小学校の英語教育とコミュニケーション
児童が日本語や英語を習得するには適切な時期がある。その子が何を母語として生きてゆくのかは、幼児期の言語環境で決まる。6歳から7歳ぐらいで母語が決まるのだが、その後は、どんな第二言語を学ぼうとも、そのレベルが母語のレベルを超えることはない。その子は何を学ぶにも母語をベースに、頭の中で母語と第二言語を変換しながら生きていくのである。7歳以降の教育では、子どもたちは論理的思考力や抽象的な概念を扱うことになるが、これは母語を用いた教育でない限り不可能である。第二言語を習得するのであれば、母語を鍛えたあとで、あとで学べばいいのである。この時期に英語教育を始まることは母語教育の妨げになると思う。
また、小学校の児童は日本語を母語としただけで、その能力はまだ発展途上のと言ってもよい、低学年でも一見、日本語はペラベラで不自由なく話しているように見えても、論理は整ってないし、人の話を読み取ることもできず、自分の気持ちや周りの事象を十分に書き表すこともできない。この段階の言語レベルのままでは、母国である日本の社会で生きていけないと思う。それを徹底的に鍛え上げるのが国語の教育である。これから人生を豊かにしようとする国語力を伸ばしていく時期にわざわざ他 の言語を割り込ませたくない。
教師にしても負担が増える。ある程度は理論的に考えることができて、国語力のある中学生をも英語嫌いにさせてしまうような内容が、今度の学習指導要領の改訂で中学校から降りてくるのである。日本語も満足に話せない子どもたちに、コミュニケーション能力を付けるための英語の授業を、無理矢理に週の何時間かをねじ込んでゆくやり方に不安を感じる。
生活言語能力と学習言語能力
ここでは、生活言語能力(BICS)と学習言語能力(CALP)とに分けて考えたいと思う。生活言語能力の習得ならば、複数の言語を学んでもさほど互いに邪魔にはならない。ところが、学習言語能力のレベルならば、発達期の子どもたちに複数の言語を同時進行的に学ばせるのは難しいと思う。とにかく、まず日本語で抽象概念を操作する力を付けた方がいい。そして、それを変換するような形で、英語で抽象概念を操作してゆくのである。
文科省の学習指導要領を読むと、コミュニケーション能力を付けることの必要性が各所に述べられている。これは生活言語能力レベルでのコミュニケーション能力の習得を目指しているのではないか。会話中心で具体的なことに関するやり取りが念頭にあると思われる。
もしも、第二言語を用いて、抽象的な概念のやり取りをして、相互にコミュニケーションしようとしたら、それは日本語の手助けが必要だ。抽象的な概念の操作は、結局は一つの言語(つまり母語)でしかできない、と思う。ただ、慣れてゆくと、日本語と英語の変換の速度は速くなり、ある部分は英語だけで完結する場合もあるだろう。しかし、日本語という枠の中からは抜けることは難しいように思える。
まず、日本語で抽象的な概念をやり取りできる能力を身につけること、そして会議などでも積極的に発言する態度を育成することが必要であると思われる。日本で行われる会議でも沈黙を守っていて、たまに指名されても、まとまった意見を言えない人がいるが、この様な人は英語を学んだとしても、会議で積極的に発言することは少ないだろう。積極的に発言する態度を身につけること、これは英語力を身につける前に必要なことかもしれない。