野生児は言語発達の視点からよく研究の対象となる。ほとんどが、昔の話しでデータの信憑性があまりないのだが、Wikipedia等を参考にしながら述べてゆきたい。


野生児における3つの種類

1. 動物化した子ども

獣が人間の赤ん坊をさらったり、遺棄された子供を拾ったりして、そのまま動物によって育てられた場合。育てていた動物としては、狼・熊・豹・豚・羊・猿・ダチョウといった事例が報告されている。育て親の動物については地域によって特徴があり、東欧では熊、アフリカでは猿、インドでは狼の報告が多い[3]。代表例は狼に育てられたとされるアマラとカマラ。

2. 孤独な子ども

ある程度は成長した子供が森林などで遭難したり捨てられたりして、他の人間とほとんど接触することなく生存していた場合。絶対的野生児。代表例はアヴェロンの野生児。

3. 放置された子ども

幼少の頃に適切な養育を受けることなく、長期間にわたって幽閉されていたり放置されていた場合。擬似野生児。野生で育ったわけではないが、幼少期に十分な人間社会との接触が得られなかったという意味で野生児と同等に扱われる。代表例はカスパー・ハウザーである。
それぞれの代表例として挙げたアマラとカマラ、アヴェロンの野生児、カスパー・ハウザーについては資料が比較的しっかりと残っており、野生児の研究ではよく取り上げられる。ただし乳児から人間を別種の動物が育てるのはその動物に育てる気があっても非常に困難であり、「動物化した子ども」のカテゴリーはアマラとカマラを含め大半の話が捏造である(実際は発達障害等のため捨てられた「孤独な子ども」を動物と結びつけた創作話)というのが定説となっている。

野生児の記録

野生児の事例はこれまでに多数報告されている。動物に育てられた子どもの話は神話・伝説の中にも見受けられ、例えばローマ神話においてロームルスとレムスは狼によって育てられたとされる。社会心理学者のルシアン・マルソンは、1344年発見のヘッセンの狼少年から1961年発見のテヘランのサル少年まで53のケースを表にまとめており、人類学者のロバート・ジングも35のケースについて解説を行っているほか、31人について各々の野生児の特徴をまとめた総括表も作成している。

しかし、古い事例では信頼性のある詳細な記録が残っていない場合が多く、ロバート・ジングは「ミドナプールの野生児(アマラとカマラ)が、これまで(1942年頃まで)に蓄積された記録のうち科学的資料として認められる唯一の例」だとしている。ただし、アマラとカマラの事例についても、その真実性には議論がある。

また、野生児だと思われていた事例が、後にそうでないと発覚したこともある。1903年に推定12~14歳で捕らえれ、類人猿に育てられていたとされていた南アフリカのひひ少年リューカスは、ロバート・ジングによってつくり話だと指摘された。また、1976年5月にブルンジで発見され、猿と一緒に4年程度生活していたとされる少年は、1978年に心理学者のハーラン・レインによってそうではないことが判明した。

野生児が発見・保護された場合

社会性を失い痴愚的な状態となっているため、人間らしくするための教育が行われることが多いが、ほぼ完全に人間らしさを取り戻した事例は少ない。比較的回復に成功したと考えられるケースとしては、カスパー・ハウザー、小ターザン、ソグニーの少女、隔離児イザベルなどが挙げられる。保護された野生児を教育しなおす場合、「動物化した子ども」「孤独な子ども」のケースでは動物との生活や野生での生活で身につけた習慣・条件付けを除去しなければならないが、「放置された子ども」のケースではその必要性はないため、孤立の期間が短ければ回復できる場合が多い。
野生児の事例は、「人間の幼少期に覚えた習慣は恒久的なものとなる」「発達初期段階に社会との接触が得られないと、その後の社会化が困難になる」といったことの根拠としてしばしば用いられる。

授業での説明

私の授業では、アヴェロンの野生児の話しをよくする。あるいは、『野生の少年』というDVDを視聴させる。この野生児は、18世紀の末にフランスで発見された少年であり、イタール博士が一生懸命になって言語を教えようとしたが、結局は、2,3語しか発することができなくて、言語の習得はできなかったという話しをする。言語習得には臨界期があって、その時期を逃さないようにしなさい、という風に話しを締めくくる。