日本の英語教育の歴史

1870年代:私立小学校では100年以上も前の1870年代には慶應義塾幼稚舎が既に英語学習を始めている。(徳地資料)

1872年(明治5年):学制では上等小学校(10-13歳)から英語を教えていいことになり、以後は高等小学校では英語付設率が高まっていったが、小学校で英語を習った一部の生徒が間違った発音を身につけて、中学校の英語教師が正しい発音に矯正するのに苦労することもあった(奥野2008)。

1886年:高等小学校制度が発足して、都市部を中心に小学校での英語教育が一気にひろまる(江利川2008: 2)。

1945年9月20日:「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件通牒」よりの文部省の通知によって教科書への黒塗りの指示がなされた。(江利川2008:107)

1947年(昭和22年):学習指導要領(試案)が当時の文部省によって発行された。拘束力はない。

1951年(昭和26年):中学校・高等学校学習指導要領外国語科英語編(試案)→これは日英両語による三冊、759ページにおよぶ大きなものであった。この指導要領は、あまりに大冊であったためか、あまり読まれなかったが、新しい英語教育に啓蒙的な役割を果たしている(高梨健吉1975『日本の英語教育史』pp.239-258大修館書店)という評価もある。この時代は語学教育研究所が中心となりH. E. PalmerのOral Methodの考えを取り入れて作成されたと言われている(奥野2008)。

1956年:教育委員会を公選制から任命制に変えて、教科書調査官を新設して検定体制を強化した。それで検定不合格が続出した(江利川2008:137)。

1958年(昭和33年):「小学校学習指導要領」「中学校学習要領」が告示されたが、これが法的拘束力を持つ最初の学習指導要領である。@これは試案ではなくて、法的強制力を伴う国家基準とされたたために、英語教科書に深刻な影響を及ぼした(江利川2008:137)。

1963年:教科書無償措置法と抱き合わせに広域採択制が導入されて、65年に全面実施となった。これによって採択権が教師から教育委員会に移った。さらに検定が3年に一回になり、同じ教科書を3年間使用が義務づけられた(江利川2008: 139¬¬-40)。

1972: 松川(2004)によると日本における公立学校における英語活動の先駆的事例は1972年に千葉県で15の小学校がクラブ活動としての英語教室を開始したことであると述べている。1986年には横浜市立小学校において「国際理解教室」が始められている。(徳地資料)

1972:この年の学習指導要領にすでに「国際理解」という言葉が見られる、しかし盛んに使われるようになったのは1990年代以降のことである(山田2005a: 42)。

1974: ユネスコが国際理解に関する勧告を受け入れる(山田2005a: 52)。

1979年:TOEICが創立されて、受験者は3000人ぐらいである(鳥飼2006:64)。

1981年(昭和56年度):中学校指導要領の改訂で、英語が完全な週3時間体制となった。なお、1989年(平成元年)の指導要領では実質4時間に戻されたが、1998年の指導要領では、また週3時間に戻る。2008年の指導要領では再び週4時間に戻される。

1986年:横浜市立小学校において「国際理解教室」が始められている。(徳地資料)

1986年:発表された臨時教育審議会第二次答申の中で「英語教育の開始時期についても検討する」という文言がある。(徳地資料)

1987: JETプロラムは正式名称を「語学指導等を行う外国青年招致事業」(The Japan Exchanged Teaching Program)と呼び、ALTと呼ばれる外国語指導助手や国際交流員の受け入れシステムのことである。1987年に4カ国、848人から始まった. (徳地資料)

1987: 臨時教育審議会第3次答申において、帰国生徒・外国人生徒・一般生徒がともに学ぶ「新国際学校」の設立が提唱された。それを受けて1991年4月に千里国際学園が設立される(植松2006:167)。

1989:この年の学習指導要領の改訂で「オーラル・コミュニケーション」という科目が高校に導入された(鳥飼2006:77)。

1990: 雑誌『英語教育』の1990年4月号に、「国際理解教育をどう進めるか」という特集が組まれた。→たぶん、これが国際理解教育が大きな焦点を浴びた最初のようである(山田2005a: 42)。

1991: 臨時行政改革推進審議会の「豊かな暮らし部会」が小学校への英語導入の検討を提言した後に当時の文部省の坂元初等中等教育局長が小学校への英語教育導入について文部省が検討を始めることを表明した。(徳地資料)

1992:大阪市立真田小学校、味原小学校が「小学校の英会話」等に関する研究開発校(これは研究指定校では?)として指定された。(徳地資料)@大阪の真田山小学校もそこに含まれるようである。この2校が選ばれたのは、1986年の臨時教育審議会第二次答申の中で「英語教育の開始時期についても検討する」を受けての行動である(瀧口優 2006:17)。@研究開発学校制度がはじまり、1996年度まで、順次研究開発学校が指定された。この5年間で指定された小学校の数は、合計47である(山田2003:100)。

1993年から95年まで、2回目の研究指定校として、千葉の鴇嶺小学校、鹿児島大学附属小学校が認定を受ける(瀧口優 2006:18)。

1996年:第15期中央教育審議会の第1次答申において英語の教科としての一律導入は見送られ、代わりに新設された「総合的な学習の時間」や特別活動などにおいて国際理解教育の一環として英会話などにふれる機会や外国の生活、文化に慣れ親しませるようにするべきであるという指針が示された。(徳地資料)

1998年(平成10年):「生きる力」の育成を標榜して現行の小学校・中学校学習指導要領が告示された。

1998年:学習指導要領改訂により、「総合的な学習の時間」が創設され,2002年度から小学校では「国際理解に関する学習の一環として外国語会話等」が実施可能となる。

2000年1月:「21世紀日本の構想」懇談会の報告により、英語の第2公用語論が発表される。

2000年8月:船橋洋一が『あえて英語公用語論』を発売する。

2001年:『小学校英語活動の手引き』が発行された。

2002年4月:小学校の新学習指導要領が施行される(告示は1998年12月である)。「総合的な学習の時間」が創設された。そこでは、「総合的な学習の時間」の取り扱いに関して、「国際理解に関する学習の一環としての外国語会話等を行うときは、学校の実態等に応じ、児童が外国語に触れたり、外国の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど小学校段階にふさわしい体験的な学習が行われるようにすること。」と書かれている(山田2005a: 42)。@完全週5日制となり、ゆとりの中で「生きる力」を育成することを目指した(山田2003:110)

2002年7月:内閣官房構造改革特区推進室が発足して、内閣総理大臣を本部長とする構造改革推進本部がスタートした。

2002年7月:構造改革特区の第1次提案募集が公開される。12月には、「構造改革特別区域法」が公布された。[実態に合わなくなった国の規制が、民間の事業者の経済活動や地方公共団体の事業を妨げているとするが、従来型の財政措置は講じないので、条件作り等は地方自治体任せになっている]教育特区でも文科省が認定するのではなくて、内閣府が認定の判断を下すのである(瀧口優 2006:25)。

2003年4月21日:太田外国語教育特区が認定される。学習指導要領等の教育課程の基準によらない特例を活用して、市と民間が協力して小中高一貫教育の学校を設立し、国語等を除いた大半の授業を外国人教諭が英語で行う。@太田市が申請し構造改革特区第1号に認定された「太田市外国語教育特区構想」に基づき、設立された学校で、2005年4月に開校した。国語を除くほとんど全ての教科教育を英語で行う「英語イマージョン教育」を最大の特徴とする。1クラスの定員は30名(実際は36名)で、担任はバイリンガルの日本人教師(日本の教員免許)とネイティブの外国人教師(母国の教員免許)の二人制。ほとんどの授業はクラスの半分である18名で行われる。インターナショナルスクールとの大きな違いは、この学校が教育基本法第1条に基づく学校であることである(Wikipedia)。

2004年1月:河村建夫文科大臣が「小学校英語、将来は全国に」という発言をする(鳥飼2006:44)。

2004年3月:中教審初等中等分科会教育課程部会外国語専門部会が設立される(鳥飼2006:44)。当初の予定では、1年後の2005年に「小学校で英語を教科として導入する」という答申を出すはずだったようです(鳥飼2006:46)。

2005年7月15日:大津由紀雄教授が代表者となって「小学校での英語教科化に反対する要望書」を中山成彬(なりあき)文科大臣宛に出す。

2006年:中教審の専門部会から「必修化」を内容とする答申が出される。

2006年:全国の小学校のうち、95%ほどの学校が何らかの形で英語活動を実施しているという実態が明らかになった。

2008年(平成20年):3月28日に改訂版小学校学習指導要領を告示した。小学校新学習指導要領の全面的な実施は2009年度(平成23年度)からであるが、平成21年度から、実施可能なものは先行して実施することを基本方針とすることが、4月21日に開催された臨時教育長会議で確認された。

2011年:2年間の先行実施期間を経て、2011年度から全国一斉に総合的な学習の時間に「外国語活動」が実施された。

2013年12月:文科省は「グローバル化に対応した英語教育改革」を発表した。

2018年:外国語活動のために、Let’s Try 1, Let’s Try 2 を3,4年生用に、We Can! 1, We Can 2 を5,6年生用に文科省が配布した。

2020年:小学5・6年生からは英語が正式に教科となり、教科書を使った学習が始まる。年間で70単位となる。小学校3,4年生は外国語活動となり、年間で35単位時間(1週間に約1回の授業)の学習をしている。また、小学生で習う英単語数は、小学校を通じて600~700語程度の単語を修得するように強化される。


出典

江利川春雄 2008 『日本人は英語をどう学んできたか』 研究社