『難民支援』(松原好次・内藤裕子共著)を読む。


先日、『難民支援ードイツメディアが伝えたこと』を寄贈いただいた。筆者は松原好次氏(元電気通信大学教授)と内藤裕子氏(ベルリン在住翻訳者)の二人である。

このブログの管理人(河原俊昭)は松原好次氏と何回か一緒に研究をして共著もある。そのご縁で今回、この本を寄贈してもらった。深く感謝したいと思う。

この本は春風社から今年の8月に出版されている。価格は2700円+税である。大きさは208ページ+索引が付いている。本の形式はドイツ語の新聞・雑誌の中から難民問題を扱った記事を取り出して、その記事に語らせる。つまり、著者たちの気づきを新聞・雑誌の記事を通して、それらに語らせるという方法である。

著者たちは読者を強引に一つの方向に誘導するのではなくて、新聞記事などに描かれた客観的事実を紹介することによって、読者たちに自ら考える機会を与えることで、一歩一歩自らの考えを形成することを奨励している、という印象を受けた。

この本はドイツにおける難民への支援を語っている。ドイツは難民支援の優等生であるとよく言われる。ナチスドイツの時代の民族迫害の反省から、できるだけ広く難民を受け入れようとしてきた。この方針は、好調なドイツ経済と労働者不足という現実にも支えられて今まで機能してきたのである。

この本によれば、難民の数が増えてきており、好調なドイツ経済でも支えきれない、と考えるドイツ人が増えてきているようだ。キリスト教民主同盟の党大会で提案されたスローガンに「多文化主義よりもドイツの国益を」(p.139)があったそうだ。

このことは日本の現実とも重なる。日本ではドイツと比べると難民受け入れの数ははるかに少ない。私が数年前に社会人講座で多文化共生社会について講演したときに、「急速な多文化社会は好ましくない。ゆっくりと進めていくべきではないか?」という質問を受けたことを思い出す。

日本では移民の数が2%ほどであるが、それでも、移民受け入れに反対の声を上げる日本人は多い。そのことを考えたら、決して広くはない国土に、日本よりも少ない人口のドイツ人たちが、多数の難民・移民を受けて入れ支援している姿をみると、ドイツ人たちの受け入れへの決意・覚悟は並々ならぬものがあることに気づく。

しかし、これまで移民・難民受け入れに寛容であったドイツをはじめとするEUでも、そして、トランプ大統領の当選に見られるようにアメリカでも反移民主義が台頭している。世界全体が反移民主義に振り子が揺れているようにも感じる。

各界のオピニオンリーダーたちがいろいろと意見を述べている。しかし、結論がなかなか見えない、どこに妥協点をおくべきか、相互の合意点が見えない問題である。

ただ、難しい問題だからと手をこまねいていたり、目を背けるわけにはいかないだろう。ドイツの直面する問題は、明日の日本の問題でもある。ドイツほどの深刻さはまだまだと考える人がいるかもしれない。しかし、グローバリゼーションの進展の速度から考えると、遠い未来のお話ではなくて、日本が今日明日にでも直面するかもしれないのである。

そんなことを考えると、ドイツの中で難民支援にいろいろと携わっている機関や自治体の活動状況、トラウマを抱えた難民への支援、ドイツ語講座の提供、難民カフェなどの実例が紹介されているのはありがたい。日本でもこれらの活動を見習うことはできるだろう。

とにかく、目を大きく見開いて、現実を知ることの必要性を教えてくれる本だ。そして、それに基づいて自分の頭で考えてゆくことの大切さも教えてくれる。

未婚の女性の敬称


未婚の女性の敬称は Ms である。昔は、既婚の女性はMrs 未婚の女性はMiss であった。しかし、女性を既婚と未婚で区別するのはおかしいと言うことで、両方に使える敬称として Ms が提案されて、この表現が広く行き渡っている。

歴史的には、1970年頃から積極的にその使用が推奨され始めた。1973年に、国連において女性に対する正式な敬称としてMsが採用されたそうである。私自身の学生時代(1960-1970年)は Mrs./Miss の使い分けを学んだだけで、Ms という敬称については教わらなかった。ところが、1986年にアメリカ英語を教えるある会話学校に会話の訓練に通ったら、その学校では女性は Ms という敬称と使うようにと教えていた。

他国でも似たような状況である。マドモワゼルという語を考えてみよう。フランス語の mademoiselle は最近は使わない。この語は ma + demoiselle  と分解できる。ma は英語のmy であり、demoiselle は英語のgirl の意味である。マドモアゼルは女性が父親の管理下であることを表す言葉だと女性団体から是正を求められていた。2012年2月にフランスの首相(François Fillon)が公文書での使用を廃止を提案して、同年の12月に議会で承認された。それにより、フランスの公文書においては、既婚か未婚を問わず女性を示すのは、単数形(madame)、複数形(mesdames)の敬称に統一されたのである

ドイツでも、未婚の女性を示す語は Fräulein であった1960年頃からこの語の使用に疑問がだされるようになり、1970-1980年代では、公式文書や都会では使用が稀になってきたが、地方ではまだ盛んに使われた。しかし、現代ではきわめて稀になった。現在では既婚か未婚にかかわらず女性は Frau を使うようになってきている(複数だと Frauenだ)。

このような世界の動向を見ていくと、日本で若い女性向けの雑誌のタイトルに、「ミス、マドモアゼル、フロイライン」などと付けるのは問題になりそうだ。

『言語と格差』(杉野俊子・原隆幸、編者)明石書店

2015-01-28

『言語と格差』という本が明石書店から発売された。この本は杉野俊子、原隆幸の両先生が編者となられて、全部で19名の執筆者が参加して完成した本である。「差別・偏見と向き合う世界の言語的マイノリティ」というキャッチフレーズが本の表紙に書かれている。私も執筆者の一員として、第三章「外国人高齢者への言語サービス」を執筆している。これは自分の母親を介護した経験、さらに知人の外国人達が苦しんでいる姿を見て感じた問題点などを、この章の中に書き込んでいる。

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次に目次を紹介しておく。なお出版社へのリンク先は次の通りである。http://www.akashi.co.jp/book/b193302.html
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まえがき

第1部 日本のなかの「言語と格差」

第1章 手話と格差―現状と今後にむけて

 コラム1 琉球側の視点から視る「琉球諸語」と「琉球の歴史」
 コラム2 樺太アイヌ語の場合――絶滅言語研究者の立場から

第2章 日系ブラジル人――時空を超えた言語・教育と格差の中で

 コラム3 中国から来日した女性たちの生活と言語の格差

第3章 外国人高齢者への言語サービス

 コラム4 「英語格差(イングリッシュ・デバイド)」現象をめぐって
 コラム5 今、帰国生に求められるもの

第2部 世界における「言語と格差」

第4章 教育改革と言語的弱者――コモンコア(全米共通学力基準)・アメリカ教育改革の現状

第5章 アメリカにおける言語格差と双方向バイリンガル教育

第6章 ニュージーランドのマオリ語教育に関する考察――バイリンガル教育における文化的格差

第7章 カナダの少数派――フランス語系カナダ人と移民

 コラム6 西欧語によって結ばれるアフリカ・分断されるアフリカ

第8章 アラブ首長国連邦(UAE)ドバイにおける英語と経済―UAEナショナル/エミラティの女子大学生の意識調査に基づく報告

 コラム7 多言語国家パプアニューギニア独立国

第9章 インドにおける言語と学校教育――社会流動性と格差の再生産

 コラム8 タイにおける少数派グループの教育と社会階層
 コラム9 ベトナムの少数民族の教育と言語問題

第10章 香港とマカオにおける言語教育―――旧宗主国の違いは言語格差をもたらすのか

 あとがき

黒人暴動と独立戦争の関係

2014-11-28

Fox News Radio を聴いている。John Gibsonが司会をしている John Gibson Radio Special という番組を聴いている。白人警察による黒人の少年の射殺について視聴者と電話でトークしている。いろいろと気づいたことを箇条書きで書いてみる。

(1)アメリカは広い国であるから日本のように対面で話し合うことができないことが多い。それゆえに、電話でのトークとかインタビューが頻繁に行われる。

(2)Fergusonでの大陪審の決定、警察官を起訴しない決定は、黒人を怒らせてたくさんの暴動が起こった。暴動による放火、略奪が生じた。このことがアメリカで一番の話題になっている。

(3)黒人の言い分を聞くとなるほどと思う点もある。メディアは白人の支配にあるが、それでも何らかの公平さを確保しようとする態度があり、そこから垣間みられる黒人の主張には、ある程度の根拠があるように思える。これはメディアリテラシーとも関係する。

(4)警官は普通は cops ということが多い。改まった言い方だと police officers と言っている。policeman はPCの観点からも好ましい言い方ではなくなったようだ。

(5)Black Panther の指導者で弁護士(attorney) とJohn Gibsonが議論をしている。指導者の名前はMr. Sibers と聞こえるが、ネットで調べてもこの名前は見つからない。私の聞き間違いだろう。この人を指導者と呼ぶ。指導者の論理を聴いてみると、肯定する面もある。

(6)この指導者は Bill of Rights を自分の論理の根底に据えている。アメリカは400年にわたり白人が黒人を支配してきた。その度合いは、かって英国がアメリカを植民地として圧政をしいた時と比べて100倍も悪質だ。いま、黒人が行っていることは、Exercise constitutional rights であるのだ。Police are shooting us.とも言っている。Police are killing us.とも言っている。militarized policeとも言っている。白人警察への強い憎悪が見られる。それに対してJohn Gibsonはたくさんの警官が殉職しているという事実を挙げていた (Thirty-seven police officers were killed on the service last year)。

(7)この指導者は、黒人への差別を Institutional racism と呼び、アメリカという体制そのものに由来すると考える。そしてメディアをWhite Mediaと言ったり、Gibson 個人に対して pro-police であると言ったりしている。,

(8)この指導者は暴動、略奪、放火は、黒人の正当な意思表示の方法であると述べている。そして、イギリスから革命によって独立を勝ち取ったことに譬えて、これらの暴動は革命である、と述べていた。

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独立戦争でイギリスからの独立した過去を、黒人達の現在の逆境に譬える理屈はよく分かる。しかし、現在は民主主義は機能しているのであり、投票という形式で自分の意志を表明することができる。現にたくさんの黒人政治家が誕生している。この指導者に言わせれば、それでも白人支配は目に余り、このような形でしか抵抗を示すことができないという理屈だ。

独立戦争、銃文化、銃を持つことでイギリスからの独立を勝ち取ったという過去への誇り、などが複合すると、このアメリカの状況を説明するのだろう。やはり分からないな。

黒人であること

2014-10-29

このところ、夕食時に焼酎を飲んでいる。一杯だけならばいいのだが、物足りなくて二杯飲んでしまう。すると眠くなり、早々と床についてしまう。すると真夜中の1時頃に目が覚める。真夜中なので寝床で iPhone で Fox Radio をしばらく聴くという毎日である。自分の年では、もうアルコール類を飲むべきではない。体も肝臓も弱くなっているのだから。しかし、意志が弱いのでどうしても夕食時には焼酎に手が出てしまう。夕方には焼酎にかわる楽しみを見つければいいのだが。

昨晩のFox Radioでは「黒人であること」(Being a Black)というテーマを特集していた。(なお、ちかごろは、黒人を示すのに、African American という言い方をしないようだ。Blackという言い方に戻ったようだ)この番組では、アメリカで黒人であることについて黒人の視聴者から意見を聴いていた。次から次と電話がかかってきて意見が述べられたが、興味深かったのは、仲間である黒人たちへの憤りの声が多く聞かれたことだ。ある人は、「自分は一生懸命きちんとした英語を覚えても家族が馬鹿にするとか、友人たちが黒人的でない(un-Black)と反対している」と語っていた。ある人は、「教育を受けようと頑張っている黒人を unintelligent な黒人たちが非難する」とか「成功しようとする黒人の足を引っ張る」と言っていた。ある人は「黒人であることも、白人であることも関係ない。自分は自分である」と述べていた。

Anthony という人が Tokyo から電話をして、似たようなことを述べていた。「自分は白人からは排斥され、黒人仲間からは裏切り者のように扱われてきた。しかし、自分は努力して成績はいつもトップだった」と言っていた。すると、司会者は「そのことで、Anthonyさんが東京にいるのか」と質問をしていた。すると彼は「その通り」と答えていた。司会者は「アメリカにいることと日本にいることはどのように違うか」と質問をしていた。自分もこの答えを知りたかったが、かれは直接な形では答えなかった。司会者に対して、「Go to a foreign country and open your eyes. USAにいると世界が見えなくなってくる。USAの外に出て見聞を広めろ」というようなことを言っていた。このAnthony さんは言葉が静かで深く考えるタイプの人だった。白人、黒人の両方から排斥された黒人が東京で生きる場所を見つけている、という事実が自分にはとても意外だった。

次に電話がつながった視聴者の人はハワイに住んでいるpolice officer と自己紹介していた。(もうpolicemanという言葉は性差別なのでつかわれないようだ)黒人を束ねる指導者が今はいないと嘆いた。そして、1960年代、1970年代には、黒人を導くのはマルコムXかキング牧師の二人いて、どちらかの選択があった。現代に、キング牧師のような人があらわれてほしいというような発言をしていた。

ラジオ番組の方がテレビ番組よりも本音が出るようだ。テレビで顔が見えるならば、発言はかなりトーンダウンするだろう。アメリカの生の声が聴ける点でこのFox Radioは面白い。