マイナス3度である。

2016-01-25

京都は現在外の温度はマイナス3度である。雪がところどころ積もっている。この数日は西日本は異常な寒さであり、沖縄や台湾でも雪が降ったと聞く。沖縄や台湾の人々は驚いたのではないか。

自分は石川県に住んでいたので、雪には慣れている。京都に引っ越しして一番嬉しかったことは、冬に雪の心配をしなくていいことである。石川県は公共交通機関はあまり発達していないので、どうしても移動は自家用車に頼らざるを得ない。通勤も自家用車であった。

雪が降っても職場に行かねがならない。雪が多い時は本当に困った。とにかく雪道ではゆっくりゆっくりと安全運転を心がけた。おかげさまで冬でも一度も交通事故は起こさなかった。

石川県は春、夏、秋は天国みたいなところである。自然が豊かで食べ物も美味しい。水道水も平気で飲めるし、家賃などの物価も安い。金沢へ行けば、洗練された都会の雰囲気を味わうことができる。温泉もあり、名所旧跡もあり、観光にはもってこいの場所だ。

だが、雪は困る。寒さは我慢できる。厚いオーバーコードを着てマフラーと帽子をかぶればなんとかなる。屋内ではコタツに入っていればそれでいい。だが、雪はどうしようもない。自宅のガレージに車を入れるのが一苦労である。雪をスコップで除雪してから車を入れる。外出する時も同じである。まず、大通りまでの雪を除けるのである。

大雪の中、車をノロノロ運転していくのは楽しいものではない。

石川の家は一軒家で冬は寒い。家と家との間は空いている。隣の家の暖かさがこちらに伝わることはない。石川県の家で一階にストーブで暖房をとっているが、何か物を取りに二階に上がるときには、2階の寒さにブルブル震える。京都のアパートは下の階の住民も隣の住民も暖房を入れているので、そこから熱が伝わってきてアパート全体が暖かい。

たしかに、石川県は寒いのであるが、それは我慢できる。どうしても我慢できないのが雪である。雪の降らないところに住みたいと長年願っていた。京都に職を見つけてその願いが叶ったわけであるが、さて、退職後は石川県に戻るわけである。体力的に衰えた自分が石川県で生きていけるかどうか、ちょっと分からない。

photo credit: Snow - January 2013 via photopin (license)
photo credit: Snow – January 2013 via photopin (license)
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研究室の本の搬出を始める

2015-12-01

来年の3月で定年退職となる。そのために研究室の本の搬出を始めている。京都にある自分のアパートには、とうてい本を置くスペースはない。それで石川県の実家(両親ともなくなり今は誰も住んでいない)に本を送ることにした。雪が降り始めると実家に本を送るのは難しくなるので、雪の降る前の今週中に送りたいと考えて準備していた。

段ボールをいくつか集めて少しずつ箱詰めをしていた。数えてみると40箱になった。まだ研究室に本はかなり残っているが、全部実家に送るわけにはいかない。授業がまだ数か月あるので、最低限の教材、辞書、参考書は手元に必要である。

お願いする運送業者はどこにするか考えた。今までの経験から「サカイ引越センター」にお願いすることにした。今までに2回ほど引っ越しをお願いしたが、テキパキと仕事が早いという印象を持っていた。

サカイ引越センターの京都南支社に電話を入れる。電話のコールは一回で電話がつながる。いつもながら応対のこのスピードはすごいと思う。本を京都から石川県まで運んでほしい旨を述べると了解とのこと。メモを見ながら次のことを告げる。

(1)本を運んでほしい。箱は平均して縦横高さで47×33×25ほどの大きさ。全部で40箱である。
(2)今週の金曜日の4時以降に取りに来てほしい。そして、翌日の2時頃に実家に搬入したい。

すると電話の向こう側で、そのサイズだと箱の重さは平均して15~20キロぐらいだと計算してくれた。また専用のトラックを使う必要があると言われた。見積もりは10万円とのこと。自分では7万ほどと思っていたが、まあいいかと思う。他の業者に電話して、見積もりをとり比べてみたい気もするが、とにかく急いでいる。今週中には搬出しなければならないのでその条件で成立する。

支払いは出発前に払ってほしいとのこと、また消費税をプラスしてほしいと言われた。金曜日に108,000円払うことにする。自分の貯金はまだあるかな?

自分の方の準備としては、(1)壊れやすいスタンドとかスキャナー、DVDは自分の車で運ぶので、それらの箱詰めをしておく。それはだいたい5箱ぐらいになる。(2)すのこを6枚ほど買う予定だ。実家の玄関にとりあえず置いておくが、床はセメントなので、直に置くと湿ってしまう。すのこを用意してその上に箱を積むことにした。湿気防止である。

あと、大切なのは、(3)実家の鍵である。以前、実家の掃除をしようと京都からはるばる出向いて、鍵を忘れてしまい、中に入れなかったことがあった。今度はそんな失敗はしたくない。

今週の大きな仕事は本の移動である。重たそうだな。腰を痛めなければいいのだが。

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研究室の本を少しずつ搬出する

2015-09-13

研究室の本を少しずつ搬出している。どれくらいあるのだろうか。これらの本を移動して研究室を空にするというのは大変な作業だ。段取りを決めて要領よく行わなければならない。図書館から貸し出しの本は全て返却した。また研究費で購入した本も返却した。おかげで、かなり本の量が減った。しかしそれでもかなりの本が残る。さらに捨てる必要がある。

問題はどこに搬出するかだ。今住んでいる京都のアパートは余分のスペースは全くない。金沢郊外にある自宅は自分の部屋はあるが、新たに置けるのは、せいぜい本は3,4箱ぐらいだろう。その部屋にはすでにたくさんの本が置いてある。すると能登半島にある実家に持っていくしかない。そこはかなり広い。玄関先から居間までに50箱ぐらいは置けそうである。ただ、コンクリートに直に箱をつけると湿ってしまうので、スノコをたくさん購入する。スノコの上に置けば湿気対策になると思う。さて、必ず残しておく本は以下のようなものである。

  • 自分の書いた本や雑誌
  • 人から寄贈された本
  • 自分が何ども読んだことのあるお気に入りの本
  • いつかは読んでみたいと思っていた本

以前金沢の大学に勤務していた時に研究室にたくさんの本があった。金沢から京都の大学に異動した時に、それらの本の半分は実家に送り、半分は京都の大学に持ってきた。だいたい50箱ほどに積み込んで移動してきた。今回はそれらの本+増加分の本を実家に送るのである。10年間で結構本の量が増えた。取捨選択を行わなければならない。

雑誌は全部捨てることにした。言語学関係の貴重な資料もたくさん捨てた。これで自分は言語学の研究は今後は無理かなという気がしてきた。ただ、授業で使うので英文法関係の書籍は残しておくことにした。今後は研究者という形ではなくて、アマチュアとして「ことば観察日誌」を書き綴っていきたいと思う。

ありがたいことに近年は電子書籍が普及している。kindle を使えば紙の本の必要性は減る。自分は kindle にはすでにたくさんの量の本をダウンロードしている。有料で購入した本は少なくて、ほとんどは無料でダウンロードした本である。著者が他界してから50年以上経った本は著作権が切れる。それで kindle は宣伝も兼ねて古典的な本はすべて無料でダウンロードできるようにしてある。そのシステムを利用したのだ。

自分のkindle はもう数千冊の本がダウンロードしてある。それを読むだけでも数百年以上かかるだろう。であるから研究室の本はすべて処分したとしても読む本がなくなって困るということはない。ただ、何回も利用して書き込んだ本などは愛着が残る。これらは持っていきたい。

そんなわけで、いろいろな思いを抱きながら毎日少しづつ本を捨てたり、勤務校の図書館に寄贈したり、と研究室の本の処理をしている。

Evernote Snapshot 20140519 142900

書籍の搬出

2015-08-04

私は今年度で定年退職である。自分にとって大きな問題の一つは研究室がなくなることである。研究室の中にいろいろな本や資料を置いてある。論文を書くときや発表をするときは、これらの本や資料を見ながら、原稿を書いていく。たくさんの本や資料を一緒に広げて、あちこち目を通しながら、自分の考えをまとめていくのだ。

今は、京都の賃貸マンションに住んでいる。そこでは自分の勉強部屋がない。子供二人に部屋を取られてしまい、自分はリビングの隅っこに小さな本箱を置いてあるだけである。研究室の本をこのマンションに持ってくることは物理的に不可能である。

石川県の実家にはまだスペース的な余裕があるので、そこにこれらの書籍や資料を持っていく予定である。石川県は12月ごろから雪が降り始める。大雪になることもある。大雪の中での本の搬入は難しい。そんなことから11月の終わり頃までには研究室の書籍をすべて実家に運びたい。

現時点で、2冊の本の編集と2本の論文の執筆の仕事が残っている。これらを11月ごろまでには完成させたい。できたら夏休み中に仕上げたい、と考えている。そして、夏休み明けからは、手頃な大きさの段ボールを集めて本の箱詰めなどを始めたいと思っている。

自分はすぐには故郷に帰らないで1年間は京都に住む予定だ。非常勤という形で何コマかは仕事をする予定である。京都のこのマンションに住む間は、論文を書いたりすることはできない。自宅のソファに座って kindle で本を読むだけであり、知的生産は無理である。

そのことを意識して、この数年は紙の本は買わなくなり、できるだけ電子書籍 kindle で本を買うようにしてきた。ただ、石川県に戻ったら、自分の書斎はあるので、そこに本や資料を広げてまた何か執筆することは可能かなと考えている。しかし来年1年間はどうやって過ごすか迷う次第である。

せっかく京都にいるのだし、あと1年間しか住むことができないのならば、 高級カメラを買って寺社めぐりをして写真を撮るのも一興かとも考える。でもカメラマンの人達が重そうなカメラ一式を運んでいる姿を見ると、自分は安いコンパクトカメラで写真を撮るのがせいぜいだなと感じる。

まあ、いろいろと身の振り方を考える今日この頃である。

アパートの賃貸借契約更新

2015-06-30

「契約更新のお知らせ」が不動産会社から送られてきた。文面は「日ごろは当マンションをご使用いただき、また管理にご協力くださりありがとうございます。さて、上記物件における貴殿との賃貸借契約が平成27年8月22日を以って満了いたします。引き続き更新を希望される方につきましては、下の①〜⑥の要領で更新手続きをお済ませください。」とあって、アパートの賃貸借契約更新約定書が同封されていた。

そうか、更新手続きの年なのだ。これと合わせて、入居者保障制度にも継続加入すること、賃貸保証委託契約をしている場合は、こちらも更新するようにとの通知もあった。トータルでいくらぐらいなのか、とにかくこの更新料なるシステムは京都と首都圏だけの特有のものらしい。

実は、裁判で不当だと訴える人がいて、次のような記事をネットで見つけた。「2009年7月23日、京都地裁において、賃貸マンションの更新料が「無効」であるとの判決が下されたのをはじめ、同年8月27日の大阪高裁、同年9月25日の京都地裁でも、「無効」の判決が言い渡されました。」

この更新料というシステムは実際の家賃を分かりにくくしているのである。安いと思って契約しても、更新料を二年後に払うとなると、予算計画が狂ってしまう。最初から、その金額を分割して毎月の家賃に加算しておいてくれた方が分かりやすい。低い家賃を提示して、それに引き寄せられて顧客が来るようにするのは姑息なやり方である。

と、いろいろブツブツ言うが、とにかく支払うことにする。連帯保証人の印鑑証明が必要とのこと、妹に連絡して送ってもらわなければならない。また、長男の留学の時期が迫っていて、そちらも金が必要だ。上手に、やりくりして、なんとか生きていかなければならない。

ところで、窓から見える夜景が以下のような風景だといいな、と自分の願望を込めて写真を貼る。

東京高速夜景 Pakusota
東京高速夜景 Pakutaso

 

 

母の骨をおさめる

2015-05-31

昨日は石川県へ車で帰る。高速道路だが、米原を過ぎて名神道から北陸道に入ると、車の数がかなり減って、運転が楽になる。北陸道からは周りの景色を見たりする余裕が生まれる。初夏で山々の緑が徐々に濃くなっていくのが分かる。3月に母の遺骨を運ぶために車で往復した時は、山々はまだ茶色ばんでいたのだが、5月末だと森林の若葉が目立つ。

安宅のインターで降りる。安宅の関の近くを通る。橋の両側に二つの像がある。一瞬のことなので、これらの像は関守の冨樫の像、弁慶、義経の誰を示しているかは分からない。 写真でも撮ればよかったのだが、そんな余裕はなかった。次回は、ここも含めて安宅の関趾と安宅住吉神社を、ゆっくりと訪れて写真をたくさん撮ってみたい。

夕方前に自宅に到着する。夕食は宇ノ気町にある「イオンモールかほく」に行って、その中のレストランで食事をすることにした。石川県でもイオンが至る所にある。親戚の人と一緒に食事をした。さて、明日は実家で納骨の儀式である。早めに床につく。

朝早く目覚める。自分は早めに実家に行くことにした。家族は親戚の人の車で後から来ることになった。自分は10時頃に実家に到着する。妹がすでに到着して家の前で待っていてくれていた。実家の中に入る。家の中は荒れ果てている。少しでも風通りを良くしようと二カ所ほど畳を取り去り、下の板もはずしているが、どれくらい効果があるのか。荒れた実家は頭痛のタネである。どうやって今後修理をするかという点である。

水回りをなんとかしたい。トイレと台所をなんとかしたいのだが、どうしたらいいのか。まず修理しても自分たちが本当に住むのかどうかという問題がある。先祖代々の家であるから、愛着はある。しかし、人口が急速に減りつつあるこの町での生活は難しくなるだろう。もう少し便利ならが、老後はここを本拠地にしてもいいのだが、子供達は実家までは訪れてくれないだろうな、と考えたりする。山を含めて毎年固定資産税をかなり払っている点も自分には頭痛である。

仏壇の奥から母の遺骨を取り出す。3月に遺骨を運んだ時は、叔父から仏壇の奥にしまっておくようにと注意を受けた。家の外からタヌキやハクビシンが侵入して、ツボをひっくり返して遺骨を食べる恐れがあるとの理由であった。遺骨は無事であった。動物に荒らされた気配はない。母と父の写真に話しかける。家の中を整理整頓して、母と父の御霊がもう少しゆったりとできるようにすると誓う。

かれこれするうちに、叔父も到着する。叔父からはこの地域の生活事情や経済事情を聞く。経済状況は芳しくなくて叔父もできたらお店を畳みたいそうだ。叔父は今では趣味で商売をやっているようなものである。さて、遅れていた家族たちもようやく到着する。墓に添える花は菊を飾ることにする。この時期でも菊があることに驚く。温室栽培か輸入した菊か、世の中、便利になったものだ。

11時前に近くの墓所に向かう。御坊さんはすでに到着していて挨拶をする。父の葬式の時以来で、自分はしばらく義理を欠いていたので申し訳ない。墓石が昨日の雨のせいでくっついて、なかなか動かない。ようやく前の石を動かして中を見る。父の骨はまだ白い。母の遺灰を中に入れた。母も父や祖父や祖母と一緒になれたのである。

御坊さんがお経を読む。10分ほどか、そのあと、私から始まって順番に墓の前でお参りをする。儀式が終了した後、お坊さんから母の一周忌はきちんと行うようにと念をおされた。母の一周忌をするには、家の中を整理整頓して人を呼べるように状態にしなければならない。そして、お坊さんに対して、ある程度のお金も準備しなければならない。息子としてのいろいろな責任があるが、これは大変だ。

儀式の後で、近くの蕎麦屋で食事をする。この蕎麦屋は手作りで美味しいとの評判があり、はるばる遠くから人が食べにくる。量もやや少なめで、これは私のような年齢の人間にはありがたいが、若い人は不満に思うのかもしれない。何枚か写真を撮る。

さて、そのあと、妹を七尾駅まで送る。妹はこれから金沢まで列車で行き、金沢から新幹線で東京に帰るそうだ。新幹線ができて便利になったようだ。今度妹たちと会えるのは、母の三回忌ぐらいになるか。それまでに、実家の修理と畳の入れ替えをしたいが、時間はかかりそうだ。お坊さんからは先祖の供養を怠っていると叱られそうだが、少々待って欲しいと弁解をしておく。

長泉寺を訪問する

2015-04-12

私は酒を飲んだ時、『徒然草』を読むというか、眺めるのが好きである。兼好法師は今で言えばブログに投稿するように、自分の聞いたこと、見たこと、感じたことを書き留めた。現代人がパソコンに向かって気楽に文章を書くことと比べると、兼好法師は墨をすって筆で書き留めたので、かなり手間暇がかかったと思われる。しかし、現代人と比べるとずっと時間はあったので、さほど苦にせず「硯に向かいて」墨をすったことと思われる。

今日は午後から長泉寺を訪問することにした。長泉寺には吉田兼好の墓がある。長泉寺の中には入れないらしいが寺の外側からでも見てみたいと考えたのである。さて、桂の方から仁和寺の方へ向かうとたくさんの車があって渋滞している。日曜日で比較的穏やかな天候であるので、人々は仁和寺か金閣寺に向かうのであろう。ほとんで動かないので、ナビを頼りに近道を通って長泉寺に行くことにした。このあたり大きな立派な家が多い。

長泉寺にようやく到着する。しかし、中には入れない。お寺の外にある「兼好法師舊跡」と記された石碑を写真に撮る。比較的小さなお寺である。さて、兼好法師の住居はこのあたり、双ヶ丘(ならびがおか)の西麓にあったそうだが、1704年ころに長泉寺に移されたそうである。

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車で周辺をドライブしながら、このあたりは昔は鬱蒼とした森であり、兼好法師の隠居地がどこかにあったのだと想像していた。このあたりは、今は、まったく緑はなくて、とうてい昔の面影はないが、とにかく兼好法師のゆかりの地をドライブしたり散策できたことはよかった。

DSCN7041

長泉寺は仁和寺に近い。昔は仁和寺には広い境内があり、このあたりもその一部だったようだ。兼好法師は仁和寺の法師に関する段が少なくとも3つある。法師は仁和寺に関する情報通、噂をいろいろ知っていた。

ネットで調べると兼好法師は鎌倉や比叡山横川、修学院、大阪の阿倍野などいろいろなところに住んだようだ。一箇所に落ち着くのではなくて、様々なところに行き、様々なことを知りたいと考えたようだ。このあたりの人生態度は現代の人は共鳴するだろうと思う。

なお、長泉寺の向かい側にオムロン発祥の地との石碑があった。仁和寺は別名が御室(おむろ)であり、この一帯の地名が御室となっている。そこから発祥したので、オムロンという名前をつけたそうだ。なるほど。京都には京都発祥の企業がいくつかある。オムロン、任天堂、京セラ、日本電産、堀場製作所、村田製作所、ワコール、島津製作所、ロームなどである。これらの企業は京都の企業文化を背景に健闘している会社であり、京都人の誇りであろう。

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さて、この日は下鴨神社内に『方丈記』の鴨長明の庵が保存されているので、そこも見物する予定であった。たぶん下鴨神社の周辺は多くの観光客の車で身動きが取れないだろうと考えて、後日訪問することにする。