先日、学生と話しているときに、私が「電報」という言葉と使ったら、「それは何ですか」という質問を受けた。授業中に、「文章から不要な部分を切り落として、ぎりぎり意味が通じる部分だけを残した、つまり電報みたいなもの」というようなことを語っているときであった。くわしく説明すると、学生は、「そういえば、朝ドラの『らんま』の中で出てきた言葉だ」とようやく納得したようだった。『らんま』では、電報が登場するようだ。

シャーロック・ホームズの登場する探偵小説の中で、ホームズが急ぎで問い合わせをするときには、電報を用いていた場面があった。この探偵小説が書かれた頃に、ようやく電報がイギリスに普及してきたようで、その当時の時代が感じられて面白く読んだものだった。

両親が健在だった頃は、遠地にいる両親の誕生日には、電報と祝い品を贈った。妹と相談して役割を決めた。母の誕生日に私が祝電を打ってお祝いの品を贈った。父の誕生日には妹が祝電とお祝い品を送った。そんな風にしていた両親だが、父は20年ほど前に、母は10年ほど前に他界した。

ところで、自分の息子達だが、長男だけが、家内だけに、毎年、誕生日プレゼントを贈ってくる。私のことは無視である。次男からは私にも家内にも、特に何のリアクションはない。

さて、自分の年齢が両親が他界した年齢に近づいてくる。電報という言葉から、連想していろいろなことが思い出された。