「日本語教師を国家資格にする」法律が成立した。

日本語教師を国家資格にする法律が成立した。NHKのウエブニュースによれば次のことが報じられた。

“日本語教師を国家資格にする” 法律が成立 在留外国人増加で”

国内で暮らす外国人が増え、日本語教育の需要が高まる中、日本語教師を国家資格にすることなどを盛り込んだ日本語教育機関認定法が、26日の参議院本会議で可決・成立しました。

法務省によりますと、国内の在留外国人は新型コロナの感染拡大で一時減少したものの、最近は再び増加し、去年6月末には296万人と過去最多を更新しました。

日本語教育機関認定法は在留外国人の増加に伴い、日本語教育の需要が高まっていることを受けて、日本語教育の適正かつ確実な実施を図るためのものです。

法律では、一定の要件を満たす日本語教育機関を文部科学大臣が適正な教育機関であると認定し、外国人の留学生などに情報提供を行うとしています。

そして、日本語教師の国家資格を創設し、筆記試験に合格して実践的な研修を修了すれば「登録日本語教員」として文部科学大臣の登録を受けることができることなどが盛り込まれています。

日本語教育機関認定法は、26日の参議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党や立憲民主党などの賛成多数で可決・成立しました。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230526/k10014079031000.html

日本語教師を国家資格にする法律が成立することは大きなインパクトを与えると思われる。以前から、日本語教師の資格は国家資格でないので、きちんとしたプロの日本語教師が育たずに、それゆえに低い給料のままであることが指摘されていた。

文部科学省のサイト(https://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/kekka/1421037_00012.htm)を見ると、「日本語教員の登録制度の創設」とあり、「日本語教育を行うために必要な知識及び技能を有するかどうかを判定するために行う試験(以下「日本語教員試験」という。)に合格し、かつ、認定日本語教育機関において日本語教育を行うために必要な実践的な技術を習得するための研修(実践研修)を修了した者は、文部科学大臣の登録を受けることができることとする」とある。

現在では、日本語教師になるためには、次の3つのコースが考えられる。(1)大学での専門課程の修了者、(2)民間の日本語教員養成講座(420時間程度)の修了者、(3)日本語教育能力検定試験の合格者、である。新制度のもとで、(1)~(3)を修了・合格して実際に日本語教師として働いている者はそのまま「登録日本語教員」となるのか、まだ分からない。

日本語教育機関の認定制度が創設されるのであり、その後、認定を受けた日本語教育機関での修了者が日本語を修了した者が教えることができることとなる。(1)と(2)では、大学や民間の日本語教員養成講座を主宰する機関が申請をして、一定の条件を満たせば認定された日本語教育機関になるのだろう。どのような条件であるかは、文科省のサイトにはまだきさいされていない。(3)の日本語教育能力検定試験は、日本国際教育支援協会という公益財団が主催するものであり、公的な性質を持っているので、名称は変わるとしても、試験の合格者は、依然として登録日本語教員となるのではと思われるのだが。

以前から、日本語教員になっても「食べてゆけない」ということは言われていた。ボランティアの人たちが日本語を教えてきた。ほとんど無給でも教えてきた。そのために、プロの日本語教師が育たないという問題点はあった。諸外国では、専門的に学んだ人だけが教える資格があり、それだけで十分に生活をすることができる給料を得ていた。日本でも、そのような状態に早くなればいいという願いは何人かの日本語教師の方から聞いたことがあった。

まだ、全貌が見えてきてないが、これがどのように発展するか、ちゃんとフォローしていきたいと思う。

 

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新伝さんから、4枚の書画が到着する。


今年も残りすくなって来た。2020年はとにかくコロナの年であった。来年はコロナが終息して人々の顔に明るさが戻ってくることを切に願っている。

さて、親戚の新伝さんから、4枚の書画が到着したので、皆様に紹介したい。

無心に祈っている姿
何かを無心に考えている。
お母様の昔の写真より、傘をさしている。

この3つの書画のうちで、最後の3枚目のモデルは新伝さんのお母様である。これは、昔の写真を見ながら、新伝さんは若い頃のお母様を思い浮かべて書画にしたのである。手に持っているのは日傘かと思ったが、横に雪のマークがあるので、これの元になったのは冬の日の写真であろう。でも、赤色と黄色が華やかな感じを与えるので、春か夏の日を思い浮かべてしまった。

次は吉田兼好の『徒然草』の冒頭の箇所である。これなどは、額縁に入れて家の玄関などに飾っておきたいものである。

徒然草の冒頭

若い頃は『徒然草』は心に訴えてこなかったが、私のような老境にさしかかると、兼好法師の枯れた持ち味がわかるようになってくる。

『多言語なニッポン』


柿原武史先生(関西学院大学、教授)、岡本能里子先生(東京国際大学、教授)、臼山利信先生(筑波大学、教授)から、今月出版されたばかりの『今そこにある多言語なニッポン』(くろしお出版)をご恵贈いただいたので、ここに感想を述べながら紹介をしたい。

まず、タイトルであるが、「多言語な~」とあって、普通は『多言語な」という連体詞は使われない。「ニッポン」も通常は「日本」という漢字が使われる。この一風変わった日本語の使い方は、「今の日本の言語状況は従来とは異なるのだ、伝統的な日本語を使ったのでは表現できないのだ」というメッセージを最初から読者に与えてくれる。そのために、読者はこれから何が述べられるのか、とドキドキしてしまう。

本の語り口であるが、ですます調を使ってある。現在の日本、多言語化が進んでいる日本を、筆者たちが実際に見てきた事実をもとに、淡々と語るというスタイルをとっている。多言語化しつつある日本の現状にまだ無自覚的である多くの読者たちに警鐘を鳴らしたいのだが、大げさに騒ぎ立てるというのではなくて、筆者たちの見聞きした事実を淡々と語るというスタイルを取ってある。私には、このスタイルで語られた方が耳にすんなりと入ってくるが、多くの読者も同様であろう。

この本は、165ページであって、ゆっくり読んでも一日で読み上げることができる。9章があって、各章が平均して15ページぐらいだ。順不同で自分が読んでいく中で、メモを取った個所を断片的に述べてゆく。

触手話というコミュニケーション方法があること。
阿佐ヶ谷(現在は荻窪)に、ネパール人学校があったこと。
コプト正教会が京都にあること。
ラインのスタンプを利用して言語教育ができること。
「外国語」という表現を使わないで、「異言語」という表現をすること。
Google 翻訳サービスの精度があがり、人手による翻訳に近づいていること。
「やさしい日本語」を各自治体が興味を示していること。

上記のことなど、自分のよく知らないことなので、勉強になった。

今度の要望としては、絵文字に関する章を改訂版に入れてほしいとおもう。さらには、現在進行形ですすんでいるコロナ感染であるが、「コロナは外国人がもたらす」という認識が生まれ、グローバル化へ進もうとする我々の意識にかなりの影響(悪影響とも言えよう)を与えた。そのあたりに関する章が改訂版に加わると面白いと思う。

なお、この本は、出版社はくろしお出版であり、編者は、柿原武史、上村圭介、長谷川由起子の3先生であり、そのほかの執筆者は臼山利信、岡本能里子、榮谷温子、芹川京次竜、森住衛の先生方である。それぞれがご自身の専門性を生かして充実した内容となっている。値段は1600円とお買い得な値段になっている。

見聞を深めるのか、広めるのか。

年賀状を書き上げて昨日ポストに投函した。裏面の挨拶と近況報告は印刷だ。表面の相手の名前と住所は手書きで書き上げた。

自分が書いた近況報告を読み直すと、ある文章が気になった。「自分は岐阜県の各地を訪問して見聞を深めました」という文面だ。よく考えたら「見聞を深める」は間違いで「見聞を広める」が正しいのではという疑問だ。

ネットで調べてみたら、「見聞を広める」が正しくて、「見聞を深める」は誤用のようだ。しかし、年賀状では、もう「見聞を深める」で印刷して投函したので、すでに遅しだ。

でも、時々は、誤用を用いる人もいるので、まあ、許される誤用だと思う。「見識ならば深める」だが、「見聞は広める」という使い分けを覚えた。

さて、手書きで住所を書いていた時に気づいたことだが、文字が弱々しくなっているのだ。手の筋肉が弱くなっているのか、文字がやや震えていて、力強さがない。まっすぐの文字がまっすぐに書けなくて、震えながらの文字になっている。

もう一つは時々漢字が忘れてしまったことだ。「ご無沙汰」の文字が分からなくなってネットで調べ直した。

来年からは相手の住所もパソコンで印刷にしようかとも思うが、そうすると手書きの習慣はますますなくなってしまう。これも問題だなと考えたりする。

Language and Linguistics in Oceania の第10号を読む。


小松公立大学の岡村徹先生から、Language and Linguistics in Oceania,  vol. 10 の寄贈を受けた。ここに感謝の意を表明して、この学術誌の簡単な紹介をしたい。

この学術誌は、学会 The Japanese Association of Linguistics in Oceania が発行している学術誌である。この学術誌のサイトは以下の通りである。

さて、2018年の7月に発刊された第10号に関して、二つの論文を紹介したい。一つは、林初梅氏による「国語と母語のはざま ー多言語社会台湾におけるアイデンティティの葛藤ー」という論文である。

この論文では、台湾が経験してきた言語文化の変化を俯瞰したものであり、自分のような部外者にも非常に分かりやすかった。

歴史的に(1)先史時代~(7)戦後と7つの時代に分けて、それぞれを説明している。1945年以降の戦後は特に詳しく述べられている。この時代は現代につながるわけだ。この時代は、二つに、国民党が政権についていた時代と台湾意識形成発展期に分けられる。

この時期(2003年)に、中国語を「国語」と表現していたのだが、「華語」と呼ぶかえる運動があったこをと始めて知った。東南アジアでは、華語と華人という言い方をよく聞くが、この動きが台湾にも普及してきたようだ。

台湾では台湾生来の言語を「郷土言語」と呼び、言語間の平等を目指す政策が誕生しつつある。このあたりも、私は、日本の多文化主義と比較しながら興味を持って読んだ。

さて、もう一つの論文「宜蘭クレオールの語彙の様相ー東丘村の場合ー」も興味深く読んだ。これは、日本語と台湾の諸語とのクレオールが存在していて、現在もまだ残っているという話である。

宜蘭(ぎらん)クレオールについては、先日このブログでも、紹介をしていた。

論文を読んで学んだことは、宜蘭クレオールの日本語起源の語は代名詞や機能語がおおいこと、さらには西日本の方言に由来する語が多いことだ。

宜蘭クレオールはゆくゆくは消滅する語かもしれないが、研究調査によって貴重な資料が作られたことは素晴らしいことだ。

この学術誌 Language and Linguistics in Oceania の第10号には、これ以外にも三編ほどが収録されている。一つは中国語で書かれていること、他の二つは、方言の言語的機能に関する論文であったことで、私にはその3つの論文をコメントするだけの力はない。

以上、寄贈をしていただいた学術誌を紹介した。岡村先生には深い謝意を表明したい。

学術誌 LANGUAGE AND LINGUISTICS IN OCEANIA の表紙

 

のぞみ教室を訪問した。

はじめに

美濃加茂市にある外国人児童のための日本語教室である「のぞみ教室」を訪問した。

実は、のぞみ教室は1年ほど前に訪問したことがあり、その時の報告をこのブログの記事「美濃加茂市を再度訪問する」に投稿してある。その時の訪問は科研費による研究の一環であったので、報告書としてもまとめて、「美濃加茂市市民課と国際教室訪問の報告」として、これまた、このサイトに投稿してある。よろしかったら、そちらも参照していただきたい。

今回の訪問は、その後の変化の状況を知りたいと思い、教室の先生がたが忙しいのを承知の上で頼み込んだものである。許可いただいた市の教育委員会の方とのぞみ教室の講師の方々にはお礼を述べたい。以下、概要を述べたい。

のぞみ教室にコンタクトを取る。

前回は同僚の方にコンタクトをとっていただいたのだが、今回は私が直接コンタクトをとって、訪問の許可を頂くことになった。のぞみ教室は美濃加茂市の古井(こび)小学校の敷地内にあるので、小学校に電話して訪問の許可をいただこうとした。しかし、のぞみ教室は美濃加茂市の教育委員会の管轄にあるとのこと、たまたま敷地は小学校の中にあるのだが、許可をいただこうとするならば、教育委員会に連絡をするべき、と案内された。

教育委員会に連絡を入れると担当のKさんから訪問の許可をいただいた。さらにはKさんはのぞみ教室に、当日は先にゆき、私を待っていてくれる、ということであった。ここでKさんとしたが、本当は実名を記しても問題ないと思うのだが、とにかく最近は個人情報の管理がうるさく言われているので、Kさんと記しておく。Kさんと相談の上で、3月15日に訪問することが可能になった。

のぞみ教室を訪問する。

この日は小学校は卒業式のようで保護者の車が多いようであったが、何とか駐車するスペースを見つけた。Kさんはすでにいらしていて、駐車スペースまで誘導して貰った。

教室内でF先生に挨拶をした。F先生は日系ブラジル人で、ボルトガル語を母語とするが、日本語も堪能であり、国際教室のまとめ役としては最適の方であった。

先生方は、コーディネイターの方二人がまとめ役であり、あと10名ほどの講師が臨時職員として教えられている。講師の方々の言語能力は、だいたい2、3言語を話される方々であった。

教室内はそんなに広くはない。職員室が一つ、大教室が一つ、小教室が一つと合計3つの部屋に分かれている。

この教室は訪問者が多いので、子どもたちの親御さんからには、あらかじめその子との説明をして、撮影の許可をいただいてあるそうだ。ここでは、ただ、できるだけ子どもたちは後ろ向き、せいぜい横顔を撮影するように試みた。ただ、全員がそうなっているとは限らないのだが。

大教室で各先生方が教えられている。
一斉授業
一斉授業で教えられている。
のぞみ教室
小教室、主に低学年用の教室だ。

私が入った時は、グループ別の指導であった。それから一斉授業になった。グループ別になったり、一斉になったりと、最も効率が良い指導法が試みられている。

この教室は平成17年に前身のエスぺランザが出来上がり、それが平成19年に現在ののぞみ教室になった。

この子どもたちであるが、だいたい6ヶ月から3ヶ月ほど滞在する。6ヶ月以上いても日本語の能力は頭打ちになるので、それならば、普通教室に入って一般の日本人の児童と一緒に勉強したほうがはるかに伸びるそうだ。

子ども達のバックグラウンド

子ども達であるが、現時点では29名である。主にブラジルとフィリピン国籍の子どもが多いそうだ。一時は日系ブラジル人の数が非常に多かったが、リーマン不況や本国の好景気のために、数が減ったそうだ。でも、最近また増えているそうである。特徴としては、日本に定住を希望する人が増えていて、その分日本語の習得に気合いが入っているそうである。

フィリピン人の子どもさんは、ブラジル人の子どもさんほど熱心ではないそうだ。フィリピンの場合は本国とのつながりがまだ強くて、心が母国の方に向いている点が理由の一つだ、との説明であった。

中国人の子どもさんは一人だけで、この地域ではそんなに多くはないとのことだ。

将来は、ベトナムからの子どもさんが増えそうだと予想されるそうた。現状ではまだ一人もいないが、今後は増えそうだとの説明があった。

教室の移転

こののぞみ教室だが、現在の教室は、環境があまり良くない。昔の体育の物置を改良したものである。天井は音の反射が強くて、子どもたちの音声が互いに聞こえて集中しづらいそうだ。

天井は倉庫用にできている。

現在、30メートルほど離れた敷地に建物建設の準備が進められている。秋頃には、完成するそうだ。その時は、冷暖房が完備して各部屋は音が漏れることも少なくなるようだ。

おわりに

そんなことで、午前と午後の2回に渡って訪問をした。日本に増えつつある外国人児童の日本語問題に取り組んでいる最前線を見せて貰った感じがする。

多忙にもかかわらず、対応していただいた美濃加茂市の教育委員会のKさんとのぞみ教室のF先生には厚く御礼を申し上げたい。

佐藤和之教授(弘前大学)よりメールをいただく。


3月11日は7年前に大地震が起こった日である。この日は数万人の人々の命が失われた日として我らの記憶の中に残しておかなければならない。

本日、やさしい日本語の開発に携わっている佐藤和之先生からメールをいただいた。それを紹介すると共に震災の犠牲者の人たちのご冥福を祈りたいと思う。

研究者の皆様
 このメイルは、「やさしい日本語」に理解を示してくださる研究者の皆さんへ、Bccでお届けしています。

 東日本大震災からまる7年に際しての減災のための「やさしい日本語」資源公開のお知らせとお願い

ご挨拶と御礼
 弘前大学の社会言語学研究室です。この11日で東日本大震災からまる7年になります。被災地の皆さまに改めてお見舞い申し上げます。研究室の教員とゼミ生一同は、東北にある大学として被災地の復興を願い、これからも被災地や「やさしい日本語」で住民支援をしていくとする皆さんの手伝いをしていく確認をしました。
 さて、研究室では本年も「やさしい日本語」資源を公開しましたので、お知らせします。

3月11日に公開した新たな「やさしい日本語」資源
『「やさしい日本語」で表現するカタカナ外来語・アルファベット単位記号用語辞典(カテゴリー㈵対応)』

 カタカナ外来語(以下カタカナ語)やアルファベット単位記号(Wi-Fiなどの略称含む)は、日本語にとってなくてはならないことばです。これらは、自然な日本語として活用されているため、災害時にも多く使われます。日本語として規範的な新聞記事でも「ニーズ」や「コミュニティー」「m(メートル)」「Wi-Fi(ワイファイ)」といったカタカナ外来語やアルファベット単位記号を使っています。
 一方「やさしい日本語」で外国人に情報を伝えようとすると、カタカナ語の言いかえが必要かどうかの判断や言いかえが必要なときにはその表現を考えなければならないなど、一分、一秒を争う災害時でも、カタカナ語の扱いに時間をとられたり、言いかえの表現が思いつかないため、そのまま外国人に通じないカタカナ語を使ってしまうということがありました。ライフライン(級外)が典型ですが、原語と意味が違っていますのでlife lineを母語、あるいは生活語とする外国人にとって難解なだけで無く、誤解されてしまう危険もありました。

 そこで研究室では、災害発生から72時間に必要となるカタカナ語を「やさしい日本語」として使えるかどうか判断し、もし使えないときはどう表現するのが良いのかを例示した用語辞典を作りました。「やさしい日本語」を使って被災外国人の支援をしようとする行政職員やボランティア団体の皆さんが活用することで、災害下でもより早く、正確な「やさしい日本語」での情報伝達が可能になりました。

いつ、どういう方法で公表したのか
 公表物は、3月11日(日)の午後2時46分(東日本大震災の発生時刻です)に、社会言語学研究室のホームページで公開しました。研究室のホームページアドレスは以下の通りです。検索エンジンをお使いのときは「弘前大学 やさしい日本語」とご入力ください。
http://human.cc.hirosaki-u.ac.jp/kokugo/

お願いがあります
 災害時の言語支援を私たちの力だけでするには限界があります。本日、ご案内を差し上げました研究者の皆さんには、「やさしい日本語」で情報を伝える意義をご理解いただき、おそば近くの自治体やNPOの皆さんと一緒に考える機会や時間を作っていただけましたら嬉しく思います。そのとき、本日のような資料が用意されていることにも触れていただけましたら幸いです。
 阪神・淡路大震災から始められた、災害時の外国人に「やさしい日本語」で災害情報を伝える研究は24年目になります。社会言語学研究室は、阪神淡路大震災や新潟県中越地震、東日本大震災での言語的経験を風化させることなく未来につないでいくつもりです。 お力添えを宜しくお願いいたします。

    2018年3月11日

                    〒036-8560 青森県弘前市文京町1
                  弘前大学人文社会科学部社会言語学研究室
                              ゼミ生一同
                             教 授 佐藤 和之
kokugo[a]hirosaki-u.ac.jp(ゼミ生専用)

あの地震は7年前の話になってきた。いつかは風化するかもしれないが、できるだけ私たちの記憶の色褪せない箇所にしまっておこう。