シンポジウム『地方創生 岐阜から』を聞く。

昨日は、シンポジウム『地方創生 岐阜から』を聞いた。岐阜新聞社が開催したシンポジウム『地方創生 岐阜から ー岐阜と名古屋 競争と競合の時代ー』が岐阜駅前の「じゅうろくプラズ」で開催されたので、聴衆の一人として参加した。それぞれ面白そうな内容をメモに取ったので、ここに示したいと思う。

はじめは、基調講演として考古学者である千田嘉博氏による「美濃と尾張ー城から見た競争と共働-」があった。千田氏は、名古屋城と岐阜城を比較された。名古屋城は平屋がたくさん並ぶ地域が次第に頑丈な城に発展していったのだが、岐阜城は最初から石垣を用いた、防衛を意識した当時としては先端的な城であったそうだ。この岐阜城の方式が次第に全国の城に広まっていったので、岐阜城は全国の城の原型とも言えるそうだ。また、小牧の町並みだが、ブロックの中に空き地を含まないような、町屋の密集した町並みだそうだ。この町並み方式が京都にも影響を与えたそうである。また、面白いのは、信長の楽市令である。これは当時としては画期的な(今でも、画期的な)政策であり、要は住み着いてくれたら、税金はなし、今までの借金は棒消し、という特典を与えるという政策だ。これならば、確かに人々は集まる。信長の政策が中世から近世へと大きく動かしたそうだ。そのように、美濃と尾張は日本を動かした歴史があり、それは今でも可能だという話だ。

次は4名のパネリストによるディスカッションであった。河村たかし氏(名古屋市長)、柴橋正直氏(岐阜市長)、松家鮎美氏(岐阜薬科大学准教授)、秋元祥治氏(NPO法人G-net創業者、武蔵野大学教授)がパネリストであり、コーディネーターは矢島薫(岐阜新聞社社長)であった。それぞれのパネリストがいろいろなアイデアを提出された。それらを下のようにまとめてみる。

河村市長は、名古屋市の概要を話し、昨年で年で120億円の減税をしたそうだ。名古屋市は百万世帯があるので、一世帯に12万円を減税した効果があるとのことである。あとは、マイナンバー制度に批判的であり、リニアの開通にも歯切れの悪い説明であり、あまり歓迎していないという印象をうけた。河村市長は提案と言うよりも、名古屋の現況の説明が多かった。なお、河村市長は自分は日本で一番給料の安い市長で年間800万円しかもらってないと自虐的に述べていた。

柴橋市長は、岐阜は枝豆が名物であること、岐阜和傘は侍の内職から起こり、岐阜の伝統であるが、高齢化が進み技能の継承が難しくなっていると述べていた。保育園のオムツの回収をはじめたのは岐阜市の貢献だそうだ。秋元氏の奥様がオムツの持ち帰りを不要と考えて、秋元氏経由で柴橋市長に訴えたところ、よいアイデアとあると考えられて、さっそく採用となったそうだ。

秋元氏は、これから岐阜の人口は5万人が減ってゆくのであり、その人たちの平均年収が300万円と考えると、今後1500億円の購買力が減少するのであり、これに危機感を持つべきことを述べられた。これは柴橋市長も述べられていたが、駅前の再開発は必要であり、近鉄とJRの駅との結合などが有益と述べられていた。

松家氏は、自分が取材したノースカロライナのある町が研究で再生した例を述べられて、Research Triangle さらにはResearch Belt を提唱された。そこでは大学発の起業がおこるように条件の整備が必要とされた。なお、同氏の勤務される岐阜薬科大学は論文の発表数が日本一とのことである。この事実も岐阜がResearch Belt となる可能性を裏付けるものである。また、引きこもり対策として、自宅で引きこもりであるよりも、外に引きこもる場所をつくり、そこで引きこもってもらったほうが、外との接触も増えて引きこもり解消につながると提案された。 

このようにいろいろな提案があった。メモを見直しながらブログに書いているが、記憶の違いがあるかもしれない。その点はご寛容いただければと思う。

シンポジウム
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大学院の修士論文発表会が行われた。


昨日21日に大学院の修士論文発表会が行われた。コロナ感染防止のために、Zoomで発表する学生や、Zoomで発表を聞く人も多数いて、例年とはかなり様変わりの発表会となった。

最初の発表は、生成文法を日本語に適用して、日本語の構文への分析研究であった。私が従来いだいていたイメージとしては、生成文法はもっぱら英語を基盤にして誕生した考えであるので、日本語にどれくらい適用されるのか疑問に思っていた。普遍文法という視点では、あらゆる言語の文法には共通性があり、その共通性に基づいて考案された文法ならば、普遍性は確かにあるだろうとは思っていたが。そのあたりを発表後の質疑応答の時間に質問したら、「生成文法は英語に基づいているが、日本語に適用される試みは数多くあり、それなりに成果が上がっている」とのことであった。

発表会の様子
全員がマスクをして発表あるいは聞き入っていた。

その後はオーラル・ヒストリーに関する研究発表が数点続いた。ある地域の歴史、あまり文献が残されていない事項ならば、その土地の古老から昔話を語ってもらうしかないのだ。それがオーラル・ヒストリーだ。それを文献、ビデオ、録音などの形で残すのだ。

発表者の一人は沖縄の古典音楽について、もう一人は戦後沖縄の公衆衛生についての研究発表だった。それぞれが関係者からの聴き取りを重ねて、歴史の再構築を行っていた。

私自身も退職後は郷里に戻って、郷土史を調べてみたいと常々思っていた。その意味で、お二方のオーラル・ヒストリーの発表は参考になった。ところで、私の郷里だが、高齢化が進んでいる。そして、歴史が次世代に語られることなく消えている。その意味では、私の仕事も急がなければならないと感じた。

昔、書いた論文をアップした。

むかし、自分は Languages and Language Policies in Insular Southeast Asia – Focusing on the Philippines and Malaysia – という論文を書いたことがあった。その論文はかなり長くて、データ的にもやや古くなっているが、関心を持ってくれている人は読んでもらいたい。次のページから入っていくことができる。

その論旨は以下のとおりである。

論文要旨

島嶼部東南アジア(フィリピン,マレーシア,インドネシア,シンガポール,ブルネイの各国)は多言語国家であり,欧米の旧植民地であった。元来はもっぱらオーストロネシア(マラヨーポリネシア)語族の言語が使われていた地域であったが,各国とも今日のような複雑な言語構成になった理由として,欧米諸国による植民地支配が挙げられる。現地の歴史的。地理的条件にかかわりなく,欧米諸国の都合により植民地が形成されたために,異なる言語集団が多数同一国家の中に含まれることとなった。また植民地時代には,宗主国の言語(英語,スペイン語,オランダ語)が司法,行政,教育の言語として使用され,現地のエリートの共通語となり,言語社会の上層に位置するようになった。

また移民を受け入れてきた歴史から,その言語(広東語,福建語,タミル語等)が各地に存在するようになった。さらに多言語地域なので,言語間の接触により,多くのクレオール(ピジン)が生じた。植民地時代は,これらの言語は,社会の中でそれぞれの役割を持ち補完的な関係にあった。社会における言語の地位の高さから,宗主国の言語,土着語/移民の言語,クレオール(ピジン)との順番で言語の階層的存在が見られた。これらの植民地時代の社会言語的特徴は,独立後も色濃く残っている。

多言語地域の実情を知るために,首都圏に住むフィリピンの大学生を対象として,アンケート調査を行った。その結果,相当数の家庭内では英語,タガログ語,地方語など,言語が複数使用されていることが確認された。彼らは,家庭内でも,祖父母,父母,兄弟姉妹,メイドと,話し相手により言語を使い分け(コード切り換え),中には家庭内で6つの言語が話されている例があった。

またフィリピンとマレーシアのある家族内での具体的な言語の使用状況の観察から,同一の家庭内で複数の言語が使われている場合に,言語にある種の機能的な分業が行われている場合があることが確認された。このフィリピンの家庭では,タガログ語が通常用いられるが,話し手が地方出身者としての自己確認を行うとき(故郷の話をしたりする場合)に地方語が用いられることが多い。これらの使用状況から,言語に関して実用機能と自己確認機能の二つを想定することができる。実用機能とは,言語が情報伝達として実用される側面を主に示し,自己確認機能とは言語によって自己や自己の所属する集団への帰属を確認する側面を示す。単言語社会ではこの二つの機能には同一の言語が使用されるが(例,日本における日本語),多言語社会の特徴として,これらの機能が別々の異なるさまざまな言語で遂行されていることが挙げられる。調査対象となったマレーシアの技術者(中国系)は,いろいろな言語を使用するが,家庭内での広東語,隣人とのコミュニケーションのための福建語,メイドに指示するためのインドネシア語(マレー語,中国人としてのアイデンティティを示す中国標準語,職場での英語とマレー語と,言語生活を機能させるためにさまざまな言語を必要としている。

これらの複数の言語は漠然と並列的に存在するのではなくて,階層的に存在することも多言語社会の特徴である。上位の言語ほど社会的。経済的利益をもたらすが,通常は学校教育を通して習得されるために,費用と時間に余裕のある階級の子弟のみが習得の機会を得る。エリート層たちはこの言語能力(特に植民地支配国の言語の運用能力)の格差を自己の地位の維持に利用することがあり,往々にして,植民地支配国の言語を大衆に教えることに消極的であったり,司法。行政。教育の言語を大衆の言語である国語で置き換えることに反対鼠する例が見られる。

言語社会では実用機能と自己確認機能の二つの面で別々の階層構造を想定することができる。通常は実用機能で高位にあるものは,自己確認機能でも高位にあることが多いが,植民地の言語社会では,この二つの階層構造がしばしば別々の言語で占められていた。例えば,イギリスの支配下にいる敬虐なイスラム教徒にとって,実用機能では,英語が高位にあるが,自己確認機能においては,聖典の言語アラビア語が高位にある。

旧宗主国の言語政策は植民地経営を確実にするために,分割統治を行い,植民地の多言語状態はむしろ望ましいものだった。しかし独立した各国はこの状態に終止符を打ち近代国家形成のために言語政策を行ってきた。その言語政策は基本的には,(1)数多くの土着の言語の中から最も適切な言語を共通語(国語)として選ぶこと,(2)司法,行政,教育等で強い影響力を残す旧宗主国の言語を新しく選ばれた国語で置き換えること,(3)同化に抵抗を示す移民たちに国語を受け入れさせること,(4)国語が旧宗主国の言語に十分替わりうるように,語彙の拡充,書記法・スペリングの確定,数ある変種の中で標準変種の設定など,近代化を行うことである。

(1)共通語の選択として,普通は最有力の土着語が国語として選ばれて行く(タガログ語,マレー語)。しかしインドネシアでは,各有力民族に中立的でありながら,リンガフランカとしてすでに広く使われていたマレー語が,国語(インドネシア語)として受け入れられていった。シンガポールは小さな島国であり貿易に依存する度合いが高い。そのために経済活動の観点から,また各民族にとり中立的な言語であるので,旧宗主国の言語(英語)を実質的な共通語としている。

(2)旧宗主国の言語を,国語に置き換えることは容易ではない。とりわけそれが英語のように有力な国際語である場合は,教育,外交,科学技術,商業,貿易の言語としての有益性の観点から,国語への置き換えに消極的な人々も存在する。しかし有益性の劣る言語では,フィリピンでのスペイン語,あるいはインドネシアでのオランダ語のように,比較的短期間に姿を消してゆく。また住民と旧宗主国の間に文化・宗教の類似点がある場合は旧宗主国の言語は残りやすい。また旧宗主国が自国の言語の教育に熱心であった場合も,その言語は影響力を持ち続けることが多い。

(3)移民の言語は全般に次第に影響力を失いつつある。新世代は現地への同化傾向を示す。各国とも移民の言語による学校(華語,タミル語)は縮小または廃止の傾向にある。

(4)国語の近代化は極めて重要である。専門の言語機関が設けられ,そこで専門家たちは語彙の拡張。選択,スペリング゜書記法の確定を行う。また言語に多くの変種がある場合は,その中でどれを標準とするか確定しなければならない。なおナショナリズムの観点から,言語の純粋化が行われる場合がある。言語の中から外来の要素を取り除き,本来の言語の姿を取り戻し,言語が自己確認機能をよりよく持つようにするための試みである。

ここで言語社会の中で言語が階層的に存在しているとすると,言語政策の目的とは,新しく選ばれた共通語(国語)の地位を,階層構造の中で,他の土着語,宗主国の言語,移民の言語よりも上位に持ってくることである。それは,社会の中での言語構成の改革を通して,植民地時代の負債を引き継いだ社会の再編成を目指しているとも言える。しかし,独立したばかりの新興国にとり,新しく選ばれた共通語(国語)を階層構造の最上位に持ってゆくことは必ずしも容易ではない。とりわけ現実性を反映する実用機能の階層構造では,高位へと上げることはなかなか困難である。そのために,言語政策としては,まず観念的に言語を高位に上げること,つまり自己確認機能の階層構造で上位に持ってくることからはじめ,次第に実用機能の階層でも高位へと上げようとする方法がとられる。具体的には,国語の持つ歴史’性や美的価値を国民に訴えるために,国歌や公的儀式の場で国語を頻繁に使用することから始まり,やがては行政,司法,教育の言語として使用を広げてゆくことである。

新興国の憲法の規定を見れば,国語(民族の統一の象徴としての言語)は当初から土着語としている場合が多いが,公用語(国家を運営する実用的な言語)の規定にはどうしても(少なくとも一定期間は)旧宗主国の言語が残ることからも,国語が実用機能を+分に持つようになるには相当の時間がかかることがうかがえる。また国語として選ばれた言語が国家全体の象徴として自己確認機能を持たせるために,言語の名称が変更される場合がある。フィリピンではタガログ語との名称はタガログ族との結びつきが強いので,ピリピノ語やフィリピノ語との名称が選ばれた。マレーシアではマレー語
との名称では他の民族(中国系,インド系住民)にとり受け入れにくいので,マレーシア語との名称が選ばれた。インドネシアでもマレー語の名では主にマレー民族を連想させるので,国民全体を示すインドネシア語との名称が選択された。

自己確認機能から実用機能へとの方法は,社会における全体の言語の階層構造を変革してゆく際に,きわめて有益な方法である。そのことは逆に言語政策が成功するためには,自己確認機能の階層構造
で国語の地位を上げ,その後に実用機能の階層構造で地位を上げるという方式が順調に作用する必要がある。

島嶼部東南アジア各国の言語社会の状況として,フィリピンでは大衆の言語として,地方でも地方語からタガログ語へと変わりつつある。行政・教育の言語としても,英語からタガログ語への変換が進んでいるが,マレーシアと比較するならば,やや遅れている。それは,スペイン,アメリカという植民地支配国としては特殊な国の統治を受けたために,自己確認機能の階層構造で地位を高めてから実用機能で高めるとの方式がうまく働いていないからである。この分野でのタガログ語への完全な転換は数世代先のことと予想される。

マレーシアでは行政,司法,教育などの面で英語からマレー語への転換が進んでおり,数々のエリートを生み出した英語学校は廃止され,あらゆる層が国語教育を受けるようになった。またマレー人の間にはマレー語への誇りも生じつつあり,インドネシアとの間でマレー語の語彙,スペリングの統一の動きもある。マレーシアでは移民の有力な集団(中国系,インド系住民)が存在しているので,移民の言語をどのように取り扱うかとの点が問題の一つとなっている。

シンガポールでは憲法で4つの言語(英語,中国語,マレー語,タミル語)を公用語としているが,実質的には公用語は英語である。この社会では英語の地位はますます高まっている。しかし国民の間にある過度の英語への傾斜の傾向とバランスを取るために,政府は「華語を話す運動」を行っている。インドネシアでは,学校行事等を通して,インドネシア語の普及が進み,順調に言語政策が実施されている。

多言語地域での言語政策とは,どうしてもある特定の言語の選択,他の言語の排除へとつながるが,多言語社会の持つ文化の多様性は継続されながら国家統一が図られることが望ましい。言語社会の中では,最も階層が下とされたクレオール(ピジン)はこの問題に解決を示す可能性がある。複数の言語の接触から生じたクレオール(ピジン)は,情報伝達との実用機能は持っているが,どの民族にも属さないとの意味で,自己確認機能は持っていないとされる。しかし逆に,特定の言語にしばられずに各言語の要素をさまざまに取り入れているとの意味で,クレオール(ピジン)が国の民族全体の表徴となり自己確認機能を持ち得る可能性があるとも考えられる。フィリピンでは,純粋のタガログ語ではなくて,各地方語の要素を取り入れた言語(フィリピン語)を将来の国語にする事が憲法に述べられている。またマレー語も由来はこの地域に通商の言語として広く使用されていたリンガフランカである。その意味ではクレオール(ピジン)には各民族の架け橋となり国家統一の象徴となりうる可能’性がある。

言語政策の目的

2016-07-31

言語政策とは国家のような公的な組織がある国家目的の遂行のために、国民の言語活動を変化させようとすることである。

その形態は国や時代により異なる。その意味では、抽象的で純粋な言語政策はなくて、常に地理的・歴史的な制約を受けて存在する。

地理的・歴史的な制約のもとで、言語政策の目的は、主に、政治的な目的、経済的な目的と理念的な目的の3つに区分けされる。政治的な目的とは、国家統一とか植民地支配の強化などのために言語政策が遂行されることである。経済的な目的とは、貿易や商業の活発化を目的とするため、言語政策が遂行されることである。理念的な目的とはその集団の威信を高めるために言語政策が遂行されることである。

それらは互いに関連して、純粋に一つの目的だけが追求されることは少なくて、互いに関連する。たとえば、共通語を樹立して普及させることは、政治的な視点からは、国家統一に結びつき、経済的には共通語ができたために、国内の交易が活発化するし、政治的・商業的に成功を収めることは、国の威信を高めることにも目的はなくて、ある程度は経済的な目的や理念的な目的とも関連するのである。

逆に、一つの目的追求のための言語政策が他の目的追求には反する結果となることがある。独立国の言語を国語にして普及を図ったら、威信の追求にはなるが、交易語として有益であった旧宗主国の言語を取り外すことになり、経済的にはマイナスになることである。

言語政策とは、それぞれの目的とのバランスを追求する政策でもある。

言語政策の歴史とそのバリエーション

2016-07-29

言語政策はどのように定義されるであろうか。公的な機関(国家、地方自治体など)が言語に関する政策を通して、人々の言語行動を変えようとすることである。単に言語行動を変えればそれで終了ではなくて、それ以上の目的、国の経済的な発展、国の団結の強化、国民の自尊心の樹立などが目的となる。

言語政策は各国によって異なるのだが、基本的には同じであると言えよう。あるいは、言語政策はその共同体の発展に従って、一定の同じような変化を示すとも言えよう。第一段階は言語政策の必要性を自覚することである。つまり、人々の言語行動が言語政策で変化できる、あるいは変化させるべきとの認識である。第二段階はその言語政策の実行である。言語政策を実行する機関が成立される。そのもとに言語政策が遂行されていく。

その場合は、政治的な目的、経済的な目的と精神的な目的の3つに区分けされる。19世紀から20世紀にかけての世界の歴史における特徴的な時代であった。植民地支配の開始とその終焉である。植民地支配を効率的に遂行するために、言語政策が大いに活用された。植民地は多くの場合、多言語国家である。この分裂状態を維持することが支配国にとってもっとも好都合なことであった。Divide and Rule という法則を用いたのである。それでも行政の推進のためには、共通語が必要である。多くの場合、支配国の言語を用いたのである。それは政治的な目的である。

そして、20世紀になり民族自決で次々と西洋列強の支配から独立していく。そのばあい、一般的な傾向としては、宗主国の言語を排除して、新しい共通語を樹立しようとするのである。これは精神的な目的であるとも言えよう。独立したしばらくの間は、植民地支配国の言語を共通語として利用している。しかし、それを続けることは、つまり、植民地支配国の言語を用いることはいつまでも負の遺産をかかえることになる。それは、是非とも避けるべきと考えるのである。

マレーシアは建国の際には、マレー語、中国語方言(広東語、福建語、客家語、潮州語など)、タミル語など様々な言語を話す集団を含んで建国したのである。各集団の共通の言語が絶対的に必要である。しばらくは英語を用いたが、徐々にマレー語を国家統一の基盤にしようとした。しかし、それは中国系の民族などからは反発を受けたのである。マレーシアの言語政策の歴史は、どのようにして、旧宗主国の英語を排除して、かつ少数民族の言語話者の主張を抑えながら、国語であるマレー語を普及させようとしたかの歴史である。中国系の言語話者は自らの言語をもっと重視されるべきであると唱えたのである。

このように、独立してから徐々に宗主国の言語を排除して、新しい共通語を決めようとする。しかし、そのときにさらに問題が起こる。どの言語を新しい国家の共通語にするか、意見の合意が定まらないのである。これらは多言語集団の新興国の特徴である。

ただ、一つの言語集団だけならば、独立後の言語選択は容易である。その言語を用いればいい。ただ、支配されていた間に宗主国の言語がいろいろと入ってきたであろうから、言語の純化運動が進められる。その典型は朝鮮半島の例である。そこでは民族の伝統の再評価がおこなわれたりする。

植民地支配に陥らなかった国でも、共通の言語の発見と発展には大いに力を注いだのである。それらの国は、ヨーロッパの国民国家形成の運動にその典型を見つけることが出来る。精神的な目的のために言語政策が利用されたのである。

いずれにしても、建国の際には、国家は求心性を高めようとする。共通の神話の発見、国歌、国旗、そして国語の樹立である。それらの統一のシンボルによって、ばらばらな言語を話す集団を統一して、互いにコミュニケーションが出来るようにするのである。

現代は実は新しい要素が加わったのである。それは、経済的な目的の自覚である。(これについては、次の記事で述べる)

 

 

授業(国際交流の理解)12回目

2015-07-06

国際交流の理解の授業の12回目である。今日は4組の学生が発表してくれた。なお、最後の一人は時間切れで来週に持ち越すことになった。

はじめはIさんによる「訪れたい国:デンマーク」であった。デンマークはよく世界一幸せな国と言われているが、その理由を探ろうとした発表であった。発表を聴いた学生からのコメントを下に記す。DSCN7644 DSCN7649

  • デンマークの世界遺産を初めて知った。デニッシュペストリーが美味しそうだった。乾杯の時はグラスを鳴らしてはいけないと初めて知った。
  • ウオルト・ディズニーも訪れて、ディズニーランドを作る時に参考にしたというチボリ公園に行ってみたいと思いました。日本人も「遠慮のかたまり」を残して、遠慮しながらも食べてしまうけど、デンマークでは、それはマナーとしてあまり良くないというのを知りました。鼻をすするも、あまり良くないことらしいので、もし行ったら気をつけたいと思いました。
  • プレゼンの文字をもう少し大きくした方がいいと思った。

次はOさんによる「一度は見たい絶景:オーロラ」であった。オーロラもどこでも同じ姿をしているのではないようだ。カナダ、ノルウエー、スエーデン、フィンランド、グリーンランド、北海道と異なる姿をして、名前も違っていると教えてもらった。コメントは以下の通りである。DSCN7653 DSCN7655

  • オーロラにも種類があるのを初めて知りました。見れる場所が結構あるんだなと思いました。私のイメージでは、カナダとフィンランドぐらいでした。北海道でもオーロラが見れるのははじめて聞きました。どうして、春分の日にはオーロラが活発化するのでしょうか。
  • オーロラを見る時の服装を発表していて面白かった。
  • オーロラベルト北緯50-70、ノルウエーのトロムソは出やすい!アイスランドは秋冬に街中でも見れることがある。
  • 原稿を持って前向いて発表した方が良い。誤字は気をつけたほうがよい。

三番目はYさんによる、「日本の茶道と英国のティータイム」であった。このような両者の比較は国際理解につながるので、是非ともいろいろなことを調べてほしいと思う。学生からのコメントは以下の通りであった。DSCN7664 DSCN7665

  • 茶道もアフタヌーンティーも体験したことがないので、一度はやってみたいです。
  • 茶器も日本とイギリスでは大きく違うし、水も軟水と硬水とでは、お茶の味も大きく違ってくるので、奥深いと思った。
  • 発表を聞いて茶道に興味を持ちました。和菓子もきれいで可愛いものばかりで食べるのがもったいないと思いました。和菓子にもたくさんの種類があるのでどんなものがあるのか気になりました。
  • 茶道とアフタヌーンティの違いや特徴を細かく完結に紹介されていてとても分かりやすかった。
  • 夏と冬でコップの薄さが違うのは初耳だった。

最後はSさんによる「グアム」だった。Sさんはてきぱき要領よく発表をしてくれたが、いかんせん、最後の発表ということで途中で12時のチャイムが鳴ってしまった。みなさんは食事にも行く必要があるので、そこでストップして、残りは来週に行うことになった。コメントを1つほど紹介する。DSCN7666 DSCN7671

  • チャモロという先住民がいることを初めて知りました。チャモロ人は母系社会らしくとても珍しいと思いました。チャモロ料理なんて食べたことがないので、とても興味があります。チャモロ語はスペイン語から80%も語彙が来ていることもあり、スペイン語的なと思いました。伝説も面白そうなものがり、興味がわきました。サンド・キャッスル・グアムにとても行って見たいと思いました。

さて、この授業も後残り3回となった。みんなの国際交流に関する理解度はどれくらい高まったか、コメント見ながらいろいろと推察する次第である。

 

ウェブ=情報=言葉=お金

2015-06-28

ウエブサイトを朝からいろいろと見ている。面白いウエブサイトはやはり自分に役立つ情報を提供してくれるサイトである。人によって求めるものが異なるが、自分が面白いと思ったサイトはお気に入りに登録したり、ブックマークをつける。

ウェブサイトは情報を提供するものであり、その情報は主に言葉である。他には画像のこともあれば、動画や音楽のこともある。しかし主体は言葉である。人は知りたい情報には喜んでお金を払う。そのときは、言葉=お金の関係が成立するのだ。

あらゆることがウエブ上で可能になってきている。手紙の交換、写真の送付、原稿の提出、音楽の鑑賞、動画を見ること、いろいろある。情報に関することはウェブですべてできると言えよう。言葉が広がり、情報が拡散して、一つの政権を倒すことも起こる。リビアがその実例であろう。

情報がお金になることを知った人々は一生懸命にサイトを作り上げて、人々を呼び寄せようとしている。広告を並べて、人々にアピールしようと真剣である。もちろん、その人たちのサイトは門構えも立派で、さすがプロは違うと感心してしまう。

♦こんな時代に自分はどのように生きるか?

自分はこのところ、そんなことばかり考えている。自分の年齢から言って元気でいられるのはあと10年ほどだと思う。あと10年だが、しっかりと世界を見ていきたい。そして、ウエブ、情報、言葉、お金、などが世界をどう変えていくのか、世界がどう再構築されるのかしっかりと見ていきたい。孔子の言葉に、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」があるが、この場合の「道」を「世界の変化」に置き換えるといいのではと思う。

昔、高校生の頃『火の鳥、未来編』を読んだことがある。素晴らしい作品だ。主人公の生き様も感動したが、主人公の好敵手だった男も印象的だった。世界が核戦争に巻き込まれて滅んでいくときに、好敵手だった男は、どこかの丘の上に腰掛けて、「自分はこの世界の滅亡を見ていくのだ」と高笑いしながら一緒に滅んでいった。(あの男の名前はなんだったろう?)そのシーンは印象的だった。

その男は、観察者に徹して世界を見ていこうとしていた。自分が生きている間は、核戦争などの恐ろしいことは起こらないだろうが、少なくともウェブを中心として世界の再構成、世界の大異変は生じると思う。その様子をしっかりと見据えていきたい。そして、それを自分のブログに書き留めていきたい。

なんだか、『火の鳥』を読みたくなってきた。その大学受験のために全部読まないで中座したのが惜しかった。再び読んでみたい。