サヴァン症候群の人々                       2012-01-10

最近、授業で『レインマン』といいう映画を学生に見せた。感想文を提出させたら、多くの学生が感動したと書いてあった。この映画は、ダスティン・ホフマンが演じる自閉症の兄(レイモンド)とトム・クルーズが演じる弟(チャーリー)との交流を描いたストーリーである。兄レイモンドは自閉症の中でも特異な能力を持つサヴァン症候群の持ち主である。レイモンドは電話帳を丸暗記したり、5桁のかけ算や平方根をたちどころに暗算してまわりの人々を驚かす。

このように、自閉症の人の中には、ある特定の分野で驚くほど高い能力を示す人がいる。9000冊の本の内容をすべて暗記していたり、年号と月日を言えば、たちどころにその曜日を述べたりといろいろなサヴァンがいるようである。

自閉症の人々の世界認識は我々とは異なるとよく言われる。普通の人は外界に接したら、そこからの刺激を適当に取捨選択しながら受け入れていく。それは外界を言語化して概念化していくである。そして体系化するのである。それはある意味で記憶の節約にもなる。

自閉症の子どもに絵を描かせると、一般の人の気づかない極めて細かい点まで描いて、人を驚かせることがあるようだ。また何年も前の過去の風景なのに、これまた非常に細かく描く人がいるという。有名な画家の山下清は旅を題材に細密な風景画をたくさん描いたが、それらはほとんどが自分が旅から戻ってから記憶に頼って描いたという。サヴァンは非常な記憶力の持ち主であり、人々が賞賛するのも無理はない。

しかし、逆に言えば、自閉症の人は、見たものを記憶から捨てることができないので、苦しんでいるとも言えよう。過去の出来事をすべて克明に記憶するとしたならば、それは大変な負担になる。膨大な記憶が互いに脈絡無しに脳の貯蔵庫に保管されているのである。

一般人は二つの方法でこれを乗り越える。一つは忘れることである。忘れる能力とは、実は重要な能力である。忘れることができないならば、我々の記憶の貯蔵庫はパンクしてしまうだろう。自閉症の子どもの態度が「自閉」のように見えるのは、あまりにたくさんの情報を受け入れるのを避けようとする自衛行為であるとも言えよう。

もう一つの方法は言葉にしてそれを記憶するのである。人が、ある秋の日に、夕焼けを浴びながら散歩して感動したならば、その経験を詳細に記憶するのではなくて、言葉に置き換えて記憶するのである。「あの日は、『美しい夕焼け』のもとで雑木林が『赤く染まり』感動し」た、というように言葉で簡単にして記憶するのである。あの夕焼けをすべて取り入れるのではない。その意味では、「言葉」は過去の感動の省略形である。しかし、そこから大系を構築することができる。経験を言葉にして、自分の自然観や美観に組み込まれ、自分の世界観を豊かにすることにつながるのである。

サヴァンの脳がどのように作用するのかはまだはっきりとは解明されていない。しかし、その神秘が明らかになったら、我々の認識作用についての考察が深まることは疑いないであろう。