語彙と比較文化研究:新興国における語彙の拡大とその問題   (1999年執筆)

はじめに(問題提起)

言語の語彙に関して、先進国と発展途上国の間には相違が見られる。先進国の言語には、最新の学術・科学・技術を取り扱うに足るだけの語彙があるが、発展途上国の言語には、その機能を遂行するに足る語彙数がまだ存在しない。
そのために、先進国と発達途上国の言語間(例えば、英語とタガログ語)の翻訳には大きな問題が生じる。発達途上国の言語を先進国の言語に訳すことは、ある程度可能であるが、先進国の言語を発達途上国の言語に訳すことは、困難な場合がある。先進国の言語の語彙のある部分(特に、政治・経済・法学・科学・技術などに関する語彙)が、発達途上国の言語の語彙の中に見い出せないからである。
それに反して、先進国の言語どうし(例えば、英語と日本語)の翻訳は、比較的容易である。翻訳の技法の公式化がある程度すすみ、訳者はその公式に基づいて翻訳を行うことができる。日本では、明治以来、英文和訳の長い伝統が確立されている。巷の受験参考書には英文和訳(または英作文)の公式が記載されている。例えば、関係代名詞の訳として、「何々するところの」、not only — but also ならば、「~のみならず、~もまた」のように公式化されている。語彙に関しても、訳者は反射的に sociology/社会学、literature/文学、science/科学と訳するが、そのために特に問題は生じない。これらの語は、一対一対応で、我々の頭の中にこびりついている。このことは、問題点もあるが(1)極めて便利なことであるのは間違いない。
いかなる未開の民族の言語であっても、統語構造は先進国の言語と優劣がつけがたく、語彙さえ拡張されれば、原子力やコンピュータのような最先端の技術をも取り扱うことができる、との見解が現在の言語学の定説である(Wardhaugh 1986:218)。つまり、科学技術の用語を付け加えさえすれば、発展途上国の言語は、先進国の言語に追いつくことができるのである。戦後独立した植民地は、自国の言語の独立をも目指して、言語計画、特に語彙の拡大を行なってきたが、その場合、どのような問題点が生じるか、フィリピンの例を中心として、検討することが本稿の目的である。

1.新興国の言語状況
第二次大戦後、アジア・アフリカで植民地が独立した。おおむね当初は旧宗主国の言語を公用語として、行政・司法・教育の場で用いていた。憲法、不動産登記、株式の売買、銀行の業務、市役所への書類(結婚届、出生届、死亡届)、中等高等教育の教科書、工場でのマニュアル等に旧宗主国の言語を用いていた。しかし、次第に民族語で置き換えようとの動きが生じてきた。
新興国は、語彙の拡大等の言語政策を遂行するために、専門の言語学者たちを招き、言語機関を樹立した。これらの機関として、フィリピンでは国立国語研究所(the Institute of National Language)、マレーシアでは国語文学センター(Dewan Bahasa dan Pustaka)、インドネシアではインドネシア国語委員会(Komisi Bahasa Indonesia)が創設された。インドネシアとマレーシアでは、語彙拡大の作業はかなり進んでいる。マレーシアでは、60万語の専門用語が作られており、その語彙を用いた学術書・雑誌も既に発行されている(Dewan Bahasa dan Pustaka 1989:8)。また、インドネシアでも、32万語が造語された(Cooper 1989: 150)。フィリピンについては、第3章以下で述べる。

2.語彙拡大の一般的方法
語彙を拡大する場合、大きく分けて、二つの方法が考えられる。一つは外国語を用いる方法であり、他は民族語に翻訳して用いる方法である。これらは、具体的な方法を見てゆくと、さらに細分類できうる。ここで、grasshopper (バッタ科、キリギリス科の昆虫を意味する)との英語の単語を日本語に翻訳すると仮定して、その具体的方法を列挙してみたい。

(1)外国語を用いる方法(語彙拡大の手段としては、容易な方法であるが、その表記法に関して、次のように分けられる)

a)外国語をそのままの表記法で用いる。例えば、grasshopper との語を英語の表記のまま、日本語(民族語)の表記法の中で用いる。
b)外国語を用いるが表記法を変える。
b1)接辞のみ、民族語を使う。例えば、複数を表すために、英語の接辞 –sを用いずに、日本語の接辞「たち」を用いて、「grasshopperたち」と表記する。
b2)スペルは、民族語の表記法を用いる。例えば、日本語の表記法の一つであるカタカナを用いて「グラスホッパー」と表記する。

(2)日本語(民族語)に翻訳して用いる方法

c)カルク(意味借用)(2)で造語する。例えば、grasshopper を grass+hop+er のように英語の原義に分解して、grass「草」、hop「跳ぶ」から、grasshopper を「草跳び」とする。この場合は意味やイメージは元の語から由来する。
d)民族語の(基本語)を合成して語をつくる。例えば、ある基本語「緑」と「虫」を組み合わせて、「緑虫」との語を造り、これを grasshopper の訳とする。この場合の「緑」と「虫」という意味とイメージは元の語とは関係ない。
e)既存の日本語(民族語)を活用して、これに新しい意味を付け加える。例えば、「イナゴ」との語が grasshopper を意味するとする。

これらの語彙拡大の方法に関して、できるだけ民族語を取り入れようとする立場を民族主義と見なし、外国語に近い形で取り入れようとする立場を、国際主義と見なすと、各々の造語方法は、表1のようになる。

表1
民族主義                        国際主義
民族語に近い語彙← e,d …. c … b2 … b1 … a→ 外国語に近い語彙

造語された科学技術用語が、人々に容易に理解されるためには、できるだけ民族語に近い方が望ましい。語彙が民族語に近ければ、人々が親しさを感じ、人々の思考に近くなるので、学問を一般大衆に浸透させやすくなる。しかし、国際性を考えると外国語にできるだけ近い方が望ましい。特に、その外国語が世界語として普及している場合は、そのことが言える。
例えば、fast breeder reactor を、そのままに近い形で(例えば、ファースト・ブリーダー・リアクターとして)、専門用語として取り入れると、外国語に近くなるので、先進国の科学技術との交流が容易になり、国際水準を維持しやすくなる。しかし、大衆に取り、意味は分かりにくくなるので、学問がエリートだけの所有物となり、それは階級の固定化につながる恐れがある。(3)しかし、「高速増殖炉」と(あるいは和語を用いて「はやき・いかずち・なべ」とでも)訳せば、一般大衆も、ある程度のイメージをつかむ事ができる。

表2
民族主義 ←                          → 国際主義
はやき・いかずち・なべ … 高速増殖炉 …ファースト・ブリーダー・リアクター …fast breeder reactor
①やまとことば  …  ②漢語   ….  ③外来語     …  ④英語

新たな語彙を造ってゆく場合、民族主義と国際主義とは、このように互いに相反する関係にある。現実的には、この両者の間のいずれかの個所を妥協点として、言語政策が行なわれる。Fishman (1983:107-18)によれば、言語政策の成功とは、この両者のバランスをうまく保つことにある。次に、フィリピンにおける言語拡大の例を見てゆく。

3.フィリピンにおける語彙の拡大
3-1.現在の言語構造
フィリピンでは現在、数百の言語が話されており、その中で8つの言語(セブアノ語、タガログ語、イロカノ語、ヒリガノン語、ビコール語、ワライワライ語、パンパンガ語、パンガシナン語)が有力である。中でも、首都圏で話されるタガログ語が共通語として全土に広まりつつある。
また、スペイン(300年間以上)とアメリカ(約50年間)の植民地であった時代に、スペイン語と英語が統治の言語として使われ、現在もその語彙は民族語の中に、かなり残っている。スペイン語は3世紀以上使われてきたために、その語彙はフィリピン文化にある程度同化されているが、英語は20世紀になってから使われ始めたので、その語彙は、まだ外国語と意識されている。日本語で言えば、漢字とカタカナ語の関係にあたる。しかし、民族語・スペイン語・英語ともアルファベットを用いているために、漢字・カタカナ・ひらがなと比べれば、さほど互いに異種の言語の語彙とは感じられていない。フィリピンにおけるこれらの語彙を民族主義、国際主義の観点から分けると次のような表ができる。

表3
民族主義  ←                  → 国際主義
民族語の語彙   ←   スペイン語の語彙      → 英語の語彙

3-2.諸民族語を融合した新しい言語の創設
フィリピンでは、独立後も、数ある民族語の中から、いずれを国語とするか民族間の合意が得られなかった。1973年の憲法で、現存のすべてのフィリピンの言語に基礎を置き、それらを融合した新しい言語を創造して、その名称を「フィリピノ語」とすることが定められた。フィリピンの諸言語はオーストロネシア語族に属し、文字もアルファベットを用いているので、言語の融合が比較的に容易である。(4)語彙拡大も、各民族語の語彙を適宜取り込んで行うことが可能である。
しかし、現実論としては、融合は難しい。科学技術の用語に関しては、一つの民族語で、すべての用語体系を構成しないと多くの不備が生じる。例えば、ある語はタガログ語、ある語はビコール語、ある語はイロカノ語と造語してゆくと、用語間の整合性が崩れてしまう。例えば日本語の例を見てゆけば、「酸素」、「炭素」、「水素」、「二酸化炭素」、「過酸化水素水」という用語を見れば、二酸化炭素や過酸化水素水は、酸素・炭素・水素から構成されていると推測が可能である。これを「酸素」はタガログ語で、「水素」はイロカノ語、「過酸化水素水」はビコール語、を用いるとすると、各用語間の連絡が消えてしまう。
あるいは、学問分野別に各言語をあてがう方法、例えば、化学はタガログ語、医学はビコール語、生物学はイロカノ語の語彙との方法も考えられうる。しかし、学問間の境界がなくなりつつある現代では、(化学用語も医学や生物学の用語と重なり合うことが多い)、この方法も現実的ではない。

3-3.外国語を専門用語として取り入れた場合
フィリピン諸語には、スペイン語と英語の語彙が相当残っている。これらを活用する方法も考えられる。その時に、外国語のスペル、発音をそのまま用いるか、民族語にあわせて変化させるかの問題点が生じる。民族語にあわせてスペル、発音を変化させると、元来の用語間の連絡が見えにくくなる恐れがある。例えば、英語で nation, national は両者の関係が分かるが、カタカナに表記するとネイション、ナショナルとあって、この二語が関連するとは推測できなくなる。特に、科学用語の体系は首尾一貫していることが望ましい。国際性という観点からしても、元来のスペル、発音を保持していた方が有益である。しかし民族語の表記法の中に、外国語の表記法が入ると、混乱が生じるとの問題がおきる。

4.語彙拡大への試み
フィリピンでおこなわれた言語の語彙の拡大の試みの中から、2つほど例を見てゆく。次に語彙拡大に関するアンケートの内容を見てゆく。

4-1.国語法
アメリカ統治下の自治領であったフィリピンで1935年に共和国法令184号・国語法(the National Language Law)が通過して、国語研究所(the Institute of National Language)が創設された。この機関の目的は、Gonzalez (1989: 67)によれば、(1) 50万人以上の話者がいる民族語を調査研究する、(2) 同族言語の対照表を作る、(3) 統一されたスペルを確立するためにフィリピン諸語の音声と表記法を研究する、(4)諸民族語の接辞の研究をする、ことであった。これらの研究調査の後に、民族語の中から適切なものを国語として選択し、その言語の標準化(辞書・文法書の編纂、語彙の純化)を行ない、さらには他のフィリピン諸語から語彙を取り入れて国語の語彙の拡大を計ることとされた。
国語法は、語彙を造語・拡大する際に、材料となる言語の優先順位を定めている。それは ①フィリピン諸語から、②スペイン語と英語から、③ギリシア語かラテン語から、との順番であった(Santiago 1979:27)。国語法はさらに、従来の語彙から不必要な外国語の要素を取り除くこと、外国語のスペルはフィリピンの言語の表記法に合わせてに変えること、も明記した(Gonzalez 1989: 67-8)。このように基盤とすべき言語に順位をつけて言語造成が行なわれることは、他の諸国でも見られる。(5)
新しく造語された用語を用いて、Lope K. Santos が国語文法( Balarila ng Wilang Pambansa )を書き上げ、これが公式の文法書として採用された。Gonzalez (1989: 72)によれば、タガログ語を基にして作られた文法用語を用いてあるこの文法書は、民族主義的傾向の強いもので、英語の文法用語になじんだ一般の人々に取って、難解で分かりにくく、さほど普及しなかったという。

4-2.科学用語委員会
1964年に、ピリピノ語(6)による科学・技術用の語彙を造成する試みが行なわれた。UNESCO National Commission of the Philippines によって設立された ピリピノ語アカデミー (Linangan ng Wikang Pilipino / Academy of the Pilipino Language) に属する科学委員会(Lupon sa Agham / Committee on Science) によって、フィリピンの科学語彙を発達させようとの最初の大掛かりな試みが行われた。新たに造られる語彙の材料として、選択される言語の優先順位は、①現代のタガログ語から、②古代のタガログ語から、③他の主要な地方語から、④スペイン語と英語から、⑤他の主要な世界語から、であった (Santiago 1979:28-31)。①に適当な材料が見あたらなければ②を使い、②に見あたらなければ③と、それぞれ順次繰り下がってゆく。
造語の基本的な方針として、Santiago (1979)によれば、現在のタガログ語の語根を組み合わせて、造語されることとした。文法書balarila の文法規則に基づき、接辞の付加や、語の合成、重複 (reduplication)が、行なわれ、用語体系が自明 (self-explanatory)、首尾一貫、合理的であるようにした。例えば、alka(アルカリ)との語から、アルカリ性との意味の語を造る場合は、接辞 ka- … -han を付加して kakalkahan とする。このように「~性」を意味する場合は、必ず接辞 ka- … -han を付加するとすれば、用語の体系に整合性ができる。
科学用語委員会において、65年から67年にかけて毎週、担当者の会議が行われ、最初の語彙集 talasalitaan (vocabulary) は69年に発表された。この年に、またGonsalo del Rosario によって、『英語ピリピノ語科学用語辞典』Maugnayig Talasalitaan Pang-Agham Ingles-Pilipino (Maugnayig Scientific Vocabulary English-Pilipino)が刊行された。
だが、この委員会は主として民族主義の立場から、純粋な民族語を追求するあまり、すでに一般化している外来語も排除していったために、その語彙は、一般の人々には却って分かりづらくなり、あまり普及しなかった(Gonzalez 1980:119)。

4-3.1972年のアンケート調査(LSC-PNC Survey on Science Terminology)
フィリピン師範学校(LSC-PNC)言語研究センターが学生、教師を対象に、1972年に、科学技術用語として、どのような語彙が好まれるか調査を行った。Santiago (1979: 31)によれば、それは、科学技術用語(初等教育レベル)の語彙として、次のようなさまざまな形式を提示して、どの形式が一番適切と思われるか答えてもらうアンケートであった。
(イ)英語そのままのスペル (例liquid)
(ロ)上の(イ)を民族語の表記に直したもの (likwid)
(ハ)スペイン語そのままのスペル (liquido)
(ニ)上の(ハ)を民族語の表記に直したもの (likido)
(ホ)民族語(ピリピノ語)を用いる
(ホ1)現代のタガログ語 (katangian = charcteristic)
(ホ2)古代のタガログ語 (balisunsong = funnel)
(ホ3)民族語の一つ (kusog = energy)
(ホ4)語根を組み合わせて造られた語 (miksipat <mikmik + sipat =telescope)
(ホ5)タガログ語の語根に他の民族語からの接辞を組み合わせて造られた語 ( aghamanon < agham + -non *-non は ビザヤ語でexpertを示す)
(ホ6)科学用語委員会 (Lupon sa Agham)で造語された語

調査の結果として、①スペイン語が英語よりも好まれていること、②民族語(ホ)は、かなり選択されているが、圧倒的に現代タガロク語(ホ1)から選択されていること、③外来語は民族語の表記法に直したスペルが好まれていること、が明らかになった。
全体的にはスペイン語を素材とした造語が好まれているが、その理由は長い歴史のうちに、スペイン語の語彙が同化されたこと、音韻体系がスペイン語とタガログ語では似ていることがあると思われる。

4-4.アンケート調査(Santiagoの調査)
Santiago (1979)は、有識者300名(大学生・教員・専門職それぞれ100名)に技術用語としてどれが相応しいと感じるかアンケート調査をおこなった。語彙を5種類、①英語(例 chemist)、②英語のスペルをタガログ語風に修正したもの(kemist)、③スペイン語(quimico)、④スペイン語のスペルをタガログ語風に修正したもの(kimiko)、⑤タガログ語(kapnayanon)、をそれぞれ提示して、一番望ましいと思うものを選んでもらった。
その結果、⑤現代タガログ語、①英語、④スペルをタガログ語風に書き換えたスペイン語、が特に好まれていることが明らかになった。更に分析してゆくと、人気のない語彙は、古代タガログ語や地方語に由来する語彙であることが、分かった。
英語元来のスペルで書いた語彙は好まれたが、とりわけ、分野の専門性が高まれば高まるほど、または最新の技術分野になればなるほど(例、コンピュータ、飛行機)、英語のそのままのスペルが好まれる傾向が存在する。医学の分野では、スペイン語の語彙はかなり好まれるが、最先端の語はやはり英語が好まれるとの傾向が存在する。
このアンケート調査により、語彙拡大の際の問題点は、タガログ(ピリピノ)語としての統一的なスペルを保持すべきか、それとも国際性を求めて、ある分野では、英語そのままのスペルを保持すべきかの点に絞られてくることが明確になった。

4-5.二言語教育法
1974年に、二言語教育法 (The Bilingual Education Act) が成立する。初等・中等教育において、民族語(ピリピノ語)は文科系科目(社会、職業、道徳、保健、体育、音楽、芸術)の教授言語となり、英語は理科系科目(科学、数学、技術)の教授言語と定められた。そのために、科学技術の分野においては英語の語彙のみが使用されるようになった。以後、民族語の語彙の拡大の試みは中断している。

おわりに

表4
(民族主義)                          (国際主義)
民族語に近い語   ←・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 外来語に近い語
①        ②       ③

日本では、主として、漢語を専門用語の素材として用いて、和語を語彙創造の基礎にしなかった。このことは、表4で言えば、①よりも②の部分を語彙拡大の土台にしたことになる。フィリピンにおいても、アンケートが示すように、古代タガログ語①よりも、むしろ中間に位置する②現代タガロク語またはスペイン語の語彙が好まれている。事実、フィリピンにおいて、古代の純粋のタガログ語(日本の和語に当たる)を土台として、専門用語の造成が図られた時期があったが、それらの用語は普及しなかった。そのことから、語彙の造語の場合は、民族主義と国際主義の中間にあたる②を、語彙拡大の土台にすることが実際的であるように思える。
しかし、急速に発達する科学分野では、例えば、コンピュータ関連分野では、語彙を自国語へ翻訳・同化する時間的な余裕がなく、それゆえに③である外来語がそのまま使われることが多い。そのことで、日本では、新聞の投書欄などに「カタカナ語の氾濫」としてよく批判され、美しい伝統ある日本語を使えとの主張となる。
日本においては、明治期に比較的短期間に、漢語を材料として専門用語の造成が行なわれ、このことは、当時の学問を一般に広めるために大変有益な方法であった。一方、フィリピンでは、その作業は遅々として進まず、現在は中断している。植民地であったという歴史から、英語が第2言語として広く普及しており、そのために、民族語による科学技術の語彙の拡大の必要性がさほど感じられていない。
しかし、今後、フィリピノ語が国語として完成されてゆくためには、語彙の拡大が不可欠であるので、この問題が、どのように取り組まれてゆくか大変興味がもたれる問題である。また日本でも、多数の外来語の氾濫(特にアメリカ英語から)という事態を迎えているが、外来語をどのように日本語の中に受容してゆくかは大きな問題である。その時に新興国の語彙拡大の経験は大きな示唆になると思われる。

(1)機械的に翻訳することにより、一対一対応と考えられていた語どうしが、本当は別々の文化を背景とする異なる語であるとの事実が見失われてゆく危険性がある。

(2)カルクはloan translation(翻訳借用)とも言われ、新しい事物・観念を導入する時、それを表現するために、外国語の語句の要素を字義どおり一つ一つ翻訳して新しい語句を生み出す方法、またはその語句のことを示す。semantic borrowing(意味借用)とも言う。(田中春美編 1988 : 373 ; 589)

(3)一般に植民地では、宗主国の言語を話す階級が、植民地支配層と結びつき、上層階級を形成していた。独立後もその階級構造を残すことは国の発展のために望ましいことではない。

(4)この点でマレーシアとは異なる。マレーシアの主要3民族(マレー人、華人、タミル人)の言語は全く異なるので、言語の混合は、実際問題としては不可能と思われる。表記法の上からも、マレー語はローマ字/アラビア文字、中国語は漢字、タミル語はタミル文字を用いている。文字が全く異なるので、表記法の混合は難しいと考えられる。(しかし、 日本語では漢字・カタカナ・ひらがなの混合した表記法を用いており、異なる表記法の共存も可能であることを示している)

(5)インドネシアでは、日本占領時代にすでにインドネシア語の語彙拡大が開始されていた。その際の、取り入れる語彙の優先順位は、(1)現存のインドネシア語から、(2) 他の民族語から (3)他のアジアの言語から (4)国際的に使われている語彙から、であった(Alisjahbana 1976:28)。

(6)国語としてのタガログ語は1959年にピリピノ語と名称が変更になった。本稿では、タガログ語とピリピノ語は同じものを示すとして、論を進める。

参考文献

田中春美編 1988. 『現代言語学辞典』東京:成美堂
Alisjahbana, S. Takdir. 1976. Language Planning for Modernization. The Hague: Mouton.
Asmah Haji Omar. 1987. Malay in Its Sociocultural Context. Kuala Lumpur:
Dewan Bahasa dan Pustaka.
Cooper, Robert. 1989. Language Planning and Social Change. Cambridge: Cambridge U.P.
Dewan Bahasa dan Pustaka Staff. 1989. Dewan Bahasa dan Pustaka. Kuala Lumpur: Dewan Bahasa dan Pustaka
Fishman, J.A. (1983) Progress in Language Planning: international perspectives .  Berlin: Mouton.
Gonzalez, A. B. 1980. Language and Nationalism. Quezon City: Ateneo de Manila U. P.
Santiago,A.O. 1979. The Elaboration of a Technical Lexicon of Pilipino. Studies in Philippine Linguistics Vol.5 1984. Manila: Linguistic Society of the Philippines.
Wardhaugh, R. 1986. An Introduction to Sociolinguistics. Oxford: Basil Blackwell.