高校での出張授業、大学時代の恩師に挨拶


昨日はある高校で出張授業を行った。観光と英語に関する授業であった。最近は、年に数回は、高校で出張授業をする機会がある。大学生に教えるのと高校生に教えるのでは、教える内容は同じでも教え方は少々変える必要がある。初めての相手であるから、相手の理解度が分からない。生徒達はどの程度のバックグラウンドの知識があるか分からない。そんなわけで、相手に質問をしながら、どのようなレベルで教えたらいいのか判断をしていく。だいたい5~6名ぐらいに質問すると、クラス全体の雰囲気、あるいはその学校全体の雰囲気もつかめてくる。しばらくするとどのような教え方をすればいいのかだいたい勘で分かってくる。

昨日の学校は生徒達は集中して授業を聴いてくれてよかったと思う。時々、この様に高校生の皆さんに授業をすると、大学生とは異なっているので、新鮮な感じがする。教える側としても有意義な経験となる。

さて、それから午後は、大学時代の恩師である亀井俊介先生に挨拶をした。亀井先生がある喫茶店で打ち合わせ中とお聞きして、そこに参加しつつ挨拶をした。亀井先生は私が駒場の時の英語の先生である。それは今から50年ほど前であろうか。亀井先生は当時はアメリカの留学から帰られたばかりの新進気鋭の学者であられた。今では、アメリカ文学の大権威であられる。50年前と比べるとたしかに姿形は大きく変わられたが(それは私も同じであるが)、相変わらず温和で和やかな笑顔が特徴であられた。50年ぶりでお会いしたわけで、先生は現在は、80歳代の半ば頃の年齢であられるが、すこぶるお元気そうで何よりであった。先生はこれからもお元気で是非ともますます活躍してもらいたいと思う。

さて、5限の授業で間に合うように、学校に戻った。5限の授業中だが、雑談をしたときに学生から次のようなことを教えてもらった。学生は犬を飼っている。その犬はオスである。メスと比べてオスは小用をする回数が多いそうである。オスは縄張り意識が強くて、マーキングをして、その場所が自分の領域であることを主張するそうである。なるほど、犬でも性別でそのような違いがあるのか。勉強になったので、このブログに記したのである。

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狸の焼き物

2016-01-18

昨日、名神高速道路をドライブしているときに、多賀のサービスエリアに立ち寄って。すると売店の入り口に信楽焼きの狸の置物が二つ並んでいる。とても愛嬌があってかわいいと感じる。このところ、町をドライブしていると、ところどころに信楽焼の狸を見かけるが、なんとなく楽しくなる。ところが、この信楽焼の狸の置物は、西洋からの観光客にとってはグロテスクそのもので、これを装飾品にする日本人の感覚に驚くそうだ。

このあたり、日本と西洋の感覚の違いだろうか。たとえば、日本人は虫の鳴き声を音楽的に感じて、大脳生理学の教えるところでは右脳で処理しているという。ところが、西洋では、雑音と感じて、左脳で処理するという。このあたりの違いは面白い。

30年ほど前、カナダのバンクーバー島に行ったときにある漁師と知り合った。彼が言うには、ナマコ (sea slug)が網にかかっても今までは捨てていたが、日本の商社が来て買い付けるようになったので、捨てないで売るようになったという。好奇心からか、彼は試しにナマコを食べてみたが、「ゴムを噛んでいるようだった」と私に言った。またウニも日本人が買うようになったので、捨てないで輸出するようになったが「あんなものが食べられるとは思ってもいなかった」と言った。

私はナマコは殊の外好物である。薄く切って酢につけて、温かいご飯と一緒に食べると非常においしい。また、ナマコのはらわたを「このわた」と言うが、これまた非常においしい。私が小学生の頃は、私が住んでいた石川県でたくさんとれて、ご飯にのせて食べてものだった。そのおいしさを知っているが、近ごろでは見かけることはなくなった。取り過ぎでいなくなったのかもしれない。

このように、西洋と東洋でいろいろと感覚が異なっている。それが異文化交流の時の違いの原因となっていたのだが、近ごろは、各地の食文化が互いに普及するようになった。日本食が世界中に広がり、寿司なども好まれるようになった。生の魚を西洋人でも平気で食べるようになった。

バンクーバーで知り合った漁師は今はどうしているのか。彼は、ナマコやウニを食べるようになったか。そして目を細めて舌鼓を打っているだろうか。

信楽焼の狸の置物
信楽焼の狸の置物

UGGは履き心地がいい。

2015-11-13

昨日の非常勤先の職場で昼休みにO先生といろいろとお話をした。そこで教えてもらったことを二つほど記す。メルボルンの動物園は非常に広くて余裕をもって作られている。この点だが、外国の人が日本の動物園を見学したときに狭いという感想をよくもらすそうだ。日本は国土が狭いので仕方ない面もあるが。

また、メルボルンの動物園は悪臭がしないことが一つの特徴だと言う。これは、日本の動物園は狭くて、また清掃する回数が少ないので、どうしても排出物の匂いがたまるからではないか。

またメルボルンの動物園には小学生たちが泊まり込みで園内を見て回るそうだ。この動物園は環境教育の材料も整っているので自然と人間の関係を知ることができて、小学生の学習には絶好の場所だ。

また、O先生はブリスペーンあたりでは、白人の野外労働者の皮膚ガンの発生率が極めて高いと教えてくれた。戸外で働く場合は、暑いので長袖などはやはり好まれないようだ。事務職の人ならば、屋内での仕事なので、さほど太陽にさらされることはない。関係する話はこのブログでも取り上げている。


 

そんな話をした後、授業でメルボルンで経験した話をした。PowerPoint で写真を見せながら学生たちと情報交換をしていった。メルボルンでセブンイレブンが多いと言うと、Uさんが「ブリスペーンでもそうやで」と言った。Uさんは去年ブリンベーンに留学したのだ。「ブリスベーンでは、ガソスタなどにセブイレが多かったわ」と言う。

一瞬何を言っているか分からなかったが、よく考えたら、ガソスタはガソリンスタンドの略で、セブイレはセブンイレブンの略語だと見当がついた。Uさんにそのような使い方は若い人の間で流行っているのかと聞くと、「流行っている」と言う。しかし、他の学生は首を傾げていたので、この言い方はもしかしたらUさんの仲間だけのせいぜい10人ぐらいの間で使っている言い方ではないのか?

それから、オーストラリアでの有名なブランドでUGG(発音はアグが正式で、ユージージは単にスペル読み)の話をしたら、Uさんは今履いているという。本当かと思い、よく見ると確かに履いている。履き具合を聞くと、「めっちゃいいわ、冬は暖かいし、履くのが楽やし」とかなり絶賛する。Uさんの承諾を得てブーツの写真を撮る。

右側の裏にUGGのマークが見える。
右側の下にUGGのマークが見える。

Uさんはオーストラリアで買ってきたそうだ。値段は1万5千円程で、もしも日本で買ったら、この2倍したという。羊の国オーストラリアが豊富な羊毛を使って履きごごちのよいムートンブーツを生み出したのだ。女性用ばかりで男性用のブーツはなさそうだ。 

麻薬探知犬

2015-11-08

私たちがメルボルンの空港に到着したのは、夜の9時頃だった。長い飛行機の旅で疲れていて早くホテルに入って横になりたいと思っていた。しかし、入国審査の列は長くて時間がかかりそうであった。

私はなぜか入国審査の終わった後、係りの人が追いかけてきて”Mr. Kawahara.” と呼び止められて、再度私のパスポートを調べられた。どうしてか。パスポートの写真は10年前の写真で髪は黒かったが、今は真っ白になっているのでオカシイと思ったのか。

手荷物を受け取ってから、税関の審査を待っていたら、私を含む何名かは呼ばれて、荷物を持って並ぶことになった。絨毯がひいてあり、中央に赤い帯状な色が塗ってある。その赤色の帯の中に並んで立っているのである。すると、麻薬探知犬(sniffer dog)を係員の人が連れてきた。(麻薬探知犬の写真を撮りたかったが、撮ったらえらく叱られるだろうと思ってそれは慎んだ)

そして、並んだ人々の荷物を犬が一つ一つ嗅いでいくのである。やや緊張した様子が人々が麻薬探知犬の動きをみている。犬の嗅覚は人の何万倍もすぐれていると聞いている。世界中の空港で麻薬に対する取り締まりが厳しくなっているようだ。

マレーシアとシンガポールは麻薬に対する刑罰が厳しい国として有名である。マレーシアでは、ヘロイン・モルヒネ15グラム以上、あるいはマリファナを200グラム以上所持すると死刑が科せられる。15グラムなどは、ほんの少しの量である。シンガポールでは、アヘン1200グラム以上、モルヒネ30グラム以上、ヘロイン15グラム以上、コカイン30グラム以上、大麻500グラム以上は死刑判決を受ける。

日本人の看護師の竹内真理子が2009年にマレーシアで4キロの覚せい剤を運んだとして逮捕された。30グラムでも死刑判決を受けることがあるのであるから、130倍ほどの麻薬を運んだことになる。4キロとなるとなかなかの重さになる。彼女自身は知らない人から頼まれただけだ、と主張したのだが、状況証拠も限りなく黒に近い。最近、つい一ヶ月ほど前にはマレーシアの最高裁判所でもこの事件の上告を棄却して、死刑判決が確定した。

とにかく、外国へ行ったら、むやみに人から頼まれてからといっても、荷物の運搬をを持たないことがいいと思う。さて、メルボルン空港での麻薬検査も終了して、我々は一路メルボルンの市内地へ進んでいくのであった。

 

メルボルン動物園に行く

2015-11-04

メルボルンに滞在した二日目にメルボルン動物園に行った。長男に案内してもらい、トラムに乗って、町外れの北側にある動物園までいった。入り口の切符売り場でシニア割引をお願いする。長男からこの国では割引をconcessions と言うと教えてもらっていたので、切符売り場で、Can I get senior concessions? 「シニア割引をお願いします」と言うと、すんなりと割引をしてもらった。

息子もメルボルン大学の学生証を出したら割引になった。だいたい2割ほど割引になるようだ。シニアになったのだからその特権を生かして色々と利用するつもりだ。さて、中に入る。広いが人の数は少ない。

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コアラ、じっとしているだけ
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暇そうに寝ているだけ。餌を与えられるだけの生活だと怠惰になるようだ。
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キリン
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子象もいて面白い
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マントヒヒ

まず、コアラとカンガルーを見た。コアラはただじっとしているだけ、となりの中国人の一団がコアラに大声で話しかけるがコアラは全く無視である。

つぎはカンガルーを見に行く。カンガルーもただ寝ているだけ。

野生の時代は活発に動き回っていたのだろうが、ここは外敵もいないし、餌も定期的に与えられる生活なので、怠惰になるのだろう。

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動物ではなくて人間のようだ。

マントヒヒの掲示を読んでみたが、マントヒヒが生息する地元の人たちは貧しさゆえにマントヒヒを捉えて皮を剥いでマットを作って売っているそうだ。そのために、絶滅に瀕していると書いてある。マントヒヒを救うためには、地元の人々の貧しさを救うことが必要だとの内容だった。

日本の動物園は動物を見せるという目的である。しかし、メルボルンの動物園は違う目的だ。環境保全や動物の生態系を守る必要性を訴えるきわめて教育的な目的の動物園である。

例えば、私は大きなトイレットペーパーの形をしたオブジェに腰掛けている。

その近くの掲示には、トイレットペーパーを使うことで、どれくらいの森林が伐採されるのか、ということが記されている。無駄に紙や材木を浪費するなというメッセージが園内の至る所にある。子供たちがここを見学することで、環境教育になるように工夫されている。

遊楽地としての動物園が日本の特徴だとすると、メルボルン動物園は環境教育に関するメッセージを伝えるところである。動物の生態系や環境問題に関して自分の知らないことが多くて勉強になった。

カラスは賢くて品位がある

2015-09-17

カラスはあんまり好まれていない鳥である。鳥かごにカラスを入れて可愛がっている人がいるという話は聞いたことがない。毎朝、庭に飛んでくるカラスに餌をあげている人がいるという話も聞いたこともない。また食用にするという話も聞いたことがない。もっとも、ネットで調べるとフランスでは高級食材との記事がある。これは例外であろう。

むかし30年ほど前、新潟県のある寂しい村道を歩いていたことがある。電線にたくさんのカラスが止まっていた。道を歩いているのは私だけである。車も通らない。カラスがどうも私の方を見ているような気がした。私はたまたま傘を持っていたが、ふといたずらに、傘を鉄砲のように持ち上げて、カラスの方向に狙いを定めてみた。

するとカラスたちは一斉に飛び立って逃げていくのである。これには驚いた。私が持ち上げた傘を何に尋常ならざるものと感じたようだ。あるいは人が通常は行わないような行為をするのを見ると、危険と察するのであろう。たしかに、道の真ん中で、急に立ち止まって、傘を持ち上げて鉄砲の真似をする人は滅多にいない。

それ以来カラスは賢い生き物であると認識するようになった。新聞などでもカラスの賢さを示す記事が多く見つかる。金沢の兼六園の苔の下には蝉の幼虫が潜んでいる。そしてある時期になると蝉になるために木に登ろうと土の中から一斉に現れる。カラスはその時期を知っていて、待ち伏せて、幼虫に襲いかかって食べてしまう、という新聞記事を読んだことがある。7年ほど地中に潜んでいて、ようやく羽を伸ばそうと地上に出てきたら、カラスに食べられてしまうのでは、蝉の幼虫も気の毒である。

今日の夕方一羽のカラスが家の近くを舞っていた。羽を広げて優雅に飛んでいる。黒光りするその姿には気品が感じられる。賢くて、高い生存適応能力を持っている。人類が滅んだ後は、カラス天下か?

アメリカの小説家ポーには大鴉という不思議な詩がある。難解な詩であるが、作者のカラスに対しての敬意が感じられる詩である。壺齋散人という人が「大鴉 The Raven:エドガー・ポーを読む」というサイトで訳しているので第7連と8連を下に掲げて紹介する。

わたしが格子を押し開けるや バタバタと羽をひらめかせて
大きな烏が飛び込んできた 往昔の聖なる大鴉
傲岸不遜に身を構え ひとときもおとなしくせず
紳士淑女然として 扉の上にとまったのだ
わたしの部屋の扉の上の パラスの胸像の上に
とまって座って それだけだった

この漆黒の鳥を見て わたしの悲しみは和らいだ
気品に溢れた表情が おごそかでいかめしくもあったゆえに
お前の頭は禿げてはいるが 見苦しくはないとわたしはいった
夜の浜辺からさまよい出た いかめしい古の大鴉
冥界の浜辺に書かれているという お前の名はなんと言うのか
大鴉は応えた ネバーモア

ポーが大鴉に敬意を表しているのが分かる詩である。ゴミ袋を破って中を荒らすから嫌われるのか。日本文化の中で何故にカラスがこのように嫌われるか不思議である。大空を舞うカラスの姿は優美であると私は感じるのだが。

photo credit: Crow Perched at Red Fort in Delhi via photopin (license)
photo credit: Crow Perched at Red Fort in Delhi via photopin (license)

カエルの生涯

2015-06-13

今日は土曜日だが、勤務校に行っていろいろな仕事をする。途中で田んぼがいくつかあるので、ときどき立ち止まっては、オタマジャクシを探す。まだオタマジャクシはとても小さい。収穫が8月ごろか、それまでにオタマジャクシはカエルへと成長して、土が乾燥する時期には地面の中に潜らなければならない。それに失敗すると体が乾燥してしまい、次の年まで生き残ることはできない。

カエルの生涯を考えると、時間との戦いだと思う。池に住んでいるカエルならば、時間的な余裕はある。ゆっくりと成長しても水は常にある。もっとも、水が常にあるということは、天敵もたくさん住んでいて、その意味では危険だと思う。田んぼならば、せいぜいアメンボウが住んでいるくらいか。こんな住宅街の中の田んぼではヘビなどの天敵はいない。もっとも、カモなどが時々来ては、田んぼの中を漁るのだが、それでも池の中よりははるかに安全であろう。

冬に冬眠するカエルたちのことを考える。このあたりは、田んぼが埋め立てられて住宅地へと転換されている。そのときは、冬眠していたカエルたちは、永眠することになる。このあたりは、昔はほとんどが田んぼであったことを考えると、一体全体、何匹のカエルが、埋まっているのかと思う。

むかし、母親が一時期だが田んぼの仕事をしていた時があった。春になると鍬を持って田んぼを耕すのだが、一番嫌なことは、耕しているときに、冬眠しているカエルを切ってしまうことだと言っていた。冬眠していたカエルも鍬で体を真っ二つに割られるときは、瞬間、ぎゃーと小さな声をあげると言っていた。

このあたりでは、春になると耕運機で田んぼの土を耕す。機械だからかなり深くまで耕すことができる。たいてい、サギが飛んできて、耕運機の後を追いかける。つまり冬眠していたカエルが掘り出されて、あるものはそのまま、あるものは切られた姿で、土から現れる。サギにとっては、ご馳走を味わうチャンスなのである。

カエルの生涯、そして、その子孫たちの将来を考える。かなり悲観的になる。京都のカエルたちよ、短い生涯だろうが、生きているときは、瞬間瞬間を貴重なものとして味わってほしい。