次男が下宿を希望する。

2016-01-17

昨晩は家族4名で近所のお好み焼きやで外食をした。私と家内は日本酒を飲んで結構いい気分になった。息子達も学校での最近の出来事を話してくれて2時間ほど楽しく過ごした。

次男だが、このところ、下宿をしたいと、よく訴える。次男の大学だが、京都の自宅から通学に2時間弱ほどかかる。通学に時間がかかって大変だとよくこぼしていた。しかし、通学の時間云々は口実に過ぎないのだろう。要は、独立したいのだ。親の目がうるさいのだと思う。

我々は息子たちの生活に干渉した覚えはない。好きなようにさせてきた。小遣いが足りないと言えば、適当な額のお金を渡してきた。旅行なども認めてきた。むしろ過保護な方だと思う。

しかし、次男はいい歳になってきたので、独立したいのだと思う。好きな時間に好きなことをして、好きなように暮らしたいというのが本音だろう。私自身も、ある程度の年齢になれば、一人で暮らした方が生きる力がついていいだろうと思う。

問題点があるとすれば、一つは金銭的な問題である。現在、息子たち二人分の授業料を払っている。長男は来年で卒業するので、来年以降は、一人分の授業料はいらなくなる。だから来年以降ならば、工夫をすればなんとか次男の下宿代は捻出できるかもしれない。

もう一つの問題は、家内の心の問題である。専業主婦として、息子たちを育てることのみに集中してきた。息子二人の面倒を見ることが唯一の生きがいであったと言えよう。家内は「いつまでも、子供達と暮らしたい」とよく言う。気持ちの切り替えができるかどうか。

自分としては、次男に下宿生活を経験させるのはいいことだと思う。ある程度の資金援助はするが、多くの部分はアルバイトで稼ぐように促してやれば、これは立派な社会勉強になるだろう。要は、経験値を積む機会を与えたいのだ。

大学の寮に住むのはどうかと勧めたが「絶対に嫌だ」という。相部屋で、トイレや風呂は共同であり、当番でトイレ掃除や風呂の掃除があるのだと言う。なるほど、そんな寮生活では今の若い人は毛嫌いするのだろうな。

いろいろと妥協案を考えている。もう1年待ってもらって下宿生活をさせる。長男が就職するので金銭的には若干余裕が生まれる。この一年の間に家内も子供達の独立という現実を受け入れるようになるだろう。

次男には、「iPad mini を買ってやるから、もう1年我慢して自宅から通え」と言うつもりだ。うまく説得できるか。

photo credit: ニシローランドゴリラの家族@上野動物園 via photopin (license)
photo credit: ニシローランドゴリラの家族@上野動物園 via photopin (license)
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母の一周忌

2016-01-15

今日は母の命日である。一年前のこの日に母は身罷った。もう一年もたったのかと思うと感慨無量である。今頃、母は父と再会して、地上の我々を見ているのか。あるいは、永遠の無の中にいるのか。とにかく、この世界からあの世の世界の間には、絶対的な断絶があるので、彼岸の世界がどのようになっているか知ることは全くできない。

母の一周忌を行うことができないことを自分は非常に苦にしている。郷里にいるのならば、無理をしてなんとか一周忌を行うことができるのだが、ここ京都にいてはどうにも動きがとれない。それで、その代わりに、今日の夕食の時にでも、母の御霊に「安らかなれ」と家族一同で祈ろうと思う。

時々、自分の死について考える。此岸の世界から彼岸の世界へと、そこへの移動は絶対的な移動であり不可逆である。そのことを考えると怖い。しかし、年を取るとともに、その怖さがやや麻痺してきたように思える。

若いころに感じた死は、観念的な死であり、遠い未来の出来事であった。しかし、この年になると、具体的な形を示してくる。自分の父方の祖父母、次が母が他の祖父母、そして父、そして昨年、母を看取った。死の有様をこの目で見てきた。そして、祖父母、父母などの年長の肉親がすべてこの世から去ると、自分が今、死と直面するようになったのである。死が非常に近づいてきたのであるが、なぜか、昔ほど怖くはない。おそらく、怖さという感情も麻痺したのかもしれない。

ともかく、今自分は生きている。この瞬間に生きている。それゆえにこの瞬間を充実して、一瞬一瞬をしっかり味わって生きる。それ以外に何もできない。

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長男がオーストラリア留学から帰ってくる。

2015-12-19

今日、長男がオーストラリア留学から帰ってきた。当初は朝の7時50分にマレーシア航空の052便で関空到着の予定で、迎えに行くために、朝の6時頃に車で京都を出発する予定であった。しかし、早朝の1時頃、メールが来て到着が遅れているので、11時20分頃に関空到着との連絡だ。

それでは、朝の9時ごろに自宅を出発すればいいかと家内と話し合っていた。朝になって、インターネットで関空のフライト到着予定の一覧表で調べると、関空到着のマレーシア便はさらに遅れて12時15分と掲示されている。とにかく、10時ごろに京都を出発する。

さて、関空に到着して、一階の到着便の出口のところで待っている。なかなか息子は出てこない。携帯に電話をかけても返事がない。どうしたのかと思っていたら、息子がようやく出口から現れた。元気そうである。フライトが5時間以上も遅れた割には元気そうだ。

何でもフライトの遅れはクアラルンプールから関空へ飛ぶ飛行機のクアラルンプールへの到着が遅れたのが理由らしい。乗客に対してマレーシア航空からdinner voucher (夕食無料券)が配られたが、息子は疲れていたので、夕食は取らないで待合室で休んでいたそうだ。

メルボルンを出る時に荷物の重量制限でトラブルがあったと言う。息子は本をスーツケースに入れたが、重量制限にひっかかったそうだ。15キロほど制限をオーバーしたので、本や衣服を見送りに来てくれた友人に預けて、荷造りをし直して再度重量を計った。それでも、5キロはオーバーしていたが、そこはなんとか見逃してもらったそうだ。

1キロオーバーごとに何ドルか払えばいいのだが、計算するとかなりの金額になるので、重量オーバーの荷物は友人に預ける方法を選んだ。

ただ、その際のゴタゴタがあり、スーツケースを何とか受付に渡したのは、出発の直前であったと言う。そんなことで、手続きがスムーズに行かずに、スーツケースの一つがまだメルボルンに止まっているそうだ。関空で荷物受け取りにターンテーブルの前に並んでいたら、自分の名前のアナウンスがあって呼びだされた。受付に行くと、荷物がメルボルンに止まっていると言われ、その受け取りの書類を書いたりと面倒くさい手続きをしていたので、時間がかかったと言う。荷物自体は別便で京都の自宅に届くそうだ。

なるほど、そんなことで、到着出口に出てくるのが遅れたようだ。とにかく、無事に帰ってきたので良かった。特に大きな問題もなくて、オーストラリア留学は楽しい経験だったと言う。7か月の留学で学んだことはたくさんあったようだ。こちらも色々と心配したりしていたが、案ずるよりも産むは安しであった。

photo credit: SilkAir Airbus A319 via photopin (license)
photo credit: SilkAir Airbus A319 via photopin (license)

高齢者になってしまった。

2015-10-22

今日は私の誕生日である。65歳になった。これで高齢者割引を受けることのできる、名実ともに立派な「高齢者」になった。家内はお祝いのケーキを買ってくれて、今晩はケーキのロウソクに火を灯してお祝いをしてくれると言う。

このブログを読んでいる人の大半は私の学生だと思う。つまり20歳前後の若い人だと思う。その方々へのメッセージは「時間が経つのはあっという間ですよ、一日一日を大切に過ごして下さい」ということだ。

正直な気持ちとして、「さあ、人生これからいよいよ始まったぞ。頑張っていこう!」と思ってたら、神様から「時間ですよ、退出の準備をそろそろ始めてください」と声を掛けられたような感じだ。「始まってもいないのに、もう終わりなんて!不公平だ。」と苦情を述べたいのだが、こればかりはいたしかたない。

昨年の今頃は何をしていたか、ブログを読み返すと、エボラ熱の流行がアフリカで始まり大騒ぎだったことが記してある。アフリカから帰国した何人かがアメリカで発病して、人々がパニック状態になったりした。だが、今は、そんな騒ぎがあったことも誰も覚えていない。

私は、通勤の途中で、Fox Radio News を英語の勉強を兼ねて聴いているが、1年前のアメリカはエボラの話題で持ちきりだった。しかし、今のFox Radio News の話題は来るべき大統領選挙のことばかりだ。共和党はドナルド・トランプが選ばれて、民主党はヒラリー・クリントンが候補として選ばれるのではないかと予想する人が多い。

トランプは失業者が多いのは、中国と日本が不当な安売りをしているからと言っている。国内の問題を外国を責めることで転嫁するのは政治家の常套手段だ。また国内のイスラム教の寺院を閉鎖する、などとも言っている。どのような状況下で発言されたのかわからないが何を言っているのだ?と思う。ある人は彼のことをZombie FrontRunnerと呼んでいる。どうぜ大統領にはなれない、との含みだ。

私の予想は、最終的に大統領に選ばれるのは、Jeb Bush ではないかと思う。Goerge Bush の弟でフロリダ州の前知事だ。演説やトークは兄よりも上手なようだ。

さて、1年前のブログでは、ある学生が「何度でも行きたくなる国、オーストラリア」というタイトルで授業の中で課題を発表している。その学生は、Gold Coast に滞在して、カンガルーの肉を食べた話をしてくれた。食感は牛肉みたいで、繊維が多いそうだ。

金曜日の夜から、家内と一緒にメルボルンに行くのだが、カンガルーの肉を食べるのを目的の一つにしてもいいかと思う。今、オーストラリアでは、カンガルーの数が増えすぎて困っているそうだ。間引きを兼ねて肉を食べ始めている。

今日は話がいろいろ飛んだ。これから22日という日が始まる。(今は朝の4時頃)

photo credit: Birthday Cake via photopin (license)
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オーストラリア渡航への準備をする

2015-10-04

長男がオーストラリアに留学している。それで家内と二人で訪問して、どんな暮らしをしているのか見てこようということになった。10月の終わり頃に一週間ほど訪問する予定を立てた。

オーストラリア渡航にはビザが必要である。10年ほど前に一回ほど訪問したことがあったが、その時はどうしたか、何も覚えていない。それで、ネットで代理申請してくれるところ探したところ、eVisa センターというところを見つけた。そこに申し込んで代理申請をお願いした。

この eVisa センターは非常に仕事をテキパキして、質問にもすぐに答えてくれる。日本人のETAS申請も他の代理店は1,000円以上手数料を取るのに、ここは680円だけの手数料である。

このセンターの運営者は、オーストラリア大使館にてオーストラリアビザETASの 審査発給責任者をしていた元オーストラリア大使館 ビザ査証課マネジャーという。そんなことで、オーストラリアへのビザ発行に関してはすべてを知り尽くしていると考えていいだろう。非常に良心的に仕事をしてもらったと感じたので紹介する次第である。

さて、次は航空機の予約である。楽天トラベルを使う。自分は会員なのだが、パスワードがわからなくなったのだが、なんとか思い出しして楽天トラベルのサイトに入れた。いろいろと調べたが、タイ航空を使うことにした。関西国際空港からはメルボルンへの直通便はないようだ。できるだけ安い便を探す。バンコックでの乗り換え便で行くことにする。家内と二人で23万円ほどである。これはサーチャージをも含んだ値段である。

関空を真夜中に出発する予定だ。それで車で関空まで行って民間の駐車場に預けたいと思う。関空を利用するたびに利用している民間の駐車場だが、記録をつけていないので分からなくなってしまった。今度からきちんと記録に取っておくこと、これを心がけたい。

ストップオーバーでバンコックに数時間ほど滞在する。そして再度メルボルン行きの飛行機に乗って昼の3時頃に到着する。ホテルはできるだけ長男の滞在先の近くにしたいと思う。長男に調べてもらっている。メルボルンはどれくらいの規模の町なのか、ネットで調べるとかなり大きな町だ。人口は400万人ほどだ。自分の住んで居る京都は100万ほどの人口だから、4倍の大きさか。

今はオーストラリアは春か。厚手の服を持って行った方がいいのかどうかわからない。長男に今度天候や温度を聞いてみたいと思う。雨が降らなければいいのだが。

次男を駅に迎えに行く

2015-09-14

この一週間は次男は合宿で不在であった。長男も留学でずっと不在である。家内と二人で「子供達がいないと静かだけど寂しいな」と語り合っていた。

さて、次男は今日が帰りなのだが、「荷物がたくさんあるので駅まで車で迎えに来てくれ」と次男から事前に言われていた。はじめは「夜の7時頃に来てくれ」と言われていた。この時間帯は微妙な時間帯だ。自分としては夕食に酒を飲まないと調子が出ない。次男を迎えてから夕食を食べて酒を飲もうかと計画した。そしたら、「夜の11時ごろに帰る」と予定変更のメールが入る。それではと夕食を食べるが、後で車の運転があるので、酒は飲めない。さらに予定変更のメールが入り、結局は真夜中の12時ごろに迎えに行くことになった。

夜の12時ごろになると駅前は静かであった。新宿などならば、酔っ払いが暴れたりしているのだろうが、京都の場末の駅までは静かなものである。そんなことを考えながら次男の到着を待っているとやがて次男が階段を降りてくる。一週間ぶりに次男を見る。

次男は長野県のホテルにクラブ活動の関係で一週間ほど合宿したのである。若い学生の合宿であるので珍騒動もあったことと思う。次男の話によると、裸踊りをした人がいたそうだ(すべて裸になって)、また毎年伝統的な行事として部長は尻の穴に花火を入れて火をつけてロケット花火をするそうだ。尻にヤケドする部長もいるそうだ。数年前に同じホテルに泊まったスイッチを壊したが、その箇所が相変わらずそのままでみんなで笑ったそうだ。

こんな悪童どもに合宿の場所を提供してくれるホテルの人たちの寛大な心に感謝する。若い人たちはバカをやりながら成長する。逆に言うと、バカをしなければ成長はできない。ところで、次男は来週はまた合宿という。別の部活動でその合宿に参加するそうだ。「楽しんでこい、ただ、一気飲みだけは避けるように」とアドバイスしたい。


ブログのコメント欄に昔の卒業生からのメッセージがあった。今度、京都に来るので久しぶりに会いたい、というメッセージであった。コメントに対する返信としてメールを送ったが届いたのか心配である。その卒業生の住所を知っているので、そこへハガキで了解の旨の返事を送ったので、なんとか伝わっていると思う。

その卒業生とは、以前、10年ほど前になるが、『日本語が話せないお友達を迎えて』という本を執筆しているときに、情報提供の協力依頼で会ったことがあった。そのときは卒業生の顔は卒業時とほとんで同じ顔であったが、あれからさらに10年ほど経っているので、かなり変化しているかもしれない。こちらの方はすっかり老け込んでしまったので、顔合わせをしてもしばらくは互いに気づかないかもしれない。とにかく、久しぶりの出会いの話はこのブログでも報告するので、期待していてほしい。


このブログはメールを記載していない。昔はメールアドレスも電話番号もホームページに記載していた。それでメールや電話経由で問い合わせを受けたり、あるいは仕事の依頼(雑誌の執筆、講演会、インタービュー)を受けたりしていた。ただ、現在の自分は定年退職が近づいているので、公的な活動からは身を引きつつあり、メールや電話は記載していない。

ただ、しばらくしたら会社でも立ち上げて、私が社長で、家内が副社長、子供達が専務と常務の会社である。なにか儲けたいとも考えている。そのときは、メールや電話番号はきちんと掲載しなければならない。

親父は定年退職してからは会社を作って金儲けをするのだとよく言っていた。椎茸の大々的な栽培をするとか、国道の横に万葉集に現れた草花を植えて万葉園を開設するとか、木工品の販売をするとか、そんな事ばかり言っていた。酒を飲みながらそんな夢物語を語っていたが、もちろん、全く実行しなかったのだが。

私の会社は無農薬の野菜の販売会社はどうかと考えている。少々形が悪くても無農薬・有機肥料で栽培した野菜は結構需要はあるのではと考えたりする。「21世紀を食べる」という名前のサイトを立ち上げてインターネット経由で大々的に宣伝したらと考えたりする。どうだろうか?うーん、難しいかな。

パクソタ
パクソタ

 

 

瞬間よ止まれ、汝は美しい。

2015-09-03

昨日から自分のサイトの手直しをいろいろ行ってきた。特に大事なのが、トップページである。冒頭のページを開けた時に、つまらないという印象を与えると訪問者はすぐに去ってしまう。魅力的なトップページはどうして作るか。その作り方は多くの人が頭を悩ますことである。

何事も第一印象が大事であり、トップページの画像とキャッチフレーズを工夫しなければならない。いろいろと試行錯誤をして、以下の画像を選んだ。

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そして入れる文字だが、何か自分が強い印象を受けた言葉を入れたいと思った。いろいろと思い出してみる。そして「瞬間よ止まれ!汝は美しい」という文言を入れることにした。この言葉は、ゲーテの『ファウスト』に出てくる言葉である。主人公のファウストは悪魔と契約をする。ファウストが何かの瞬間に感動して「瞬間よ止まれ!汝は美しい」と言ってしまったら、ファウストは自分の魂を悪魔に奪われるという契約である。

むかし、学生時代に大山定一の訳で『ファウスト』を図書館で読んだことがあった。とても感動した。それ以来、この場面をよく覚えている。自分の人生において、そんな言葉を呟きたくなる瞬間が時々はあった。20年ほど前だが、実家に遊びに行って、幼い子供二人と両親が庭で遊んでいるのを家内と二人で眺めていたら、ふとゲーテのこの言葉を思い出した。秋の日に老いた両親と幼い子供二人が一心になって遊んでいる。静かで平穏な、そして平凡な瞬間。その瞬間を「美しい」と感じた。(今は両親は去ってしまい、幼い子供たちは成人してしまった)

そんなことでこの言葉を選んだのである。しばらくはこの言葉をこのサイトのキャッチフレースにして行きたい。なお、調べるとドイツ語の原文も見つかったのでそれも下に入れておく。原文を入れたのは格好付けであるが、実は自分は、いつかは『ファウスト』をドイツ語で読んでみたいという大それた野望?を持っている。

このところ、ドイツ語に少々関心を持っている。今年の初めから時間をかけて『グリム童話集』をドイツ語で読み終えた。それは巷で流布している最終版(第7版)である。最終版は初版本が持っていた荒削りの部分、子供にはふさわしくない暴力的な場面や性的な暗示をする部分を取り除いてある。読みやすくなった反面、何か原初的な荒々しさが失せたという人もいる。これから半年ほどかけて初版本を読んでみたいと計画している。

あと、ゲーテの言葉「人間は努力する限り迷うものである」も好きだ。ドイツ語で Es irrt der Mensch so lang er strebt.と言うようだが、この言葉は自分の他のサイトで使ってみようかなとも考えている。

photo credit: 1793 via photopin (license)
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