電子化の時代における日本語と英語
電子技術によるコミュニケーションでは先端を走るソフトやハードの多くがアメリカを発祥としています。アメリカの技術者が英語を用いて開発してきたのです。そのことは世界の言語の文体やコミュニケーションのあり方に影響を与えています。
ここでは主に日本語にどのような影響があるか考えてみましょう。日本語の書記法は以前から徐々に横書きが進んでいましたが、電子化により一層横書きが進んだようです。キーボードは横に配列されているので、横書きの文章の方が馴染みやすいのです。
このことは日本語の語彙や文体に影響を与えています。一番大きな特徴は英語との親和性が高まったことでしょう。つまり外来語がますます日本語に流れ込みやすくなりました。それは膨大な量の外国語由来の語彙、特に英語の語彙が日本語に入ってくることを意味します。従来から目立ったこの傾向はますます加速度がついています。また、翻訳ソフトの利用も盛んで、英語の文をそのまま直訳したような日本語でもさほど奇異に思われなくなってきています。
若い人はラインを頻繁に使います。筆者も学生との連絡に使い始めましたが、これは便利なアプリです。話し言葉の感覚ですぐに伝達できます。しかし、ラインを使いすぎると、文が短くなり、思いつきをそのまま書くという傾向が出てきます。時間をかけ構想を練って長文をつくることが苦手になります。長い文を送る場合でも、少し考えて短い文を送り、そして追加でまた短い文を送るという、その繰り返しになります。ラインの文章をつなぎ合わせたようなレポートを書く学生も増えてきました。
これは英語の文章でも見られる傾向で、あまり長い文章は好まれずに短文をつなぎ合わせたような文章が好まれます。手軽さという点では、日本語と英語のスタイルは同じ方向に向かっていると言えましょう。
次に電子化のもたらす電子媒体の変化について考えてみましょう。ネット上にはPDF形式の学術論文が数多くあります。しかし、まとまった分量の情報となると紙媒体の書籍が好まれていました。これまでの人類の知的生活を支えてきたのは書籍であり、その傾向はこれからも変わらないと考えられていたのです。
しかし、現在その前提が変わろうとしています。電子書籍が登場して、利便性・廉価性などの面で紙媒体の書籍を上回るようになりました。その利点をいくつか挙げてみます。(1)収納の空間を取らないことです。筆者の持っているkindle端末は5000冊ほどを収容できます。膨大な数の本を常に手元に置くことができるのです。(2)外国語の本を容易に読むことができます。英語の本を読んでいて、ある単語の意味が分からなければ、画面上でその語を指でタッチすると、日本語の訳が画面に現れます。今後はどの言語の本も指で触れることでその訳語がポップアップするようになるでしょう。(3)電子書籍は安く購入できます。(4)瞬時に購入できます。従来は外国語の書籍はなかなか入手できないものでした。30年ほど前ならば、外国語の本は書店経由の船便で注文していました。今では、クレジットカードで入金手続きすれば瞬時にダウンロードできます。
従来は入手までに時間がかかり費用も高かったので、手軽に外国から書籍を入手というわけにはいきませんでした。そのために日本語の書籍に頼らざるを得ませんでした。しかし、このような不便な点が取り除かれ、外国語(特に英語)で書かれた書籍により詳しい情報が載っているならば、人々はそちらを入手しようとします。
現代では、多くの人は何か調べたい時はWikipediaを利用します。これは日々更新されていて最新の情報が盛り込まれています。Wikipediaは様々な言語で書かれていますが、英語版が最も詳しい版です。それは項目数の多さからもうかがい知ることができます。Wikipedia「全言語版の統計」(1)によれば、英語の記事数は461万で一番多いのです。日本語の項目数は93万で11番目です。日本人でも深い知識を求める時は、日本語版よりも英語版を参照するようになります。
このように、電子化により空間的・時間的な制約が取り去られつつあります。人々はネット上では、自分の住んでいる地域にかかわらず言語を選択できるようになりました。そのことは特定の言語によって蓄積された情報に誰でもアクセスできることを意味します。最新の科学技術情報の多くは英語で蓄えられていますが、それらはネットを介して即座にそして廉価で入手できるようになりました。従来のような情報の独占は難しくなってきています。現代社会は情報の独占によって生まれていた情報格差(それは技術格差や経済格差ともつながる)を最小化する方向に働いています。英語というツールを使える人はだれでも平等に情報へのアクセスができるのです。次に、この点は英語の単一支配につながるか、それとも多言語化につながるか考えてみましょう。
ここまでは、主として学問(特に科学技術)の世界を想定して、電子化が世界の言語の英語化につながる可能性を述べてきました。しかし、人間の様々な営みの中で、学問の世界はごく一部に過ぎないのです。学問の世界で見られる傾向がすべての傾向を示すのではありません。実は、電子技術の発展という現象自体は単一言語化にも多言語化にも中立的に作用すると考えられるのです。
Internet World Stats(2)によれば、現在、インターネットで使われる用語は英語が28.6%で、中国語が23.2%、スペイン語が7.9%、アラビア語が4.8%、ポルトガル語が4.8%、日本語が3.9%となっています。ただし、2000年から2013年にかけての伸び率も見てみましょう。英語は4.7倍なのに、中国語は19.1倍、スペイン語は11.2倍、ポルトガル語が15.1倍、ロシア語が27.2倍、マレー語が12.2倍となっています。つまり、インターネットの普及で、むしろ英語以外の言語の使用が目立つようになり、英語の使用は相対的に比重が減ってきています。このように多言語化を示すデータもあります。
このデータは次のように解釈されるべきでしょう。インターネットはアメリカの技術が生み出したものです。それゆえに、初期段階では英語圏を中心とする先進国の人々に多く使われ、使用言語の頻度数では、英語が圧倒的な比率を示していました。しかし、電子化の恩恵は発展途上国の人々にも及ぶようになり、世界の各地で人々はタブレットやスマートフォーンを使い始めています。そして自分の言語で互いにコミュニケーションするのです。そのために、ネット空間において相対的に英語の比率は低下しています。また少数言語の文字がネット上でも使えるようになり、少数言語の話者も自分の言語で思う存分、メールやインターネットを楽しむことができるようになりました。このように、電子技術の発達は世界の各言語に平等に恩恵を施しつつあります。
科学技術の世界においては明らかに英語への集中が見られます。また貿易や金融や観光の分野でも英語化への動きが見られます。しかし、それ以外の分野、つまり人々の営みの大部分の分野は自らの言語を用いて行っています。この状態はこれからも続くでしょう。しかし、数百年という単位で考えると予想が難しくなります。
電子化の時代は各言語を隔てる壁が消え去り、人々は容易に国境を越えて情報の入手ができるようになりました。電子化の時代に多言語主義はどのように生き残れるか。それは、各地の人々がどれだけ魅力的な言語文化を生み出すかによります。日本語が電子化の時代に生き残るとしたら、日本語の使い手が、自らの言語文化の質を高めて世界にアピールできるかどうかにかかっています。国境を越えて、諸外国の言語文化が次から次と輸入されてくるでしょうが、逆にこちらからも日本の言語文化を輸出しやすくなることを意味します。電子技術の発達が自分たちに有利に働くかどうかは、その文化の担い手たちの行動によります。
注
(1) Wikipedia(全言語版の統計) http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia (2014/11/14閲覧)
(2) Internet World Stats http://www.internetworldstats.com/stats7.htm (2014/11/12閲覧)