柴田勝征先生の思い出                      2015-07-03

柴田先生と初めてお会いしたのはいつだったか。20年ほど前になるかもしれない。金沢で日本英語表現学会の地方研究会が開かれた時に、私の恩師である春田勝久先生が語彙に関して発表された。その発表に関心を持った研究者たちが集まり、春田先生からいろいろと教えを請うことを目的として自然発生的にグループが発生した。

そのグループは連絡手段として、当時普及しつつあった電子技術を活用することになり、メーリングリストが作られた。メーリングリストの名前は「春田コーパス」であった。そのメーリングリストのメンバーとして、佐良木昌先生や柴田勝征先生が参加されて、その方々と私はメール交換を通して交友を深めていった。

当初はメールでのやり取りだけだったが、親しくお話をするようになったのは、金沢での集まりが切掛けであった。佐良木先生が発案者で、春田先生から語彙に関するお話を詳しく拝聴しようということになり、春田先生のご自宅をたくさんの人数で訪問した。その訪問のあと、柴田先生を兼六園に案内した。柴田先生は留学時代の思い出や勉強に関する苦労話を語られた。フランス語では crayonが「鉛筆」で、stylo が「万年筆」であることを教えてもらったが、なぜかそんな他愛もない話を今でも覚えている。

その日の話はいろいろと発展してフランス語に関して何点か教えてもらった。英語だけではなくて、フランス語に関しても深い知識を持たれた方だな、というのが私の受けた印象だった。また、その日のうちに福岡まで戻る必要があるとお聞きして、小松空港まで車でお送りした。さまざまな仕事をかかえた多忙な方であるな、という印象も受けた。

柴田先生について語る時に、そのメールマガジンを外すわけにはいかない。「言問いメール」を週1回ほどの頻度で発信していた。1997年の1月25日から発行が始まった。第1回目は「ラテン・クオーターとは何のこと」というタイトルであった。それ以降、次から次と言語に関する鋭い洞察を含んだ、それでいて読みやすく分かりやすいメールマガジンを発行された。柴田先生の研究の幅が広くて(語学から算数・数学教育、機械翻訳など)、その学識の豊かさにはいつも驚かされた。

柴田先生は多くの方と知り合いで人的なネットワークも広かった。メールマガジンで言語に関する問いかけをするとそれに答える研究者が何人かいて、その反応を紹介しながら、さらにまとめていくという技は見事であった。

あらためて、柴田先生の「言問いメール」を読んでみると、先生は当時で血圧が高くて240、低くて160 になったという文があった。そのころの自分は血圧など気にしたことがなくて、血圧が240であることの重大さが分からずに記憶にも残らなかった。今、この歳になって、その文を読み返すと、血圧について書かれた箇所に目がいく。あんなにお元気そうに見えたのに、当時から血圧という問題をかかえていたことを知った。

さて、柴田先生は福岡大学を退職後これからご自身の研究の集大成を刊行しようとしていた矢先の2014年11月に、突然不帰の客となられた。「言語・認識・表現」第19回年次研究会でそのことを初めて聴いたが、愕然とした気持ちになった。実はその数年前(2011年)に春田勝久先生も他界されている。私にとっては、目標にしていた方々が次第にいなくなるような寂しさを感じるのである。