インド

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インドの言語計画

18世紀に至るまでイギリス政府がインドに介入することは少なかった。英語の普及を政府の手で推進することもなかった。インドに英語の普及のきっかけとなったのは伝道組織である。
19世紀になり、マコーレー卿、アーグラ総督が英語の普及に貢献する。1835年インド政府はインド土着民にもヨーロッパ文学と科学の普及をはかる旨を宣言する。しかし東インド会社はこの運動に懐疑的であった。会社は当初はサンスクリット語、アラビア語、ペルシャ語を教育・研究の媒体として使うことを薦めた。
1857年:ボンベイ、カルカッタ、マドラス大学設置、さらにアラーハーバードとラホールの大学が続いた。
○ 今世紀初頭インドの独立運動が盛んな当時、英語が現在のように確固たる地位を保持するとは誰も予想していなかった。英語は、言語を異なる部族を結びつける媒体として約立ちうる中立的な言語であった。
インドでは3言語方式が取り入れられている。すなわち中等教育の段階で3言語を必修とする。その地域の言語、ヒンディー語、英語である。問題点は憲法に記載されている15言語以外を使用する集団にとっては4言語方式になるという点である。
○ウルドゥー語は19世紀の北インドではヒンドゥスターニー語の名の下に行政・法廷用語として使われていた。

1903年:ウルドゥー語向上協会が設立される。

1910年:ヒンディー文学会議が設立。反ヒンドゥスターニー語・反ウルドゥー語を目標とする。ガンディは1917年議長につくが、42年議長を辞任、45年脱会する。

1918年:南インドヒンディー語普及協会が設立。

1936年:国家語普及協会設立。

1930:イクバールによる「ムスリム国家発言」

1933と1935年:学生によるパーキスターン構想の公表

1937年10月:全インドイスラム連盟ラクナウー大会で、ウルドゥー語をインドの共通言語にすることが決議された。

1938年12月18日:「ウルドゥー語の日」が全土で祝われた。

1941年:国勢調査によれば英領インドの人口中(149百万人)42%がヒンドゥスターニー語・ヒンディー語・ウルドゥー語を話すとしている。
1945年:ガンディはヒンドゥスターニー語普及協会を設立する。
1958年英語中央研究所がハイダラーバードに設立された。
インドはその典型である。インドでは独立以前は英語に対する強い拒否反応があったため、独立後は急速に英語の役割が減少するものと予想されていた。しかし代わりにヒンディー語を唯一の公用語とする計画は南部ドラビタ語族をはじめとする諸民族の根強い反対により繰り返し延期を余儀なくされている。国内の意志疎通のためにヒンディー語、アッサム語、ベンガル語、ウルドゥー語等、15の言語が公用語となっている。しかし行政の分野を始めとする全国内的な規模のコミュニケーションの時は英語が不可欠であり、この傾向は強まりこそすれ弱まりはしない(Das Gupta,1970)。
1917年10月20日:バローチでの第2回グジャラート教育会議でガンディーはインド全域で共通語として機能する言語の条件を5つ上げる。かれはサンスクリット語とペルシア語の語彙の使用を限定してデーヴナーグリー文字とペルシア文字で書かれる Hindustani ヒンドゥスターニー語を提唱する。(藤井1:4)
1920年:ナーグプル会議

文献
Fujii, Takeshi(藤井毅) 1994. インド憲法制定過程における言語問題の推移(Ⅰ)(2)『アジア経済』第35巻第4ー5号  東京:アジア経済研究所

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