ゼミの時間にふと学生から写真を撮ってもらった。自分の顔だが、つくづく眺めると「老いたなあ」と思う。
ところでゼミだが、効用は学生と教員の距離が近いことだろう。ふだんの授業は、教壇の上から一方通行で話をするのだが、ゼミならば私の話の途中でも質問や反論はよく出てくる。その反論を聞けば、私自身の「気づき」に繋がることもある。
授業は、できるだけゼミ形式の対話が望ましいが、教員の数から考えるとそうもいかない。
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岐阜市では、健康の増進のために、市民にクアオルト健康ウオーキングを推奨している。これは、ウオーキングすることで、血圧を下げて、心拍数を増加させて、健康を増進させることが目的であった。このプロジェクトに本学の学生が参加した。この学生は、観光英語の授業を受講している学生たちで、ウオーキングに参加しながら、スマホで美しい景色を撮影して、それを外国人に英語で紹介するパンフレットを作るという目的もあった。
12月21日は、天気も晴れてウオーキングには絶好の日和となった。冬の日なので寒いことは寒いのだが、体を動かすことで体がボカボカしてきて、空気もひんやりとしてむしろ快適な一日となった。岐阜公園内にある総合案内所前に集合した。そして、市役所の健康増進課の方々から、説明を受けた。市では、主としてシニアの方々を対象としたウオーキングであるが、今日は例外的に学生が参加となった。若いうちから健康への関心を高めることは素晴らしいことだと思う。
さて、そこで、ウオーキングの効用とか、血圧や心拍数などの基本的な体力を調べた。私は血圧は、最高129で最低は80であった。私は血圧降圧剤を毎日飲んでいるので、薬を飲まなかったとしたら、どれくらいになったのか、わからない。これよりもかなり高い数字となったろう。
さて、全員でストレッチをして、それから金華山のふもとを歩いてゆく。
歩いたのは2時間弱ほどか、ちょうどいい運動になったように思える。最終的には川原町公園まできて、そこから金華山にむかって「ヤッホー」トと叫んだ。すると「」こだま」がかえってきた。また、近くにいた子供が真似をして、「やっほー」と叫んだ。これは癒される場面であった。
全員が出発地の岐阜公園に戻り、市役所の方から挨拶を受けた。健康増進課の方々に有難うございます、とお礼を申し上げたい。参加した学生の皆さんには、レポートが待ってますので、年明けには提出をお願いします。、
年賀状を書き上げて昨日ポストに投函した。裏面の挨拶と近況報告は印刷だ。表面の相手の名前と住所は手書きで書き上げた。
自分が書いた近況報告を読み直すと、ある文章が気になった。「自分は岐阜県の各地を訪問して見聞を深めました」という文面だ。よく考えたら「見聞を深める」は間違いで「見聞を広める」が正しいのではという疑問だ。
ネットで調べてみたら、「見聞を広める」が正しくて、「見聞を深める」は誤用のようだ。しかし、年賀状では、もう「見聞を深める」で印刷して投函したので、すでに遅しだ。
でも、時々は、誤用を用いる人もいるので、まあ、許される誤用だと思う。「見識ならば深める」だが、「見聞は広める」という使い分けを覚えた。
さて、手書きで住所を書いていた時に気づいたことだが、文字が弱々しくなっているのだ。手の筋肉が弱くなっているのか、文字がやや震えていて、力強さがない。まっすぐの文字がまっすぐに書けなくて、震えながらの文字になっている。
もう一つは時々漢字が忘れてしまったことだ。「ご無沙汰」の文字が分からなくなってネットで調べ直した。
来年からは相手の住所もパソコンで印刷にしようかとも思うが、そうすると手書きの習慣はますますなくなってしまう。これも問題だなと考えたりする。
2016-03-09
昨日はイオン洛南へ行く。ここは座り心地のよいソファがたくさん用意されているので私のお気に入りの場所である。家内が買い物をしている間は、私はここにすわり、お気に入りの本を読んだり居眠りをしたりする。
ふと、気づくとこのあたり座っているのは私のような「老人」ばかりである。みんな、暇を持て余すように本や新聞を読んだり、ウトウトとしている。老人が多すぎる。この老人の群れはどうしたのだ。
「老人」と言ったが、この表現を嫌う人がいる。これを差別語と感じる人もいる。「老人」にはどうしてもネガティブなイメージがあるので、言葉の言い換えが行われる。たとえば、「熟年」「実年」「ご年配の方」などの表現である。一般的によく使われる表現を、ネガティブからポジティブな表現へと並べてみると下のようになるだろう。
おいぼれ→年寄り→老人→年配者→高齢者→シニア
自分は「おいぼれ」と声を掛けられたら、さすがにムッとするが、「年寄り」「老人」と呼ばれても何も腹立たしさは感じない。つまりそれが実態であり、現実であるからだ。
京都のような大都市はまだ若い人がいる。しかし、地方に行けば高齢者ばかりだ。日本=高齢者の国、というイメージが急速に固まりつつあるが、将来、年金制度、健康保険制度、生活保護制度などは継続できるのか。
そんなことを考えているうちに家内が買い物を済ませてきた。それで、イオンの中にある。カフェランテという輸入品専門の食料品の店を一緒に見てみる。輸入品専門なので、普段は見かけないような食品が並んでいる。何人かの主婦らしい人が一生懸命、説明書を読んでいる。
世界には何億という主婦がいて、毎日料理を作っている。毎日同じような料理では飽きてしまうので、時々は新しい料理を作りたいと、カフェランテのようなお店に来るのだろう。気に入った料理ができるとブログで紹介したりする。それをみた他の主婦たちが真似をする。
世界中で料理に関する創意工夫がされて、それが互いに影響しあって次から次と新料理が開発されていく。そういえば、スーパーでもたくさんの種類の食料品が増えた。自分はいままで「みかん」しか知らなかったのだが、近頃は「八朔」「オレンジ」「ぽんかん」「いよかん」など多様な品種のみかんが増えてきた。
日々社会は変化していく。これを観察することは面白い。上手にブログにまとめて報告できれば、それも楽しいことだ。
2015-11-20
ネットでヤフー・ニュースを見ていたら、「日本テレビ のドキュメント’15 「能登消滅」 9分の8の衝撃 石川県の能登半島は、9つの自治体のうち8市町が「消滅可能性都市」に該当する人口減少が深刻な地域だ」(2015年9月6日放映)というビデオがあり、それを見ていた。
石川県の9つの自治体のうち、8つの市町村は将来消滅の危険があるという。つまり人口がゼロになると予想されるのである。放送を見ていたら、確かにその通りだ、自治体の消滅は必至と感じられた。私も能登半島の出身で定年退職後は石川県に戻る予定である。実家は能登半島のど真ん中の七尾市にある。
テレビで放映されていたのは、能登町であり、さらに北の奥能登になる。ここは人口の減少が激しくて十年前は四万人いた人口がいまでは二万人を切りそうだという。コミュニティが成立しなくなる。二万人いても若い人もいての二万人と異なる。高齢者ばかりの二万人である。人口構成がいびつである。スーパーがなくなる。病院がなくなる。郵便局や銀行がなくなる。生活の基盤が脅かされている。。
このあたりは、産業としては、漁業ぐらいか。しかし漁業というきつい仕事を嫌って若い人は受け継がない。林業も昔は盛んだったが、それも外国からの安い外材が来るようになり、林業も成り立たなくなった。
その能登町と比べると私の実家がある七尾市は若干ましかなとも思う。まだ鉄道は通っている。大きな病院もあるし、若い人の働き場所もある程度はある。ただ、衰退は時間の問題だと思う。能登半島は北のほうから徐々に寂れていく。
さすがに金沢までくると活気にあふれている。新幹線の開通で東京とのつながりも密接になった。観光客も金沢にはくるようになった。しかし、能登半島には観光客がこない。金沢から結構時間がかかるのだ。和倉温泉にはいくらか人がくるが、温泉以外に目玉がないのが痛い。
能登半島に能登空港(最近名称を変えて、のと里山空港となった)が10年ほど前にできた。何度か行ってみたが、空港自体は赤字だと思う。一日に東京からの便が2往復あるだけである。昔は一面の山だったところに、木を切り倒して整地して空港を造ったのである。能登の人にとっては東京に行きやすくなったので、便利といえば便利なのだが、東京から来る人はいるのか?これは大変な赤字だろうと推測できる。
できた当時は、小松空港から航空自衛隊が移転してくるのでは噂されたが、小松市からしたら自衛隊に移転されたら市の経済に大打撃となるし、若い隊員たちも能登半島の奥地には行きたがらないようで、そんな噂も聞かれないようになった。
今日は故郷である能登半島の将来を思い、なにか起死回生の妙策はないか考えた次第である。
2015-11-12
私は小学生の頃、石川県の田舎に住んでいた。そして数キロ先の山の中に「養老院」ができたという話を聞いた。自分には何か不気味なところ、死に面した人々が収容されるところ、と感じた。「死の匂い」がして何か近寄り難いところ、近くには行きたくないと思っていた。
大学生の頃、カミュの『異邦人』を読んだ。そこには母親が養老院で死んだ話から始まる。そして主人公は葬式に参列するために、養老院にバスに揺られながら向かう。養老院では母の友人たちと出会うのだが、その人たちは魂の抜けた、ロボットのような存在として描かれていた。(これはもちろん主人公の視点からそのように見えるということだ)
カミュの『異邦人』はその後何回も読み返した。英訳で読んでみたり、フランス語の原文でも2回ほど読んだことがある。毎回不思議な感動を覚える。主人公のムルソーは自分と似ている、現代人の多くは、自分では気づいていなかったが、自分にはムルソーと同じ部分がある、と思うのではないか。
そして、それから数十年が経過した。今65歳になった自分がいる。この年だと老人ホームに入る有資格者になったのである。どこのホームも入所は65歳を越えてからと明記してある。
養老院という言い方は差別語として使われなくなった。おそらく「死の匂い、老いの匂い」を嫌って打ち消すために「老人ホーム」という言い方が好まれるようになったのであろう。
そして自分が実際に母親を「老人ホーム」に預けて、お世話になり、そして病院で看取るという経験をしてみると、カミュの『異邦人』にかなりおかしな部分があることに気づくようになった。人生経験の未熟な青年の書いた本である、と感じるようになった。
実際の老人ホームはホーム内には特有の匂いがする。オムツを替えたりするので大便小便の匂いと、それを打ち消すためアルコール消毒液の匂いがする。『異邦人』には、その点が無頓着である。なんの匂いも感じられない。無味乾燥した世界として描かれている。
母親が病気になったら、養老院から連絡が来て「病気なので引き取ってくれ」と言ってくるはずである。それが『異邦人』のように、突然電報が来て「母親の死を悼む、埋葬は明日」ということがあるか?70年ほど前にフランス植民地のアルジェリアでの出来事であっても、これは首を傾げてしまう。
葬式を養老院が勝手に行うことがあるか?そもそも葬式代の負担は誰がするのだろう。埋葬場所を息子であるムルソーと相談しないで勝手に決めることがあるか。金銭的なやりとりもあったはずだが、この話ではでてこない。
と疑問に思うことばかりである。そんなことから、この小説はカミュは実際は養老院に行かずに執筆したのではないかと思っている。つまり頭の中で作り上げたのではと思うのである。もちろん、だからと言ってこの小説の魅力が失われることはない。主人公の異端的なところが魅力なのである。
なお、この小説では養老院を asile とあるが、辞書で調べると現代では maison de retraite と言うそうだ。フランス語でも言葉の言い換えが進んでいるようだ。
さて、自分がこの数年は母の介護関係でいろいろな施設にお世話になった。そしていろいろな老人ホームにお世話になり、実際はどのような世界なのか知ることになった。昔、子供時代に感じていた不気味さはもはや感じない。むしろ逆に自分はこの世界に属するのだという感じさえある。
カミュの『異邦人』であるが、不思議な魅力をたたえた本である。若い人が読んでも面白いし、中年が読んでも、年寄りが読んでも、感銘する部分がある。
ところで、訳に関して、自分はこの本のタイトル L’Étranger を「異邦人」と訳していいのだろうか?「異界人」とか「異端人」の方がいいのではと思っている。この話は長い話で簡単に説明できないが、いつかはこのあたりの自分の感想をブログに記してみたい。文学評論などは自分は今までやったことはないのだが、退職後はそんなことも試みてみたい。
2015-08-26
今日は洛西タカシマヤとラクセーヌ(サンサン)へ行く。いま、ここの敷地内はニトリが建設中であって11月には完成予定と聞く。今までは広い駐車場だったのに、そこの区画を3つに分けて、一つを立体駐車場、一つを平面駐車場、残りをニトリの店となるようだ。
平面駐車時代は簡単に駐車できたが、今は不便になった。狭い立体駐車場を登っていくのでやや緊張する。今日は比較的低い階に空いたスペースを見つけたので良かった。混雑しているとずっと上の階まで行かないとスペースが見つからないことがある。
エレベーターで降りる。エレベーター内には防犯用のビデオカメラが備わっていて、中の様子が外側のスクリーンに映し出される。もしも、ビデオカメラが備わっていることを知らないで、若い男女がエレベーター内で、けしからぬ行為に及んだりするとスクリーンに映し出されてしまう。赤っ恥をかくので注意したほうが良い。
ラクセーヌには二つの店がある。一つは高級志向のタカシマヤである。他は庶民路線を走るサンサンという店である。サンサンの中はうるさい。狭い店内だが、5、6名の店員が同時進行で「安いよ、安いよ」とか「さあ、さあ、お買い得、買った、買った」と叫んでいる。おそらく店の経営者からそのように指導を受けているのだろうが、このように叫び続けるのは大変だ。店員も声が枯れてしまう。
タカシマヤは全く反対の高級路線を走っている。店内は広くて、音も静かである。サンサンの店員の多くが頑強な若い男であるが、タカシマヤは中年の上品な感じの女性が店員である。アナウンスが丁寧すぎる。ゆっくりと「〜でござあーいーまあすう」との声を聞くと、間延びしすぎだと感じる。店のイメージを作り上げるために、経営者がこのようなイメージ戦略を取っているのだろうが、自分はちょっとイライラする。
買い物をしたあとの包装の仕方がタカシマヤは馬鹿丁寧である。すぐにドライアイスを入れて二重三重と包装してくれる。当然、その分の値段は高い。しかし、ラクセーヌにはこの二つの性格の全然違うお店だから共存できるのだと思う。上手に顧客の住み分けができていると考えられる。
さて、本当に老人の姿が目につく。家にいると退屈するのでラクセーヌにきたという老人が多い。自分ももうじき65歳になれば、はれて高齢者の仲間入りだ。この老人たちを嫌わずに受け入れるお店が今後は栄えると思う。イオンなどは柔らかいソファをおいて、老人に優しいショッピングモールを目指している。これからは、老人に優しいお店だけが生き残れると思う。