学校が静かになってくる。

2016-02-06

今週の水曜日で試験期間が終わった。学校は静かになった。もう売店も食堂も4月1日までお休みである。キャンパス内も人の数はぐーんと減った。まだ授業外で資格講座が開かれているので、そこに参加の学生が少々いるだけである。私は補講の関係で土曜日のこの時間帯も学校にいる。外は雲は少ないが結構寒い日である。

私は今採点で忙しい。さらに書類を一セット仕上げなければならない。なかなか気持ちに余裕がない。これらの仕事を仕上げれば、一息ついて安心するのだが。

先日、iPhone を6sに変更した。その時に、携帯ショップの店員さんからプロバイダーもソフトバンクにすることを勧められた。ソフトバンクにするとiPhone 6s にグレードアップしても毎月の料金は変わらないと言われた。とにかく、「分かりました」と答えて契約に署名をした。すると、数日後に新しい装置が送られてきて、それを端末に接続するようにという解説書が同封されていた。

しかし、面倒臭そうだったので、そのままにしておいた。すると、2月1日に工事が終わったという案内が来て、料金の課金が始まると述べてあった。これまでのヤフーのプロバイダーとソフトバンクのプロバイダーの両方から課金されるのは困ると考えて、私も重い腰を上げて、機械装置を接続する試みをした。しかし、うまくいかない。あれこれ試みて、数時間ほど経過する。

家族が困った顔をして私を見る。光ケーブルを使っているので接続がうまくいかないと、パソコンのみならず固定電話もテレビも使えないのだ。私は諦めて、元に戻して、業者の人に来てもらい接続をお願いしようかなと思っていたら、長男が「俺がやる」と言って私から解説書を取り上げた。

しばらく読んでいたら、「簡単だ」と言って、何やら作業をして、パスワードを打ち込んでいた。すると不思議と接続可能になった。私は狐につつまれたような気持ちだ。

このところ、息子たちのIT能力の伸びが著しい。iPhone もSiri というソフトを使って音声でiPhoneに指示を入れている。対照的に、私は新しい機器を覚えるのが本当に苦手になってきた。昔は、ワープロの頃は、新しい機種を購入するたびに「徹底的に使いこなすぞ」と意気込んでいたのだが、今は新機種へのグレードアップはなかなか操作法が慣れない。本当に苦しんでいる。

先日、Windows 10へと更新したら今まで覚えた使い方がすべて振り出しに戻った。マイクロソフトは使い方の互換性のないヴァージョンアップをしているのではと思われる。

退職したら、パソコンや携帯をやめて、昔ながらのハガキや固定電話の世界にもどってもいいかな、と思うほどだ。静かで締め切りのない生活、書類作成の義務のない生活は素晴らしいだろうと思う。50年前の静かな時代を懐かしむ。

photo credit: D-Link_Mobile_Companion-4 via photopin (license)
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1年前に誕生したブログ

2015-05-26

このブログは1年前2014年5月26日に開設した。それ以来1年経ったのかと思うと感慨深い。はじめは母の様子をたくさんブログに書いていた。母が生きていた頃は、私は週ごとに病院に顔を出し母の様子を観察して、その報告をしていた。関連して、日本の医療制度や介護制度などにも関心を持って、ネットで調べたことなどを投稿していた。

母がなくなってからは、次第に学校でのできごと、研究会に参加した様子などを投稿するようになった。現在は、ブログのあり方、ネット時代のコミュニケーション、広告の意義などに関心を持つようになった。それは、自分がブログを書くようになってから、他人のブログの意図などを推測することができるになった。とにかくブログを書くことでいろいろな気づきがあった。それを箇条書きにすると以下のようになる。

  • ネット時代の日本語の文章の書き方に関心を持つようになった。その視点から他人のブログの文体に注目するようになった。
  • 匿名のブログと顔と名前を明記したブログ、この両者の違い、どのような利点と欠点があるか考えるようになった。
  • ネット時代のプライバシー、ネット倫理の問題に関心を持つようになった。
  • WordPress というソフトに少し慣れた。それとともに、自分は技術面ではまだまだ初心者であることに気づいた。
  • ネットがこれからの時代のコミュニケーションの中心になること、書籍や映画やテレビや新聞よりも影響力が強くなると考えるようになった。
  • ネット時代は自己アピールが大切であると考えるようになった。人々は巧みにアピールをしていて、その技巧に関心が行くようになった。

だいたい、こんなことか。社会構造がネットを中心に再構成されようとしている。言語、文化、社会の総体が再構成されつつある。自分のブログを管理することで、自分自身がその再構成という変化の現場に立ち会えた。そしてその現場を観察して報告している。これは自分にとっては非常に有意義なことである。この1年間は大いに有意義な時間であった。

 

 

パリ見物

2015-02-12

パリの街を見物した。と言っても、グーグルビューでパリの街を見物したのである。ある人からグーグルビューという便利なものがあると教えてもらって、さっそく使ってみた。非常に便利である。まず、自分が昔住んだことがある街などを調べてみた。なるほど、このように変化しているのかと驚いたし、また楽しんだ。自分が小学生や中学生時代の街の面影はなくなって、すべて現代的なたたずまいに変わったのは、ちょっと残念であったが。

世界のどこでも行けるとあって、それではとパリの街を訪問した。パリの街は美しい。時期的に秋の始まりであるのか、まだ街路樹は緑色だが、ところどころ葉が落ち始めている。電柱や電線が全然ないので、町並みがごみごみしていない。Bassano St.という通りをしばらく散歩する。街路樹はのびのびと枝を伸ばしている。日本では街路樹は枝が伸びるとすぐに切り落として、痛々しい姿をしている。パリの街は通りが広いので、街路樹も枝を伸ばす余裕があるのだ。建物は煉瓦作りであり、茶色で統一感がでている。建物の高さは5,6階ぐらいに制限があるようだ。統一感、秩序感がパリの魅力の一つである。

突然、ロータリーに出る。真ん中に馬に乗り剣をかかげた男の青銅の像がある。有名な歴史上の人物なのだろうな。そしてしばらく行くとエッフェル塔が見えてきた。そう、この場所は15年前に実際に訪れたことがある。グーグルの担当者は車でこれらの写真を撮影しているので、歩行者のように動くことはできない。それでエッフェル塔の方向には進めないようだ。どうしても車とともに、車道を進むことになる。一方通行で進入禁止のところでも、グーグルビューは入ることができる。車は反対方向から進んだので、画像は逆方向からでも見ていくことができるのだ。Le Soleil du Franklin という看板の八百屋さんの前を通りすぎる。

そんなことで数時間をつぶす。切りがないので、このあたりでストップするが、これならば、もう現地に行く必要もないなと感じる。将来は匂いや音や空気もパソコンから出てきて、本当に訪問したような気になるのだろう。

研究会「言語・認識・表現」で発表する

2014-11-29

今日は日帰りで東京に出張してきた。「言語・認識・表現」という研究会の第19回年次研究会があり、そこで「インターネット時代の日本語と英語」というタイトルで発表をした。内容は自分がブログを立ち上げる中で感じたこと、特に日本語と英語の表記法の変化に付いて発表した。

朝も帰りの夕方も京都駅と東京駅の混雑には驚いた。東京駅は昔こんなに混雑していたかな?と40年ほど前の東京駅と比較した。やはり外国人が増えている。都内や京都では次から次とホテルがオープンしているが、やはり外国人観光客の増加がその理由だろう。

研究会で、一つの訃報を聞いた。福岡大学と埼玉大学の名誉教授の柴田勝征先生が逝去されたとのことである。18日に電車の中で突然倒れてそのまま帰らぬ人となったと聞く。「言問いメール」という言語に関する鋭い考察が示されたメールを時々いただいていた。毎回そのメールを読むのを楽しみにしていた。専門の数学だけでなくて、フランス語やポーランド語にも深い知識があり、英語と日本語の機械翻訳の問題などを生涯の課題として取り組んでいた人である。ご冥福をお祈りしたい。

殺人事件の93%は….

2014-11-25

昨晩のFox Radio では、Fergusonでの白人の警官による黒人の少年の射殺事件についてGrand Jury Decision(大陪審の評決)を人々は固唾を飲んで待っている旨のニュースがあった。そこで、Meet the Press という番組で二人の識者が激しい論戦をしたことが伝えられる。二人論戦の模様が再生されたが、二人とも興奮していて早口で私にはよく分からない。ただ、白人を擁護する識者は、「黒人の殺人事件の93%は加害者は同じ黒人である。なぜ例外的な白人による黒人の殺人にのみ注目するのか。大多数の黒人による黒人の殺害に注目して、これを減らす為の対策を考えたらいいのでは」と述べていた。

二人の論戦で、どちらに組すべきかは別として、印象に残ったのは、論者達は興奮しながらも数字を挙げて何かを証明しようとしていたことである。日本人ならば別の論戦方法を取るだろうと思われる。数字、具体的な事項をアメリカ人は好む。

永井荷風の『摘録 断腸亭日乗(下)』に次のような文章がある。昭和15年の5月16日に書かれた文章で「余は日本の新聞の欧州戦争に関する報道は英仏側電報記事を読むのみにて、独逸よりの報道また日本人の所論は一切これを目にせざるなり」(p.91)がある。

この当時、永井荷風のように、若くしてアメリカ、フランスに行き、西洋事情に明るくて、またフランス語が堪能でフランス語による情報も得ることのできる人は稀であろう。一般の人々は、新聞かラジオでニュースを聞くのみで、情報を吟味して選択する力はなかっただろう。繰り返し流される報道に、何かおかしいと感じながらも、次第に洗脳されていく。

現代では、メディアリテラシーの重要さが叫ばれている。日本のように多くのメディア媒体があり、比較的自由にその媒体を選べる場合でも、偏見や視野狭窄に陥ることがある。比較的客観的であると思われる数字でさえも作為的に作られる。マスメディアの報じる数字のからくりを知りたいと思う。とにかく心がけてマスコミに接しなければと思う。
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クリティカルシンキングに最近関心を持っている。ネットを見てみたら、「批評」(クリティック)とは、19世紀後半にフランス新カント派のルヌヴィエ(Charles Renouvier)が、カントの三批判(純粋理性批判、悟性批判、判断力批判)にインスピレーションを受け、主観的な文献解釈を総称してクリティークと言ったことで、この言葉がよく使われるようになったとあった。この考えが、カントに由来するとは知らなかった。