冬の藝術祭2021が東京芸術劇場で開かれる。

「冬の藝術祭2021」が東京芸術劇場で開かれる。出品者の方から案内を頂戴したので、下にご紹介したい。

冬の藝術祭2021」が今年の冬12月24日から26日まで東京芸術劇場(ギャラリー2)で開催される。開催趣旨は以下のようである。

“東京藝術劇場/ギャラリー2″にて「2021年」または「冬」をテーマに、思想・信条・ジャンルの違いを超えた令和に注⽬するべき現代アーティストによる多種多様な表現作品を展⺬します。

私などは、芸術と聞くと、絵画や音楽、書道などが思い浮かぶのだが、現代では、それぞれの分野が融合して、従来のような一つの分野での括りにとらわれない作品も増えていると聞く。令和の時代に活躍する芸術家たちの、新しい試みに着目したい。そして、令和という新しい時代で生き方を模索している芸術家たちの熱意を感じ取っていきたいと思う。

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『ことばへの気づきーカフカの小篇を読む』

元電気通信大学教授の松原好次先生から、新著『ことばへの気づきーカフカの小篇を読む』をご恵贈いただいた。あらためて感謝の念を表明すると同時に、内容を紹介したい。

著者は私とほぼ同世代であり、一緒に本を書いたこともある研究仲間である。私はセミリタイアの生活を送っており、研究の第一線からは退いている。今では学生への教育にエネルギーの中心を注いでいる。ところが、著者の松原先生は絶え間なく研究を続けられ、今回は『ことばへの気づき』という本を刊行された。

私は完全リタイアしたら、どうしたらいいのか迷っている。わたしは石川県の田舎に隠居生活をしたらどのようにして生きていけばいいのか模索中である。その意味では著者の退職後も本を出版して有意義に過ごしている姿は見習うべきだと思った。

著者はカフカの作品を中心にドイツ語の原文や訳本から触発された問題意識、それを現代の諸問題とリンクさせて考え抜いていこうとする姿勢は素晴らしい。私は石川県の田舎に隠居生活をする予定であるので、東京に住んでいる著者とは条件が異なる部分もあるが、基本的にはこのように老後を送りたいと思っている。著者の生き方は参考になる。

著者はp.19以降に、自分自身が前立腺を患った話が出てくる。ここは有意義だが、読んでいくのは怖い時もあった。自分とほぼ同世代の人間が病気になった話は、「いつまでも自分は健康だ」と思いこもうとしていた自分には警鐘となった。カフカは40歳になる寸前で結核でなくなったことや、正岡子規の病気の話も紹介されている(p.219)。子規の著作『病狀六尺』、『仰臥漫録』は私にとっても、愛読書であり、その壮絶な闘病日記を、おそるおそる読んだ記憶がある。

ここで、私が読んで興味を引かれた部分を箇条書きにして記してみたい。

(1)p.78に、ロビンソン・クルーソーへの言及がある。カフカが述べるには、ロビンソン・クルーソーが孤島の山頂にて、すべてが見渡せる場所に留まっていたならば、絶望のあまり短命であったろうとのことだ。島の中の最もsichtbar な地点とは、訳者の多くは、ロビンソン・クルーソーから見て、見渡しのいい場所としていたが、実は船から見て一番よく見える場所であった、と著者は解釈している。注意深く本を読むと、この様なことまで見えてくるのかと著者の慧眼に脱帽せざるを得ない。

(2)p.107 著者は若い頃にシューベルトの『セレナーデ』を聞いて感銘を受けたとある。もの悲しい曲で、私にとっても好きな曲である。

(3)p.120の格言 Life is short; Art is long だが、芸術は長し、と訳されているが、Art には技(わざ)の意味があり、むしろ「学問技術の世界は広くて、前途はほど遠い」との説を紹介している。なるほどと肯く次第である。

(4)p.182 にイルカの交信は、音と音の間の無言の間の長さによってなされる、という説を紹介している。面白い。

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私は現在71歳だが、この本を読んでの感想は、「よし俺も頑張るぞ、この著者みたいに本を読み、世界の出来事に関心を持ち続ければ、老後もけっこう、面白いぞ」という気持ちになった。もちろん若い人が読んでも有益な本であり、触発される箇所がたくさんある。

令和2年末現在における在留外国人数について


「令和2年末現在における在留外国人数について」という出入国在留管理庁の統計を見ている。時点は、令和2年末とあるが、これらは西暦表記にしてほしい。つまり、2020年末と表記してほしい。法律で和暦を使うように定められているのだが、せめて併用して表記できたらと願う。「令和2年末(2020年末)」としてくれるだけでも、どんなに便利になるだろうか。

令和2年末の在留外国人数は,288万7,116人で,前年末に比べ4万6,021人(1.6%)減少
前年末に比べて減少したのは,平成24年以来8年振り

と述べられている。コロナが蔓延したのであるから、減少したことは納得できる。観光客の来日は極度に減ったのであるが、減少が若干といういう点では対照的である。かっこ内は対前年比である。

(1) 中国 778,112人 (構成比 27.0%) (-  4.4%)
(2) ベトナム 448,053人 (構成比 15.5%) (+  8.8%)
(3) 韓国 426,908人 (構成比 14.8%) (-  4.4%)
(4) フィリピン 279,660人 (構成比  9.7%) (-  1.1%)
(5) ブラジル 208,538人 (構成比  7.2%) (-  1.5%)
(6) ネパール 95,982人 (構成比  3.3%) (-  0.9%)
(7) インドネシア 66,832人 (構成比  2.3%) (-  0.0%)
(8) 台湾 55,872人 (構成比  1.9%) (- 13.7%)
(9) 米国 55,761人 (構成比  1.9%) (-  5.8%)
(10) タイ 53,379人 (構成比  1.8%) (-  2.6%)

ベトナムからの在留外国人数が増えている。ついに韓国からの人を抜いて第2位になった。ブラジルからの在留外国人数も相対的に減っている。

なお、岐阜に住んでいる私の地域では、スーパーなどにベトナム人の数をよく見かける。それから、ベールをかぶった女性の姿も時々見かけるが、これはインドネシアからの人々であろう。愛知県にトヨタがあるので、その工場が岐阜県にもいくつかあるので、そこで働く人々であろうか。

私の住んでいる地域は岐阜市の郊外だが、中小の工場がある。岐阜県では、外国人集住都市会議のメンバー都市として、昔は、大垣市、美濃加茂市、可児市が加入していたが、現在は岐阜県からはどの都市も参加していない。各都市が抱える問題点は共有されて、解決策は見えてきたのだろうか。

コロナの蔓延で日本はそれ以外のことには目が届かなくなっている。外国人へのコロナの接種の状況など知りたい点も多いが、これは機会があれば関係者に聞いてみたい。

岐阜県内の外国人の数


現在、私は岐阜県に住んでいる。岐阜は北の飛騨と南の美濃の二つの地域に分けられる。南の美濃地方ではかなりの数の外国人の姿が見られるようだ。日常的に外国人を見かけるので、もはや珍しいという印象はなくて、私たちの日常生活の中に溶け込んでいる。

岐阜県のホームページによれば、県内在留外国人数は59,741名である(2020年6月末現在)。なお、県の総人口は196万人 (正確には、2021年7月時点で、1,965,427人である。在留外国人の数は、約3,0%である。

その数の多い順に見ていくが、百の位は四捨五入してみると、多い順から、フィリピン1万3千人、ブラジル1万2千人、中国1万2千人、ベトナム1万人、韓国4千人、インドネシア1千人、ネパール1千人である。さらに、タイ、米国、台湾と続くのである。フィリピン、ブラジル、中国、ベトナムがとりわけ多いように感じる。

私の住んでいる地域は岐阜駅からバスで1時間ほどの距離にある。所々工場が並んでいる。外国人の若者はそこで技能実習生として働いているのだろうか。数人の若い外国人のひとたちが自転車に乗っている姿を見かける。スーパーでは、ダンボールに買い物を積み込んでいる。この姿はコロナ以前から見かけるので、コロナにより数が減ったという印象は受けない。

外国人を定住している定住外国人と短期滞在の外国人観光客に分けると、このコロナの影響で外国人観光客の数は激減した。しかし、定住外国人の数はさほど変更はないようだ。むしろコロナのために帰国できないことで困っている人も多いだろう。

コロナが日本に住む外国人住民の生活にどのような影響を与えたのか、与えつつあるのか、しばらく調べてみたいと考えている。

S先生の逝去


二日ほど前にS先生の親族の方から封書が届いた。中を開けてみると、S先生が3月8日に突然に病死したとの訃報であった。これは驚いた。

S先生は私の研究仲間であり、一緒に研究書やテキストを執筆したことがあった。私の電話の履歴を調べると、実は、死の前日に電話でS先生とお話をしていた。その時の様子は、とても元気そうで、これからの研究予定を熱っぽく語ってくれていた。やさしい日本語、多言語社会の進展、外国人住民へのサービスなど、様々な分野に関心を示されて、意気盛んであった。

S先生の勤務している大学の大学院では3年ごとに授業を受け持つ資格があるかどうかの審査があるそうで、そのためにコンスタントに業績を出していかなければならない、と語っていたのが印象に残っている。

S先生は63歳であったが、これから研究しようとする分野を語る熱心さは、むしろ若々しいと感じたほどであった。そして、関連する学会の報告書を私にも送ってくれるという話であった。翌日、早速メールにて関連する情報を伝えてくれた。3月8日の12時39分発信のメールであった。そのメールには、その他のデータも順次送るという話であったが、それ以降はメールがないので、学期末・新学期の準備で多忙なのだろうと思っていた。

親戚の方から届いたお知らせには、3月8日に亡くなったとあった。するとその日の12時39分にはメールを送信するだけの元気があったのに、午後か夕方には亡くなったということのようだ。心臓か脳に何か急に異変が起こったのか。

私の亡父は、亡くなった日の午前中は元気で車を運転していた。ただ、夜に作業場で仕事をしていたら、突然のくも膜下出血で亡くなった。人間には、60歳代以上になると突然死がありうるということだ。(自分も、その点は覚悟を決めておかねばと思った)。

昨年末に、他の研究仲間待ちと一緒に新たなテキストの編纂をする、という話も出ていた。この企画は残念ながら、途中で取りやめとなったが、そのことも思い出した。

63歳という年齢、現代人の平均寿命から判断すれば、早すぎる死のように感じる。死の重々しさをしっかりと受け止めていきたい。S先生のご冥福を祈りたい。 合掌

大学院の修士論文発表会が行われた。


昨日21日に大学院の修士論文発表会が行われた。コロナ感染防止のために、Zoomで発表する学生や、Zoomで発表を聞く人も多数いて、例年とはかなり様変わりの発表会となった。

最初の発表は、生成文法を日本語に適用して、日本語の構文への分析研究であった。私が従来いだいていたイメージとしては、生成文法はもっぱら英語を基盤にして誕生した考えであるので、日本語にどれくらい適用されるのか疑問に思っていた。普遍文法という視点では、あらゆる言語の文法には共通性があり、その共通性に基づいて考案された文法ならば、普遍性は確かにあるだろうとは思っていたが。そのあたりを発表後の質疑応答の時間に質問したら、「生成文法は英語に基づいているが、日本語に適用される試みは数多くあり、それなりに成果が上がっている」とのことであった。

発表会の様子
全員がマスクをして発表あるいは聞き入っていた。

その後はオーラル・ヒストリーに関する研究発表が数点続いた。ある地域の歴史、あまり文献が残されていない事項ならば、その土地の古老から昔話を語ってもらうしかないのだ。それがオーラル・ヒストリーだ。それを文献、ビデオ、録音などの形で残すのだ。

発表者の一人は沖縄の古典音楽について、もう一人は戦後沖縄の公衆衛生についての研究発表だった。それぞれが関係者からの聴き取りを重ねて、歴史の再構築を行っていた。

私自身も退職後は郷里に戻って、郷土史を調べてみたいと常々思っていた。その意味で、お二方のオーラル・ヒストリーの発表は参考になった。ところで、私の郷里だが、高齢化が進んでいる。そして、歴史が次世代に語られることなく消えている。その意味では、私の仕事も急がなければならないと感じた。

新伝さんから、4枚の書画が到着する。


今年も残りすくなって来た。2020年はとにかくコロナの年であった。来年はコロナが終息して人々の顔に明るさが戻ってくることを切に願っている。

さて、親戚の新伝さんから、4枚の書画が到着したので、皆様に紹介したい。

無心に祈っている姿
何かを無心に考えている。
お母様の昔の写真より、傘をさしている。

この3つの書画のうちで、最後の3枚目のモデルは新伝さんのお母様である。これは、昔の写真を見ながら、新伝さんは若い頃のお母様を思い浮かべて書画にしたのである。手に持っているのは日傘かと思ったが、横に雪のマークがあるので、これの元になったのは冬の日の写真であろう。でも、赤色と黄色が華やかな感じを与えるので、春か夏の日を思い浮かべてしまった。

次は吉田兼好の『徒然草』の冒頭の箇所である。これなどは、額縁に入れて家の玄関などに飾っておきたいものである。

徒然草の冒頭

若い頃は『徒然草』は心に訴えてこなかったが、私のような老境にさしかかると、兼好法師の枯れた持ち味がわかるようになってくる。