3月15日に卒業式が行われた。

3月15日は、本学の卒業式があった。昨年までは、卒業式では全員がマスク着用であった。だが、この卒業式は、マスクの着用は個人の判断に任せることになった。教職員と保護者はマスクの着用は必須であった。当日の卒業生はどうであったかというと、ほとんどがマスクを外していた。この3年ほどマスクをしていた学生の顔しか見ていなかったので、やはり何かと違和感があった。我々の頭脳にマスクをした目だけの学生の顔が強くインプットされていたので、ちょっと戸惑ったのは事実である。

思い返せば、この卒業生達はコロナ禍に直撃を受けて、不運と言えば不運であった。「もうこんな災害は起こらないだろう」と言えない点が残念である。今はウクライナでの戦争、そしてもしかすると地震などの災害が将来起こるかもしれない。何が起こるか分からない時代である。とにかく、平穏であることを祈るだけである。

卒業式のあと、パーティがあった。学生達は袴からパーティ用の服に着替えたようで、出費も大変だったのではと推測する。久しぶりにパーティらしいパーティを経験できた点はよかった。

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送別会を開いてもらう。

2016-03-15

昨日は昔所属した文学科の先生方から送別会を開いてもらった。私は今月末で勤務校を定年退職するのだが、いろいろな部署から送別会を開いてもらい、また花束などをもらい、恐縮の至りである。

昨日の夜は、京都市役所の近くで、御幸町通りと御池通りの交差する近くにあるシェモワ(Chez Moi)というレストランで送別会があった。送別されるのは、私ともう一人の教員、また助手さんが一人と、合計3人であった。

会場となったレストランは通りにそった町家であり、路地をしばらく進む。まさしく隠れ家的なレストランであり、のんびりとそして静かに料理を味わうには最適のレストランである。

Chez Moi とフランス風の名称であるが、壁には浮世絵などが飾ってあった。日本文学の先生方がこれは歌舞伎の何々であると早速蘊蓄を開示してくれたが、自分はメモは取らなかったので、ブログには詳しくは書けない。熊谷直実に関する歌舞伎の浮世絵であったり、また岩井半四郎の浮世絵もあったようだ。

さて、料理であるが、写真に撮る。以下に示す。

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料理のメニュー
海の幸のゼリー寄せテリーヌ仕立て
海の幸のゼリー寄せテリーヌ仕立て

工夫されたフランス料理が次から次と出てくる。舌に優しい味で、量的にもちょうどいい具合であった。

彦丸式に言うと、「味の玉手箱や!」になるか。初めの料理は、誕生日式にロウソクがたててあった。送別会だが、誕生会式に祝うのも面白いだろうという意図である。

いろいろな話が出たが、自分が参考になった話を一つ記しておく。

長編小説『大菩薩峠』は面白いそうだ。全部で27巻あるのだが、日本文学のH先生は22巻まで読んだそうだ。なぜ22巻でストップしたのか、その理由は語ってくれなかったが、最初の5巻辺りまではとても面白いそうだ。中里介山による未完の小説で、主人公である机龍之介が魅力的に書かれている。また、映画化されてもいるとのこと、4月以降に入手して読んでみたい。

最後は、プレゼントをもらった。私以外の二人の方は花束をもらったのだが、私は先日花束を2つももらっているので、別のものということで、高島屋で購入してきてくれた茶碗をもらった。非常に軽い茶碗で、自分のモットーである「軽快に生きる」という信念と合致するので喜んだのである。

最後にみなさんで一緒に写真を撮った。プライバシーの点でその写真はここには掲載できないが、みなさんはとても楽しそうな顔をしていた。

軽妙な茶碗、裏には「も」と印字されている。
軽妙な茶碗、裏には「も」と印字されている。

さて、2次会にも参加した。W先生の息子さんがアルバイトで働いているアイリッシュパブに行く。名前は Gnome (ノーム)という名のパブだ。ノームとはアイルランドの伝説に出てくる小人の名前と教えてもらった。

我々は9名ほどで押しかけたのだが、たくさんのお酒があり、私は梅酒を飲んだ。結構、みなさん、陽気になり、軽口もとんで楽しいひと時を過ごしたのである。

飛蚊症の話をした。私は右側の目は飛蚊症がひどくて悩んでいるという話をしたら、N先生も実はそうだと聞いた。また、事務のMさんもそうだと言う。冗談で、「飛蚊症友の会」でも作ろうかという話になった。

だんだんとみなさんも年齢が高くなってくると、話題は健康に関する話題、つまり血圧、いい薬、健康法などが話題になってくる。これはある意味で仕方がないことである。

いろいろなお話をして、楽しく過ごせた。10年間ほど一緒に働いた仲間たちとのお別れは寂しいが、私は週に一回は非常勤の仕事でこの大学にくる予定である。皆さんと完全に縁が切れるわけではないのだ。

「老人」は差別語か?

2016-03-09

昨日はイオン洛南へ行く。ここは座り心地のよいソファがたくさん用意されているので私のお気に入りの場所である。家内が買い物をしている間は、私はここにすわり、お気に入りの本を読んだり居眠りをしたりする。

ふと、気づくとこのあたり座っているのは私のような「老人」ばかりである。みんな、暇を持て余すように本や新聞を読んだり、ウトウトとしている。老人が多すぎる。この老人の群れはどうしたのだ。

「老人」と言ったが、この表現を嫌う人がいる。これを差別語と感じる人もいる。「老人」にはどうしてもネガティブなイメージがあるので、言葉の言い換えが行われる。たとえば、「熟年」「実年」「ご年配の方」などの表現である。一般的によく使われる表現を、ネガティブからポジティブな表現へと並べてみると下のようになるだろう。

おいぼれ→年寄り→老人→年配者→高齢者→シニア

自分は「おいぼれ」と声を掛けられたら、さすがにムッとするが、「年寄り」「老人」と呼ばれても何も腹立たしさは感じない。つまりそれが実態であり、現実であるからだ。

京都のような大都市はまだ若い人がいる。しかし、地方に行けば高齢者ばかりだ。日本=高齢者の国、というイメージが急速に固まりつつあるが、将来、年金制度、健康保険制度、生活保護制度などは継続できるのか。

そんなことを考えているうちに家内が買い物を済ませてきた。それで、イオンの中にある。カフェランテという輸入品専門の食料品の店を一緒に見てみる。輸入品専門なので、普段は見かけないような食品が並んでいる。何人かの主婦らしい人が一生懸命、説明書を読んでいる。

世界には何億という主婦がいて、毎日料理を作っている。毎日同じような料理では飽きてしまうので、時々は新しい料理を作りたいと、カフェランテのようなお店に来るのだろう。気に入った料理ができるとブログで紹介したりする。それをみた他の主婦たちが真似をする。

世界中で料理に関する創意工夫がされて、それが互いに影響しあって次から次と新料理が開発されていく。そういえば、スーパーでもたくさんの種類の食料品が増えた。自分はいままで「みかん」しか知らなかったのだが、近頃は「八朔」「オレンジ」「ぽんかん」「いよかん」など多様な品種のみかんが増えてきた。

日々社会は変化していく。これを観察することは面白い。上手にブログにまとめて報告できれば、それも楽しいことだ。

カフェランテの輸入食品
カフェランテの輸入食品

再び京都ブライトンホテルに行く。

2016-02-20

一昨日(2月18日)に同僚の先生方が私の送別会をしてくれた話を書いた。かなり雰囲気がいいレストランで楽しい語りとなったので、今日は家内を誘って再度訪問することになった。たまには、女房孝行をしなければと思って、ランチを一緒に食べることにした。

朝の9時頃にブライトンホテルのテラスレストラン「フェリエ」に電話して予約する。「フエリエ」とはフランス語でféerie で「妖精の国」の意味である。日本のレストランの名前は多くが英語かフランス語かイタリア語などの西洋の言語から取ってある。将来は、マレー語やタガログ語やヒンディー語などからもタイトルを取るようになれば、日本のレストランも真に国際化したと言えるだろうが。

さて、無事に予約が取れて、11時半頃にホテルに到着する。席はロビーに近い見晴らしがいいテーブルに案内される。この場所だと開放感があっていい。そこからの写真を一番下に掲載する。さて、オーダーメイドランチなるものを注文する。これは、メインの料理を決めて、それ以外はバイキングで自分の好きなだけ取るのである。

メインの料理だが、家内はラム肉、私はエビ(prawnで中型のサイズのエビ)と決める。さらに家内は赤ワインを注文するが、私は車の運転があるのでミネラルウオーターを注文する。

バイキングだが、種類はそれほど多くはない。しかし、上手に食べ物が選ばれた感じがする。つまり、年寄り向けであり、そんなに辛かったり、甘かったりということはなくて、淡泊な味のものが多い。野菜も多い。また量もシニア向けの感じがする。この時間帯は多くの人がシニアであり、若い人は少ない。若い人は他のレストランに行くのかもしれない。

結構満足する。我々の横は、老夫婦が語り合っている。おそらく退職後でゆったりと年金生活を楽しんで旅行している老夫婦ではと推察する。色々なことを語り合っているようだ。

さて、幼児がロビーを遊んでいるのを見ると、10年、20年があっという間に過ぎ去ったような気がした。振り返れば、夫婦の話題のほとんどが子供たちのことだった。子供がいない夫婦は何を話題にしているのかなと不思議な気がちょっとした。

さて、勘定だが、ランチ自体は税込みで一人3,326円、プラス家内はグラスワインを飲んだので、1,069円であった。合計で7,721円であった。またホテルの駐車場の駐車券にスタンプを押してもらった。5時間ほど駐車が無料になるそうだ。

このブログを読んでいる人に対する情報提供として、このホテルのレストラン「フェリエ」でのランチはなかなか美味しいですよ、味と雰囲気を考えたら、このお手軽な値段でちょっとした贅沢ができますよ、と皆さんに伝えたい。

我々が座ったテーブルからロビーの写真をとる。
我々が座ったテーブルからロビーの写真をとる。

恵方巻を食べてみる。

2016-02-03

このところ、よくコンビニなどに恵方巻という掲示がある。自分はこの恵方巻というものがどのようなものか全く知らなかった。今日、同僚の人に聞いたら、それは普通ののり巻きであり、節分の日に南南東の方向に向かって丸かじりにして食べるといい、と教えてもらった。どうも縁起物のようだ。自分はぼんやりしているほうなので、今日が節分であることも知らなかったし、ましてや、この日に恵方巻というものを食べる習慣があることも知らなかった。

Wikipediaで調べると、そのいわれが書いてある。昔から節分の日にはのり巻き(大巻き)を食べる習慣があったようだ(自分は全然そんな習慣があることは知らなかった)。そして、1998年ごろから、セブンイレブンが売り出し広めたとある。15年ぐらい前から恵方巻と名付けてはやり始めたようだ。

恵方というのは縁起がいいとされる方角であり、それは毎年変化する。Wikipediaで調べると何やら難しいことが書いてあるが、要は今年は南南東の方向が恵方になるそうだ。

せっかくこの知識を得たのであるから、実践することにした。近くのコンビニ、サークルKに行く。たしかに、「恵方巻」という掲示があって、沢山の太巻きが並んでいる。298円+税の値段だ。一つだけ購入する。そして、研究室に戻って食することにした。南南東の方向はどっちだ?iPhone を使ってコンパスで大体の方向を確かめる。そして、そちらの方向に向いて、恵方巻をがぶりとかじる。ふーん、普通ののり巻きの味である。かんぴょう、しいたけ、玉子焼などが入っている。おいしいと言えばおいしいが。

これは切ってないので、半分だけ残すというわけにはいかない。丸かじりにして全部を一挙に食べる必要がある。何とか胃袋に収める。ちょっと胃にもたれる。今日の昼はカレーライスを食べて、今、お昼のおやつに恵方巻を食べた。炭水化物の取り過ぎである。今日の夕食はご飯は食べないことにする。

来年の節分も恵方巻を食べてみようか。しかし、商売人というのはこのように次から次と新しい商品を考えだして、売り上げを伸ばそうとする。いまに、毎日が「何とかの日」となって、毎日買い物をしなければいけなくなるようだ。

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狸の焼き物

2016-01-18

昨日、名神高速道路をドライブしているときに、多賀のサービスエリアに立ち寄って。すると売店の入り口に信楽焼きの狸の置物が二つ並んでいる。とても愛嬌があってかわいいと感じる。このところ、町をドライブしていると、ところどころに信楽焼の狸を見かけるが、なんとなく楽しくなる。ところが、この信楽焼の狸の置物は、西洋からの観光客にとってはグロテスクそのもので、これを装飾品にする日本人の感覚に驚くそうだ。

このあたり、日本と西洋の感覚の違いだろうか。たとえば、日本人は虫の鳴き声を音楽的に感じて、大脳生理学の教えるところでは右脳で処理しているという。ところが、西洋では、雑音と感じて、左脳で処理するという。このあたりの違いは面白い。

30年ほど前、カナダのバンクーバー島に行ったときにある漁師と知り合った。彼が言うには、ナマコ (sea slug)が網にかかっても今までは捨てていたが、日本の商社が来て買い付けるようになったので、捨てないで売るようになったという。好奇心からか、彼は試しにナマコを食べてみたが、「ゴムを噛んでいるようだった」と私に言った。またウニも日本人が買うようになったので、捨てないで輸出するようになったが「あんなものが食べられるとは思ってもいなかった」と言った。

私はナマコは殊の外好物である。薄く切って酢につけて、温かいご飯と一緒に食べると非常においしい。また、ナマコのはらわたを「このわた」と言うが、これまた非常においしい。私が小学生の頃は、私が住んでいた石川県でたくさんとれて、ご飯にのせて食べてものだった。そのおいしさを知っているが、近ごろでは見かけることはなくなった。取り過ぎでいなくなったのかもしれない。

このように、西洋と東洋でいろいろと感覚が異なっている。それが異文化交流の時の違いの原因となっていたのだが、近ごろは、各地の食文化が互いに普及するようになった。日本食が世界中に広がり、寿司なども好まれるようになった。生の魚を西洋人でも平気で食べるようになった。

バンクーバーで知り合った漁師は今はどうしているのか。彼は、ナマコやウニを食べるようになったか。そして目を細めて舌鼓を打っているだろうか。

信楽焼の狸の置物
信楽焼の狸の置物

金龍ラーメンを再び食べる。

2016-01-14

今日は非常勤の仕事で大阪に向かう。お昼頃に、なぜか金龍ラーメンが食べたくなり、難波の駅をおりて御堂筋の方に向かう。馴染みの金龍ラーメンが見えてきた。メニューは二つだけ、600円の金龍ラーメンと900円のやや分量の多いラーメンである。私はいつも安い600円のラーメンを注文する。image

スープは豚骨や鶏足を煮込んだタレで秘伝であり、これが人気の原因であろう。通りに立っての立ち食い形式である。この日は寒い日であったが、ラーメンを食べていると身体が温まってくる。ニラとキムチは取り放題である。さて、横の中年の女性はたくさんの量のニラとキムチをラーメンに入れている。辛すぎるのでは?大丈夫かとその中年女性の横顔を見るが、平気な顔で食べ続けている。

さて、非常勤の仕事だが、今年になってから初めての授業である。実はいつもまじめに出席していた一人の学生がいない。聞くところによると、学校を退学したそうである。頑張っていた学生で、英語の力もあったのだが、何か家庭の事情のようだ。

人生にはいろいろなことがあるのだが、その学生には、この挫折にくじけないで頑張ってほしい。人生は何度でもやり直しのチャンスがあるのだから。

今日の授業はテキストを読むことであった。内容はフランスのパリに住む人々の話であった。パリに住む外国から移住してきたガイドさんと芸術家たちの生き方について論じた文である。パリの町は大きなブラックホールのようである。その魅力にとりつかれて故国を忘れてしまう人がいる。

私もそんな生き方にあこがれたことがある。魅力ある大都市のなか、「孤独」に生きるのも格好いいな、と思ったものである。もちろん、現実に住むのは大変で、おそらく、幻滅、失望、イライラの連続だとは思うのだが。

そんなことを語りながら、授業を進めた。今日は学生からもいろいろな意見が聞けてよかった。英語だけの学習ではなくて、学生たちの人生観や世界観を引き出すことができたのはよかったと思う。今日の授業は90点ぐらいのできか。