新伝さんが描いた「アート書道」の紹介(2)

新伝さんが描いた「アート書道」の紹介を続けます。彼女の作品は文字が多いのです。その場合は、漢字やひらがなだけではなくて、アルファベットも筆で書いています。そして黒い墨ではなくて様々な色を使用しています。

Blue Daisy アフファベットもアート書道に含まれます。
大輪の花を咲かせて
これは伝統的な書道のスタイルです。
感謝、年賀状です。
花は花は花は咲く

ご覧のように、アート書道は「書の新しい描き方」という範疇では収まりきれないほどの広がりを見せています。新伝さん自身も色々な可能性を探りながら、様々な書き方にチャレンジしているようです。これらの作品のキーワードは「明るい色彩」となるでしょう。彼女のこれからの発展を楽しみにしたいものです。

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新伝さんが描いた「アート書道」の紹介(1)

私の親戚の新伝さんのアート書道の作品を紹介します。書道というと墨で書かれた文字だけという
イメージを持たれるかもしれませんが、新伝さんの作品は文字の持つ魅力に色の鮮やかさを調和させている点が特徴です。
 
彼女の作品を見ていると色彩豊かで、心が癒される。そして、気持ちがゆったりと広がってゆくような心地よさを感じさせます。
 
連絡を取りたい方は、次のアドレスにお願いします。milestone.ivory[a]gmail.comです。[a]の部分は@に直して送信してください。
 
優しい秋の風 左下は落款で、ローマ字でYokoとあります。
はじめの一歩は自分への尊敬から
「決める」俳画を思わせる筆致ですね。

ここで一旦、区切って次の記事(2)に移動します。

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『不思議の国のアリス』の発表を聴いた。


今日は卒業論文に関する発表会があった。その中でルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に関する発表があったので、その報告と感想を述べておきたい。

1865年に Alice’s Adventures in Wonderland が刊行された。そして、その翌年にドイツ語版とフランス語版が出版されたそうである。この作品は作中に織り込まれた言葉遊びが特徴的である。英語の音韻や語法、文字通りの意味とイディオムの意味の交錯、メタファー、メタニミー、シネクドキ(提喩)などで溢れていたので、翻訳不可能のように思われたのだ。だが、不可能のように思えるが故に、翻訳に挑戦する人が絶えなかった。日本語の翻訳も試みる人がたくさんいて、アマゾンを見るとたくさんの人が翻訳を試みていたことが分かる。

日本語でも人気の作品であるが、これは言葉遊びが受けたというよりも、作品の内容、奇抜さが受けたと考えるだろう。言葉遊びの部分に関しては翻訳不可能である。この部分の味わいは英語にきわめて堪能な人が、英語で読むことで鑑賞することができるであろう。

発表者に私は「この物語は日本語に翻訳可能でしょうか?」と質問を投げかけたのだが、答えは「言葉遊びの部分は翻訳不可能だが、内容や映像部分がそれだけで素晴らしいので、その部分を翻訳すればいい」であった。まあ、そうゆうことになるのだな。私も同意見だ。

この本の起こりは、ルイス・キャロルが子どもたちと船遊びをしていたときに、面白い話をねだられて、即興でお話を語ったそうだ。それが後の『不思議の国のアリス』に発展してゆくのだ。このことからも、この物語は音声から、音で楽しむ物語だと思われる。いや、お伽噺や子ども向けの話しはすべて「語られる」ことでその魅力が発揮できる。

テレビで「日本昔話」という番組を聴いていたが、ゆったりした語り手の口調に自然と引き込まれる。これが文字で書籍を通しての鑑賞ならば、あまり面白さを感じなかったと思う。

Alice’s Adventures in Wonderland は音声で語られ味わられるるのが一番本来的なあり方であろう。ただ、この物語は文字で読んでもかもし出す映像的なイメージも素晴らしい。それゆえに、映画やアニメもたくさん作られてきている。

最近は、ジョニー・デップ主演の映画で見たが、あまりに派手すぎで、これはアリスの物語とは無関係の新しい創作であると考えた方がいいだろう。

Alice’s Adventures in Wonderland を英語学習に使うべきとの意見がある。可能だと思うが、高校生以上に使うべきだろう。ただ、純粋に音だけを楽しむのならば、小学生でも可能かもしれない。

学生の発表を聞いて、説明と感想を書いてみた。書いているうちに、どれが学生の説明か自分のコメントか区別がつかなくなった。その点、ご海容を。

 

ブログに微笑んでいる写真を

2016-09-06

最近、よく他人のブログを読むことが多くなった。そこに写真が載っていると、読み手と語り手の距離がぐーつと近くなる気がする。そんなことで数カ月前に自分の写真をブログに載せてみた。こんな老人の写真でも、読んでもらう人には、親近感が増すのではという気がしたからである。

よく、手だけとか、後ろ向きの写真とか、マスクをした写真を載せる人がいるが、やはり正面を向いている写真が一番いいように思える。ペットの写真を載せる人がいるが、これもあんまり賛成しない。

それで、ブログの第一ページに、自分はまず正面を向いた写真を載せてみた。やや威厳をつけて真面目くさった顔だ。ネクタイまでしている。数日、それを載せてみたが、どうも勝手はよくない。クソ真面目な感じで読者はブログを読みたいと思わないのではと思った。

他にいい写真はないかと探したが、自分の教え子が子供を連れて私の研究室にきた時の写真があった。私は横を向いているのだが、微笑んでいて、これならば大丈夫だなと思って掲載することにした。つまりそれらは下の二つの写真である。

真面目な顔をしている。
真面目な顔をしている。
教え子の赤ちゃんに話しかけている。
教え子の赤ちゃんに話しかけている。

最初の写真は神経質そうにカメラを睨みつけるようにしている写真だが、不思議に思うのは、今は亡き父親に年とともに顔が似てくることである。自分は父親とそんなに似ているとは思っていなかったが、年とともに相似点が増えてくる。

ところで、父が亡くなった年に自分の年が段々と近づいてくる。自分は父よりも長生きできるかな、と、そんなことを考える日々である。

実家には父の買い集めた本が残っている。宗教書がけっこうある。若い頃は何も宗教に関心がなかった父だが、年を取ってからは、キリスト教や仏教の本などを読んでいたようだ。

実家は浄土真宗の盛んな地域である。今までに何回と葬儀には参加したが、御坊さんが読み上げる、「朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)に白骨となれる身なり」という蓮如上人の一節は心にしみる。そんなことをふと思い出す。

自閉症の画家が描いた表紙が話題に

2015-12-08

ヤフーニュースに「自閉症の画家が描いた表紙が話題に」という記事があった。埼玉県の日高市に住む福島尚(ひさし)さん(46)という人である。幼児から自閉症で、人とのコミュニケーションは苦手だが、大好きな鉄道の絵ならば夢中になり、それを得意にしている男性である。その人の描いた絵があるきっかけで、日本信号という会社の株主大会の報告書の表紙に使われているという。今、その絵がネットで評判になっている。

それらの絵を下に掲げるが、これは驚きである。もう写真としか言いようがない。

スクリーンショット 2015-12-08 6.43.50 スクリーンショット 2015-12-08 6.44.36 スクリーンショット 2015-12-08 6.45.02 スクリーンショット 2015-12-08 6.45.18

この福島さんだが、幼児のころから言葉が遅れていたそうである。親御さんたちによれば、福島さんが絵を描き始めたのは母が蒸気機関車の漫画を描いたのがきっかけのようだ。

家に閉じこもってばかりいた3歳のころに、母親が漫画のように蒸気機関車の絵に目鼻をつけ、泣いたり困ったり、笑ったりする表情を描いては、尚さんに語りかけたそうです。

 尚さんはその絵を気に入り、何度も手を引っ張って絵を描いてほしいとせがみました。そのうち、自分でも機関車や信号機の絵を描き始め、小学生のころにはボール紙とセロハンテープで電車のクラフト作りに熱中したといいます。

絵画を習ったことはありませんが、蒸気機関車から新幹線まで、外観のデザインだけでなく細かな部品も記憶して、資料を見ずにフリーハンドで描き上げます。

このように記憶で記憶に頼りそれを再現する。これは驚異的なことである。これは、サヴァン症候群と呼ばれている事例に当てはまるであろう。

昔、授業で『レインマン』のビデオを学生に見せたことがあった。これは主人公のレイモンドを演じたダフティ・ホフマンの名演技もさることながら、サヴァン症候群とはどのようなものであるか示してくれる内容に学生たちは驚き・感動していた。

自閉症であり同時に天才としか言いようがない人たち。山下清も写真やスケッチは取らないで、自宅に戻ってからすべて記憶に頼って、あの作品群を仕上げたという。その細部に対する記憶力の確かさには常人は圧倒されてしまう。

この問題に関しては、私自身は自閉症の人は細部を忘れないから、むしろ忘れられないから、それが問題なのだと考えている。常人は景色を見たら、それを言葉に置き換えて記憶する。膨大な量の画像(たとえば、3ギガバイトぐらい)あるものを、言葉にしてわずかの容量の言葉(たとえば、3キロバイトぐらい)にしてしまう。記憶を軽減できる。

常人はだから正常に生きていけるのである。すべての風景を取り込んだら、パンクしてしまう。忘れること、言葉に置き換えて風景の方は忘れてしまう能力は、じつは大切な能力だろうと私は考える。

タレントの写真は撮れないか?

2015-11-25

先般、勤務校の学園祭で渡辺直美が来てパフォーマンスを行った。その写真を撮ろうとしたら係りの人から注意されて写真撮影を断念した。

あとで、これはどのような法律に基づいているのか調べてみた。有名人の肖像権は特に法律で定めてあるのではない。何かそれで逮捕されることはない。解釈としては、渡辺直美の写真は契約する事務所が独占販売する権利を持っている。私の行為は芸能事務所の財産権を脅かす恐れがあったわけだ。

つまり、私が渡辺直美の写真を撮りブロマイドや写真集として売り出して、芸能事務所による写真販売の利益を減少させる可能性があったということだ。

なお、これは著作権とは関係がない。渡辺直美の写真を撮ったカメラマンの作品を私が無断盗用すると、カメラマンの持っている著作権を侵害したことになる。

以前、高槻のイオンで吉幾三がコンサートしたことがある。そこのコンサート会場は店内の階段状になった部分を使ったのだが、コンサートの日は周りを大きな幕で囲んで、外から見られないようにしていた。あまり有名でない芸能人だと写真は撮り放題であるが、吉幾三ぐらいの大物になるとかなりうるさくなる。

自分はブログを運営している。その時の私の意図は、渡辺直美の写真をブログに掲載して訪問者の人に喜んでもらおうという意図であった。別に渡辺直美の写真集を無断で発売して金儲けをしようという意図はなかった。であるので、具体的などの法律に違反するということはなかった。ただ、近年、社会的な常識としてコンサートなどの芸能人の写真は撮ってはいけないということになっているようだ。

ところで、渡辺直美だが、かなり横幅がある。それでも器用に踊っていて運動神経は優れているようだ。彼女のあの体が彼女の商売道具である。渡辺直美が痩せてしまったら、もう笑いは取れない。お笑い芸人の座からは去らざるをえなくなる。とにかく、みんな一生懸命生きているのだ。

photo credit: My Bessa R via photopin (license)
photo credit: My Bessa R via photopin (license)

画像の調整の腕前をあげる

2015-07-06

先週の水曜日の非常勤講師の仕事で大阪に行った時に、北浜駅で途中下車をして、iPhone で何枚か写真を撮った。それをブログに掲載しようとしていたが、手帳喪失によるバスワードの変更などがあり、なかなかアップできなかった。今日はアップできそうである。また画像の色調をいろいろと変化させることを覚えたので、早速、披露したい。

まず難波橋のライオン像であるが、少々青みを入れてレトロ調にする。
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次は、大阪取引所前の五代友厚の像であるが、以下のように明るい感じにする。
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Mac を利用するようになってから、少しずつ使い方を覚えている。写真を集めて、いろいろと遊びができる。これは楽しいことである。