Waterproof

昨日の授業の時に、複合語について教える必要があった。それでwaterproof という語を選んで説明しようとした。学生たちに、「時計を見てごらんなさい。その裏に waterproof とあるでしょう」と話しかけた。しかし、誰も動こうとしない。一人の学生だけが自分の腕時計を外して裏側を見ている。

教室には学生が10名いた。不思議に思って「腕時計を持っている人、手を挙げて』と聞いたら、その学生一人だけが時計を持っていた。そのほかの学生はスマホで時間を確認しているようだ。しばし、学生たちに腕時計に関することを聞くと、特に必要性は感じないそうだ。一人だけ腕時計を持っていた学生はファッション感覚で時計をはめているようだ。

きょう、言いたいことは、自分の感覚が古くなって、若い人たちの常識がわからなくなっているという事だ。授業をしている時に、自分が使う言葉、何かを説明するために持ち出す例が、若い人たちには知らないことになってきている。湾岸戦争とか真珠湾攻撃などの話をしても、キョトンとしている。

昔の腕時計は高価で、ネジを巻いて動かしていたとか、時々誤差が生じるので針を調整したとか、など全く知らない世界のことになってきている。私は小学生の頃は、インク壺やペンを用いながら手紙を書いたこともあった。鉛筆はナイフで削って使っていた。自分でも大昔のことのように感じる。

若い人との間に共有する文化が少なくなってきている。日進月歩のこの時代、日本経済は停滞と言われているが、技術革新だけは着実に進んでいる。なるほど、自分がだんだんと化石的な存在になりつつあることを感じるのだ。

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ゼミの学生から写真を撮ってもらう。

ゼミの時間にふと学生から写真を撮ってもらった。自分の顔だが、つくづく眺めると「老いたなあ」と思う。

ところでゼミだが、効用は学生と教員の距離が近いことだろう。ふだんの授業は、教壇の上から一方通行で話をするのだが、ゼミならば私の話の途中でも質問や反論はよく出てくる。その反論を聞けば、私自身の「気づき」に繋がることもある。

授業は、できるだけゼミ形式の対話が望ましいが、教員の数から考えるとそうもいかない。

 

『ありがとう リブロ・シエラマドレ』という本をご恵贈頂いた。

私の研究仲間だった松原好次先生(元電気通信大学教授)からお便りを頂いた。お便りによれば、奥様の御友人で、金子多美江さんという方が本を出版されたので、送りたいとのことであった。さっそく、送ってもらうことにした。

数日して、その本が到着した。タイトルは、『ありがとう リブロ・シエラマドレ』である。フィリピンのある山村の子どもたちに日本から図書を送り続けたボランティア団体の人々とフィリピンのライバン村のスタッフや子どもたちとの数十年にわたる交流の物語である。

タイトルの「リブロ・シエラマドレ」であるが、リブロとは「本」であり、シエラマドレとは近くにある山脈の名前である。それぞれ、スペイン語でSierra「山脈」、Madre「母」という意味だ。フィリピンは長い間、スペインの植民地だったので、固有名詞などもスペイン語が残っているようだ。「リブロ・シエラマドレ」とは、「シエラマドレ山脈の近くの小さな図書館」という意味のようだ。

1995年に小学校の教師を退職された金子さんがふとしたことで、フィリピンのマガタと言う山村を訪ね、そこの小さな学校を見て、日本から絵本を送ることを思いついた。ただ、日本の絵本では言葉が分からないので、日本語はタガログ語に翻訳して絵本に貼り付けて、フィリピンの子どもたちが理解できるようにした。マガタの子どもたちは大いに関心を持ち、それをきっかけとして子どもたちが本を読む楽しさを覚えていったという。金子さんは今年で88歳(米寿)であり、さすがに昔のように中心になって活動はできないが、賛同する人々があとを継いで、マガタとの交流は続いている。

小さな子どもたちに絵本を与えることは感動を与えることでもある。私自身も小学生のころ、親から買ってもらった宇宙や恐竜の図鑑は、白黒の絵であったが何回見ても飽きなかった。そして、自分が本当に宇宙船に乗って異空間を移動することを夢想したりしていた。マガタの子どもたちも自分の今住んでいる時間空間以外に違う世界があることを感じることは貴重な経験となると思う。

p.166 に台風による被害が語られている。日本でも昔から水害があり被害があったために多くのダムや堤防が作られており、昔のような大きな被害は出にくくなっている。しかし、フィリピンでは、そのための予算がない。予算がついても途中で流用があって実際に使われるのは減ってしまう。数年前の大災害の時には、各国や各地から救援物資が届いたが、現地に届くまでにはかなりの中抜きがあったと聞く。

以前、教育省の通達を調べていたときに、かなりの数の通達が「予算を流用せずに、きちんと運用するように」という警告だったので驚いたことがあった。比較的に厳格だとされる教育界でも、途中での中抜きが目立つのである。

この本の中でも、ところどころそのあたりの苦労話が語られている。でも、金子さんはそのあたりを非難するのではなくて、「仕方ないな」と苦笑しながら、めげずにこの運動を続けていらっしゃるようだ。

p.140には、フィリピンではタガログ語の本が少ないことが述べられている。私自身も有名なチェーン店であるNational Bookstoreで本を求めたことがある。ほとんどが英語の本であり、タガログ語の本は片隅の一角におかれている。中等教育以上を目指す子どもたちにとって、自らの知的興味に応えてくれる本がタガログ語では、ほとんどないという点に、この国の抱える言語的な問題が表れている。

p.148には、スタッフや子どもたちが紙芝居を作ったエピソードが披露されている。それは『マガタ物語』である。自分の村のルーツを語る話だ。やはり歴史が共有されると自分たちは共同体であるとの意識が生まれてくる。そして、作成に子どもたちも加わる。とにかく、いろいろな企画がこの本には語られている。

p.290以降は、「コロナ後の世界は?」が語られる。フィリピンではコロナの影響でしばらくはロックダウンが続いていた。他の地方への移動が禁止されていた。そのこともあり、近年は、マガタ村には行けてないようだ。

ところで、2020年代になると、電子機器の普及も加速度がついてくる。絵本のもつ色彩の豊かさを、iPadでも再現できるようになりつつある。そんな時代が来つつある。しかし、どんな時代でも草の根活動を通して、遠い異国の人々とつながる活動には意味があり、従事する人々になにがしかの気づきを与えてくれるだろう。

なお、この本はアマゾンで調べたところでは、売ってないようだ。草の根でのつながりの楽しさを教えてくれる本なので、一般書店で購入できればと思う。

『都政新報』に執筆する。


2022年2月15日号の『都政新報』という新聞に私の原稿が記載された。「文化・エッセー・主張」欄の「主張」というコーナーに、「外国人住民を日本社会にどのように迎えるか」という私の小論が掲載された。

内容は、外国人住民が増えている中で、日本人側としてはどのような考えで、どのような行動で、迎入れるかを述べたものである。2000字ほどの小論であるので、ブログでも簡単に読めるくらいだが、著作権は都政新報社にあるので、転載は差し控える。

コロナでしばらくは、外国人観光客や移住する外国人の数は減っていたようだ。しかし、そろそろコロナ後が見えてきたようにも感じる。来年の今頃は観光客や移住を望む外国人の数は増えるだろうと思われる。そのために、どのような心構えが必要かしっかりと考えてみる時期が来たのではないか。

金沢の蕎麦屋

金沢の蕎麦屋

私が金沢経済(星稜)大学に赴任したのは1988年4月であった。38歳の時であった。それから、18年間ほど金沢に住み、56歳の時に京都の大学に異動した。38歳から56歳までの、中年から初老へと変わっていった自分自身の姿とその当時の金沢の街の姿が重なって見えてくる。実は、30歳の後半から食の好みが変わり、脂っこいものが苦手になってきた。何かさっぱりとしたものを食べたいと探しているうちに、蕎麦のおいしい店をいくつか見つけた。次第に店の数も増えて、休日などは、どの店で食べようか迷うことが楽しみになった。金沢の食文化は素晴らしいものがあり、様々な食べ物があげられるが、私は蕎麦のおいしさを真っ先にあげたい。
私は、今70歳である。おいしいと感じるには、体力も必要であることが分かってきた。何か食べても若い頃のようにはおいしく食べられない。現在は岐阜県に住んでいるが、残念ながらおいしい蕎麦屋をまだ見つけていない。これは実は私の体力の問題かもしれない。金沢に住んだ頃、まだ、体力に余裕があって、おいしいものをおいしいと味わえたのかなとも思う。そのような金沢時代を懐かしく思い出す。

冬の藝術祭2021が東京芸術劇場で開かれる。

「冬の藝術祭2021」が東京芸術劇場で開かれる。出品者の方から案内を頂戴したので、下にご紹介したい。

冬の藝術祭2021」が今年の冬12月24日から26日まで東京芸術劇場(ギャラリー2)で開催される。開催趣旨は以下のようである。

“東京藝術劇場/ギャラリー2″にて「2021年」または「冬」をテーマに、思想・信条・ジャンルの違いを超えた令和に注⽬するべき現代アーティストによる多種多様な表現作品を展⺬します。

私などは、芸術と聞くと、絵画や音楽、書道などが思い浮かぶのだが、現代では、それぞれの分野が融合して、従来のような一つの分野での括りにとらわれない作品も増えていると聞く。令和の時代に活躍する芸術家たちの、新しい試みに着目したい。そして、令和という新しい時代で生き方を模索している芸術家たちの熱意を感じ取っていきたいと思う。

『ことばへの気づきーカフカの小篇を読む』

元電気通信大学教授の松原好次先生から、新著『ことばへの気づきーカフカの小篇を読む』をご恵贈いただいた。あらためて感謝の念を表明すると同時に、内容を紹介したい。

著者は私とほぼ同世代であり、一緒に本を書いたこともある研究仲間である。私はセミリタイアの生活を送っており、研究の第一線からは退いている。今では学生への教育にエネルギーの中心を注いでいる。ところが、著者の松原先生は絶え間なく研究を続けられ、今回は『ことばへの気づき』という本を刊行された。

私は完全リタイアしたら、どうしたらいいのか迷っている。わたしは石川県の田舎に隠居生活をしたらどのようにして生きていけばいいのか模索中である。その意味では著者の退職後も本を出版して有意義に過ごしている姿は見習うべきだと思った。

著者はカフカの作品を中心にドイツ語の原文や訳本から触発された問題意識、それを現代の諸問題とリンクさせて考え抜いていこうとする姿勢は素晴らしい。私は石川県の田舎に隠居生活をする予定であるので、東京に住んでいる著者とは条件が異なる部分もあるが、基本的にはこのように老後を送りたいと思っている。著者の生き方は参考になる。

著者はp.19以降に、自分自身が前立腺を患った話が出てくる。ここは有意義だが、読んでいくのは怖い時もあった。自分とほぼ同世代の人間が病気になった話は、「いつまでも自分は健康だ」と思いこもうとしていた自分には警鐘となった。カフカは40歳になる寸前で結核でなくなったことや、正岡子規の病気の話も紹介されている(p.219)。子規の著作『病狀六尺』、『仰臥漫録』は私にとっても、愛読書であり、その壮絶な闘病日記を、おそるおそる読んだ記憶がある。

ここで、私が読んで興味を引かれた部分を箇条書きにして記してみたい。

(1)p.78に、ロビンソン・クルーソーへの言及がある。カフカが述べるには、ロビンソン・クルーソーが孤島の山頂にて、すべてが見渡せる場所に留まっていたならば、絶望のあまり短命であったろうとのことだ。島の中の最もsichtbar な地点とは、訳者の多くは、ロビンソン・クルーソーから見て、見渡しのいい場所としていたが、実は船から見て一番よく見える場所であった、と著者は解釈している。注意深く本を読むと、この様なことまで見えてくるのかと著者の慧眼に脱帽せざるを得ない。

(2)p.107 著者は若い頃にシューベルトの『セレナーデ』を聞いて感銘を受けたとある。もの悲しい曲で、私にとっても好きな曲である。

(3)p.120の格言 Life is short; Art is long だが、芸術は長し、と訳されているが、Art には技(わざ)の意味があり、むしろ「学問技術の世界は広くて、前途はほど遠い」との説を紹介している。なるほどと肯く次第である。

(4)p.182 にイルカの交信は、音と音の間の無言の間の長さによってなされる、という説を紹介している。面白い。

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私は現在71歳だが、この本を読んでの感想は、「よし俺も頑張るぞ、この著者みたいに本を読み、世界の出来事に関心を持ち続ければ、老後もけっこう、面白いぞ」という気持ちになった。もちろん若い人が読んでも有益な本であり、触発される箇所がたくさんある。