学園祭でサークルKを訪問する。

2015-11-21

今日は勤務校が学園祭で賑やかであった。私の教え子が催しているサークルKに顔を出す。教え子の皆さんはとても元気で笑顔で私に挨拶してくれた。教室とはまた異なった印象の若い人たちである。

サークルKでは、マンドゥスープを売っている(ちなみに「サークルK」のKとは、韓国Koreaの略語だ)。400円と350円の2種類があるが、私は350円の方を注文する。これはキムチが入っていない方で、400円はキムチ入りのスープである。味はなかなか行ける。美味しい。体が暖まってくる。

なお、教え子の一人であるKさんは来週、韓国に行ってくるという。Kさんは昨年は私の英語の授業を取ってくれていて、英語の成績も良かった。現在は、忙しくて英語の勉強をする時間はなかなか取れないようだが、韓国語の勉強を始めているという。若い人が真剣に語学に取り組むと覚える速度は速い。Kさんには、是非とも英語と韓国語と日本語の三言語に通じる国際人になってもらいたい。

サークルKのメンバー
サークルKのメンバー
私の孫娘と写真を撮る
私の孫娘と写真を撮る
火曜日のクラスの学生
火曜日のクラスの学生

 

この日は、ホームカミングディである。何人か懐かしい顔ぶれの人も本学を訪問してくれた。いつまでも母校を忘れずに、心の底の存在と大事にしてほしい。

てなことで、今日は学園祭はまだ続くのだが、早々と学園祭の様子をアップした。午後からは渡辺直美が訪れるそうだ。それまで、私はここにいたいが午後には用事があるのでそれは難しいかな。渡辺直美の写真をこのブログに載せるとブログ訪問者は増えるだろうと思うのだが。再度元気な皆さんの写真をアップする。

元気な皆さん
元気な皆さん

学園祭だが、4時頃にタレント、渡辺直美が来て、歌の物まねやトークをしていた。実物を見たのは初めてなので、嬉しくなって写真を撮ろうとしたら、係の人から撮らないようにと叱られた。なるほど、タレントの映像は著作権があるようだ。であるので、本当はこのブログに掲載してお見せしたいが、残念ながら写真は掲載できない。

 

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天竜寺前の通り

2015-11-10

日曜日に天竜寺に行く。天竜寺の境内に止める。入り口の所に係の人が立っていて、一日駐車で1000円と言う。その金額を払って本堂の近くの駐車場に止めようとする。そこにも係の人がいて、前向きに止めるようにと指示がある。本堂には仏様がいるので、おしりを向けて駐車するのは失礼にあたるそうだ。そんなことで、前向きに駐車をした。

久しぶりに天竜寺の前の通りを歩いてみる。小雨で日曜日にしては人の数は少ないか。でも、それでも結構の人数が歩いている。目立つのは外国人の数である。本当に多くなった。中国人の観光客が多い。そこら中で中国語が聞こえる。お店の中に入ると面白そうなアイテムがたくさんあるが、日本語と英語のバイリンガルの表示か、またはさらに中国語の表示が増えている。

余談だが、メルボルンに行った時に、気づいた点は英語だけではなくて、中国語の表示が多かったことだ。空港内もまたダウンタウン街の商店街で外国人観光客を対象にした店は多くは英語と中国のバイリンガルの表示であった。ストップオーバーしたタイの空港でも英語と中国語とタイ語の三言語表示が目立った。世界はもう中国からの観光客を意識せずには商売はできないようだった。

話を戻すと、天竜寺前の大通りを歩いている人の何割ぐらいが外国人か。見当でだいたい3割ぐらいではないか。この率はますます高くなり、将来は半分以上が外国人観光客ということになるだろう。

商売は大切である。爆買いをしてくれる中国人観光客はそれこそ上客になるであろう。土産物屋がこぞって言語サービスを意識するのは当然である。さて、目立ったバイリンガルや三言語表記を下に写真を掲げておく。中国人の女性のグループが日本の小間物をいろいろ手にとって買おうかどうか迷っているようだった。そこで、面白いと思ったのは、よく大きな文字で Made in Japan と書かれてあることだった。中国の人にとって、日本に来て、Made in China の商品を買ったのでは、はるばる日本に来た意味がなくなるからのようだ。これは面白いと思った。

この日は小雨にもかかわらず何人かの女性が着物姿で歩いていた。それはもしかしたら、中国人の女性が着物レンタルで歩いていた姿かもしれない。

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多言語社会というカオスから新しい日本語が生まれる?

京都の街に住んでいると外国人の数がつくづく増えたと思う。大阪の街も同じである。商売もいままでの日本人中心から日本人以外の客も考慮に入れる必要がある。先日、大阪の梅田に行った時、次の写真のような掲示を見かけた。

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「雑貨はLoft」と書いてある。つまり「雑貨は梅田Loftで買いなさい」という意味のようだ。この掲示ではいろいろな国の言語が使われているようだが、何という言語かちょっと興味を感じる。中国語やハングルはすぐに分かるが、あとはタイ文字、ロシア語で使われるキリル文字、インドで使われるデバナガリ文字か。下の方に sundry goods is Loft と書いてある。be 動詞が使ってあるとイコール関係を示すのだが、文法的にこれでいいのか?sundry goods in Loft とすべきではないか。と眺めていると色々と考えることができて楽しい。

これらの文字を使う国の人々が梅田Loftにやってきて、売り上げ増に貢献しているのだろう。多言語の掲示を示して、「あなたの国からきた人たちが私たちのお店でたくさん買ってくれていますよ」と感謝の気持ちと同時に「どうぞいらしてください」という宣伝文句を伝えている。

10年前と比べて、ホテルを予約することが非常に難しくなった。私は京都に在住していて、よく東京に出張で行くのだが、予約をかなり早めに取らないと滞在先を見つけるのが難しくなった。日帰り出張が増えた。学会などの懇親会に参加すると京都に戻るのは難しくなるので、いままではホテルで一泊してたのだが、最近は早々に引き上げるようにしている。

逆に京都に来る人たちからは「京都でホテルを見つけるのが難しくなった」との声を最近よく聞くようになった。そのために、やや離れた滋賀県の大津や大阪の茨木や高槻で宿を取るという話も聞くようになった。

これらの原因がすべて外国人観光客の増加が原因とは限らないが、少なくとも大きな要素を占めているのは確かであろう。観光客が宿泊しないようなビジネスホテルも結構外国人の観光客は泊まるそうだ。

大阪の西成は日雇い労働者の街で有名であり、一泊3000円ぐらいの安宿がある。そこは最近は外国からのバックパッカーが増えたそうである。そのために、英語の掲示を増やしたりして経営者は対応している。西成がバックパッカーのたまり場になるとは。食堂も安いところが多いので、確かにお金を節約しながら大阪の街を見学するには格好の場所である。

スーパーやコンビニでは、「両替はしません」という意味の多言語掲示をよく見かける。観光客だけでなくて移民も増えている。多言語への傾向はますます強まっていく。やがては日本語は日本列島で話される多言語の中の一つ、one of them になるだろう。言語的カオス。カオスの中から日本列島に住む人々の共通語、新日本語が誕生するかもしれない。

食品名と日本語

2015-05-03

今日は久御山のイオンモールへ出かける。連休のせいか、かなりの人々がいる。ある輸入食料品を扱う店を覗いてみる。たくさんの外国語の名前の食品が並んでいる。写真を撮ってみる(もしかしたら、写真撮影は禁止されているのか、それならば、ごめんなさい)。

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これらの名前のほとんどが外国語である。隣の中年の女の人二人が「ヴィニガーが云々」と話し合っている。もう「酢」という言葉は死語になりつつあるようだ。ピクルス(漬物)、 ブラックペパー(黒胡椒)、 サーモン(鮭)、 ストローベリー(苺)が次第に日本語から外来語に置き換わっていく。

日本における外来語の蔓延だが、以前から、IT関連やファッションの世界では著しい。食品名もこのように世界のどこでも各民族が混合するようになると、やはり共通語が必要となってくる。この場合、英語とは限らないで、さまざまな国の言語が食品の共通語として使われるのはいいことだと思う。日本語のスシ、サシミ、トーフなどが国際共通語となりつつある。

音吉/『日本語の科学』

2015-05-10

ある先生が私の研究室に来られていくつかの話をしてくれた。興味ふかい話を一つ教えてもらったので紹介したい。幕末のころだが、船乗りだった音吉という少年たち3人が難破して遠くアメリカまで流されたしまう。そこでアメリカインディアンに奴隷として捕まる。しかし、その後イギリス人に売られて、さまざまなことを経験した後に、この3人はチャールズ・ギュッラフというドイツ人宣教師に手伝って世界で最初の日本語訳の聖書「ギュツラフ訳聖書」を出すことになる。そのとき、ヨハネによる福音書を訳するときはいろいろと苦労があったようだ。

ヨハネの福音書の冒頭は今では「始めに言葉があった」と訳されている。日本語訳を担当した彼らは普通の生活を送っていた船乗りであり、何か教養があったわけではない。この聖書の翻訳は、彼らの言葉、すなわち船員言葉を用いて訳したそうである。またその村の唯一の教養人であるお寺の和尚さんの説教を思い出しながら翻訳をおこなっていったので、和尚さんの口調がまじっているそうである。「ことば」を「かしこきもの」と訳したので、冒頭の部分は「はじめに賢きものがあった」となったそうだ。

この先生は数年前まで本学の教授であったが、定年退職されて、現在は非常勤で働いていらっしゃる。定年後の身の振り方などをいろいろと教えてもらった。また、このように学問的な話も教えてもらい、今日はとても勉強になった。

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今日は注文していた本『日本語の科学が世界を変える』(松尾義之、筑摩選書)が到着した。研究者仲間のM先生から面白い本があるからと薦められたので注文したのである。先ほど読み上げた。確かに面白い本なので、これまた紹介したい。私自身は日本の科学の研究はたしかに盛んであるが、応用方面の科学が盛んであり、理論研究や純粋な科学研究(基礎研究)は不得意であると思っていた。しかし、この考えは間違っているようだ。現代では、その分野もかなり成果を出している。日本人研究者たちは日本語という西洋語とはかなり異なる言語で思考するので、西洋人の気づかない視点から考えることができる。その点が最近の科学研究に有利に働いている。そのような内容がこの本の趣旨である。以下、面白いと思ったか所を下に示す。

p.21 ハングルは漢字を捨てたことで同音多義語が増えて混乱が生じて学問研究にはかなり不利になった。(サムソンの躍進などを見ると韓国の科学技術もかなりの水準に達したという印象を持っていたがそうではないようだ)

p.27 世界共通の言語はブロークン英語である。世界中の人が自国なまりの英語で互いにコミュニケーションをしているのが現実である。(私も同意する)

p.118 日本人は思考で「中間的」なものに関心をしめす。湯川博士の中間子論も日本人の典型的な思考の成果である。

p.130 西洋の思考は、「二者択一」の傾向がある。それゆえに、曖昧なものへの敵意、反感が見られる。

p.136 ノーベル化学賞と物理賞の違いは、分子より大きいものを対象とするのはノーベル化学賞であり、原子よりも小さいものを対象とするのはノーベル物理賞である。(これは私の全く知らなかったことで、なるほど)

p.142 近年、日本から画期的な発見が相次ぐ(私は日本の科学は西洋よりもかなり遅れていて、せいぜい応用の分野でなんとか頑張っているという印象を持っていたので、これは意外であった)

p.159- 西澤潤一博士と東北大学の貢献度についても教えてもらった。西澤博士はノーベル賞に値する研究をされているようだ。

p.210 アメリカやヨーロッパからの論文が最近つまらなくなった。また中国、韓国の論文も数は増えているが、つまらない論文ばかりだという。

以上、かなり科学史や最新の科学情報など門外漢の自分にたくさんのことを教えてもらった。日本語がどのように科学に貢献するのか。とにかく英語ばかりに頼ると思考が袋小路に陥る危険がある。やはり、多文化、多言語という下地があって、はじめて科学の発達がありうるということのようだ。

研究仲間達との会合

2015-03-16

今日は研究者仲間の先生方4名と会って今後の研究の方針などを相談した。キーワードは、多文化共生社会 (multicultural symbosis)である。できたら、今年の9月10日〜11日にイギリスの学会で発表しようということになった。申し込みをして発表が認められるかどうかは5月ごろに分かるとのこと、無事に認められることを願っている。

S先生からは、東京近郊の越谷市における多民族共生の実態に関して報告があった。越谷市は人口が30万人ほどの町で外国籍住民は4400人ほどである。いろいろと産業が多いので、そこで働く外国籍の人が多いようだ。多文化・多民族・多言語の共生についてはどの自治体も真剣に取り組んでいるとの印象を受けた。

そのほかに、本を出版しようという企画があり、そのこともみんなで話し合った。私自身はこの企画を Million-Seller 計画と名付けている(かなり大胆なネーミングだが、夢だけは大きくありたい)。 まだ内容を公表できる段階まで達していないのだが、この出版が教育・学問の世界に貢献して、同時に私たちのキャリア・アップにつながることを願っている。

相談が終わった後で、みんなで京都駅構内を探検した。京都駅は1997年に現代的な建物に生まれ変わり、重厚な立体感を訪問者に与えるようになった。長い長い階段とエレベーター、空中径路、高所にある広いスペースなど、いい意味で京都らしくない空間感覚を感じる。

寺社・仏閣だけの観光では、京都の街はもう生きていけない。これからは、伝統と現代を融合させた新しい文化が京都の特徴になるべきだ。そうでなければ、世界中から観光客はこない。

言語サービスの再定義

2015-03-09

科研の仕事を一緒にしている先生から、「言語サービス」という語について再定義が必要ではないかと問いかけがあった。その先生は京都に立ち寄るとのことで、京都駅内の喫茶店にて落ち合い、2時間ほどだが、いろいろな面から検討を行った。外国人への「言語サービス」とは10年以上も昔から提唱されてきた概念だが、やや古くなり時代にそぐわなくなってきた面もある。再定義がどのように可能か考えてみたのである。

今までの定義の詳細については、河原編『自治体の言語サービス』(春風社、2004年刊) pp.6-7を参照のこと。なお、この本は絶版であるが、アマゾンでは中古本が出品されている。また、同様の趣旨で執筆された本として、河原・野山編『外国人住民への言語サービス』(明石書店、2007年刊)もある。実は、この本も絶版であるが、やはり中古本として、何冊かが出品されている。

今までの定義は以下の通りに二つの側面から見ている(『自治体の言語サービス』[春風社]pp.6-7)。

第一の定義(具体的・技術的な側面)
「外国人が理解できる言語を用いて、必要とされる情報を伝達すること」
第二の定義(理念的な側面)
「外国人住民の母語によるアイデンティティを守り、その文化の発達を支援すると同時に、日本人住民との共生社会を作っていくための言語政策の一つである」

この定義の問題点を以下のように幾つかの点を考察する。

(1)「言語サービス」を「言語」と「サービス」という二つの視点に分けて考える。「言語」という表現を使ったが、実は言語だけに限らないのである。それに付随するもろもろの情報の提供である。知的活動への援助ということである。それゆえに、「情報サービス」という表現もいいが、「情報」とすると本質が見えにくくなる。情報という言葉は非常に曖昧である。情報を提供すると言ったとする、具体的に何をするのかわからなくなる。「日本語のパンフレットを渡してこれ読んでおいて」と言うだけだったり、「英語のホームページがあります」と述べるだけだったりする。情報サービスという言い方では、外国人の理解できる言語で情報を提供するという側面が見えなくなる恐れがある。

(2)「サービス」という言葉の持つ意味合いだが、無償で提供する。提供者が善意でもって行うというニュアンスがでる。これは問題であろう。外国人・外国人住民が権利として要求できるもの、という意味合いが薄れてくる。当然の権利を要求するという意味で「言語権」を定義に含めるのはいいだろう。「外国人が人として本来的に所有する言語権に基づいて、日本の公的機関が提供する言語サービス」と考えられる。

(3)外国人と外国人住民と分けたが、外国人では観光客を含めた短期滞在者にも分かりやすく情報を提供することである。たとえば、トイレはどこにあるのかというようなことも含まれる。外国人住民とすると長期滞在者あるいは移住して日本国籍を取得した人まで含まれる。後者には外国人市民という表現がふさわしいかもしれない。

(4)第二の定義の「アイデンティティを守り、その文化の発達を支援する」ことと「日本人住民との共同社会を作っていく」という命題は対立すると考えられる。この命題がうまく両立する道を探ることが必要である。一般に外国人住民は閉じこもりがちである。「家族」とか「同一民族というコミュニティー」に閉じこもりがちになる。どのようにしたら、その人たちを引っ張り出せるか。「多文化共生主義に基づくグローバルコミュニティーの中で、たまたま日本にいた人々が、適切にそのローカルな社会に円滑に参加できるようにする行為」と考える。この場合は、日本人住民や外国人住民との違いを意識しなくてもいいだろう。

ここの(4)では、「文化の発達」という表現を用いたが、ここは頭の整理整頓が必要ではと、今日お会いした先生から指摘があった。文化相対主義という考えがあり、無文字文化とアメリカの高消費文化のどちらが文化的に発達しているのかという問いかけをされると、確かに、答えに詰まってしまう。このことがあるので、文化の「発達」ではなくて、「展開」とか「共鳴度を高める」などの表現がふさわしい場合もある。今後の検討課題であろう。
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今日お会いした先生は岡山への出張の帰りとのことで、岡山名物の「きびだんご」をお土産にいただいた。家内や子供たちも美味しいと喜んでおり、このブログでも御礼を述べたい。