K先生の送別会を行なった。


本学で長く教鞭を取られ多大な貢献をされたK先生がこの3月で退職されることになった。英語科の教員や大学院たちが集まり、ささやかであるが、送別会を行なった。菊川酒造東店という居酒屋である。

この日、K先生はご自身の本を何冊か持ってこられ、出席者たちに気に入った本を受け取るようにと言われた。私もご好意に甘えて、ヨーロッパの詩と日本語の訳詞についての御本を頂戴することにした。私は最近は翻訳、特に詩の翻訳に関心を持つようになってきた。ヨーロッパの詩の特徴は脚韻を踏むことであるが、これを日本語の詩に移し替えることは難しい。脚韻というリズムを訳詞にするには、5・7調か7・5調で訳すしかないかなと思う次第だが、そんな自分の抱えている問題意識をこの本は何かの示唆を与えてくれそうである。

さて、K先生は樽酒が好みのようで、升になみなみとついで楽しまれていた。私自身は車で参加したので、お酒を飲むことはできなかったが、K先生の酒を嗜まれる姿、K先生をお慕いする諸先生や院生たちの姿を見て感動した。この和気藹々の雰囲気は楽しい。

何枚か写真を撮ったので、下に貼り付ける。K先生、わざわざ岐阜までありがとうございました。お身体を大切に、どうぞこれからも学問の道でご指導ください。

K先生
k先生の写真もう一枚
左端は院生

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火葬されるということ。

2016-01-16

母親が火葬された日を思い出す。死後24時間は火葬の許可が下りないので、次の日はお通夜、翌々日は葬式で、その後に火葬場に運んだ。30分ほどで焼きあがったとの連絡が来た。昔の火葬場は火力が弱くて2時間ほどかかったが、最近は強い火力を使っているので時間が短縮された。

つい数日前まで息をしていた母の肉体が、あっという間に骨と灰に変化するのをみるとは胸が詰まるものがある。骨を骨壺におさめて火葬場を後にした。

私自身は火葬は嫌いである。火葬されたくない。とにかく熱そうである。死んだら分からなくなるからいいではないかという人がいるが、たとえ死体となったとしても、あんな狭い空間に入れられて燃やされるのはお断りしたい。

自分の理想は土葬である。できたら、大きな木の下に埋めてもらいたい。自分の肉体が次第に溶けてそこに木の根が張ってきて、自分の肉体のエキスを吸い取る。それが幹の上を登って葉となる。秋になると葉が落ちて地面に重なる。その葉が腐り、腐葉土となって木の根から栄養として吸収されて、また木の幹を登って葉となる。

そんな感じで、永遠に循環するのならば、自分の肉体の消滅という現実を何とか受け止められそうである。

ところで、日本では法律で火葬と決まっているのではないことが分かった。どちらでもよいそうである。高知県では14%の人が土葬を選ぶそうである。ただ、東京都では、条例で火葬だけと決まっているそうだ。

そこで、私の取るべき道は次のようになる。土葬を認めている都道府県を探す。見つかったらそこに引っ越しをする。そしてある程度の面積のある土地を購入する。そこに墓地を用意しておく。そして埋葬(土葬)する場合には、事前に都道府県の許可を得ておく。そして、埋葬をする。

そのような希望を息子たちに話したが、息子たちは、そんな面倒くさいことはしないで、すぐに私の身体を火葬すると言う。弱ったものだ。親不孝な息子たちだ。

話が変わるが、身体の保持が復活の時に必要だと考える信仰は根強い。エジプトのミイラたちは不滅の肉体があってこそ、永遠の命が保障されると考えたのだ。当時の医学の知識を総動員して、ミイラを作ったのだ。

自分が火葬を恐れる理由は、本当は次のことだろう。土葬ならば肉体は残り復活の可能性が若干でもあるように思える。しかし、火葬ならば、その可能性が全くゼロになる。そのことが怖いのだ。と自分は思う。たしかに、熱い火で焼かれるのを避けたい気持ちもあるのだが。

photo credit: Its Not Cold Anymore via photopin (license)
photo credit: Its Not Cold Anymore via photopin (license)
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母親が1年ほど前に他界した。

2016-01-09

今日は職場で忙しかった。来年度のシラバスをようやく書き上げた。これで、必要な書類はだいたい作成した。教員という職業は毎年たくさんの量の書類を作成することが宿命である。毎年似たような書類を作成しているのならば、前年の書類を利用すれば、と思う人がいるかもしれない。

たしかに、今までに作成した書類を参考にしながら少々加筆していく書類も多いが、まったく新しい書類をゼロから作成することも多いのである。

しかし、何はともあれ、自分の仕事が一段落ついたので、いよいよ最後の仕事に取り掛かる。それは片付けである。退職していく身としては、研究室を空けるためにも、さまざまな本や書類の山の処分を始めたい。


ところで、母が亡くなったのは、昨年の1月15日である。早いもので、もう1年ほどが経過したのである。自分が檀家になっているお寺さんから手紙が来て、一周忌をどうするのか、と聞いてきた。一周忌はどうしたものか。これが大きな悩みである。

おこなうとしたら、石川県の実家で行うしかない。あるいは実家の近くの旅館でも借りて行うことも可能だ。費用はどれくらいかかるか、30~50万円ぐらいか。ただ、親戚の人を呼ぶとしても、石川県に残っている親戚はほとんどが物故したか、寝たきりの高齢者である。若い人でもこんな寒い時に呼ばれては、さらに何がしかのお金を包むことになるので、歓迎しないだろう。

父親の一周忌も行っていないので、自分はとても気にしている。昨年暮れに、実家に書籍を運んだ時に、仏壇へ行って、父と母の写真の前で、供養を怠っていることを詫びたのである。壁には父方の祖父母とその父母の写真も飾ってあり、みんなが私を見ているような気がした。

自分がこの世に生まれるのに関与してくれた先祖たちの写真を見ると、自分の義務は何であるか分かってくる。「ごめんなさい、供養はするから、ちょっと待って欲しい」と小さくつぶやく。実家の荷物を整理整頓して、きちんと中を整えてから、ほんの身内だけだが、数年後に、三回忌という形で供養したいと考えている。

さて、母のなくなった1月15日はどうしよう。自分は母がお世話になった病院に行ってみようと考えている。病室までは行かないで駐車場まで行って、病室の方向を向いて手を合わせてみようと思う。その日は精進料理にしよう。とにかく、なんらかの形で母の物故した日を覚えておきたいと思うのだ。自分の中に末長く記憶しておきたいと考えている。

ユズがたくさんなっている。(実家の庭)
ユズがたくさんなっている。(実家の庭)

桂川イオンで大きなクリスマスツリーを見る。

2015-12-23

今日は桂川イオンに買い物に行った。大変な人の数である。イオンの経営者は笑いが止まらないであろう。毎日、どれ位のお金を稼いでいるのだろうか。

屋上の駐車場からエレベータで一階に降りると大きなクリスマスツリーが目に入った。華やかで何人かの人がスマホで写真を撮っている。私もまねして同じく写真を撮ってみる。この大きなクリスマスツリークリスマスだが、クリスマスの後はどうするのか。分解してどこかに収納して、また来年のこの時期に組み立てるのか。

などと頼まれてもいないのに、収納場所の心配をしたりする。その写真を下に記す。ところで、この日はそこら中に「メリークリスマス!」の表記がある。Let’s make  a Christmas! などのモットーも見える。たくさんの非キリスト教徒である日本人が、クリスマスの買い物をしている。

イオン桂川の中央広場
イオン桂川の中央広場

我々は宗教に関心がない人が多いから、このメリークリスマスの持っているメッセージ性に対して鈍感なのである。実は、アメリカでは、学校やスーパーではメリークリスマスの標語を取り去ろうという動きがある。そのことを自分の別のブログで述べている

つまり、アメリカにはたくさんのイスラム教徒やユダヤ教徒がいる。今やアメリカ社会は多文化・他宗教の社会になったのである。そのために、特定の宗教、つまりキリスト教徒だけの祝日を盛大に祝うのは、はばかられる風潮がある。

同様な傾向として、西暦や紀元前という言い方が、これまでのAD. BC. という言い方から、西暦はCE (=Common Era)、紀元前はBCE (=Before the Common Era) という表現に変わりつつある。そのことも別のブログで述べている。西暦ADは「主の年」という意味のラテン語の、Anno Domini を省略したものであり、紀元前BCは Before Christ の略語であり、「キリスト生まれる前」という意味である。現代のアメリカでは、この表現が非キリスト教徒の人に取って、当惑なるのではという配慮がでてきた。

しかし、このあたり、あまり深く考えなくてもいいのではないかというのが、日本人の発想なのだ。楽しそうなことは表面だけと言われようとも楽しもうという姿勢である。ハローウインもゲルマンの古俗に由来するのだが、カボチャに顔を描いて、魔女やモンスターの格好をするなんて、楽しいではないか。

さて、我が家だが、家内の発案でクリスマスは互いにプレゼント交換しようということになった。家内がくじを作り、各自が引く。そこに家族の他のメンバーの名前が記してある。その家族のために、1000円ほどのプレゼントを購入して、クリスマスの当日に交換する予定だ。あんまり宗教的な意義は考えていない。

私の本音を言えば、毎日がお祭りであればいいなと考えている。人類はもう十分に発達した。巨大な生産力を上げるだけの力を持っている。軍事とか巨大な建物の建築などにお金を使わずに、庶民の生活のためにだけ、お金を使うことにすればいいではないか。ベーシックインカム制度も可能だろうし、今の全人類が毎日をお祭りのようにして楽しむだけの富を生産しているのだ。

そんなことを考えながら、非キリスト教徒の自分は、ソファに腰掛けて、イオンの店内に流れるクリスマスソングを楽しんでいた。

授業で誕生日を祝う

2015-12-18

今日寒い日である。数日前から本格的な冬になってきた。人々も厚いコートを着て寒そうに通りを歩いている。そんな日にちょっとホットな出来事があった。

英語の時間、学生からの依頼で授業の最後にある学生(Mさん)の誕生祝いの先導役をすることになった。それはサプライズであり、みんなでクラッカーを鳴らすという趣向であった。

Mさんの名前を私が呼んで、私が手始めにクラッカーを鳴らした。それに呼応するように皆一斉にクラッカーを鳴らして、Happy Birthday! とMさんに向かって叫んだ。当の本人だけは何も知らされていない。それで、ビックリした顔をしていた。そして、すぐに気づいて、「みなさん、どうもありがとう!」と上気した顔で答えていた。

若い人々の間でのエールの交換である。若さの祝福の交換であった。Mさんは19歳になったのだ。人生で一番楽しくて実り多い時期である。Mさんは生涯この日、クラスの皆が誕生を祝ってくれたことを覚えていてほしい。

photo credit: London Eye Fireworks - New Year's Eve via photopin (license)
photo credit: London Eye Fireworks – New Year’s Eve via photopin (license)
photo credit: Up via photopin (license)
photo credit: Up via photopin (license)

手を組んで挨拶をするのは何故か。

2015-12-03

今日の授業で手を組んで挨拶をするのは何故か、という話になった。はじめは各国の店員のサービスの違いについての話だったが、それから、ファミリーマートでは店員が接客の時に、必ず手を組んで挨拶をして、次に「ツタヤT-Cardはお持ちですか?」と聞いてくるな、という話に発展した。

学生の一人が、手を組んで挨拶をするマナーは、西洋の起源で「手に武器を持っていませんよ、あなたに対して悪意はないですよ」との意思表明だと言う。それは面白いと思い、自宅に戻ってからネットでも調べてみた。

すると、たしかに、そのようだ。利き手の右手を左で押さえて挨拶するのが正式の作法のようだ。武器を持つのは利き手の右手であるから、その手を押さえて、「この通りにあなたに襲いかかる意図はありません」とのメッセージなのだ。

ファミリーマートの店員がお客に利き手の右手で殴りかかることもないだろうが、手を組むという作法にそのような起源があることが面白い。


握手の作法も起源は、互いに手を開いて触れあって、「ほらこの通り、武器を持っていませんよ」と確かめ合うことだ。西洋人同士ならば、しっかりと手を握り相手の目を互いに見る。日本人の場合は、どうも握手は苦手た。目をしっかりとは合わせない。すると握手された西洋人は、「この人間、裏切ろうとしているので、握手も力がないし、目をそらすのか」と思うそうだ。そう言われても、何も我々が西洋の慣習に合わせる必要もないと思うのだが。

さらに、敬礼も、昔の戦士たちは鎧甲(よろいかぶと)をつけていて、出会うと目のところの覆いを持ち上げて、互いに目を出して、相手の確認をすることがマナーの起源だった。


 

何気ない作法のすべてに、このような歴史があることが面白い。ところで、ハイタッチもおそらく「互いに武器を持っていないよ」という意思表示から生まれたものと見当をつけて調べてみる。するとこれは違う。1980年代からスポーツ選手の間で始まったそうだ。またハイタッチは和製英語で、英語ではhigh-five という。動作の前に Give me five. などと言うそうだ。なんだか、今日はいろいろと勉強をした。

photo credit: Self Five! via photopin (license)
photo credit: Self Five! via photopin (license)

 

学生 I さんとの会話

2015-10-23

今日も少人数の授業で I さんと英語で会話した。まず、I さんの成人式( Coming of Age ceremony)の思い出話をした。I さんの成人式を記念してお祖母ちゃん(74歳)が彼女のために高価な着物を購入してくれたそうである。ただ、I さん自身は成人式には出なかった。それは友人の多くが成人式には出ないと言ったので、自分の出席しなかったそうである。代わりに写真を撮ったそうだ。

かなり高価な着物をお祖母ちゃんは買ってくれたのだが、ただ約束は二人のいとこと共同でその着物を使うことである。つまり、いとこたちが結婚式に出たりする時は、着物を貸すという約束である。その着物は黒服である。ただ、写真を見せてもらったが、たくさんの装飾が入っていて、いわゆる黒服というイメージではない。下色が黒であるが、赤や黄金色の模様があり、祝い事のための黒服である。喪服にはちょっと派手である。

彼女は17歳の時からブログを始めていて現在は中断しているが、ときどきはチェックしているという。またアメブロは芸能人がよくブログを書いているので見ているそうである。彼女は星アヤというモデルが好きで、よく彼女のブログをチェックしているそうだ。何故そのモデルさんが好きなのか聞いたところ、「彼女にはオリジナリティー(originality)がある」というI さんの答えであった。

また、I さんは水原希子という韓国人とアメリカの人を親に持つモデルさんも好きだそうだ。水原希子には、何か人を引きつける何かがあるという。I さんは、将来の仕事として、アパレルの企画をしたいと言っていたので、このようなモデルさんの立ち振る舞い、着ている服、雰囲気などを詳しく観察している。おそらく、将来の仕事に際しての商売のセンスを磨こうということのようだ。