論文の価値はgoogle が決めてくれる。

いろいろな論文がネットで読める。昔と比べるとネットに自分の論文を掲載することに躊躇う人は少なくなってきた。「自分のアイデアを盗まれるのでは」と心配する人もいるのだろうが、公表するということは、一番乗りを宣言することであり、むしろ必要なことであると思われる。

何かを知りたいときは、キーワードを入れて検索することが増えてきた。その時は、いろいろな論文が出てくる。最初のページに出てくる論文はやはり価値は高いのであろう。

これからの時代は、研究者の価値は、いかに多くトップページに出てくる論文をたくさん書くかによって決まっていくと思う。Google が決めるのだ。Google のアルゴリズムが各論文の評価を機械的に決めていく。その論文に対するアクセス数はどれ位か、被リンク数がどれ位あるか、リンクされている先はどれ位権威があるのか、などである。

トップページにある論文はたくさん読まれる。よって強い影響を与える。それによって多くの新しい論文で引用される。引用されることが多くなると、さらにアクセス数がふえる。その分野の研究者はその論文を読んでみようとする。いつの間にやらその論文に権威付けがされる。

現在は論文の価値は査読がある学会の紀要に掲載されたのかどうかがポイントなる。あるいは引用数がどれ位あるかも考慮されるようだ。

Simon / Pixabay

しかし、これからの時代はGoogle検索で何ページ目に現れるかがポイントになっていくだろう。教授昇格や新規採用などもトップページに来る論文を何本書いたかが審査の基準になってくると自分は予想する。

現代でもすでに採用の時は、採用審査の先生たちは応募者の名前を検索して、その人のホームページを見つけようとしている。独自のホームページがなくても、関連する情報を入手する。ホームページがあるならば、それを見て、その人の学問体系や発表した論文を見て、その人のイメージを掴もうとする。さらにはその人の論文のGoogle評価を調べる。

これからの若い研究者はgoogleを意識して、google 検索で第1ページに出てくるような論文を書くべきだと思う。また、できればホームページをきちんと作成して、自分を上手にアピールできるようにしておくといいだろうと思う。

ネット時代における検索とキーワード

自分を振り返ると、何か調べ物をする場合は、すぐに検索、特にGoogle 検索をすることが増えた。友人の動向を知りたいとか、お店の電話番号を知りたいとか、年金について情報を得たいときなど、すぐにGoogle 検索をするのである。

物を買いたいときもGoogle 検索することが増えた。たとえば、胃が痛いときにどんな薬がいいのか知りたいときは、「胃痛」「薬」という検索語で調べると、いろいろと出てくる。大正製薬の「ストパン」とか、三共製薬の「ガスター」などの名前を知った。これらの名前を覚えて近くの薬局で購入すればいい。

あるいは、最近は通信販売で購入することも増えた。「電子辞書」「おすすめ」で検索すると、たくさんのサイトが現れる。通信販売で購入しようとすると、だいたい第1ページにある商品や販売先から選択する。たまには第2ページや、第3ページから選ぶこともあるが、第30ページぐらいから選択することはほとんどない。

この順位はどうやって決まるのか。Google のアルゴリズムが決めるようだ。サイトの訪問者数、その記事の数、そのサイトの歴史など、それこそ、たくさんの要素が考慮される。

企業にとっては自分の商品が上位にランキングされるかどうかが死活問題になる。トップに立てば、売り上げが伸びるが、30ページ目ぐらいに下がれば、売り上げが低迷する。

会社のよっては、Google にお金を払って上位に掲載させてもらう。左端にPRという文字が出ているサイトは、Google に広告料を払ってその地位を確保したのである。

キーワードが非常に大切になる。企業は顧客が検索するだろう検索語(キーワード)をあらかじめ予想して、それに対応したサイトを作り上げる必要がある。Google のアリゴリズムは、サイトのタイトルやサイト内の章名を見ながら、そのサイトの強さを決定するのである。

会社の方ならば、それを意識してキーワードを散りばめてタイトルを作る。「大学生にお勧めの電子辞書、その決定版はこれだ!」のようなタイトルが、Google のアルゴリズムに適していて、顧客に見つけてもらうには都合がいいタイトルだ。

会社がホームページを作成するときは、ただ漠然と構築したのでは効果がない。Google の検索機能を知り尽くした専門家が、キーワードを上手に散りばめながら、サイトを構築してゆく。その意味では、会社のホームページは数億円をかけてもきちんとしたサイト(つまりGoogle 受けのいいサイト)を作るべきである。

現代の神はGoogle である。この神から嫌われるとサイト経由の会社の売り上げは激減して、赤字になってしまう。どんな強気な会社社長でも、Google 神にはひれ伏すのだ。

政治家なども同様である。ある政治家の名前を検索したら、犯罪、汚職、不倫、暴力などの語と関連するサイトが多数出現したらその政治家が選挙で選ばれる可能性は限りなく少なくなる。

問題は、検索が現在はGoogle 検索だけなのである点だ。商品、政治、思想までもGoogle が決めそうである。Googleが政治的にもある種の思想に染まりでもしたら、たちまち世界中に影響を及ぼす。

その意味では、検索もGoogle だけでなくても他の検索サイトも現れて欲しい。何事も独占状態は良くないだろう。

自分の蔵書に関する個人的な話

自分は2016年の3月に前任校を定年退職した。定年退職を迎えるにあたって、一番、頭を悩ましたことは研究室の本をどうするかであった。かなりの量がある。自分の住んでいるアパートには本を置くスペースはまったくない。でも何とかある程度の本は残しておきたい。そのような状況で次のような方針を定めた。

(1)紀要や雑誌類は重要なものはスキャナーで読み込む。それ以外は捨てる。
(2)学生や同僚の先生に関心を持ってもらえそうな本は差し上げる。
(3)半分は勤務校の図書館に寄贈する。
(4)残りの半分は石川県の実家に送る。

夏休み前あたりから、蔵書の処分は進めていった。どうしても愛着のある本、研究する上で大切な本は残しておくことにした。だいたい50箱ほどだが、箱に詰めて、石川県の実家に送った。実家は現在は誰も住んでいない。引っ越しの「サカイ」にお願いして、運んでもらった。送料は10万円であった。

勤務校の図書館にかなりの量の本を寄贈した。大学の個人研究費で購入した本は原則として図書館に返還する必要もあった。

がらんとした研究室を眺めて、「いよいよ自分の研究生活も終わりか。あとは実家の本をきちんと整理整頓して、老後の楽しみに読書三昧の生活か」と考えていた。

そんな時に、現在の勤務校でのお仕事を紹介してもらった。ありがたいお話なので、お受けすることになった。そんなことで、研究生活を今後も続けることができることになったが、本がない。雑誌類は処分してしまった。本の半分は図書館に寄贈してしまった。今さら、寄贈を取り消して「戻してくれ」と言うわけにはいかない。実家に10万円をかけて運んだ本を新しい研究室に持ってくるのは金と費用がまた掛かる。

今はまったく資料がない状態である。であるから、現在の自分はネットで資料にあたることが多い。幸いにも現代は多くの研究者が積極的にネットで研究成果を公表している。面白そうな論文はプリントアウトしてそれに目を通している。

今のところの自分の最大の関心事は、このブログ「言語21世紀塾」を何とか手入れして、人々が使いやすいものにすることだ。特に、言語政策の年表をもっと充実させたい。しかし、肝心の資料を手放してしまった。でも、ネットの資料を丹念に追っていけば、ある程度は年表の充実も可能かなとも考えている。

それから、昨年、何人の方から、論文を寄稿しないか声を掛けられたが、ほとんどのテーマが資料がないために残念ながら辞退せざるをえない。うろ覚えで書くわけにはいかない。やはり資料で実際に確認しながら書く必要がある。今のところ、本がないので、不自由な研究生活を送っている。

ブログのテーマを変える。

2016-04-22

今まで使っていたブログのテーマだが、突然調子が悪くなった。具体的には、メニュー機能が働かなくなったのだ。仕方ないので、いくつかのテーマを試行錯誤して最終的にKelly というテーマにした。これで十分なのだが、不満と言えば、文字が大きすぎることだ。しかし、スマホで見ると別に文字が大きすぎることはない。

また、自分は右左の2コラム形式の画面が好きなのだが、これは1コラムだけである。本当はすべて自分でデザインできればいいのだが、それだけの力はない。それゆえに、人の提供するデザインを借りてきて、そのまま使っている。

今の時代は、スマホでアクセスする読者の方が、デスクトップやノートパソコンよりも多いと言われている。それならば、このブログもスマホ対等を中心に考えるようにしたいと思う。

今住んでいるアパートは朝の7時になると「野バラ」の曲が聞こえてくる。どこから聞こえるのか。近くの小学校か公民館からか、どこからかは分からない。でも、さわやかな曲だと思う。10秒ぐらいなので、そんなに邪魔にならない。なお、シューベルトの作曲ではなくて、ヴェルナー作曲の方の曲である。

平凡な1日

2016-02-25

このところ、ゆっくりと日が流れていく。平凡な毎日である。自分の1日はこんな風な1日である。

(1)朝起きると、トイレに行った後、体重を計る。そしてそれを Everntote というアプリに記録しておく。これは自分にはとても大切なことである。食べ過ぎたり酒を飲みすぎるとすぐに体重に反映される。その数字の推移を眺めることで暴飲暴食にならないで、健康を保持しようという動機づけになる。

若い頃と比べて体重が10キロも増えてしまった。10キロというのは大変重いものである。スーパーに買い物に行った時によく米を10キロ購入する。米を運ぶのは私の役目である。10キロの米袋は大変重い。若い頃と比べて10キロ体重増ということは、こんな重たいものを体に巻きつけて日常生活を送っているのと考えると、たしかに心臓や膝の関節によくないと思う。

体重を軽くして軽快な生活を送りたいと思う。むかしみたいに、階段を息を切らずに上っていきたい。だが、美味しいものを食べたいという欲望も強い。その欲望を抑えるためにも、体重を毎日 Evernote につけることは大切なことである。

(2)通勤は歩いて、そしてスマホで Fox Radio News を聞いている。自分が通勤する時間帯はよく Alan Colmes という人が司会をしているトークショウが面白い。視聴者と丁々発止にやり取りをするので面白い。今はアメリカの大統領戦の話ばかりだ。アメリカでは大統領戦は1年ぐらいから盛り上がり人々の関心も高まる。

不法移民、中東のテロ、ISIS、銃の規制、人種差別、同性婚、中絶の合法化、などが主たる話題だ。日本のマスコミとは本当に話題が異なる。「自由とは何か」ということについて、アメリカ人たちは喧々諤々やりあっている。自分の議論を説得力があるものにしようと客観的な事実を互いに確認して議論を進めようとするアメリカ人の態度は見習うべき点があると思う。

(3)職場につくと、1日の予定を確認する。今は春休みで授業はないのだが、いろいろな会議や研修会がある。自分はその合間に二つのことをしている。一つは英語教育に関する論文や書籍を読んでノートにまとめることだ。面白そうなアイデアを見つけたらノートに書き写して、自分が授業する場合はどうするかなどと考えている。つまり、4月からの授業の準備である。

もう一つは、書類の破棄である。自分はこの研究室を3月末までに引き渡さなければならない。書類を処分しなければならない。学生の個人情報に関する書類はシュレッダーにかけている。そのほかの書類はゴミ箱に捨てている。英語教育に役立ちそうな書類は、スキャナーにかけて Evernote に取り込んでから、捨てている。結構忙しい。

(4)帰りは Fox Radio News を再び聴きながら帰る。時々コンビニに寄ってアルコールを買う。これが自分にとって大きな楽しみなのである。現在は一日置きにアルコールを飲んでいる。コンビニでアルコールは何を買おうかあれこれと思索する。ビール、ハイボール、日本酒、焼酎のどれかを一缶あるいはワンカップだけ買う。今の季節は寒いのでビールはあまり飲まない。

若い頃は2、3缶を飲んだが、今は体力的に無理である。一日置きと定めている。アルコールが飲める日は帰りの道が楽しくなり、ウキウキしてくる。コンビニで何を選ぼうか、ズーツと考えている。一個だけしか買わないので、レジでは袋はいらないと言って、そのまま受け取る。だいたい200円から230円ぐらいの出費だ。

(5)帰ったら、夕食の時は家族と他愛のない話をしながらアルコールを飲みゆっくりと食べていく。アルコールがない時は、正直言ってちょっと寂しい。食事の後は、ネットで人のブログを見ている。自分の境遇と似た人のブログを好んで読む。60代の人のブログなどは生き方の参考によく見る。

昨晩は「親をなくした人」のブログを読んでいた。母親がなくなりもう一年か、父親がなくなり15年が経ったかと思いながら読んでいた。自分は親孝行は全然できなかったな、と悔いの気持ちもある。自分が読んでいるブログの人も同じようなことを書いていたので共感した。

軽く酔って日記や随筆集を読むのも好きだ。『徒然草』『断腸亭日乗』、『病牀六尺』、『仰臥漫録』が自分のお気に入りだ。先人の日記や随筆も読んでみたい。

また、アイデアが浮かぶと自分でブログを、例えばこのブログに投稿したりする。そんなことをしているうちに眠くなり床につくのだ。


こんな感じで、あと10年ほど生きることができれば、そして、その後は、ぽっくりと逝くことが理想かな。

photo credit: Up via photopin (license)
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「ぱくたそ」という無料画像サイトについて

2016-02-14

ブログを書いていると適切な画像があると記事がはえるということに次第に気づく。自分はこの20年間ほどだが一生懸命に写真をとって、それを蓄えてきた。特に海外に行ったときにはできるだけ写真を撮る。それらの写真は、本を書くときなどは、ポイントとなる場所に使ったりして非常に役に立った。ただ、昔は画像は350万画素ぐらいで十分だと言われていたが、近頃は、出版社から私の過去の画像は粗すぎて使えないと言われることが多くなった。

自分が20年かけて集めた写真画像だが、書籍にはだんだんと使えなくなっていく。それで、最近はネットの無料画像サイトを利用するようになった。そして、このブログも無料画像サイトを利用することが多くなった。日本の「ぱくたそ」というサイトをよく利用している。ぱくたそは、高品質・高解像度の写真素材を無料(フリー)で配布しているストックフォトサービスであり、 面倒な利用報告や会員登録の必要はないので、多くのブロガーが利用している。

問題があるとすれば、多くの人がこの無料画像サイトを利用しているので、自分の使用した画像と同じものを他人のブログで見つけることである。つまり、自分のブログの独自性が消えてしまうと感じるのである。自分で格好いい服と思って意気揚々と町中を歩いていたら、至る所で自分と同じ服装の人を見つけてがっくりするという感じである。

それで、近頃は、アメリカのPhoto Pin という無料サイトを利用している。このサイトだと他の日本人のブログの画像とかぶることは少ないようである。ただ、どうしてもアメリカの画像なので違和感がある。たとえば、血液検査の記事に適切な写真を探してもアメリカの病院の写真しかないので、自分のブログに入れても、ちょっと違和感が出てしまう。

適切な画像を求めて、キーワード検索するのだが、そのキーワードずばりの画像は有料である。そのキーワードから若干離れている画像ばかりが無料ででてくるという問題もある。

ただ、このような無料サイトの一番の利点はすでに登場人物の承諾を得ているという点である。写真はやはり人間の顔を載せた方が読み手にとって親しみがわきやすい。自分で撮影した写真だと登場人物にブログに載せるのはいいかと聞き回るのだが、それは面倒だという気もする。携帯でその場で承諾を得て写真を撮る場合もあるが、そのようなケースは少ない。

無料サイトだと承諾を得るという手間が省けるのでありがたい。下に「ぱくたそ」からの画像を置いておく。元気な女の子の写真なので心が和むであろう。

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柴田先生「言問い亭」を振り返る。

2016-02-09

柴田勝征先生(元・福岡大学教授)は「言問い亭」というサイト(ホームページ、残念ながら、このサイトhttp://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/index.html は現在では消えている)を1997年1月から始めている。これは非常に有益なサイトである。言語を軸として数学、翻訳、技術、教育などに関して優れた知見に満ちた記事を20年近く発信してきた。先生が定年退職後にこれらの知見を書籍という形にして、世に発表を始めたばかりの時に他界されたが、これは日本の学問界において非常に惜しまれることであった。

先生は、言問い亭というサイトに、だいたい週一回ほどのペースで記事をアップされて、同時にメーリングリストで知人友人たちにその内容を知らせるのであった。今で言うTwitter のような形式でも発信されていた。そのメーリングリストを読んだ仲間たちからフィードバックがあり、それを基にして考察を深められ、学的な深化が常に行われていた。

サイトの内容をまとめる形でまず3冊ほどの本を生前出版された。花伝社から発刊された『言語vs認知の脳内抗争史 西洋脳と東洋脳をめぐる新たな知の冒険』、『フィンランド教育の批判的検討―学力の国際比較に異議あり!』、『算数教育と世界歴史言語学』である。これらは柴田先生の研究分野がいかに広く深いものであったのか示すものであった。

柴田先生に感心するのは、一般的な定説をあまり信用しないで、すべて自分の頭で考えてみようとする学問的態度である。たとえば、フィンランド教育などはしばしば賞賛の対象になっている。多くの研究者がフィンランドに行き、授業参観などに参加する。帰ってきて論文や書籍などでフィンランド教育を絶賛している。「フィンランドの教育=素晴らしい」という公式は定説化していて、その定説に異議をとなえることには多くの研究者は腰が引けてしまうだろう。

この点、柴田先生は堂々と批判をしている。自分の目で実際に見て、実際に考えたことだけを述べている。決して誰か権威者の言葉を受け売りすることはしない。この点は立派である。それゆえに、柴田先生の言葉は、しばしば「王様は裸だ!」と見抜いてしまう鋭さがある。


さて、期末試験の採点も終わったので、ちょっと余裕が出てきた。これから柴田先生の三冊を再読してみたいとも考えている。

それから、自分がこのブログ「言語21世紀塾」を開設するに当たって、柴田先生の「言問い亭」は参考になった点も付け加えておきたい。柴田先生のような内容のある重厚な学的問いかけはできなかったが、自分自身のストレス解消、学生とのコミュニケーションには役立った。しかし、今後の自分のブログの方向性を考える時期に来ているようにも思える。自分のブログこれからどのような方向を目指すべきか。

photo credit: Walking to the End via photopin (license)
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