感動を与えることでもある。私自身も小学生のころ、親から買ってもらった宇宙や恐竜の図鑑は、白黒の絵であったが何回見ても飽きなかった。そして、自分が本当に宇宙船に乗って異空間を移動することを夢想したりしていた。マガタの子どもたちも自分の今住んでいる時間空間以外に違う世界があることを感じることは貴重な経験となると思う。

p.166 に台風による被害が語られている。日本でも昔から水害があり被害があったために多くのダムや堤防が作られており、昔のような大きな被害は出にくくなっている。しかし、フィリピンでは、そのための予算がない。予算がついても途中で流用があって実際に使われるのは減ってしまう。数年前の大災害の時には、各国や各地から救援物資が届いたが、現地に届くまでにはかなりの中抜きがあったと聞く。

以前、教育省の通達を調べていたときに、かなりの数の通達が「予算を流用せずに、きちんと運用するように」という警告だったので驚いたことがあった。比較的に厳格だとされる教育界でも、途中での中抜きが目立つのである。

この本の中でも、ところどころそのあたりの苦労話が語られている。でも、金子さんはそのあたりを非難するのではなくて、「仕方ないな」と苦笑しながら、めげずにこの運動を続けていらっしゃるようだ。

p.140には、フィリピンではタガログ語の本が少ないことが述べられている。私自身も有名なチェーン店であるNational Bookstoreで本を求めたことがある。ほとんどが英語の本であり、タガログ語の本は片隅の一角におかれている。中等教育以上を目指す子どもたちにとって、自らの知的興味に応えてくれる本がタガログ語では、ほとんどないという点に、この国の抱える言語的な問題が表れている。

p.148には、スタッフや子どもたちが紙芝居を作ったエピソードが披露されている。それは『マガタ物語』である。自分の村のルーツを語る話だ。やはり歴史が共有されると自分たちは共同体であるとの意識が生まれてくる。そして、作成に子どもたちも加わる。とにかく、いろいろな企画がこの本には語られている。

p.290以降は、「コロナ後の世界は?」が語られる。フィリピンではコロナの影響でしばらくはロックダウンが続いていた。他の地方への移動が禁止されていた。そのこともあり、近年は、マガタ村には行けてないようだ。

ところで、2020年代になると、電子機器の普及も加速度がついてくる。絵本のもつ色彩の豊かさを、iPadでも再現できるようになりつつある。そんな時代が来つつある。しかし、どんな時代でも草の根活動を通して、遠い異国の人々とつながる活動には意味があり、従事する人々になにがしかの気づきを与えてくれるだろう。

なお、この本はアマゾンで調べたところでは、売ってないようだ。草の根でのつながりの楽しさを教えてくれる本なので、一般書店で購入できればと思う。

台湾のある村で日本語が日常的に話されている?


毎日新聞のTwitter には次のような記事が紹介された。それは非常に興味深いので、このサイトでも紹介したい。

台湾北東部の寒渓など4村では、日本語と先住民タイヤル族の言語が混ざって形成された新言語「宜蘭クレオール」が中高年を中心に話され、現地では「ニホンゴ」などと呼ばれています。村人たちの会話を撮影しました。

この動画のリンク先はいつまで存在するか分からない。リンク切れの場合はご容赦を願いたい。

言語が使われているのは台湾東部にある、宜蘭県の大同郷寒渓村と南澳郷東岳村・金洋村・澳花村の4つの村が中心である。

この寒渓語は語彙が7割が日本語で3割がタイヤル語由来のクレオール言語である。この言語は、宜蘭クレオール(ぎらんクレオール、Yilan Creole)とも、あるいは、寒渓タイヤル語、寒渓泰雅語とも呼ばれているそうだ。

台湾に行く機会があったら、是非とも、これらの村を訪問してみたいなこと思うが、おそらく観光地としては、まだ整備されていないのだろうと思う。

訪日外国人旅行者数(観光庁)

日本にいる外国人の数が増えているといわれている。たしかに、我々の身近でも外国人の数を見かけることが多くなった。具体的に、どのような数字になっているのか、どこの国の人が多いのか知りたいと思う。

訪日外国人旅行者

観光庁は、訪日外国人旅行者数に関する統計を出している。今は2018年の4月だから、2017年はどうなったのか知りたいところだが、観光庁のサイトを見ていると、2016年までの数字しかない。統計の処理にかなり時間がかかるようだ。確定値は2016年までのようだ。観光庁からのグラフをスクリーンショットしたので、下に貼り付けておく。

 

2016年は2,404人の外国人が日本を訪問している。しかし、これは延べ人数である。外国人が1年に数回訪問すると、そのたびにカウントされる。海外に行く外国人よりも、日本を訪れる外国人の数の方が上回るようになった。

2017年に関しては推計値と、それから数か月遅れて暫定値がでるが、それしか、まだ公刊されていない。その暫定値によれば、以下のようになっている。総数が287万人だ。その内訳はアジアがほとんどで、上位の4カ国は、中国(734万人)、韓国(714万人)、台湾(456万人)、香港(223万人)であり、その他の国は、アメリカ(137万人)である。やはりアジアからの旅行者が多い。

訪日外国人旅行者の定義であるが、入国カードの中から、滞在が三ヶ月以下の人をカウントしていると想像する。

在留外国人数との関係

在留外国人統計が法務省(入国管理局)から発表されている。在留外国人統計は、先日の自分の記事でも報告していたが、現在は247万人である。在留外国人とは日本に3か月以上滞在する外国人が対象である。

両者の関係は、滞在が3か月以下ならば、フローの面から見てゆく。つまり出入りをカウントする。滞在が3か月以上ならば、ストックの面から、つまり現時点で何人いるのかをカウントしているのである。

この両者の数字を見ることで、現時点での外国人の数についてある程度の予想がつく。

言語的な問題

どちらの統計も英語圏以外の人の数の方が多い。しかし、一般的には、外国人の増加=グローバル化=英語化という風に捉えられることが多い。たしかに、若い旅行者の多くはある程度の英語力を持っているので、英語でのコミュニケーションが役立つことが多い。

ただ、日本に在留する外国人の場合は、コミュニケーション言語は日本語であるので、どのような日本語をどのように教えるのか、どのように言語サービスを提供したらいいのかという問題になってくる。

DVD『聲の形』を見る。


近くのビデオショップでDVD『聲の形』のアニメを借りてきた。非常に面白くて感動した。

切っ掛けは、ある授業で学生が大垣市を紹介するときに、有名な『聲の形』の舞台が大垣市であることを発表したことだ。その学生から、アニメの中で登場するケーキ屋は実在するのであり、美味しいケーキを売っている店として有名であることも教えてもらった。ビデオショップで、このタイトルを見つけたときに、そんなことを思い出して、借りてみようという気になったのだ。

大垣市は実際にたくさんの水路があって、水の豊かな都市として知られている。映画の中でも水のイメージがたくさん出てきて、なるほど大垣市らしいと感じた。

主人公は石田将也という少年であり、相手は西宮硝子という聴覚障害の少女であり、この二人の関係を巡ってストーリーは展開する。

小学校のクラスに西宮硝子という転校生がやってくる。石田翔也はその子をいじめてしまう。ところが、その子をいじめたことで逆に自分がいじめにあってしまう。

高校生になってから、ふとしたことで、二人は再会するのだが、小学生の頃の過去を引きづりながら、周囲を巻き込みつつ、次第にわかり合ってゆくようになる。

聴覚障害、いじめ、と難しいテーマをこのアニメに盛り込んだが、上手く成功したと言えるだろう。

「聲の形」と、題名を「聲」の字にしたのは、作者が、この字は「声と手と耳」が組み合わさってできているという説があることを知り、「気持ちを伝える方法は声だけじゃない」という意味を込めて「聲」という旧字にしたようだ。

このアニメを論じている、いろいろな解説を読むと、このアニメは聴覚障害を特に取り上げたわけではなくて、人間同士のコミュニケーション障害に焦点を合わせたかったようだ。コミュニケーション障害を乗り越えるために、人は声、手、耳を活用していくのだ。

女主人公の西宮硝子は、筆談、スマホ、手話とコミュニケーションを図ろうとする。周りもそんな彼女の求めに応じて、手話を学ぶ人が増えてくる。この映画はアニメだが、手話の場面は指の動きをはっきりと描いており、指の動きでも意味が分かるようになっている。

さらには、彼女は声を出すことも始めている。主人公に「好き」という言葉を伝えるあたりはこのアニメの圧巻でもある。音声はぎこちないが、ある程度は伝わるように訓練の成果が出てきている。

ただ、このアニメで主人公の石田将也と女主人公の西宮硝子の二人とも自殺を図ろうとする点は、どうも自分には必然性はないように思える。他者とのコミュニケーションが取れないことは、それくらいの絶望を人に与えるという点は理解できるが、このアニメでは二人はそこまで追い込まれているようには思えないのだが。


追記(2017-08-06)

最近、『君の名は』を見る機会があった。この映画の魅力の一つは舞台となっている飛騨市の美しい自然と落ち着いた町並みが描かれていることである。東京という大都市と飛騨という地方の小都市を対照させることで、飛騨市の落ち着いた優雅さが目立った。とにかく、風景がアニメ化されると、東京も飛騨も幻想的な雰囲気が出て、別の魅力が出てくる。

ところで、『聲の形』は、各場面に大垣市内の風景が盛り込まれている。作者がたまたま大垣市出身ということで、この場所を選んだようだ。大垣は水の都というイメージがあるそうだが、現在は、運河なども埋め立てられて、さほど水が多い町というイメージはない。ただ、このアニメでは、橋や川が頻繁にでてきて、水の豊かな大垣市を印象づけている。

この二つの映画ともヒットしたので、舞台となった飛騨市、大垣市とも観光地としてのイメージアップにつなげようとしている。飛騨市では、ウエブサイトに映画の聖地巡りのmap まで掲載している。大垣市も似たようなことをしている。

中学や高校の修学旅行や遠足などで、これらの地域を訪問することは有効だと思う。話題になったアニメなどで、その聖地巡りをすることで、その地域の産業や自然、特徴などを知ることにつながる。身近な話題から入ってゆくことで、子どもたちの関心をより強く引きつけることができるだろう。

聲の形のウエブサイト

ネット時代における検索とキーワード

自分を振り返ると、何か調べ物をする場合は、すぐに検索、特にGoogle 検索をすることが増えた。友人の動向を知りたいとか、お店の電話番号を知りたいとか、年金について情報を得たいときなど、すぐにGoogle 検索をするのである。

物を買いたいときもGoogle 検索することが増えた。たとえば、胃が痛いときにどんな薬がいいのか知りたいときは、「胃痛」「薬」という検索語で調べると、いろいろと出てくる。大正製薬の「ストパン」とか、三共製薬の「ガスター」などの名前を知った。これらの名前を覚えて近くの薬局で購入すればいい。

あるいは、最近は通信販売で購入することも増えた。「電子辞書」「おすすめ」で検索すると、たくさんのサイトが現れる。通信販売で購入しようとすると、だいたい第1ページにある商品や販売先から選択する。たまには第2ページや、第3ページから選ぶこともあるが、第30ページぐらいから選択することはほとんどない。

この順位はどうやって決まるのか。Google のアルゴリズムが決めるようだ。サイトの訪問者数、その記事の数、そのサイトの歴史など、それこそ、たくさんの要素が考慮される。

企業にとっては自分の商品が上位にランキングされるかどうかが死活問題になる。トップに立てば、売り上げが伸びるが、30ページ目ぐらいに下がれば、売り上げが低迷する。

会社のよっては、Google にお金を払って上位に掲載させてもらう。左端にPRという文字が出ているサイトは、Google に広告料を払ってその地位を確保したのである。

キーワードが非常に大切になる。企業は顧客が検索するだろう検索語(キーワード)をあらかじめ予想して、それに対応したサイトを作り上げる必要がある。Google のアリゴリズムは、サイトのタイトルやサイト内の章名を見ながら、そのサイトの強さを決定するのである。

会社の方ならば、それを意識してキーワードを散りばめてタイトルを作る。「大学生にお勧めの電子辞書、その決定版はこれだ!」のようなタイトルが、Google のアルゴリズムに適していて、顧客に見つけてもらうには都合がいいタイトルだ。

会社がホームページを作成するときは、ただ漠然と構築したのでは効果がない。Google の検索機能を知り尽くした専門家が、キーワードを上手に散りばめながら、サイトを構築してゆく。その意味では、会社のホームページは数億円をかけてもきちんとしたサイト(つまりGoogle 受けのいいサイト)を作るべきである。

現代の神はGoogle である。この神から嫌われるとサイト経由の会社の売り上げは激減して、赤字になってしまう。どんな強気な会社社長でも、Google 神にはひれ伏すのだ。

政治家なども同様である。ある政治家の名前を検索したら、犯罪、汚職、不倫、暴力などの語と関連するサイトが多数出現したらその政治家が選挙で選ばれる可能性は限りなく少なくなる。

問題は、検索が現在はGoogle 検索だけなのである点だ。商品、政治、思想までもGoogle が決めそうである。Googleが政治的にもある種の思想に染まりでもしたら、たちまち世界中に影響を及ぼす。

その意味では、検索もGoogle だけでなくても他の検索サイトも現れて欲しい。何事も独占状態は良くないだろう。

ブログのテーマを変える。

2016-04-22

今まで使っていたブログのテーマだが、突然調子が悪くなった。具体的には、メニュー機能が働かなくなったのだ。仕方ないので、いくつかのテーマを試行錯誤して最終的にKelly というテーマにした。これで十分なのだが、不満と言えば、文字が大きすぎることだ。しかし、スマホで見ると別に文字が大きすぎることはない。

また、自分は右左の2コラム形式の画面が好きなのだが、これは1コラムだけである。本当はすべて自分でデザインできればいいのだが、それだけの力はない。それゆえに、人の提供するデザインを借りてきて、そのまま使っている。

今の時代は、スマホでアクセスする読者の方が、デスクトップやノートパソコンよりも多いと言われている。それならば、このブログもスマホ対等を中心に考えるようにしたいと思う。

今住んでいるアパートは朝の7時になると「野バラ」の曲が聞こえてくる。どこから聞こえるのか。近くの小学校か公民館からか、どこからかは分からない。でも、さわやかな曲だと思う。10秒ぐらいなので、そんなに邪魔にならない。なお、シューベルトの作曲ではなくて、ヴェルナー作曲の方の曲である。

「ぱくたそ」という無料画像サイトについて

2016-02-14

ブログを書いていると適切な画像があると記事がはえるということに次第に気づく。自分はこの20年間ほどだが一生懸命に写真をとって、それを蓄えてきた。特に海外に行ったときにはできるだけ写真を撮る。それらの写真は、本を書くときなどは、ポイントとなる場所に使ったりして非常に役に立った。ただ、昔は画像は350万画素ぐらいで十分だと言われていたが、近頃は、出版社から私の過去の画像は粗すぎて使えないと言われることが多くなった。

自分が20年かけて集めた写真画像だが、書籍にはだんだんと使えなくなっていく。それで、最近はネットの無料画像サイトを利用するようになった。そして、このブログも無料画像サイトを利用することが多くなった。日本の「ぱくたそ」というサイトをよく利用している。ぱくたそは、高品質・高解像度の写真素材を無料(フリー)で配布しているストックフォトサービスであり、 面倒な利用報告や会員登録の必要はないので、多くのブロガーが利用している。

問題があるとすれば、多くの人がこの無料画像サイトを利用しているので、自分の使用した画像と同じものを他人のブログで見つけることである。つまり、自分のブログの独自性が消えてしまうと感じるのである。自分で格好いい服と思って意気揚々と町中を歩いていたら、至る所で自分と同じ服装の人を見つけてがっくりするという感じである。

それで、近頃は、アメリカのPhoto Pin という無料サイトを利用している。このサイトだと他の日本人のブログの画像とかぶることは少ないようである。ただ、どうしてもアメリカの画像なので違和感がある。たとえば、血液検査の記事に適切な写真を探してもアメリカの病院の写真しかないので、自分のブログに入れても、ちょっと違和感が出てしまう。

適切な画像を求めて、キーワード検索するのだが、そのキーワードずばりの画像は有料である。そのキーワードから若干離れている画像ばかりが無料ででてくるという問題もある。

ただ、このような無料サイトの一番の利点はすでに登場人物の承諾を得ているという点である。写真はやはり人間の顔を載せた方が読み手にとって親しみがわきやすい。自分で撮影した写真だと登場人物にブログに載せるのはいいかと聞き回るのだが、それは面倒だという気もする。携帯でその場で承諾を得て写真を撮る場合もあるが、そのようなケースは少ない。

無料サイトだと承諾を得るという手間が省けるのでありがたい。下に「ぱくたそ」からの画像を置いておく。元気な女の子の写真なので心が和むであろう。

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