老人ホームと『異邦人』

2015-11-12

私は小学生の頃、石川県の田舎に住んでいた。そして数キロ先の山の中に「養老院」ができたという話を聞いた。自分には何か不気味なところ、死に面した人々が収容されるところ、と感じた。「死の匂い」がして何か近寄り難いところ、近くには行きたくないと思っていた。

大学生の頃、カミュの『異邦人』を読んだ。そこには母親が養老院で死んだ話から始まる。そして主人公は葬式に参列するために、養老院にバスに揺られながら向かう。養老院では母の友人たちと出会うのだが、その人たちは魂の抜けた、ロボットのような存在として描かれていた。(これはもちろん主人公の視点からそのように見えるということだ)

カミュの『異邦人』はその後何回も読み返した。英訳で読んでみたり、フランス語の原文でも2回ほど読んだことがある。毎回不思議な感動を覚える。主人公のムルソーは自分と似ている、現代人の多くは、自分では気づいていなかったが、自分にはムルソーと同じ部分がある、と思うのではないか。

そして、それから数十年が経過した。今65歳になった自分がいる。この年だと老人ホームに入る有資格者になったのである。どこのホームも入所は65歳を越えてからと明記してある。

養老院という言い方は差別語として使われなくなった。おそらく「死の匂い、老いの匂い」を嫌って打ち消すために「老人ホーム」という言い方が好まれるようになったのであろう。

そして自分が実際に母親を「老人ホーム」に預けて、お世話になり、そして病院で看取るという経験をしてみると、カミュの『異邦人』にかなりおかしな部分があることに気づくようになった。人生経験の未熟な青年の書いた本である、と感じるようになった。

実際の老人ホームはホーム内には特有の匂いがする。オムツを替えたりするので大便小便の匂いと、それを打ち消すためアルコール消毒液の匂いがする。『異邦人』には、その点が無頓着である。なんの匂いも感じられない。無味乾燥した世界として描かれている。

母親が病気になったら、養老院から連絡が来て「病気なので引き取ってくれ」と言ってくるはずである。それが『異邦人』のように、突然電報が来て「母親の死を悼む、埋葬は明日」ということがあるか?70年ほど前にフランス植民地のアルジェリアでの出来事であっても、これは首を傾げてしまう。

葬式を養老院が勝手に行うことがあるか?そもそも葬式代の負担は誰がするのだろう。埋葬場所を息子であるムルソーと相談しないで勝手に決めることがあるか。金銭的なやりとりもあったはずだが、この話ではでてこない。

と疑問に思うことばかりである。そんなことから、この小説はカミュは実際は養老院に行かずに執筆したのではないかと思っている。つまり頭の中で作り上げたのではと思うのである。もちろん、だからと言ってこの小説の魅力が失われることはない。主人公の異端的なところが魅力なのである。

なお、この小説では養老院を asile とあるが、辞書で調べると現代では maison de retraite と言うそうだ。フランス語でも言葉の言い換えが進んでいるようだ。

さて、自分がこの数年は母の介護関係でいろいろな施設にお世話になった。そしていろいろな老人ホームにお世話になり、実際はどのような世界なのか知ることになった。昔、子供時代に感じていた不気味さはもはや感じない。むしろ逆に自分はこの世界に属するのだという感じさえある。

カミュの『異邦人』であるが、不思議な魅力をたたえた本である。若い人が読んでも面白いし、中年が読んでも、年寄りが読んでも、感銘する部分がある。

ところで、訳に関して、自分はこの本のタイトル L’Étranger を「異邦人」と訳していいのだろうか?「異界人」とか「異端人」の方がいいのではと思っている。この話は長い話で簡単に説明できないが、いつかはこのあたりの自分の感想をブログに記してみたい。文学評論などは自分は今までやったことはないのだが、退職後はそんなことも試みてみたい。

photo credit: The Man Who MadeThinking Cool via photopin (license)
photo credit: The Man Who MadeThinking Cool via photopin (license)

 

 

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子規を相変わらず読む

2015-07-24

子規の『墨汁一滴』を読んでいる。5月12日の記述で気になったところを抜き出す。

繃帯ほうたい取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかば膿うみしたたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽く拭ぬぐはるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
浣腸(かんちょう)すれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結(ひけつ)せしと見えたり。進退谷きわまりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。

読んでいると苦しくなる。そして自分の母の末期を思い出す。母も最後は自分で排便ができなくなった。それで、毎朝浣腸をしてもらっていた。寝返りも自分ではできずに、看護師さんが来ては、2時間ごとに体の向きを変えていた。床ずれを防ぐためである。

子規は当時としては最高級の治療を受けていたようだ。新聞社と子規から毎月給金をもらい、母と妹もそのお金で生活していたようだ。そのために、子規に対しては遠慮しながら看病していたようだ。包帯を毎日変えて、好きな食べ物を買ってもらい、口述筆記なのか、毎日庭を見ながら所感を述べ、と絶望的な病状の中にあって、なんとか執筆活動が続けられたのも彼の資力があったからである。

科研成果報告書

2015-05-17

今日はとある研究会に参加して発表を聴く予定をしていたが、風邪と花粉症で体調が良くないので、欠席をする。体調がすぐれない時は、おとなしく家でじっとしていることがいいだろう。

ところで、自分はある科研のメンバーに参加していたが、その研究成果報告書が出来上がったので、紹介したい。「日本におけるマイノリティー言語に関する実態調査と言語支援開発」という研究で、平成23年度科学研究費補助金(基盤研究C、課題番号23520706)を受けて進められた研究である。研究自体は昨年度に終了していたが、成果報告をどのようにまとめるかで、いろいろと意見調整を行い、ようやく刊行されたのである。

研究代表者は斉藤先生、分担者として高垣先生、木村先生、Wright先生、そして河原である。日本に定住する言語マイノリティーの実態を調べて、言語サポートして何が可能かを探るという内容であった。アンケートをしたり、外国にも行ったりと大忙しであったが、なんとか報告書が刊行されることになり、取りまとめをされた代表者の斉藤先生にはお礼を述べたいと思う。私は「外国人高齢者に対する言語サービス」という報告書を執筆させてもらった。これは自分が母親の介護をこの数年してきたことで、色々知り得たことなども情報として使った。この分野の研究はあまりないようなので、自分は、今後もう少し考察を深めたいと考えている。

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仰臥慢録(ぎょうがまんろく)

2015-05-09

今日は洛南のイオンに行く。その中の本屋に行って、3冊ほど本を買う。一つはホームページの作り方の本で他の二つは岩波文庫からでている正岡子規の本である。『仰臥漫録』『病牀六尺』を購入した。家内がショッピングをしている間、わたしはソファに腰掛けて、『仰臥漫録』の方を読んでいた。これは正岡子規の結核がかなり重たくなっている頃の話で、正岡子規の心中を察しながら読んでいった。(2月8日のブログでも正岡子規について述べた。)

彼は、20歳を少し超えたあたりで、結核に冒されて、最後の7年ほどは寝たきりの生活になった。34年間という短い生涯だったが、日本の文学界には大きな影響を与えた。この『仰臥漫録』は、彼の晩年の様子を語った日記である。わたしはブログを書くようになってから、人のブログや古い時代の人の日記などを読むようになった。この本は正岡子規のブログであると考えたい。寝たきりになった正岡子規にとって、寝床から見える風景と食事、看護、訪ねてくる友人との語らいだけが自分の世界になってしまった。1901年9月11日には次のように記してある。

九月十一日 曇
便通 及 繃帯取換
朝飯 いも雑炊三碗 佃煮 梅干
牛乳一合 ココア入 菓子バン
便通
昼飯 粥三碗 鰹のさしみ 鯏汁
間食 煎餅十枚ほど 紅茶一杯
夕飯 粥三、四碗 きすの魚田二尾 ふき膾三碗 佃煮 梨一つ

だいたい、こんな感じで自分が食べたものを熱心に書きとっている。詳しく毎日記してあるのだが、病人の割には食欲は旺盛なようだ。もっとも食べ過ぎで、よく腹痛をおこしている。さらに、便通があれば、きちんと「便通」と記していることから、便通があるかどうかが本人にとっての関心ごとであったことが分かる。便通があれば確かに体はすっきりとする。

看護する人も大変だったろうと推測する。繃帯の取換が頻繁に記されている。9月14日には、「腹痛いよいよ烈しく苦痛たえがたし この間下痢水射三度ばかりあり 絶叫号泣」とある。死病にとりつかれ、自分の人生は長くないことを知っている。しかし、時々は句作をしたり、庭の植物の様子を墨で描いている。毎日どのようなことを考えていたのか。彼の心を推し量ると読み続けるのが苦しくなる。

私は現在はまだ健康である。特にどこか痛いとかいうこともない。しかし、これからは分からない。もしも自分が死病に侵されたと知ったならば、私はショックで無気力になり、何もできなくなるだろうか。あるいは、正岡子規のように何か表現をしていく。何か生きた証を残しておきたいと考えることができるか。まあ、実際にそのような事態にならないと、自分がどう反応するかは分からないのだが。

3人の卒業生が訪ねてくる

2015-03-08

一昨日イオン銘柄の焼酎を飲む話を書いた。そして、その味だが、可もなく不可もなく、というところだろう。最近は原則として酒は飲まないことにしている。しかし、このところ、寒い日が続くので、帰りにコンビニに立ち寄って、何か一カップだけ購入して燗して飲むことが増えた。購入するのはたいていは、200円前後の安焼酎である。

先日、イオンに行った日も、寒いので身体を温めるためにも、何かを買おうと探していたら、見慣れない焼酎、イオン・オリジナルの焼酎を見つけた。さて、家に戻り、燗して飲んでみた。焼酎特有の鼻につーんとくる匂いがする。焼酎を好きな人でないと、この匂いは苦手と思う人がいるかもしれない。ぐいぐいと飲んでみる。そうだな、コンビニで自分がいつも買う安焼酎と同じ程度の美味しさかと思う。

しかし、本当のことを言うと、自分は、焼酎はどれを飲んでも同じような味をしていると思う。以前、紫蘇から作ったというタンタカタン(鍛高譚)という焼酎を飲んでことがあった。これはさすがに一般の焼酎とは異なる味がした。紫蘇独特の辛い味か。自分の12月16日のブログにその味について語っている。タンタカタンのような個性的な焼酎をのぞいては、あまり違いが分からないというのが自分の味覚に関する本音である。焼酎に飲み慣れるともう少し細かい差異が分かるようになるのか。もっとも、自分は禁酒しようとしているのだが。

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今日は卒業生3人が訪ねてきてくれた。3人とも同期で、年齢は20代のちょっど真ん中で人生で一番楽しい時期ではないか。ケーキを持ってきてくれたので、再会を祝って皆でケーキを食べる(ケーキの写真は下にある)。3人にこのブログの話をした。さっそく興味を持ってくれて、今度から定期的にこのブログを訪問してくれるという(お願いします)。3人の名前をHさん、Fさん、Nさんとしておく。それぞれの近況を聞いた。ただ、仕事に関することは、企業秘密もあるので、詳しくは書かないでほしいと言われている。概要だけを述べる。
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Hさんは、特別支援学校で小学校に入る前の子供たちのお世話をしている。ただ、今度の4月からNPO法人に転職するとのことである。ただし仕事の内容は支援の仕事を続けるようである。また、Hさんは奇跡の一本松(岩手県陸前高田町に大震災にもかかわらず生き残った一本の松)から作ったという念珠を見せてくれた。奇跡の一本松だが、やはり根元が腐り生き残れなかったとのこと、その松を記念するために、その木材からいろいろな記念品が作成され、念珠はその一部である(写真は下にある)。なお、Hさんは近々結婚するとのこと、末長くお幸せに!
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Fさんは、介護施設に働いている。最近は忙しくなり、デイとショート(デイとは日帰りで利用者が利用することであり、ショートとはショートステイ・利用者が短期滞在すること)の両方を兼業するようになったと言う。いろいろと経験も積んできたので、これから初任者から実務者へとスキルアップする予定と聞いた。また将来的には介護福祉士の資格と取りたいとも言っている。Fさんは、キャリアアップへ向けて努力している。資格取得の成功を祈って!(昔、Fさんと一緒に回転寿司を食べたことがある。Fさんはイカをたくさん注文したことを思い出した。Fさんはイカの全てが好きと言っている)

Nさんは、今は保育士を目指して専門学校で頑張っている。レポートを提出して全ての科目の単位も取得済みなので、あとは正式の卒業を待つだけである。卒業してからは次のハードルである保育士試験を受験するそうである。8月8日と9日の二日間に渡って受験する予定とのこと。Nさんは、ゆっくりとかけて、2年以上をかけて科目を合格していくとの希望を話してくれた。保育士の試験だが、Nさんの合格を祈って!

3人の写真を撮ってみる。しかし、3人は顔をブログに載せるのは控えたいとのこと、その代わりに両手を撮影してこれを顔写真の代わりにする。3人はこの手でもって、これから自分の夢をしっかりと掴んでもらいたい。
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老いの迎え方

2014-02-07

母が亡くなってから3週間ほどが経つ。母を介護することでいろいろなことを学んだ。人がどのように老いて(衰えて)死を迎えていくのか間近で見たのである。今までの自分は人の老いて死んでいく姿を近くで見たことがない。

自分が中学生の頃、母親の実家には、まだ曽祖父が生きていた。ただし、立ち上がることはできなかった。寝床から這いずりながら自分の尿瓶の中身を外に捨てにいく姿を覚えている。強い臭いがして、「老い」という言葉と曽祖父のその姿が結びついている。その頃は、家で死を迎えることが多くて、子供たちは自分の祖父母や父母が亡くなっていくのを体験して、実感することができた。

今は、死は病院で迎えることが多くなってきた。そのために、子供たちは昔のように家族の年長者の死を体験する・実感する機会がなくなってきた。自分の子供たちも2,3か月に一回ぐらい母の見舞いに病院にいく程度だった。それも30分程の時間である。何かを感じたり、学んだりするには時間が足りなかった。子供たちは、母の死をあんまり感じていない。別世界のことであり、自分とは無関係と感じているように思える。観念的には人は老いて・死んでいくことを知っている。でもそのことをちゃんと実感しているのか、と子供たちに聞いてみたい。

母の若い頃の写真を見ると背筋もちゃんとまっすぐで元気いっぱいである。それが徐々に背中が曲がり、杖をついたり、手押し車で外出するようになった。しかし、外出できるのはまだよい。次第に身の回りの始末ができなくなり、施設に入ることになる。しかし、施設に入るといっても簡単ではない。いろいろと探しまわり、お願いしながら何とかケアハウスに入れてもらった。費用もかなりかかる。

体の衰えとともに、入る施設も特養や老健になっていった。そして、決定的なことは軽い症状だが、脳梗塞を起こしたことである。それで食事ができなくなった。医者の勧めで胃瘻の手術を行い、そこから栄養補給となった。それから寝たきりになったのである。胃瘻の手術のおかげで母の寿命が1年半伸びたのであるから、お医者さんに非常に感謝している。病院に行くたびに、痴呆症の進む母親と会話をして、それを時々はevernoteに録音していた。しかし、胃瘻も徐々に難しくなり、点滴で栄養補給へ、そしてほとんどの血管がボロボロになり、点滴もむずかしくなり、お腹に直接注射となっていった。最後の段階では、足などがむくんで驚くほど変形してしまった。

次の自分の番だが、どうしたらいいのか。とにかく準備が必要だということが分かった。施設に入るには、ある程度お金が必要である。母の時は、遺族年金で何とかやりくりできたし、やや値段の高い施設でも月に2万円ほどプラスするだけで何とか月々の使用料は払うことができた。それには貯金をしておく必要がある。それも自分だけでなくて、家内の分も用意しなければならない。そのあたり、子供たちにも言い含めておく必要がある。

葬式もお金がかかる。金銭面で子供たちに迷惑をかけたくないというのが本音である。しかし、どうしても協力をお願いせざるをえなくなる場合もある。そんなことの段取りは、いままで避けてきたが、やはり直面しなければならないことのようだ。

自分の定年退職の時期が近づいている。定年後はもう働きたくないと思うと同時に、やはりある程度は社会とつながりを持っておくべきとも考える。この15年ほど常に何かに追われるような気がしてきた。特に本を書くことで時間に追われてきた。いままでに20冊ほど編者として本を出版することができたが、これは正直言って大変なストレスであった。原稿の締め切り、執筆者への督促、校正などである。本の複数冊の出版が同時進行的に続き、机の上に日程表を貼って、それを見ながら、常に残り日数を数えていた。

そんな毎日で何が楽しかったのかなと思う。本を読んでいても、自分の書く本のネタ探しという性格が強くなり、楽しんで読むことができなかった。観光地に行ってカメラで写しても、この写真をいつか挿絵として使いたいというような打算的な気持ちになる。そうするともう楽しめない。

いろいろあったが、自分は人生を楽しむべき時期にきたとも思う。しかし、何を楽しめばいいのか。そんなこと何も考えてこなかった。自分はどうも定年退職後は虚脱状態になり、燃え尽きてしまうかもしれない。でも、定年までまだ1年ほどあるので、ゆっくりと身の振り方を考えよう。

『言語と格差』(杉野俊子・原隆幸、編者)明石書店

2015-01-28

『言語と格差』という本が明石書店から発売された。この本は杉野俊子、原隆幸の両先生が編者となられて、全部で19名の執筆者が参加して完成した本である。「差別・偏見と向き合う世界の言語的マイノリティ」というキャッチフレーズが本の表紙に書かれている。私も執筆者の一員として、第三章「外国人高齢者への言語サービス」を執筆している。これは自分の母親を介護した経験、さらに知人の外国人達が苦しんでいる姿を見て感じた問題点などを、この章の中に書き込んでいる。

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次に目次を紹介しておく。なお出版社へのリンク先は次の通りである。http://www.akashi.co.jp/book/b193302.html
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まえがき

第1部 日本のなかの「言語と格差」

第1章 手話と格差―現状と今後にむけて

 コラム1 琉球側の視点から視る「琉球諸語」と「琉球の歴史」
 コラム2 樺太アイヌ語の場合――絶滅言語研究者の立場から

第2章 日系ブラジル人――時空を超えた言語・教育と格差の中で

 コラム3 中国から来日した女性たちの生活と言語の格差

第3章 外国人高齢者への言語サービス

 コラム4 「英語格差(イングリッシュ・デバイド)」現象をめぐって
 コラム5 今、帰国生に求められるもの

第2部 世界における「言語と格差」

第4章 教育改革と言語的弱者――コモンコア(全米共通学力基準)・アメリカ教育改革の現状

第5章 アメリカにおける言語格差と双方向バイリンガル教育

第6章 ニュージーランドのマオリ語教育に関する考察――バイリンガル教育における文化的格差

第7章 カナダの少数派――フランス語系カナダ人と移民

 コラム6 西欧語によって結ばれるアフリカ・分断されるアフリカ

第8章 アラブ首長国連邦(UAE)ドバイにおける英語と経済―UAEナショナル/エミラティの女子大学生の意識調査に基づく報告

 コラム7 多言語国家パプアニューギニア独立国

第9章 インドにおける言語と学校教育――社会流動性と格差の再生産

 コラム8 タイにおける少数派グループの教育と社会階層
 コラム9 ベトナムの少数民族の教育と言語問題

第10章 香港とマカオにおける言語教育―――旧宗主国の違いは言語格差をもたらすのか

 あとがき